もちろん、これは一般論。歌う男も少数ながら、いるにはいる。しかし、圧倒的多数の日本男子は歌わない。少なくとも、人前では歌わない。日本の女性が歌うのと比べるまでもなく、男は歌わない。
どこで聞いたのかは忘れてしまったけれど、日本男子が歌わない事は、日本男子が踊らない事と同様に、世界的には不思議な性癖なんだそうです。
しかし最近の日本男子は、案外踊るようになってきました。特に若い世代は、ストリート系のダンスを好んで踊るようになってきたけれど、それでも歌を歌う男は、相変わらず少数派のままのようです。
日本の女性は、よく歌を歌います。古来より、よく歌ってきたようです。それは各地に残る、子守歌などからよく分かります。日本の女性は歌が好きだし、だから昔から歌ってきたと思われます。
古来、男が歌うのは、女性にモテたいため…なんだそうです。今でも、女性にモテたいからギター始めました…なんて奴が後を絶たないけれど、音楽ってのは、洋の東西とや時代を問わずに、モテ道具の一つとして認識されてきたようです。
セレナーデと言う音楽は、ナンパのための歌であって、窓辺にいる女性にセレナーデを捧げる事で、女性のハートを獲得するための歌であったわけです。まあ、ある意味、自分のチカラとか魅力とかを、歌として誇示するわけで、秋の虫たちや森の小鳥たちと同じことをしているわけです。
しかし、わが国日本には、古来より、セレナーデの習慣などありませんでした。
日本男子は、草食系うんぬんという言葉が流行り出す前から、女性にモテたいとは思わないものでした。女性に興味を持たず、女性に媚を売るようなマネをしない事がカッコいい事だとすら思われていた風潮があります。例えば、硬派、という言葉が指し示すように、女に興味をしめさない事が、男性としての格好良さにつながっていたわけです。
しかし、いつまでも女性に興味がないままでは家庭は持てないし、家は滅び、国家も無くなってしまうわけだから、そのあたりは上手い具合にやらないといけません。それゆえに、見合いという習慣があったのだろうし、親が決めた結婚だとか『結婚とは家と家とを結びつけるもの』だかとか、とにかく、異性に興味を持たなくても、家庭を持てるシステムがあったわけです。
つまり、日本では、ほんの少しまえまでは、結婚と恋愛がつながっておらず、硬派な男性が硬派なままでも、女性とカップルを作れたわけで、そういった感じの、結婚と恋愛がつながっていなかった時代の方が、我が国日本においては、ずっとずっと長かったのです。いや、それ以前に、日本男子にとって、恋愛という概念は、ついこの前まで、存在していなかった概念なのかもしれない。
それゆえ、古来より日本男子は、女にモテたいなどと思わなかったから、セレナーデを歌うという事すら、思いつかなかったのでしょう。
日本男子が歌ってきたのは、労働歌が大半だと思われます。今に残る民謡の大半が、労働歌と宗教歌である事から考えてみれば、そう大きく間違っていないと思います。宗教歌は宗教家たちが中心になって歌うための歌であるから、一般的な日本男子が歌うのは労働歌という事になります。
労働歌は、たいていが斉唱です。ソロではありませんし、合唱でもありません。みんなで声を合わせて、同じタイミングを図りながら働くための歌です。いや、歌と言うよりも合図と呼んだ方が適切でしょう。とにかく、多数の人間が動くタイミングを図り合わせ、より効率的に働くために、合図としての歌を歌うのです。そこには、音楽の喜びよりも、よりよい仕事をするための喜びがあるのでしょう。楽しみのために歌うと言うよりも、仕事のために歌う。それが労働歌であり、だからある意味、労働歌を歌っていても、それは歌を歌っている事にはならないのかもしれないのです。
では、日本男子は本当に歌がキライで、歌わないモノなのだろうか?
「カラオケに行けば歌うよ」という男性は大勢います。つまり、仲間うちなら歌ってもいいわけだ。昔から日本男子は、宴会などで、酒を飲んで酔うと歌うわけだ。酔えば歌うけれど、シラフでは歌わない。仲間うちでは歌うけれど、見知らぬ人の前では歌わない。
たぶん、そこには“恥”という概念が絡んでくるのだろう。仲間うちで、酔っての行いならともかく、シラフで公衆の面前での歌など、金輪際無理!って事なのだろう。
己に厳しい…のが日本男子の良い気質であるが、これが歌にも波及し、ほんの少しのキズすら恥に感じてしまい、本当は歌が好きなのにも関わらず、音楽が好きなのにも関わらず、人前で歌えないのが、案外、日本男子の真の姿であったりするのではないか?
思うに、日本のバントも、メンバーの大半は男性なのに、ヴォーカルだけは女の子ってバンド、たくさんあります。日本の男の子たちは、楽器には熱心だけれど、歌にはさほどの執着心がないのだろうか? 歌えるメンバーを探していたら、たまたま女の子になってしまった…というケースが多すぎるのか。それとも、日本女子はよほどの歌好きばかりが揃っているのか。私には分からないけれど、バンドの紅一点がヴォーカルというのは、本当に面白いと思います。
学校の音楽の先生は、たいてい女性です。時代劇を見ると、長唄のオッショサンも、三味線のオッショサンも、たいてい女性です。子どものピアノの発表会に行っても、出てくるのは女の子ばかりです。歌に限らず、日本では、音楽というものは“女のたしなみ”であって、男性の出る幕ではないのだろうか?
女子は音楽(を含む芸事)、男子は武芸。…まさかね。でも、武芸は言い過ぎであっても、スポーツをたしなむ男子は多いです。
市民合唱団も、圧倒的に女声合唱が多いです。男声合唱団は実に数が少ないですし、混声合唱団も決して数が多いとは言えません。合唱の世界では、圧倒的に女性上位の世界です。
男は忙しくて、女声はヒマ…なんて事はないし、最近では女性でも男性同様にフルタイムで働く人が増えています。ましてや、現役引退後は、男も女も、その忙しさに大きな違いはないはず。なのに、女性ばかりが歌い、なぜ男性は歌わないのか?
いくら考えても私には分かりません。でも、言えることは、私は男性だけれど、歌う事が大好きです。たぶん、男性としては“変な奴”に属しているのでしょう。
やっぱ、歌って、女々しい事、なのかな? 少なくとも、日本の社会においては、男らしい行動とは思われていないフシをヒシヒシと感じます。
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コメント
おはようございます。
>男は歌わない
言われてみれば、私は結婚以来数十年、一度もオットの歌声を聞いたことがありません。その代わりといってはなんですが、テレビに向かっての怒声はしょっちゅう聞いていました。なんだかいつもイライラしていて気の毒でしたよ。怒声がこっちに向かいそうになったらささっとよけてキッチンに逃げることも。要するに気が短いのでしょうね。ちょっと気に入らないとパパッと闘いたくなってしまうスイッチが入る性質のようです。
私の知っている男の人で、歌を歌う人は、総じて気が長くておだやかな方が多いと思います。私は合唱育ちなのでその方たちは合唱系の男性に限りなのですが女声のパートにはとてもやさしかったですね。
中で、ソプラノさんとパスさんのカップルはよく誕生していました。ソプラノさんとテノールさんもいましたが、その場合はなぜかソプラノさんがリード役でした。
私も合唱系の男性と結婚したらよかったかな、とときどき思いますがなぜかとなりの芝生がきれいに見えて、私のオットはガチスポーツ系・・・・。
だりあさん
>ソプラノさんとパスさんのカップルはよく誕生していました。
まあ、バスさんには性格の良い人が多いからね。テノールでも、性格の良い人は、たいてい高音が苦手なタイプなんですよね、これは不思議。高音をバンバン出しちゃうテノールって、概ね“ゴーイング・マイ・ウェイ”タイプな人なので、ちょっとお付き合いをするのは厳しいかもしれません。
>その場合はなぜかソプラノさんがリード役でした。
分かる気がします(笑)。
>ちょっと気に入らないとパパッと闘いたくなってしまうスイッチが入る性質のようです。
私もそうですよ(笑)。戦闘本能が強いんでしょうね。まあ、これはここのブログのやり取りをご覧になっているなら、よく分かるでしょ? 私、決して、気が長い方ではありません。だから合唱ができないのかもしれませんが(爆)。