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「あなたは音楽に対して不真面目だ」と言われた事、ありますか?

 私、ありますよ。で、言われて、どう思ったかと言うと…「やっぱりそう見えるのかな?(真面目に取り組んでいるつもりだけど…)」って感じです。

 真面目/不真面目というのは、極めて抽象的な言葉ですし、人によって、しきい値が違うので、自分を“真面目”だと思っていても、別の人の目で見れば“不真面目”に見える事は十分にありえます。だから「不真面目だ!」と言われれば「そう見えるのかな?…」って思うわけです。

 試しに妻に「音楽に対して不真面目って言われたけれど、そう見える?」って尋ねた事があります。彼女の返事はやはり「そう見られても仕方ないかな? 努力は人一倍しているけれど、あなたの努力って、結果に結びついていないから、結局、怠け者に見られるんだと思う。私から見れば、すごく真面目に取り組んでいると思うけれど、それは私が努力している、あなたの姿を見ているからなのよね」なんだとサ。

 つまり彼女に言わせれば、音楽の実力と才能に欠けている私は、その努力の甲斐もなく、怠け者に見えるのだそうです。怠け者…つまり“不真面目”ね。

 たしかに、歌劇団などでも、事前に時間をかけて音取りとかして行っても、実際の練習の時は、結構ワヤクチャになって、迷惑ばかりかけちゃっているものね。そのワヤクチャな私の隣で、きちんと歌っている人がいるわけで、そんなきちんと歌っている人と比べられれば、私は「音楽に対して不真面目な人」に見られるのかもしれない。「一体、あの人、何やっているわけ~?」って思われがちって事だね。

 上記の問題と根は同じかもしれないけれど、一向に上達しないのも、不真面目と見られる原因かな? 例えばフルートね。教則本としてアルテを使ってますが、実に進まない進まない。フルートを習い始めて、3年弱? で、やっと1巻の15課。早い人は1年でアルテの1巻終えちゃうのにね(涙)。私などはこのペースでやっていると、1巻終了まで、あと3年か、もうちょっとかかります。

 さすがにこのペースでは、上達が遅いと認めざるを得ません。だから自分を鼓舞するためにも「他人とは比較しない。昨日の自分との競争」と言ってますが、これはやっぱり言い訳にしか聞こえないのでしょう。結局、音楽に限らず、何事も“他人と比べてナンボ”って部分はあるし、比べられたら、私なんか“亀の歩み”どころか“ただ突っ立っているだけのオッサン”だもんね。不真面目に見られても仕方ないです。

 さらに、別の問題もあります。これは才能というよりも態度の問題と取られるのだけれど、私は歌とフルートとヴァイオリンの三つを同時に学んでいます。これも不真面目って思われる原因のひとつです。

 たしかに普通は、この組み合わせで三つも楽器は学ばないでしょう。多くの人は、楽器を学ぶにしても一つの楽器に専念するでしょうし、もう一つ学ぶにしても、せいぜいがピアノとの組み合わせです。たとえば、私の場合なら、歌だけか、あるいは、ピアノと歌を学ぶのなら、これは普通のパターンだから、不真面目とは思われないでしょう。もちろん、フルートとピアノ、ヴァイオリンとピアノでもOKです。だけどピアノやらずに、歌やって、フルートやって、ヴァイオリンやって、あれこれやって、気が多くて、浮気者で、不真面目っ! って感じなんでしょうね。

 …不思議なもので、これが“歌とジョギングと読書”だったら、不真面目って思われないと思います。“歌とジョギングと読書”とか“フルートとサッカーと油絵”とか“ヴァイオリンとスキーと盆栽”とかなら「幅広い趣味をお持ちで…」となりますが“歌とフルートとヴァイオリン”だから、不真面目に思われるのかもしれません。

 つまり楽器に対して、二股ならぬ三股かけていると思われるのでしょうね…。誠実ではないと思われるのでしょうか。浮気者と見下されているかもしれない(汗)。女性に対して二股三股はいけませんが、楽器に対しても二股三股はいけないのかな?

 私が楽器を一つに絞らない理由…それは、私はこの年令になって、趣味で音楽を始めたわけですが、楽器を一つに絞り、それを極める…たとえば歌なら歌に専念して、それを極めたところで、一体、私の人生で、その極めた道の果てに、何が待っているのでしょうか?と、自問しちゃうのですよ。

 歌を極めたからと言って、別にプロになれるわけでもないし、歌で生活できるわけでもないでしょ。それどころか、一つの事を極めるというのは、とても大変な事で、多くの事を諦めなければ極められないし、だいたい極めるためには、とても時間がかかる事は、すでに人生の経験で知っています。それに、もしも歌を極めようと努力を始めたら、おそらく歌が苦痛になるでしょうね。歌が遊びでは済まなくなり、修行になってしまうでしょう。道を極めるための修行というのは、厳しくつらくものだし、時間もかかります。私の人生の残り時間を、そんな苦痛の時間で満たしていいとは思ってません。

 歌を、フルートやヴァイオリンに置き換えても、問題は全く同じです。

 大好きな音楽で苦しむのはイヤです。だから私は、音楽をあくまで趣味として楽しみたいと思ってます。趣味である以上、楽しさ優先だし、後悔を残さないように、色々な事を満喫したいと思ってます。歌も歌いたいし、フルートも吹きたいし、ヴァイオリンも弾きたい。クラシックも楽しみたいし、ポップスも好き。ジャズやロックだってやりたいのよ。

 もちろん、上手くなりたくないわけではありません。上達はもちろんしたいです。でも、あくまで、楽しむために上達を願うのであって、上達するための苦行はしたくないのです。上手くなりたいけれど、つらい思いをしてまで上達したいと思わない。そこが、ヌルいし、アマいし、不真面目と受け取られる点かもしれないけれど、私は私なりに、真剣に音楽を楽しみたいのです。

 と言うわけで、私の音楽に対するスタンスは、楽しみ優先ですね。音楽は、人生の彩りであり、オードブルであったり、デザートであったりはするけれど、メインディッシュではないんです。人生のメインは、家庭円満だし、現在の職業だもん。

 そういう“楽しさ優先の趣味としての音楽”というスタンスなので、見る人から見れば、不真面目/不謹慎に見えるんでしょうね。

 私は音楽は趣味だけれど、これでも仕事じゃ、いっぱしのプロです。現役のプロの職業人であって、そこには誇りと自負を持ってます。プロでいることの大変さも知っているつもりです。だから、あえて、音楽ではプロ/プロ並はめざしません。だいたい、プロって、50の手習いから成れるほど、そんなに甘いもんじゃないでしょう。

 だから、私にとって、音楽はあくまで趣味です。

 趣味だからこそ、損得抜きで真剣にやってます。仕事は損得を常に考えて行っているし、効率と利得を常に考えて最小の努力で最大の利益を上げられる様にしてるし、それができるのがプロだと思ってます。でもね、音楽は趣味なので、遠回りも平気でするし、横道にも全然それるし、不要な事もいっぱいしたい。仕事は結果がすべてだけれど、趣味だから、過程を大いに楽しみたい。

 だから「音楽に対して不真面目」って言われると、ちょっと落ち込むけれど、それが私の生き方なので「こんな私で申し訳ない」と小さくなって謝っておく事にしてます。

コメント

  1. おぷー より:

    日本人は、真面目すぎです。
    音楽とは、「音を楽しむ」ものなんですよ。
    上達が見られなくても、別に良いじゃないですか。本人が楽しいんだから。
    アンサンブルで、1人だけ出来ない、とか言う場合は努力しなくちゃ
    いけないけど、
    1人で、弾いたり吹いたり歌ったりしている分には、真面目も不真面目も
    ないと思いますが。
    つまんない事を言う人やお節介な人が多いのね。

  2. すとん より:

    >おぷーさん

     真面目と言うか、何事も“道”にしたがるのが日本人じゃないかな? 例えば、野球。「Play Baseball」ではなく「野球道を極める」になるわけよ。“道を極める”のは大変です。もちろん、プロを目指すなら、それは必要な過程だけれど、趣味でそれをやっちゃあ、ツライでしょ。いわゆる「燃え尽きる」事になりかねません。無論“燃えている最中”は楽しいでしょうが、その燃え方が「太く短く華々しく」なっちゃうわけで「細く長くじっくりと」にはならないわけです。でも私は「細く長くじっくりと」行きたいんですね。

    >アンサンブルで、1人だけ出来ない、とか言う場合は努力しなくちゃいけないけど

     これも、出来る/出来ないのレベルと言うか完成度と言うのが問題かな? プロの演奏団体は完璧でなければいけません。プロですから、職業ですから。でも趣味の市民団体の場合は、どこかで自分たちの実力と演奏の完成度のすり合わせをしないといけないと思います。その時、どのレベルですり合わせをするかって事ですね。

     「レベルは多少低くても、歌う喜びを共有する」方向で行くか、あくまで「レベルは最高レベルを目指し、苦しくてもやりとげる」で行くか。それはそれぞれの団体の方向性で決めればいいのだけれど「初心者歓迎。演奏は最高レベルを目指す。しかし新人育成はしないので、各自で努力する事」という団体って結構たくさんありますね。そんな団体ばかりじゃ、その業界は衰退するだけだね。

     ま、そのあたりは市民音楽団体を運営する者にとって、永遠の悩みでもあるわけだけれど(笑)。

  3. だりあ より:

    こちらも五分咲き間近です。今年はほんとうに開花がゆっくりですね。桜ツアーをたくさん組まれたバス会社は、天気予報に一喜一憂、やきもきしているのではないでしょうか。開花が早すぎて散ってしまっていた残念さと、遅すぎてまだ花ちらほらで枝ばかりの残念さと、すとんさんはどっちがいいですか?私は、花ちらほら、は許せますが、散り果てて葉桜寸前は、お金、半分返してよねっ、て思うかも。

    ところで私自身は、人に「あなたは音楽に対してまじめ」とか「ふまじめ」とか、言われたことはないのですが、他人の音楽への取り組み方はとても気になるときがあります。

    私の場合は、超まじめ、というかあまりにもハイレベルな真面目すぎる取り組み方に違和感を覚えるときがあります。アマチュアなのにそこまでやらんでも・・・とか、そんな曲は音大レベルでしょ、ムリムリ・・・とか。
    でも、口には出しませんよ。がんばってるね、すごいね、と素直に感心してます。自分にはとてもできません。
    音楽は好きですし楽器はいろいろとどれもちょっとずつ触ってみたけれど、一つだけ選ぶなら、やはりフルート、でしょうかね。

  4. すとん より:

    >だりあさん

     私は“桜吹雪”が一番好きですが、あえて言えば“花ちらほら”よりも“葉桜寸前”の方が好きかな? 特に理由はないのですが、桜は花も良いですが、葉も良いものですよ、特に新緑の桜は、花とは違った美しさがある思います。

     真面目/不真面目論で行くと、なんか“不真面目”って、下に見られているような気がします。「“真面目”がどれだけエラいんじゃー!」とは思いますが…やっぱり音楽は、不真面目よりも真面目な方が、色々といいんじゃないって思わないでもないです。

     でも、やっぱり、自分は自分なんだよねと思う事にしてます。無理はいけません。自分の出来る範囲で精一杯楽しむ事が大切かなって思います。たとえ他人からどう見られようとも、自分なりに真面目にやっていくしかないって思います。

     楽器を一つだけ選ぶなら…選べない(汗)。もちろん、フルートも好きだけど、ヴァイオリンも好きだし、ギターもラブ。ピアノも好きだし、シンセサイザーにもウルウルだし、ベースギターもシブくて好みです。…ただ、金管楽器だけは、どうにもお好みではないみたいで、あまり心が惹かれない私です(ごめんなさい)。

  5. Yテノール より:

    「あなたは音楽に対して不真面目だ」と言われた事、ありますか?

    全くありません!ただの一度も〜!!

    むしろ「音楽や絵をやっていること自体、不真面目じゃん。」と言った眼差しは絶えず受けております〜笑

    絵や音楽を真面目にやればやるほど、真面目な方からすると,人生に対して不真面目ということになるらしいです。

    趣味、娯楽、道楽ごときにに莫大な時間と精力を振り向けて人生を浪費するなんて、まともな人間のすることではないということでしょうか。
    やるべきことをちゃんとやって、余暇としてたしなむなら、落語の「寝床」みたいなことがあっても多めにみてもらえるわけです。
    真面目だったご褒美ということでしょう。

    「あまつさえ旦那芸、趣味の領域を逸脱し仕事にするなんて言語道断、正気の沙汰ではない。
    もっと人生真面目にやれ。」という、冷たい視線に耐えることが、まずプロになるための第一の関門かもしれませんです〜笑

    「アリとキリギリス」の寓話が全てを物語っていると思います〜はい

  6. すとん より:

    >Yテノールさん

     Yテノールさんは職業画家ですから、また視点が違ってますね。

    >むしろ「音楽や絵をやっていること自体、不真面目じゃん。」と言った眼差しは絶えず受けております〜笑

     現代社会においては、職業選択の自由が認められているわけだし、自分の腕一本で生計を立てているのですから、誰に文句を言われる筋合いではないですよね。いやむしろ、好きなことをやって暮らしているのなら、それは“幸せ”ってもんです。

     “富国強兵”とか“エコノミック・アニマル”という視点で見れば、確かに芸事を職業とするのは、どうかなって考えもあるでしょうが、それを言い出したら、私のような教育系研究者も、生産性の低さという点では、似たようなものです。

     私の場合は、あくまで旦那芸の範囲であるけれど、やっぱり「趣味で音楽やってます」なんて言うと、冷たい視線を受けるし、若い頃は「遊んでいる暇があったら、もっと勉強しろ」って上司に叱られた事もあります。遊ぶって…確かに音楽はPLAYだから「遊ぶ」だけど、真剣に取り組んでいるんだよなあ~とか、仕事は仕事で手を抜かずに人並み以上にやっているつもりだけどなあ~とか、思ったものです。

     そういう事が重なると、職場で趣味の話なんてしなくなっちゃうわけだし、同好の士がリアルな生活の場で見つけられなくなっちゃうわけです。仕事も遊びも全力でするじゃ、ダメなのかな…って時々思います。「現役時代は人生のすべてを仕事に捧げ、趣味は引退後にゆっくりやればいいじゃん」という人もいます。そういう人は、人生が永遠に続くとでも思っているのでしょうね。世の中には、引退前に寿命が尽きちゃう人だってたくさんいるのに。それに「趣味に励むからこそ、本業も一層励んで行う」って事が分からないのかな?

     ああ、それにしても、ネットっていう世界がなかったら、楽しいはずの趣味が閉塞感と罪悪感に満々たものになっていたかもしれません。ありがたい事です。

  7. マイコ より:

    不真面目とは…;言われたことないですねぇ。私は結構ムキになって練習する方だと思っているし、しかも意外と本番に強いので認められやすいのかも(笑)

    何より、音楽は楽しいのが一番だと思います~。自分の癒やしでもありますからね。好き勝手やらせてもらいましょう(^w^)

    ところで、色々と楽器経験があるのですね!私も、家にはフルートの他にピアノ(と、エレクトーン)、アコギ、エレキ、ウクレレ、三線があります。モノはありませんが、中学校の部活ではクラリネットを吹いていましたよ。全部極めるところまでは到達していませんが、その時の気分で選べるのが楽しいです(笑)

    あ、ちなみに…金管は音が全く出せなかったので苦手です…

  8. すとん より:

    >マイコさん

     楽器経験がそれなりにあるのは、好奇心が旺盛な事と、結局、これと言った得意な楽器がないって事でしょうね。あと、レベルは低いのですが、器用貧乏な側面(正確には“不器用貧乏”でしょう)があるので、バンドなどに行けば「足りない楽器は何? 私はソレをやるよ」って感じで、ベースがいなければベースを、ドラムスがいなければドラムスを、キーボードがいなければキーボードを…って感じで、若い時を過ごしたので、色々な楽器をそこそこやりつつも、きちんと弾ける楽器は一つもない、って感じになっちゃったんですよ。

     オッチャンになって、フルートを真面目にやっているのは、一つくらいきちんと使える楽器があるといいなあ…って思いは、そういう人生経験から来ているんだろうと思ってます。

    >私は結構ムキになって練習する方だと思っているし、しかも意外と本番に強いので認められやすいのかも(笑)

     いいですね。特にムキになって練習するというの姿勢がいいですね。そういう姿勢だと他人に認められやすいのだと思いますよ。私は、練習にせよ、勉強や仕事にしても、ヒョウヒョウとやるタイプなので、他人からはその努力を認めてもらいづらいタイプです。これはパーソナリティの問題なので、仕方ないですね。でも、本番には結構強いタイプですよ。

  9. kazu より:

    こんにちは。

    私も趣味でフルート吹きます。楽しみたいです。でも吹いてて今はまだ楽しくありません。下手だから。自分の演奏に満足できないから。

    自分が楽しみたいために、上達したい。だからその努力は、苦行に感じられても惜しまない。
    好きだからこそ、極めたい。自分のために、極めたい。

    私はそう思います。
    でも考えは人それぞれ。ポリシーがあるならば、何を言われても堂々としてればいいんじゃないですかね?

  10. すとん より:

    >kazuさん

     ポリシーとか強い心があれば、確かに他人になんて言われようと平気の平左なんだろうと思います。要は、私にはそれだけの覚悟も意地もないから、他人のちょっとした言葉が心にひっかかったりするのかなあと思います。

     ポリシーがなくて、強い心がなくて、単純に「音楽が好き」とか「フルートが好き」とか、その程度の人間だと、心が揺れるんです。あと、私も日本人ですから“真面目じゃない=罪”“不真面目=極悪”という刷り込みがあります。だから「あなたは音楽に対して不真面目」って言われると、まるで悪人や犯罪者であるかのように感じられるって事です。

     いやいや、以前の私なら、たぶん「音楽を楽しんで何が悪い?」とか開き直れたかもしれませんが、今の世の中の雰囲気を感じると、やっぱり「こんな私で申し訳ない」と小さくなって謝るくらいしかできないかなって思ってます。

     うん、でも、やっぱり、心は強く持たなきゃダメだな。よし、踏んばろう。kazuさん、ありがと。

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