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メト・ライブビューイングで「ドン・ジョヴァニ」を見てきました

 東劇で行われている、メトロポリタン歌劇場ライブビューイングのアンコール上映で、モーツァルト作曲の「ドン・ジョヴァンニ」を見てきました。「たまには定番オペラも見てみたい」という妻のリクエストがあったので、それに応えたわけです。

 2011年のシーズンの作品で、レヴァインが倒れて、危機的状況にあったメトに、首席指揮者として就任したばかりのファビオ・ルイージの「名刺代わりにどうぞ」的な上演である…と、当時の私は思っていました。それにしても、モーツァルトって、レヴァインの十八番だったわけで、後任者として、前任者の十八番に取り組むのって…イヤだったでしょうね。

 主な配役は次のとおりです。

 ドン・ジョヴァンニ…マリウシュ・クヴィエチェン(バリトン)
 レポレッロ…ルカ・ピザローニ(バリトン)
 ドンナ・アンナ…マリーナ・レベッカ(ソプラノ)
 ドンナ・エルビィーラ…バルバラ・フリットリ(ソプラノ)
 ドン・オッターヴィオ…ラモン・ヴァルガス(テノール)
 ツェルリーナ…モイツァ・エルドマン(ソプラノ)
 マゼット…ジョシュア・ブルーム(バス)
 騎士長…ステファン・コツァン(バス)

 このオペラの上演の質は、良くも悪くもドン・ジョヴァンニ役で決まってしまいます。今回のクヴィエチェンは良かったです。イケメンだし、品は良いし、傲慢で横柄で、まさにドン・ジョヴァンニにうってつけです。あえて言うと、もう少し背が高いと完璧だったかもしれません。

 それにしても、私、いつも「ドン・ジョヴァンニ」というオペラを見る度に思うのだけれど、この役、どうしてバリトンが歌っているんでしょうね? この役、キャラクター的には、重くて強い声のテノールの役でしょ? なのに、バリトンが歌っているのが、なんとも解せません。なので、このオペラを聞く度に、モーツァルトに説教したくなります。

 当時のオペラは、初演の劇場の歌手たちにアテ書きをするのが普通だったから、良いテノール歌手が二人いなかったので、やむなくドン・ジョヴァンニ役をバリトンにしたとか…。ま、私の邪推だけれどね(笑)。ちなみに、初演した歌劇場は、プラハのエステート劇場で、同じく同劇場で初演されたオペラに、モーツァルトの「皇帝ティトの慈悲」があるけれど、このオペラでもテノール役は一人だけだもんなあ…。この劇場には、使えるテノールが一人しかいなかった…そんな気もします。ちなみに、エステート劇場は、現在では名を“スタヴォフスケー劇場”と改めたけれど、現存しているそうです。

 さて、ドン・ジョヴァンニの相方と言えば、レポレッロ。このレポレッロを演じたピザローニが、これまた演技派で素晴らしかったです。この人、歌も良かったけれど、演技が格別なのよね。この人、私が前回のメトのライブビューイングで見た「エンチャンテッド・アイランド 魔法の島」で、モンスターのキャリバンを演じていた人です。なるほど、キャリバンを演じられる人なら、これくらいの演技は朝飯前だね。ドン・ジョヴァンニを演じていたクヴィエチェンも演技派の歌手ですから、この二人のからみをみていると、オペラと言うよりも、普通に演劇を見ているような気がしました。

 DVDなどで、少し昔のオペラ上演を見る機会って結構あると思うのですが、最近(21世紀)の上演を見慣れた目で見ると、いくら歌は素晴らしくても、20世紀の上演を記録したDVDのオペラは、演技がダメなのが多くて、ガッカリしちゃうよね。代表例が…パヴァロッティが出演している舞台は、彼自身に演技力が無いこともあって、ほんと、ガックリものです。いくら古くても、ドミンゴやカラスのものは、きちんと演技しているけれど、そういうのって、昔は珍しかったんだよね。

 ドンナ・アンナもドンナ・エルビィーナも美人でスタイルが良くて良かったです。これも21世紀オペラの特徴だね。20世紀までは、どうしてもオペラ歌手って、デブってイメージがあったし、実際太っていました。でも、もうそれは20世紀の話で、今どきのオペラ歌手には、デブなんていないよね…。

 と思っていたら、ドン・オッターヴィオを歌っていたテノールのヴァルガスは、チビでデブで、おまけに棒立ちで演技をしない、まさに20世紀のステレオタイプのオペラ歌手でした。

 いやあ、他の歌手がみんな、美男美女揃いで演技上手だったから、ヴァルガス君の大根醜男ぶりが目立って…。昔なら、テノールがチビでデブで大根役者でもOKだったのかもしれないけれど、今の時代、それじゃあ本当はダメなんだよね。ダメなのに、ヴァルガス君のようにチビでデブで大根なテノールがメトロポリタンのような超一流の歌劇場で歌っている理由は…一流テノールの絶対数が少ないから…ですね。

 テノールって希少種なんだよね。ほんと、オペラ界にテノールはほんの少数しか存在しません。で、わずかに存在しているテノールだって、色々と問題を抱えているわけだけれど、テノール不在で上演できるオペラなんて無いから、どこの歌劇場も妥協して、チビでデブで大根なテノールであっても、必要なら使うんだと思います。

 また、ファンも優しいから、たとえチビでデブで大根であっても、その人がテノールだからという理由だけで許して受け入れてしまうわけです。これがソプラノとかバリトンなどの過当競争な声種ならば、問題アリな人だったら、絶対に認められないだろうにね…。

 生存競争の極めて激しいソプラノでは(女性なので)チビはともかく、デブでブスで大根な歌手というのは、かなり大昔に淘汰されてしまいました。ですから、今どきのオペラ歌手(ソプラノ)と言えば、美人でちょっと太めのグラマラス体型[さすがに一流のソプラノ歌手で痩せている人は数えるほどしかいない]で演技力抜群の方ばかりです。

 最近上演されたオペラで、デブでブスなソプラノって…ワーグナー作品ぐらいでしか見られません(笑)。まあ、ワーグナーのソプラノって、半端無く難しいからね、これまた歌える歌手を選ぶので、デブでブスな歌手にもチャンスが生まれるわけだ…。逆に言うと、そこまでニッチな世界に突入をしない限り、デブでブスなソプラノ歌手には、生きる場所がないって事です。

 ドン・ジョヴァンニと言えば、ラストシーンの騎士長の石像の登場シーンです。古来より、このシーンには、色々なバリエーションがありますが、今回は、歌手の顔を灰色に塗って、灰色の衣装を来て、歩いて舞台に登場するというパターンでした。まあ、歌手自身が石像に変装して歌うパターンなわけで、それもありですね。また、ドン・ジョヴァンニの地獄落ちのシーンは、舞台に炎を焚いて、その奥にある奈落に落ちていく…という、よくあるパターンでした。。

 と言うわけで、演出の骨子は、比較的よく見かける伝統的なパターンでした。でもこれって、特に奇抜な事はなく、安心して見ていられました。ただ、衣装と大道具は、伝統的なモノではなく、西部劇の時代になってました。伝統的な、オリジナルどおりの時代と場所にしちゃうと、ドン・ジョヴァンニは“ちょうちんブルマ+タイツ”になってしまうのですが、21世紀の我々にとって、そんな恰好で「プレイボーイでございます」と言っても、説得力が無くなってしまうので、オペラの舞台の時代と場所を、少しこっちがわに移動したのは、むしろ良かったと思います。

 しかし、稀代のプレイボーイとして有名なドン・ジョヴァンニですが、彼がナンパ(ってかレイプ)に成功したのって、オペラ冒頭のドンナ・アンナだけなんだよね。あと、物語が語られる前のドンナ・エルビィーラもやっちゃったらしいけれど、それを入れても成功例って、たったの二人なんだよね。その他は、ツェルリーナにせよ、ドンナ・エルビィーラの侍女にせよ、あれこれあれこれ女に声をかけてはナンパしているけれど、ことごとくフラレているんだよね。あれ? 案外だらしないぞ、ドン・ジョヴァンニ。

 それにしても、メトのオペラは、演出が安心して見られるので、大好きです。

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