ボイトレを重ねていると、なんかドンドン迷い道みたいなものに、はまっていく様な感じがします。で、どんな迷い道かと言うと、自分の声の変化に一喜一憂ばかりしていて大局を見失う?…みたいな感じです。
具体的にいうと、どんな声が正しいのか、あるいは、どんな声が美しいのか、それを忘れてしまい、声の良否の判断がつかなくなります。なにしろ、普段いつも聞いているのが未完成な自分の声。それも自分の頭蓋骨経由ですからね。
なぜ声の良否の判断がつかなくなるのか言うと、自分の中に声の善し悪しを判断する尺度のようなもの、つまりは客観的な評価基準がないからでしょう。
そんなことにある日ふと気づき、このままではマズいと思いました。正しい物差しが必要だ、自分がどの程度の声なのかの判断するためにも必要だ、そのための材料を入手しなければ、にっちもさっちもいかないぞっと。
そこで思いついたのが「美声を浴びるほど聴けば、正しい判断基準ができるのでは?」という事です。
この思いつきが正しいかどうかは別として、さっそく美声を集めることにしました。 で、美声の基準ですが「CDをたくさん出しているクラシック歌手」ということに私が決めました(笑)。
その理由は単純に「例外はあるにせよ、商業的に成功しているクラシック歌手が悪声なはずはあるまい」というだけの話です。
いやあ、乱暴ですね。おまけに単純でシンプル。でも真理は往々にシンプルなものだったりしますので、これで決行しました。
ええ、買いましたとも。この夏から秋にかけてCDの大人買いをしました。私の近所のCD屋で売っているテノール歌手の個人名義のCDを見つけ次第買いました。ざっと数えたら30枚以上ありました、恐ろしい。あまりたくさん買ってしまい、現在、経済的ピンチに陥っているほどです。
全部を聞くことはまだできていません(そりゃそうだ)が、ちまちまと時間を見つけて聞くようにしています。そのうち、今回購入したものや、以前から持っているテノール歌手のCDの紹介などもしたいと思ってます(近くない将来の話です)。
それにしても、美声を聴いていると心がなごみますね。
コメント
美声の基準もジャンルによって違うし、自分が良いと思っても他人にはそうは思えなかったり・・・私もよくわからなくなります。
浴びるほど聴いたら余計「何でもアリ」と思えてしまうのでは?
私は今そういうところがあります。
>Ceciliaさん
確かにジャンルを越えてしまえば、美声の基準は変わってしまうでしょう。要は、きちんと自分の守備範囲を決めること。その範囲の中でのみ通じる物差しでいいではないか…、そんな風に考えてます。で、ひとまず今の私の守備範囲は、オペラのテノール歌手に限定してます。合唱やリートや宗教曲ですら、オペラ視点でその美醜(と言うと大げさですが)を判断しちゃおうという、極めて乱暴な物差しを、ひとまず作ってしまうと企んでます。
そのオペラ視点の物差しがきちんと出来てから、別ジャンルのための別の物差しを作ればいいんだと、今は割り切って考えてます。
だって、短期間で、色々な歌声の善し悪しを判断できる、万能な物差しなんて、今の私は作れないもの。