と、まあ、湘南“地方”に住んでいながらに、そう思うわけです。私は“地方”では行きていけないってね。
この場合の“地方”とは、もちろん、いわゆる“田舎”はもちろん“首都圏ではない地方都市”も含まれます。私がなんとか生きていける地域は、東京とその周辺地域に限ると感じているからです。
なので、現在住んでいる湘南地方は、私にとっては、ギリギリ生息可能な地域であるとも言えます。
なぜ、そんなに私が東京近辺にこだわるのか? それは私が“クラヲタ”であり“ペラゴロ”であるからです。分かりやすく言えば、クラシック音楽に親しみ、オペラを楽しむには、東京近辺に住んでいる必要があるからです。
いや、理想を言えば、東京よりも、ヨーロッパやアメリカの大都市(ロンドンとかパリとかニューヨークとか)で暮らす方が良いのだけれど、ほら、私、日本語しかできないじゃん。なので、日本国内限定で考えると、もう東京一択にならざるをえないわけなのです。
「地方でも、大都市ならクラシック音楽は楽しめるよ」
そりゃあね、大阪とか京都とかにもオーケストラはあるし、オペラ団体もあるのは知ってますが、申し訳ないけれど、東京とは質と量が違うでしょ? そこが私のこだわりポイントなんです。
選択肢は常に豊富に用意したいのですよ。
まあ、現実的な話をすれば、いくら東京近郊に住んでいても、ほとんどのコンサートは見に行かない/行けないのだから、見に行かない現実を踏まえれば、どこに住んでいても同じ…と言えなくはありません。
でもね、「これは見たい」と思ったコンサートがあって、チケットが入手できたなら、あとは気軽にフラっと行ける環境に身を置きたいのです。
さあ、チケットは手に入ったぞ…後は、宿泊するホテルを予約して、飛行機や新幹線の座席の予約をして…とか、音楽以外の余計な心配とかしたくないのです。「午後6時からのコンサートだなあ…」と思ったら、せめてその日の昼過ぎあたりに家を出て、コンサート会場に向かいたいし、コンサートが終わったら、その余韻をひきずったまま家に帰りたいのですよ。
だから私は東京近辺にこだわるわけなのです。
↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村
コメント
東京のオーケストラから、
京都のオーケストラに転職した、
あるフルート奏者、曰く、
京都では、半年間で9回、
新世界を、演奏「させられた」、
日本が世界に誇る文化都市「京都」ですら、
まあ、そんなもんなんですな~。
新世界は、名曲だと思うけど、
半年で9回は多すぎますな~。
(/_\;) (/_\;) (/_\;)
(-A-) (-A-) (-A-) ← ざっくぅ
おしまい
オペラ座の怪人の怪人さん
地方は人口が少ない上にまばらですから、一回の演奏会に多くの人を集めるというのが難しく、どうしても小さめの会場をいくつも回っていくという事になると聞きました。ビジネスとしては、コスパが悪いのです。同じセットリストで、小さめの会場をいくつもいくつも回っていくのは、仕事としては、かなり効率が悪いですね。
そうなると、1回の演奏会の規模を小さくしていかないと、経費的に釣り合わなくなります。私の好きなオペラなんて、地方公演が難しいのは、そういった側面もあるんだろうなあと思います。
それにしても「新世界」を半年で9回ですか? 名曲ですが、確かに演奏していてシンドくなるでしょうね。
こんにちは。
「新世界」ネタで。
大嶋義実さんは、プラハ放送交響楽団では「新世界」を吹いたことがない、と群馬交響楽団に入ったとき話してビックリされたようです。
「演奏家が語る音楽の哲学」にあって、この本は面白かったです。
失礼しました。
tetsuさん
おそらくクラシック音楽にも、各国ごとに流行り廃りとか好き嫌いがあるのではないかと思います。で、「新世界」は日本では人気曲だけれど、他所ではそうでもない…という感じなのかな?って思います。
「新世界」、とりわけ第2楽章の「家路」は人気曲ですからね。歌詞を付けて合唱曲として歌っちゃうくらいですから。
同じく、ベートーヴェンの第九も、こんな頻繁に演奏されるのは、日本ぐらいだと聞いたことがあります。
共通点は…合唱がらみってところでしょうか? つまりそれほど、日本では合唱曲は愛されるという事で…となるとシベリウスの交響詩「フィンランディア」は日本では合唱曲としても愛されていますが、諸外国では日本ほど愛されていないのでしょうか?
こんばんは。
> シベリウスの交響詩「フィンランディア」
やすかれわがこころよ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%82%8F%E3%81%8C%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D%E3%82%88
18世紀ドイツ福音教会の修道女カタリーナ・A・D・フォン・シュレーゲルによって作詞された、神への信従と待望を歌った賛美歌である。後に、シベリウスの交響詩『フィンランディア』の曲をつけたことによって急速に有名になった。
海外はわかりませんが、国内では讃美歌と聖歌にあります。
以前取り上げた本ですが
https://shinshomap.info/book/9784121020758.html
渡辺裕著 歌う国民 : 唱歌、校歌、うたごえ 中公新書 ; 2075
納税や郵便貯金、梅雨時の衛生などの唱歌がさかんに作られた時期がある。これらは、ただひたすらに近代化をめざす政府から押しつけられた音楽でもあった。だが、それさえも換骨奪胎してしまう日本人から、歌が聞こえなくなることはなかったのである。
失礼しました。
tetsuさん、サンクス
確かにフィンランディアの合唱版は「やすかれわが心よ」ですね。思い出しました。あと、賛美歌だったんだ(笑)。まあ、歌詞を見れば、たしかにそうかも(…賛美歌という意識がありませんでした)。
この「やすかれわが心よ」は色々な場所で聞きましたが、歌っている方々は、あれが賛美歌だという意識はあったのかな? まあ、いいけど。
紹介された新書はマジで面白そう。最近、字の本は読んでいないけれど、久しぶりに読んでもいいような気がしてきました。