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老犬ブログ前史 その1 学生時代

 今年の夏の、いわゆる“お盆企画”の連載を開始します。

 今年は、私の昔話と言うか、そもそも、どんな経路で、今の趣味生活に突入したのか、私の個人的趣味日記の前史的なモノでも書いてみようかなって思いました。つまり、老犬ブログに書かれる前の、私の趣味生活について、ボツボツと色々な事を思い出しながら書いてみます。ちょうど昨年は“My音楽史[すとん編]”として、私の音楽受容遍歴(&演奏遍歴)を書いてみましたので、それの補完連載って感じになるでしょうか? 話があっちこっち錯綜したり、一部思い違いや、過去記事との食い違いなどが混じっているかもしれませんが、その点はご勘弁ください(笑)。

 では、始めます。
 
 
 音楽は、物心つく前から大好きでした。でもね、貧しい家に生まれたので、習い事をさせてもらえなかったし、学校は公立だったので、音楽の時間がかなりいい加減だった(音楽素人の担任教師が音楽を担当する事が多かったんだよね~)ので、音楽は好きだったけれど、基本からしっかり教わることは無く、家庭環境の差が、そのまま才能育成の差となって、私は音楽的にはスポイルされた環境で育ちました。

 私が親しんでいた音楽と言うと、歌謡曲とCMソングとアニソン(ってか、子ども番組の主題歌)ぐらいでした。そういう意味では、貧乏な家に生まれ育った子どもとしては、ごく平均的な音楽経験っところかな? 歌謡曲と言っても、当時は演歌が大盛況だった時代ですが、不思議と私は、演歌には見向きもしませんでした。ポップスっぽい歌謡曲が好きだったかな。

 あ、そうそう、当時[昭和の時代だよ]は今と違って、テレビで歌番組って、たくさんやってましたね。だいたい、毎日、どこかの局でやってました。それもいわゆるゴールデンタイムでね。どの番組も全年齢対象って感じで、若い子からお年寄りまで楽しめるようなラインナップで、今と違って、家族全員で見れる番組だったんだよねえ…(懐かしいなあ)。あと、アニメとかドラマも、だいたいゴールデンタイムにやってました。その代わり、バラエティ番組とかニュース番組って奴が少なかったかも…。
 
 
 私が小学生の頃は、まだまだハーモニカの時代でした。1年生の時にハ長調のハーモニカを購入し、二年生になると半音の学習が始まるので、複音ハーモニカと言って半音も出せるハーモニカを購入するのだけれど、我が家は貧乏だったので、複音ハーモニカを買ってもらえず、ヘ長調もト長調も臨時記号無視で、ハ長調のハーモニカを吹いてました。そんな事をしていたら、耳なんて、育つわけないよな~。私が今だに音感が無くて苦しんでいるのは、きっと、この時代のいい加減な音楽環境が原因だろうと思います。

 と言うわけで、私の音楽生活なんて、そういう状況から始まってます。

 3年生の時にソプラノリコーダーを購入し、5年生になるとアルトリコーダーを購入しないといけなかったのだけれど、アルトリコーダーは購入してもらえなかった(ウチの親には、ソプラノとアルトの区別がつかなかった)ので、ソプラノリコーダーのまま、アルトリコーダーの曲をアルトリコーダーの運指(?)を使ってソプラノで演奏してました。まあ、つまり、いつでも完全五度上でリコーダーを吹いていたわけです。ほんと、デタラメな事をやっているよね。まあ、それで通用する程度の授業だったわけですね。そして私は、ますます音感獲得の道から遠ざかるのでありました(涙)。

 リコーダーは一家に一本しかなかったので、やがて弟と一本のリコーダーを共有するようになり、手ぶらで授業を受ける事も増えました。そういう時は“エア・リコーダー”を吹いてました。ああ、恵まれていないねえ…。

 そんな音楽環境にも関わらず、3年生の音楽の授業(この学年はなぜか専科の先生が音楽を担当してました)で『三拍子で作曲してみよう』という課題が出て(こういう課題が、小学3年生相手に出る事自体、いい加減な授業だって分かるでしょ:笑)、私がサラサラと書いたメロディが抜群に良かったらしく、それを黒板に書き写されて誉められただけでなく、黒板を見ながら、クラス全員でそのメロディを笛で演奏したのを覚えてます。たぶん、その頃までの私に、きちんとした音楽教育を与えたら、それなりの職業音楽家になれたんじゃないかな?なんて思いますよ。

 ちなみに小学校高学年の時は、鼓笛隊に入って、小太鼓(スネアドラムとは微妙に違う:笑)を叩いてました。これは結構上手だったと思います。音感は今も昔もありませんが、リズム感はどうやら人並み程度はあったようです。
 
 
 中学校に入学して、やっとマジメに授業をしてくださる音楽の先生と出会って、そこで始めて、楽典やらなんやらをしっかり学んだ記憶があります。私の楽典の知識は、その頃、恩師に教わったものが、ほとんどです。

 その頃になると、弟は音楽を放棄したので、一本しかないリコーダーは、ほぼ私の独占状態となりました。そして私はリコーダー演奏に夢中になりました。暇さえあればリコーダーを吹いていました。学校の休み時間はもちろん、家にいても手持ち無沙汰の時は、リコーダー吹いてました。なにしろ、修学旅行にもリコーダーを持っていき、新幹線の中でも、バスの中でも、京都の町中でも、リコーダー吹いてました。今考えると、そうとうバカで怪しい男子中学生だったと思います(笑)。

 また、小学校の鼓笛隊の経験もあったし、リズム感は悪くなかったから、時々、恩師が顧問を勤める吹奏楽部に、エキストラ(つまり、助っ人)として呼ばれて、パーカッションもやりました。本当は、エキストラじゃなくて、正式部員として吹奏楽部に入りたかったのだけれど、ウチは貧乏だったので、何かとお金がかかる吹奏楽部の入部は、親に止められてました。なので、正式部員ではなく、エキストラだったんです。ああ、残念。

 当時すでに、楽器演奏の方は、それなりの才能を見せていた私でしたが、歌はてんでダメでした。

 小さな子どもの頃から、歌うと父親に殴られていました。子どもが楽しげにしている姿を見ると、イラつく性分だったようで、歌に限らず、私が上機嫌にしているだけで、殴られた蹴られてたりしてました。今で言うところの“児童虐待”って奴だったかもしれません。それなのに、親を恨む事もなく、ひねくれずに育った私はエラいなあ…。

 とにかく歌うと殴られていた(ってか、物音をたてると殴られていた)ので、生活の中で声を出して歌う機会が極端に少なく、そのため、歌の練習が出来ず、歌う力を育てる事ができなかったんですよ。ま、ロクな音楽教育も受けていなかったし、音感も無かったし、それに歌えば殴られていたのですから、歌えない子に育っちゃったのも、無理のない話です。

 ですから、中学生の頃になると、はっきり言って、歌は下手の部類に入るほどの歌唱力しか持ち合わせていなかったのです。中学の音楽の恩師が「こんなに音楽が好きで、笛も得意なのに、歌がダメなんて、本当に可哀相だ」と本気で同情してくれたのを覚えてます。

 まあ、歌えなくても、音楽を聞く耳は持っていたし、自分は“歌えない人間”だという悲しい自覚もあって、その分、余計に自己表現の手段として、リコーダーにのめり込んだのかもしれません。

 でも、心の底では、自分も人並みに、歌えるようになりたかったのだろうと思います。
 
 
 歌下手から脱出しようとして、ギターを独学で始めて、歌の伴奏として使いだしたのも、この頃です。やっぱり、歌の練習をするには、楽器が必要でしょ? それに「習うより慣れろ」じゃないけれど、習い事は一切できない環境だったので、何か楽器を習うにしても、独学できる楽器じゃないとダメだし、ピアノは子どもの小遣いじゃ買えないし、当時ギターが流行っていたって事もあったし、とにかく近所のレコード屋で安いギターを買って、ギター弾きながら、当時の流行り歌をバンバン歌ってました。

 まあ、一応、ギターは独学…と言っても、当時はギター少年は周りにたくさんいたので、そんな友人たちにギターを習ったり、一緒にバンドをやったりして、それなりにギターの研鑚は積みました。まあ、ギタリストとして一本立ち(と言う言い方も変かな?)できるほどの腕前にはならなかったけれど、歌の伴奏には困らない程度の腕前にはなれたと思います。

 とにかくいっぱい歌を歌って、歌う経験を増していいけば、少しでも歌が上手になるんじゃないかって思って、一生懸命ギターを勉強して、ギターで音取りをしながら歌の練習をするようになりました。…相変わらず、父親には歌うたびに、殴られまくっていたけれどね(笑)。

 でもまあ、ギターの弾き語りをしているだけでは、実はあまり歌は上達しないのですよ(涙)。

 歌は上達しなかったけれど、ギターの腕前の方は、それなりに上達したので、高校時代はバンド活動を、それなりにマジメにやってました。もちろん、本音ではギターではなく、ヴォーカルをやりたかったけれど、ヴォーカルをやらせてもらえる程の歌唱力は無かったので、一生懸命ギタリストをやりました。で、時々、お情けで、ライブの中で1~2曲、歌わせてもらってハッピーになってました。カワイイでょ?

 この頃は、バンドでは、ギター演奏以外に、作曲をかなり真面目にやっていました。ええ、いっぱい曲を書きました。メロディーメーカーとしての才能が、ちょっとはあったのかもしれません。湯水のようにメロディーが湧いて、どんどん曲が書けたので、これでも一時期は、マジメに作曲家になろうと思っていたんですよ、音感ないのに(笑)。
 
 
 高校を卒業して、バンドは解散し、大学生になった頃は、音楽活動は低調な時期に入りました。それでも、サークルの部室で、ひまつぶしに、私のギターで、たまにみんなで歌ったものです。相変わらず、歌は下手だったけれど、気にせず歌っているうちに、少しずつ歌えるようになってきたので、いつのまにかリコーダーは吹かなくなってしまいました。歌の上達には「声を合わせて歌う経験」というのが、必要なのかもしれません。なかなか孤独の中では、歌は上達しないらしいです。

 大学時代には、教員免許の都合もあって、ピアノを始めましたが、さすがに二十歳過ぎてからピアノを勉強しても、ロクに弾ける様になりませんでした。返す返すも、小さな子どもの頃にピアノを習いたかった…と思ったものです。

 それまでポピュラー音楽一辺倒だった私が、クラシック音楽に親しみだしたのは、この頃です。友人にクラオタがいて、交響曲を中心にレクチャーを受けて、無理やりレコードを聴かされて…って感じで、少しずつクラシック音楽の楽しみを知り始めました。でも、結局、今でもそうだけれど、交響曲は好きになれなかったです(笑)。

 学校を卒業して、就職したところ、私の隣の机のお姉さん(と言っても、私の母よりも年上の方)が私の教育係になってくれたのだけれど、この人が、無類のオペラファンで、私はそれまでオペラの“オ”の字も知らなかったのだけれど、この人が師匠になってくれて、私はオペラの楽しみを知るようになりました。

 この方の事をNさんと呼びましょう。このNさんの話から次回の話を始めましょう。

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コメント

  1. ももねこ より:

    老犬前史 いい話です。続編期待してます。
    このブログの お陰で、毎朝4時に起き、
    4時半にブログをチェックして、
    5時から 6時まで、ヴァヨリン練習してます。
    先日63歳になりました。そんなわけで
    あと数ヶ月でヴァヨリン歴3年になります。

  2. Cecilia より:

    続編、早く読みたいです。

    >子どもが楽しげにしている姿を見ると、イラつく性分だったようで、歌に限らず、私が上機嫌にしているだけで、殴られた蹴られてたりしてました。

    義父(夫の父親)もそんな感じだったようです。
    軍隊生活の影響でしょうか。
    義父の場合は夫にたくさんの習い事をさせ、ピアノも買い与えていました。(夫は昭和33年生まれ。その世代では珍しいと思います。裕福だったわけでもないのですが。)
    しかし夫は音楽は好きですが、能力は育ってないです。

    でもすとんさんの子供の時の学校、すごいですね。
    私の時は複音ハーモニカなんか使わなかったし、アルトリコーダーは中学に入ってから。(だいたい中学生でも指が届かない人が多いですよね。)
    でもそれで思い出しましたが、私が通った中学で選択授業とはいえギターを二人に一台買わせるって、やっぱりひどいと思います。親がよく買ってくれたと思いますけれど。

  3. すとん より:

    ももねこさん

     毎日一時間ヴァイオリン練習ですか? 見習いたいですね。かく言う私めは、8月に入ってから、一度もヴァイオリンに触っていないかもしれません。ダメですね。今月は弦を張り替えるつもりなのに、触ってもいないなんて…。一応、心の片隅では「少しはヴァイオリンも練習しないと…」と思ってますが、夏は変則的に日程や時程で動いてますので、なかなか難しいですが…心を入れ換えて、明日(笑)から、ヴァイオリンの練習も始めるぞ(爆)。

     老犬前史は、全5回を予定してます。

  4. すとん より:

    Ceciliaさん

    >続編、早く読みたいです。

     一日、一記事ですから、お待ちくださいね(笑)。

     私やCeciliaさんのご主人が子どもだった頃って、ピアノを子どもに習わせるのが、一種のステイタスだった時代なんですよ。ピアノがバンバン売れていた時代なんです。そのしばらく後になると、今度はエレクトーンがバンバン売れる時代になっていきます。そういう意味では、今はどんな楽器が売れる時代なんだろ? 少なくとも“バンバン”売れるって事はなさそうだけれど…。

     ギターは自分が弾くようになった事もあって、中学生の頃は憧れでしたね。教科書に載っているのに、ウチの学校ではやらなかったです。

     それにしても、二人に一台のギターを購入ですか? たしかに、よく親が文句言わなかったですね。楽器屋さんと学校が仲良しだったのかしら?

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