マリンタワーの次は、近代文学館に行くつもりでしたので、一路、横浜の山手地区に向かいました。山手地区は…マリンタワーから行けば、直線距離は大したことはないのですが、あそこは大きな台地の上になるので、以前なら、一度桜木町まで戻ってバスで向かうか、頑張って自分の足で、あの斜面を登っていくかの二択しか無かったのですが、今は地下鉄の駅がビル化して、台地の上のアメリカ山公園まで、下からエレベーターやエスカレーターで行けるので、それを利用しようと考えて、一路地下鉄の駅を目指しました…が、途中で疲れてしまったので、コンビニのイートインで休憩しました。
まあ、転んだ妻に気を使ったというのもあります。いくら軽傷とは言え、体はあっちこっち痛いはずてすからね。
菓子パン食べてお茶飲んで、少し休んでから、山手の台地に向かいました。
アメリカ山公園は、バラが花盛りでした。もう、あっちこっちバラだらけで、かなり見事でした。
アメリカ山公園を抜けると、外人墓地です。以前来た時は封鎖されていた墓地でしたが、今回は見学可能となっていたので、寄付をして中を拝見させていただきました。
ここは、日本在住の外国籍の人と、日本で客死した外国人のための墓所です。新旧様々なお墓があります。新しい墓はファミリー用が多いですが、古い墓は個人の墓が大半です。おそらくは土葬なので、個人の墓と言っても、皆、かなり大きな墓です。文化の違いとは言え、日本人は火葬で骨壷に入れて、小さな家族の墓に納骨するわけですから、個人で広い面積の墓を使用するなんて、なんか贅沢な感じがします。
外人墓地に寄り道をして、港の見える丘公園に行きましたが、こちらもバラが花盛りでした。それもアメリカ山公園なんて比較にならないくらいに、至る所、バラバラバラで、辺り一帯がバラの香りに包まれていました。
バラの香りって、結構強いんですよ。
狙って行ったわけではありませんが、良い季節に行きました。バラは美しいし、香りも素晴らしいです。棘があるので、触る事はできませんが、バラで庭を作りたがる、あっちの人の気持ちが少し理解できました。
そんな花盛りなバラの園を通り抜けて、近代文学館に向かった私でした。
近代文学館では、小津安二郎の展示会をしていました。「文学館で映画監督の展示会?」とちょっと不思議な感じがしましたが、大勢の人が見学に来ていました。小津安二郎は人気者ですね。以前来た時は樋口一葉の展示をしていましたが、それとは比較にならないくらいの賑わいでした。
戦後の小津安二郎は、鎌倉に住んで、茅ヶ崎で映画の脚本を書いて、大船の撮影所で映画の撮影をする…という、湘南に根を下ろした生活をしていた人で、私もなんとなく親近感を感じる映画監督です。それにしても、生涯独身のまま60歳で他界とは…なんとも切ない感じがします。
近代文学館を後にした私は、疲れてしまった(本当に体力が無くなりました…)ので、港の見える丘公園のバラの園にあるベンチでしばらく呆けていました。いやあ、幸せ幸せ。
その後は、地下鉄で横浜まで出て、駅ビルの天ぷら屋「たかお」で夕食を食べました。ここは、安くて美味しくて庶民の味方なお店です。
いつものようにバカに混んでいましたが、私は「テーブル席でもカウンター席でもいいですよ」とお店に人に行っておいたので、1時間程度待って食事にありつけました。テーブル席にこだわっていた人は、2時間近く待っていたようです。
やはりてんぷらは、揚げたてに限ります。てんぷら、美味いよ。おまけに、ここはお通し(?)として出る“明太昆布”が美味しいのです。これだけでご飯が進みますし、実際、私はこれだけで軽く茶碗に3杯はいけます(笑)。
腹一杯食べた私は満腹になって家に帰りました。
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コメント
数日前の、すとん様の定年退職後に関するエッセイに対して、
コメントを、ず~っと考えておりましたが、
色々考えている内に、微分積分にまで考え及んでしまい、
さすがにそれ(微分積分)は止めにしまして、
1つ、質問をすることで、お茶を濁したいと思います、
が、もし、お気に召さない質問でしたら、既読スルーで結構です。
すとん様におかれては、報復人事で、アンハッピーな処遇と察しますが、
そういうことをする「上司」は、すとん様からして、「お馬〇」な上司?
なのでしょうか?
私は、直属の「お馬〇」な上司のパワハラに合い、
人事の役員に直談判して「何とかしてくれ!」と訴えたら、
その役員まで(まあ、お馬〇な役員ですが)パワハラで、
「君(私のこと)、解雇!」ってな感じで、
直属の上司は、とにかく頭が●い。
東大出てるけど、頭が●い、とか、
英語はできるけど、仕事はできない、とかいうレベルではなく、
三流大学を出てて、英語も数学も国語もできない(誤字脱字だらけ)、
だから、レベルの低い経理しかできない(私、経理部でした)。
アパレルの販売店の店員さんに求められる頭の良さと違って、
経理の管理職に求められる頭の良さって、1にも、2にも、
テクニカルに、英語・数学・国語ができる→だから、レベルの高い経理ができる、
だと思うのですが。
というわけで、自分の上司の悪口を書いて(少し)憂さ晴らしをした私です。
すとん様の上司は「頭●い(●かった)」んでしょうな~。
ヾ(・◇・)ノ ヽ( ̄▽ ̄)ノ ヽ(・∀・)ノ
(-A-) (-A-) (-A-) ← ざっくぅ
おしまい
オペラ座の怪人の怪人さん
私の直属の上司は、営業上がりの体育会系で、パワハラ上司でした。で、この人も問題なのですが、さらに問題なのが、その上にいる二人なのです。まあ、直属の上司が“社長”だとしたら、その上の“会長”と“副会長”のバトルに巻き込まれた…という次第なのです。で、社長は会長派なので、副会長は私を取り込んでバトったわけです。
で、バトルは副会長の負けで、副会長は放逐、私は報復人事の対象となったわけです。もっとも、バトルの余波をくらい、会長派の社長は飛ばされてしまいました。新しい副会長と社長は、会長派の別の子分が就任し、これで会長派は安泰だ…とまあ、そんな感じの今日この頃です。
もっとも、親分同士はバチバチでしたが、子分たちは親分たちのバトルを困ったものだと思いながらも、まあ割りとコミュニケーションは取れていて、仲は悪くないので、報復人事の末の安月給ですが、労働環境としての居心地自体は悪くはないのですよ。バトルに「もしも」はありませんが、副会長が勝利していたら、私は社長か副会長になっていたと思いますので、敗残兵としては、この負け戦を素直に受け入れているわけなのです。
それに、もしも社長なんぞになっていたら、今のようにのんびりと生活できませんから、安月給はのんびり生活の代償だと考えるようにしています。
私は基本的に働きたくない人だし、出世もしたくない人だから、これでいいんだと自分に言い聞かせています。それにリスクを背負って(親分たちが)バトって、負けちゃったんだから、仕方ないのよってね。