…と、つくづく私は思います。
貧しくても、紙とペンがあれば絵は描けます。丈夫なカラダがあれば、跳んだり走ったりできるし、大きめなボールがあればサッカーができます。野球は…小さなボールとバットとグローブがないとダメなので、生活に若干の余裕がないと無理でしょうね、あれは貧乏人向けのスポーツではありません。
さて、音楽は…と言うと、まず、楽器が必要です。楽器はタダじゃないですし、そこらのもので代用も難しいです。そもそも楽器って高価だよね。
そして、楽器を習得するためには…たとえ遊びであっても…毎日一定時間練習ができるだけの余暇がなければいけません。曲がある程度演奏できないと、楽しくないものね。また、そのためには音楽を手ほどきしてくれる先生も必要ですし、楽譜も必要です。先生無しの独学であったとしても、教則本や教科書は必要でしょう。
遊びとして最低限の楽しみを得るためであっても、音楽は、時間とお金が必要になります。そこがその他の娯楽とは、大きく違う側面です。
実際、古来の日本でも、音楽を楽しむのは貴族や武士なとの有産階級の方々で、庶民の音楽なんて…労働歌ぐらいしかなかったわけです。
そう、労働歌…つまり、歌は貧乏人でも歌えるんです。だから、音楽志望者の中でも貧乏人は歌を…とりわけ一人の負担の少ない集団で望める斉唱や合唱を始めるわけです。
町中に、合唱クラブや歌う会が点在しているのは、そういう事だろうし、かつて共産主義のオルグとしてうたごえ運動が流行ってたのも、貧乏と斉唱/合唱の相性が良かったからだと思います。
つまり「貧乏人は歌でも歌ってりゃあいいんだよ」って事です。
でね、面白いことに、日本はバブル以降、どんどん貧しくなって、貧乏になって、生活が苦しくなっていて、余裕のある人のスポーツの野球は勢いをなくし、貧乏人のスポーツのサッカーが勢いを増しています。
ですから音楽に関しては、音楽を演奏する人が減っているのは、まあ当然なわけです。特に合唱は絶望的に減っているのは、日本中の学校にある部活動、吹奏楽部とか合唱部の人数を見てみれば、如実にわかります。
国がどんどん貧しくなって、生活に余裕がなくなって、楽器演奏者が減ってきたのは分かるけれど、それ以上に合唱人口が減っているのが、なんとも解せぬところです。
貧乏なら歌えばいいのに、歌う人が減って、合唱人口がガタ減りなのです。理屈が通らない、面白い現象です。ま、つまり、日本の貧乏人は歌が好きではない、合唱を好まない…って事なのでしょうね。
さもありなん、そもそも合唱ってのはキリスト教文化の諸産物だもんね。日本の歌は…民謡を見てみれば分かるけれど、労働歌がベースだけれど、今どき、歌いながら働く人って…まずいないもんなあ(笑)。
貧乏人すら歌わなくなった日本からは、早晩、合唱文化が途絶えてしまう…のかもしれません。そうならないための希望の光は…“おかあさんコーラス”だけれど、あの世界は、私、よく分からないんだよね。
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