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2024 金沢旅行に行ってきた その4 金沢城

 2日目の観光は、金沢城と兼六園観光をメインにして、残り時間は流れに任せて適当に…と考えました。

 香林坊のバス停から金沢城入口までのバスに乗りました。途中、窓から金沢城のバス停が見えましたが、バスはそこには止まらずに、だいぶ先まで進んでしまいました。やおら不安に陥る私でしたが、しばらくして、そのだいぶ先のバス停で降ろされました。で、その降ろされたバス停を見ると…そこも金沢城のバス停でした。

 金沢では、同じ方向に進んでいるバスが止まるバス停には、同じ名前のバス停で場所が違う…というパターンがたくさんあります(分かりますか?)。なぜ同じ方向に同じバス停名のバス停が存在するのかは分かりませんが、一応、区別のために、それぞれのバス停名の後に丸数字がついて、一応、区別はしているようです。

 ちなみに、私が最初に見たバス停は金沢城の①のバス停で、実際に降ろされたのは③のバス停でした。たぶん、別の場所に②があるのだと思いますが…そんな事は観光客には分からないよね。

 で、③はだいぶ金沢城から明らかに遠い(私の感覚では、ちょっと近めのバス1区間程度)ので、お城のふもとにある①のバス停まで戻ったところ、①のバス停に案内板が出ていて、お城の入口はそこではなく、少し離れたところから登る坂道をグイグイ登って行ったところにある…ようなので、その案内図に従って、坂道を登りました。坂道のてっぺんにあったのは…兼六園の入口でした。

 どうやら、金沢城に行くためには、一度、兼六園の入口まで行って、そこから反転して金沢城に行くようですが…そんな事は一見の観光客には分かりませんよ。

 とにかく、兼六園の入口まで行って、そこから反転して金沢城(ってか、金沢城公園)に入りました。

 なんかもう、振り回されぱなしです。朝からへとへとです。

 金沢城は…実に見ごたえのあるお城でした。昔の建造物がそのまま残っているのもあれば、当時の様式で再建された建造物もありましたし、今再建している建造物もありました。

 聞いてみると、金沢城は、明治維新で廃止され、その城址は明治以降、軍の施設として利用され、戦後は金沢大学を始め、各種の公共機関の施設として利用されてきて、往年のお城としての姿はなくなってしまったのだそうだけれど、21世紀になってから、金沢城公園として整備を始め、そこから金沢城の復元整備工事が始まったそうです。そのせいもあって、今では、だいぶ昔のお城の姿を取り戻しつつあるのそうです。

 道理で、昔(約30年前)に金沢に来た時は、金沢城って聞かなかったはずだ。当時はまだ金沢城なんて、なかったんだね。

 それらの見事に再建された建造物の見学を始め、それとは別に、休憩所や情報館という名前で、小さな博物館がいくつもあったので、そこでたくさんの事を学び、また、園内にいるボランティアの方々(これがまた、気さくな方々なのです)からも色々な話をうかがい、実に良い学びの時を得ました。

 1時間程度の見学時間を見越していましたが、なんと午前中いっぱい(4時間弱)を使って見学してしまいました。それほど見学の中身が濃かったことと、地震の影響で公園内の道があっちこっち塞がっていたので、どこの施設に行くにしても、迂回路を通ることが多くて、思いがけずに時間を使ってしまったからなのです。

 復元された五十間長屋と玉泉院丸庭園が、実に見事だったことは特筆しておきたいです。現在は、二の丸御殿の復元工事の最中なのだそうですが、これが先日の能登の大地震の復興のために、県の予算も工事の人員も取られてしまって、止まっているのだそうです。お城の復元も大切ですが、震災復興はもっと大切だからね。

 金沢城の見学でたっぷり時間を使ってしまったので、そこから一度、香林坊に降りて、昼食を取る事にしました。

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