声楽のレッスンの続きです。
さて、プッチーニ作曲「トスカ」より「E lucevan le stelle/星は光りぬ」です。この曲の(私にとっての)最大の難所は“E non ho amato”の“to”の部分、つまり高いAの箇所です。ここがどうにもうまく出来ません。
先生がおっしゃるには「Aを狙って歌うから出ないんだよ」だそうです。狙わなければ出ませんが、狙ったら出ません、出る時はスルッと通り抜けるように出るんです…って、禅問答ですか!
大切な事は、開ける声で声をドンドン開けていき、そこに息を流し込んでいく事。最高音に達するまで決して声を被せない事。
私の歌い方では、最高音に達するかなり前から、声が被り始めている事と、Aの直前で必ず息が切れて、息を出直してからAに挑んでいる事(それが“Aを狙っている”と言われる由縁です)。とにかく、声を被せない事。息を切らずに流し続けて歌う事。この二点が肝心なんです。
特に息を切らない事は、とても重要なんだそうです。私の場合、息を切った瞬間に、ノド声スイッチが入るのだそうです。いや、ノド声スイッチが入るから息が切れるのかもしれません。まあ、ここは鶏とタマゴの関係なのかもしれませんが、とにかく息が切れてしまうのは、絶対に回避しないといけないようなのです。
そして、さらに残念な事に、私はAの手前で腹筋が限界を迎えてしまっているようなのです。
支えの力でAを出すためには、もう一歩腹筋が深く体内に入らないといけないのですが、私はAbで腹筋の限界を迎えてしまうのです。つまり、まだAを出すには腹筋が弱い、Aを出せるカラダになっていないと言うわけです。
これは鍛えるしかないわけですが、今回のレッスンに限っては、ここまで散々歌ってきて、カラダが疲れているというのもあります。まあ、疲れなければ、Aを出せるほどに腹筋が体内に入り込む事が出来るのか…と言われると微妙ですが、疲れていないと多少違うでしょう。そういう意味でも、やはり“鍛え方が足りない”と言われても仕方がありません。残念無念です。
で、腹筋が限界なら、それでお終いかと言うと、それは違います。腹筋が限界なら、その分、背筋を使えば、高音の限界を伸ばす事ができるのだそうです…そう言えば、最近は腹筋ばかりに注目していて背筋を使うのを忘れていました。腹筋が限界を迎えても、背筋のサポートがあれば、腹筋はより深く体内に入り込めます。…ちょっと光が見えてきたような気がします。
背筋を使うのは、キング門下にいた時に、結構練習したので、できないわけじゃないです。ただ、腹筋と背筋の連動は…難しいですね。とにかく、声はお腹から出すのです。そのためにも、腹筋&背筋の強力な協力が必要です。
そうそう、この“E non ho amato”の箇所。私があまり上手に出来ないものだから、先生「では、1オクターブ下げて練習してみましょう」と言って、本当に1オクターブ下で歌わされました。
いきなり、1オクターブ下の音で歌うのはムズいですね。音取りもせずに、いきなり歌うのは、おっかなびっくりだし、何よりも音が低すぎます。確かに“to”は高いAだから、1オクターブ下がっても中音のAだから平気だけれど、歌いだしの“E”は、元々中音のAですから、1オクターブ下だと、五線下の低いAになってしまいます。私にとって、そりゃあ、かなり低い音ですよ。ほぼ、使用可能音域の外でございます。
とにかく、おっかなびっくり歌っていたら、先生から「高い音で歌う時と同じように、一生懸命に歌いなさい」と注意されました。いやいやいやいや~、確かに高い音程を歌う時は、もっとエネルギッシュだし、腹筋も使うし、口腔内だって最大容量にしますが、低い音域の時にそれと同じ事をやってしまうと、音程がどっかに飛んで行ってしまいます(涙)。とにかく、低い音程で歌う事に慣れていない私ですから、音程をキープするために、オッカナビックリなわけですし、手加減しながら歌ってたら、怒られちゃったわけです。ううむ、難しいね。低い音は発声そのものは簡単でも、コントロールがほんと、難しいです。
さて、最後はヴェルディ作曲「椿姫」より「Libiamo, ne’lieti calici/友よ、さあ飲みあかそう(乾杯の歌)」です。
ロングトーンで音が下がるのは、腹筋が疲れてきて、息が足りなくなるからです。同じ音の繰り返しなのに、徐々に音程が下がるのは、声のポジションが下がってしまうからです。腹筋にカツを! 声のポジションの下がりを防ぐには、常に開ける声でポジションを上に上にと上げていく必要があります。
この日の最後に注意された事は、「星は光りぬ」でも「乾杯」でもそうなんだけれど、どうも私の歌は、インテンポっぽいと言うか、テンポの変化が少ないと言うか、どうにも前のめりになって歌っているそうなんです。常に、前へ前へ歌っているのですが、先生から「もう少し、歌に、タメがあってもいいんじゃないの?」と言われました。
ブレスの時は、しっかり音楽を止めて、ブレスをする必要はあるし、その音楽を止める事も、音楽表現の一つだよ…だそうです。この音楽を止めると言うのは、ブレスの場合の、無音を伸ばすもありますが、最高音に達した時のフェルマーター、つまり声を出し続けて音楽を止める事もアリなんです。音楽の流れに緩急があっても、音楽がそれを望んでいるなら、それはそれで良しなんだそうです。
「星は光りぬ」なんて、あっちこっち、ほぼ一小節ごとにテンポが変わって、音楽が止まると言うか、ギアがガクンガクン激しく入れ代わっているような気がしますよ。
とにかく、私は、もっとゆっくりと落ち着いて、歌う必要があるみたいです。
それにしても、歌って、難しいね。
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コメント
自分が何かの弾みで倒れる時に、一瞬スローモーションで、自分が倒れるのが見える事がありませんか?
歌う時に、そういう不思議な感覚を作り出したらいいんです。
そうしたら、大分落ち着いて歌えるとおもいますよ。
自分を客観的に見るって事かな?それが出来たら、大分違う歌い方に
なって来るのではないかと思います。お試し下さい。
おぷーさん
おぷーさんのおっしゃる事、何となく分かります。幽体離脱…ではないけれど、なんかそんな感じというか、自分で自分を俯瞰視する感覚でしょ。ううむ、確かに、歌っている私に一番欠落している感覚かもしれません。
なにしろ、歌っている時は、無我夢中だからなあ(笑)。
無我夢中がいけないとは思わないけれど、たぶん、それだけじゃダメなんでしょうね。おぷーさんのおっしゃる、客観的に自分を見る事も必要。うむ、そういう心構えで練習していきましょう。
>「では、1オクターブ下げて練習してみましょう」
拝見拝聴している感じではすとんさん、下腹部の支えが全体的に弱いから下げてみましょう、だったんじゃないかなぁ?って思います。
下げて歌ってみて終わりでした?
その次の練習段階もあると思うけど、そっちはしなかったのかしら???
支えがないと上が空きません。
支えが少ないから音程が下がってくる。
さんざん言われてなんだそれ?って思ってましたが近頃よくわかるようになりました。
なのできっとすとんさんもそうなんだろうなぁ、なんて思って読んでます。つまらない練習だけど支える練習も頑張ってくださいね。
音楽の流れを作るのは言葉のリズムもありますから大変ですよね。
リズム読みで、言葉の抑揚探したり、テンション探すと結構うまくいくような気がします。
イタリア人の色男になったつもりで読んでから歌に反映させるといいかもしれませんよ。
なににしても仕上がり楽しみです。
録音首を長くして待ってマース♪
ミルテさん
先生の真意は今だ、はかりかねておりますが、まあ高いところが上手く歌えないから1オクターブ下で…と言うわけで、ミルテさんの推測どおりかもしれません。
下腹部の支えが弱いと分かっても、一朝一夕じゃ強くはなれませぬからね(溜息)。
>下げて歌ってみて終わりでした?
はい、終わりでした。ってか、終わりにせざるを得ませんでした。1オクターブ下にすると、今度はちゃんと歌えないんですね、私。たぶん、1オクターブ下なら、下として、改めて音取りから始めないと歌えないかも(涙)。そういう意味では、私は、相対音感が弱いのかもしれません…って、相対音感だけでなく、絶対音感だって弱いから、音感そのものが弱いんでしょうね。ああ、情けない…。
なので、次の段階があって、その段階は、まさに“次の段階”になってからじゃないと始められません。
>支えがないと上が空きません。支えが少ないから音程が下がってくる。
ですね…私の場合、Y先生になって、始めて教わりました…ってか、毎回のように『支え、支え』と言われております。よっぽど“支え”が私には大きく欠落しているんだろうと思います。
>つまらない練習だけど支える練習も頑張ってくださいね。
はは、確かに面白くはないですね。でも、一種の筋トレですから、男の子としては(ちょっとだけ)燃えます。
イタリアのチョイ悪オヤジになった気分で、頑張りますです。