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感情の入った歌を歌いたい

 つまり、棒歌いの逆ですね。棒歌いとは、楽譜が見えるような歌い方だけれど、そこに血の通った人間が歌っているような感じがしない歌い方です。極端な例が“初音ミクの歌”です。とは言え、最近の初音ミクの歌は、打ち込み技術が進歩したためか、なかなか棒ではないんですけれどね。
 そうそう、子どもの歌や演奏って、だいたい棒です。下手な子はもちろん、上手な子であっても、だいたい棒です。あと、某カラオケ番組のアマチュア強者の方々も、見事なくらいに棒です。棒歌いの方が、カラオケの採点マシンで良い点が出るみたいです。
 初期の初音ミクや子供の歌が棒歌いなのは、楽譜通りに歌う事だけに精一杯で、歌詞について無頓着だからだと思います。もっとも、子どもが歌詞に注目して、それを表現しようと歌うと…大抵の場合、やりすぎて臭くなります。それは、気持ちばかりが先行してしまい、歌詞の世界を表現する技巧に欠けるためでしょう。そこを克服できると…美空ひばりのように天才と呼ばれるんだと思います。
 感情の入った歌を歌うには、それなりの技術が必要って話なのです。
 では、感情の入った歌を歌うために必要な技術って何でしょうか?
 私が思うに、それは意図的な“ゆれ”とか“ゆらぎ”を生み出せる事…なんだろうと思います。音楽用語で言えば“カンタービレ”で歌えることです。
 「なんや、それ。“カンタービレ”って、歌うように演奏することやろ。それじゃあ堂々巡りやん」
 まさにその通りで堂々巡りなんだけれど、感情を込めて歌うには、歌うように歌えればいいのです。
 “歌うように”…おそらくは“器楽的ではなく”という意味が込められているんだろうと思います。器楽ほど正確でなくても良い、器楽ほど精密でなくても良い、器楽よりも恣意的で良い…って事ではないかな? 正確さにこだわらず、心の赴くまま、感情の起伏に合わせて、音楽をゆらして、ゆらがせて歌うこと、それが感情を込めて歌うという事だろうと思います。やりすぎは…もちろん、いやらしくなるし、臭くなります。正確さにこだわらずと言えども、正確な歌唱でなければなりません。
 ゆらす…のは、何もリズムだけではありません。音程だってゆらすわけです。拍頭だってゆらしちゃいます。なんでもかんでもゆらします。グラグラにゆらします。ロッケンロール(ゆさぶって転がす)の精神です
 ただ、どこまでゆらすのか…無作為に無造作にゆらせば、それはただの下手くそな演奏にしかなりません。やはり基本は正しい演奏(棒歌い)です。それに、どれだけの“ゆれ”や“ゆらぎ”を付け加えるべきか、そこがセンスであり、歌心なんだろうと思います。それがセンス良くできる人が、歌心のある歌手ってヤツなんだろうと思います。
 センスの良し悪しってのは、一部の天才を除けば、基本的に、経験に裏打ちされたモノだから、子どもとか初心者とかだと難しいんだよね。良い音楽をたくさん聞いて、歌心を自分の中に蓄積していかないと、感情の入った歌を歌うことは難しいんだろうなあって思います。

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コメント

  1. tetsu より:

    こんばんは。
    > 棒歌いの逆
    というとMessa di voceでしょう。ググってトップは次でした。
    「cresc.< して、そして dim.> をする」
    https://www.collegium.or.jp/~sagitta/ocm_homepage/html/kouza_backnumber/kbn61.html
    失礼しました。

  2. ドロシー より:

    私も棒歌いですが、確かに歌を始めたのは子供の時でした。
    でも、曲を選んだらどうかなぁと思います。
    以前、アマチュアがアカペラで古楽の四重唱を歌っているのを見ました。市民合唱団に毛の生えたレベルかなぁと思いましたが、確かに棒歌いですけど、それなりに知性とか分別も感じられて良かったです。
    オペラアリアには向かないでしょうけどね。

  3. すとん より:

    tetsuさん
    >というとMessa di voceでしょう。
     だけじゃない…って思います。むしろ私は、フリーテンポをイメージした方が正解に近づけるんじゃないかって思います。メトロノームに従わないけれど辻褄は合っている…の向こうに人間っぽい歌唱があるんじゃないかって思うんです。
     まだ、言い切れるほどの自信は無いんですけれど。

  4. すとん より:

    ドロシーさん
     古楽って“抑制の効いた美学”ってのがあるようで、あれは棒歌いとは違うんじゃないかって思うんですよ。一周回って、棒歌いのように聞こえても、そこは一周回っている分だけ、やっぱり違うんですよ。
     確かにオペラアリアとは真逆の美学なんだと思います。なので、私が古楽の曲を歌うと、たいていダメをいただきます。スタイルが全然違うんだそうです。

  5. 通りすがり より:

    こんばんは。
    さて、ゆれ、ゆらぎの技術として
    ビブラートをどう考えておられますか?
    声楽系は全般的に初めから最後まで
    完全にかけ放題ですよね。(^^;)
    でも声楽にこれが無いとさまにならない!?
    でもポップスとかカラオケで
    やりすぎると引きまくりですかね?
    個人的にパヴァロッティのビブラートが
    しつこいけど心地よく感じます。
    でもビブラートができるからといって
    歌がうまいとも限らないですよね?
    どうでしょうか?

  6. すとん より:

    通りすがりさん
     ビブラートとは、ポピュラー音楽においては、意図的に掛けるものであり、声楽テクニックの1つですが、クラシック声楽においては、自然と掛かるものであって、特別なテクニックでもなんでもありません。正しい発声をすれば、自然と自然なビブラートが付いてくるわけで、むしろ、ノン・ビブラート唱法の方が、高度なテクニックを必要とします。
     なので、おっしゃるとおり、ビブラートの有無と歌の上手さはなんの関係もありませんが、美しいビブラートは正しい発声にしか伴わないのが、クラシック声楽の世界です。ポピュラー音楽におけるビブラートは、器楽におけるビブラートと同じで、本来は自然なものではありませんから、掛ける程度ってのが、奏者の趣味の良し悪しと関係してくるのではないかと思います。

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