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75歳までは頑張って生きてみたい

 人間は何歳で死ぬかは、なかなか分かりません。少なくとも、今現在、特に大きな健康問題を抱えているわけではなく、生活も当面の不安がないような人は、日常生活の中で“自分の死”を感じることは、ほぼ無いでしょう。明日も明後日もやってくると、自然と、考えてしまうものです。

 でも、人は永遠に生きられるわけではありません。必ず死にます。だから、自分の死について、元気なうちから考えて備えておく事は大切なことです。

 というお題目はさておいて、私は先日定年退職をしたばかりの60代前半の人間ですが、あと何年生きられるのか、あるいは生きていたいのかと考える事があります。

 そこで考えることは「経済的に大きな不足を感じたくない」、つまり「貧乏くさい生活はしたくない」という事と「得はしなくても、あまり損はしたくない」という気持ちはあります。

 日本の年金制度は賦課方式であり、いわば「若い世代が老人世代の生活を支える」という方式であって、私が納めた年金保険料は、自分の親やそれ以上の世代のために使われ、私の世代の年金は、自分の子どもや孫たちの世代が納める年金保険料で賄われる…というシステムになっているわけです。年金は貯金ではないので、必ずしも自分が納めた分だけ年金がもらえるというわけではありません(ここ大切)。

 とは言え、年金保険料の支払期間は有限である一方、年金受給期間は自分の寿命次第だから、自分が支払った以上の金額を年金として受け取る事もありうるわけで、それは一体何歳ぐらいなのかと…あれこれ調べてみたら、大雑把な計算だと75歳あたりになるようです。つまり、このあたりが損益分岐点になるわけです。

 もちろん、これは65歳から年金受給を始めた場合の計算であって、受給繰り上げ等をして早めに年金受給をを開始した人は、もっと若いうちに損益分岐点がやってくるかと言えば、どうもそうではなく、年金受給繰り上げをしても、やはり75歳前後で損益分岐点がやってくるようです。毎月の受給額が少ない分、損益分岐点にまで達するのに時間がかかるようです。うまく出来たものです。また、通常65歳からもらう年金を繰り下げて70歳からもらい始めると、その支給額が約2倍になるのは、75歳まで10年間でもらうものを、70歳受給開始のため、半分の期間の5年間でもらうため…と考えると、損益分岐点が75歳と考えると、まあまあ分かります。

 年金の受給は損得の問題ではないし、積立式ではないと知っていても、自分が支払った金額くらいは年金として受給したいというのは…自然な感情だよね。で、そのためには、私自身が75歳まで生き延びていないといけないわけです。

 ならば、75歳までは頑張って生きていたいと思うわけです。逆に75歳過ぎまで生きていりゃあ、人生ボロ儲けってわけだ(笑)。

 それにしても、人の寿命は分かりません。私だって、75歳まで生きられる保障はないし、たぶん難しいなあ…と思っていますが、統計的に考えるなら、日本人男性60歳の平均余命って約23年なんだそうです。つまり、今現在60歳の人は、だいたい83歳ぐらいまでは、なんとか生き延びる…ってわけです。そうか、83歳かあ…。そう考えると、年金って、自分が支払った以上の金額を受け取れる、なかなか優秀なシステムと言えます。

 …まあもっとも、それもこれも、途中で年金システムの改変がなければ…の話ですけれどね。そこは何とも言えません。年金の受給開始年齢を70歳に引き下げるって話もチラホラ聞くし、なにしろ、私が就職した頃は、共済年金という年金(いわゆる、年金の3階建て部分)があったのに、途中で年金システムの改変で、共済年金が廃止されてしまい、共済年金加入者たちの年金が大幅引き下げになったという事実もあるしね。私なんかは、その共済年金を頼みにしていたから、なんか騙されたような気になって、不満たらたらなんですのよ、奥さん!

 とは言え、年金のシステムがキツキツなのも、そう長くは続かないはずです。と言うのも、今は団塊の世代の方々がご存命なので、年金の支払いが大変な事になっているわけですが、それもあと…(以下、自粛)。そうなると、一挙に高齢者人口が減りますからね。たぶん大丈夫だよ(何が?)。

 そうは言っても、まだまだ時間はかかるし、役人って奴は、予算脳だから、経済のパイを大きくしようという発想はないし、遠からず年金受給開始年齢を70歳からってのは…やるんだろうなあ。困った困った。

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