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8050問題の深刻さを肌で感じる

 8050問題については、以前書きました。基本的な私の考えは、その頃とは特に変わっていません。変わったのは、私の年齢とか、社会的な立場とかで、改めて、8050問題の根深さを肌で感じるようになったというわけです。

 今の私は、年金生活者の80代の親の気持ちも、引きこもりの50代の子どもに関する想像も、容易に分かっでしまうんだよね。

 親の気持ちとしては…うっかりしてしまったんだよね。問題を先送りにしていたら、こうなってしまったんだよね。今となっては、何の手も打てないから、このまま行くしかないんだよね。

 最初は、ほんの些細な事だったんだと思うわけです。子どもの登校拒否とか、受験や就職の失敗とか、我が子が人生に失敗して挫折して、そんな傷ついた子に優しい気持ちで寄り添って、見守っていただけなんだと思うのです。

 ただ、時の経つのは速いのです。光陰矢の如しなのです。傷ついた子を優しく見守っていたつもりなのに、あっという間に30年とか40年とか経ってしまったのです。年を取ると、時の流れなんて、あっという間だからね。ついこの前まで、中高生だった息子がオトナになってしまい「オイオイ…」と思っているうちに中年になり、老年になってしまっただけなんだと思います。

 で、ふと気づくと、自分も老いているわけですよ。人生の終わりが見え始めるわけです。今まで、先送りしていた問題が、先に送ったまま時間が経ってしまい、自分が終わりそうになっているのです。

 自分が死んだら、息子はどうなるんだろ?

 どうなるかは心配だけれど、正直、年を取ると、心配するのも疲れちゃうのですよ。あの子も良い年だから、親が死んでもどうにかなるにちがいない。ああ、きっとそうだ…と思考停止しちゃうんですよ。

 当事者ではあるけれど、80歳を過ぎてしまえば、もはや問題解決能力なんて無いに等しいのです。もはや、諦める…と言うか、投げ出すしか出来ることは無いのです。

 一方、引きこもっている子どもの方はと言えば…50歳まで子供部屋オジサンをやってしまったわけで、そんな人が(申し訳ないけれど)常人なわけはありません。多かれ少なかれ、精神的な問題(病気であれ、障害であれ)を抱えているからこそ、そんな年になっても引き込もれるわけです。

 もう無理だよね、社会参加は。

 そんな年になるまで引きこもっていた人なんて、ちゃんとした会社じゃ雇ってくれないよ。いや、ちゃんとした会社どころか、ちゃんとしていない会社とか、非正規とかでも、まず無理だよ。そんな人を雇うよりも、学生バイトとか主婦バイトの方が、きちんと働いてくれるもの。ジジイになった引きこもりを雇ってくれる所なんて、まず無いよ。

 それに仮に、雇ってくれる所があったとしても、本人が勤められないって。勤労の経験が無いジイサンが、まともに働けるわけがないです。

 働くどころか、世間とのコミュニケーションすら取れないだろうし、下手すると自宅から一歩も出られないだろうから、福祉サービスを利用するのも、難しいでしょ。生活保護の申請手続きすら出来ないかもしれません。

 ほんと、手詰まり。何ともならない。

 80代の親は無気力となり、50代の子は無能力のまま年を重ねてしまったのが、8050問題なんだろうと思いました。

 翻って我が家の場合。ひとまず、ウチの息子くんは、なんとか大学を卒業し、就職はしたけれど、在宅ワークとやらで、ずっとずっとウチの子供部屋にいます。子供部屋からオンラインで働いています。一日の仕事が終わると、今度はオンラインで、なにやらネットの友達と夜中まで遊んでいるようです。彼的には充実した毎日なんだろうけれど、親としては、心配です。彼女の一人も、当然、いるわけありません。

 ずっと引き籠もってゲームばかりしている、いわゆる引きこもりとは違うけれど、ずっと引き籠もって仕事して、子供部屋に引きこもっている事は事実です。

 なんか心配。すごく心配。

 このまま、嫁が見つからずに、うっかり子供部屋で暮らしたまま、50歳になってしまうのかもしれません。これもまた、別の次元での、8050問題だよなあ。ああ、心配。

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