今回は第九の練習の記事をアップします。実はこれも時系列的には、フルートの発表会の前の事になります…が、みなさん、フルートの発表会の記事の方が読みたいでしょうという事で、掲載順番を変更しました。合唱ファンのみなさん、ごめんなさい(謝)。
…と言うのも、第九の練習ですが…さすがに遠慮なく休みました(笑)。だって、気管支炎だもん。フルートの発表会の前日の事だったし、体はダルかったし、仕事が忙しかったし…。
練習に行った妻の報告では、第九の後半部の歌い込みだったそうです。そして、次回はいよいよ、本番指揮者さんがやってきての合唱練習だそうです。以上、私の備忘録、終了。
これで、今日の記事が終わってはアレなので、今日は表題に書いたことについて考えてみたので、ちょっと書いてみます。
私、以前は「独唱の発声方法と合唱の発声方法に違いはない」という風に考えていました。今でも、基本的なテクニックの部分は違わないと思っています。でも、現実的には、色々と違います。どこが違うかと言うと、おそらく“程度”。そう、合唱と独唱では、色々と、程度が違うんだと思います。
まず、技術の程度が違います。これはとても分かりやすいと思いますが、合唱は大勢で歌うので、自分が歌えないところは歌わなくていいんです。分からなくなったら、落ちればいいんです。落ちても抜けてもOK(もちろん合唱団のレベルで違いますが、でも基本的にはそう)なのが、合唱。「自分はこの音は高過ぎて(低過ぎて)出せないから、歌わない」「ここは声の変わり目で、うまく声が出ないので、自分は歌わない」「このフレーズは長くて、息が持たないから、適当なところでブレスをして歌います」「ここのフレーズは音が取りづらいので、歌えません」「ここのフレーズは細かいので、手に負えません」
これらぜーんぶ、OKなのが合唱。でも、独唱はそうはいかない。全部、きちんと出来て、当たり前。だから、そこらあたりの、発声というか歌唱テクニックの程度が違います。
次に適性の問題もあるかな。もちろん、一人で舞台に立てる(または立ちたい)という気持ちの有無は、メンタルな適性としては、あると思います。でも、それ以前に、体格の問題というのがあると思います。
合唱は声さえ出れば、誰でもできます。小さくて小柄な体格でもできます。病気や障害があって、うまく筋肉のコントロールができなくてもできます。でも、独唱はなかなかそういうわけにはいきません。まず、健康でなければいけません。体格も大柄(デブという意味ではありません)でなくてはいけません。天性のノドの強さも必要でしょう。筋肉をうまくコントロールできる事も必要です。
と言うのも、独唱では、広い音域と大きな音量が求められます。それらを実現するためには、大柄で強い体格が必要です。つまり楽器としての性能が求められます。単に声が美しいというだけでは、独唱は無理です。でも、合唱ではそこまでは求められません。これも、程度の差だと思います。
そして、音色の問題があります。もちろん、合唱でも、あまりに汚い声はダメです。声は美しいに越したことはありません。しかし合唱では、同じパートの中で一体となる、ハーモニーの中でキレイに溶ける声が必要とされます。それは強さとは無縁な声です。
一方、独唱は、美しいけれど、際立つ声で歌わないといけません。相手がオーケストラであれ、大規模合唱団であれ、それら伴奏音楽の中に埋もれる事のない、自己主張の強い際立つ声が必要です。ここまで来ると、合唱と独唱では、明らかに求められているものが違うことが、お分かりでしょう。
あと声質に対するこだわり方もだいぶ違います。合唱では、声質のこだわりと言うのは少なくて、むしろ音域の方が重視されます。多くの合唱団で、その人の出せる音域を考慮に入れたパート分けがされるわけで、パート分けの時に声質まで考慮に入れて考えるところは、かなり上のレベルの団だと思います。普通は、高い声が出るからソプラノ(テノール)。低い声が出るからアルト(バス)って感じですね。だから、同じ人が、曲によって、ソプラノ歌ったりアルト歌ったりなんて、合唱団ではザラです。
独唱はまず声質ありきですね。音域は後から(訓練で)ついてくるものです。人間の声は千差万別ですから、その人の声がどんなキャラクターを持っているかが優先され、その声にあった音域を訓練で獲得していくのが筋道です。このあたりになると、程度の差というよりも、発想の違いかもしれません。
かように、合唱と独唱は、共通する部分はたくさんあると思いますが、やはり、だいぶ違う部分もたくさんあります。ですから、合唱をメインにやっている人が独唱をするのは、そのままでは難しいと思いますし、逆もまた真なりです。
じゃあ、合唱をやっている人は絶対に独唱は無理なのか、その逆はどうなのかと考えると、あくまで“そのまま”では難しいと思います。でも、違いが分かっていて、その違いを乗り越えられるなら、うまく切り換えて、両方を歌う事はできるのではないか、と私は思います。つまり「今は合唱モードで歌います」「ここからは独唱モードで歌います」が可能なら、一人の人でも十分に、合唱にも独唱にも対応できる話だと思います。そして、私はそういう切り換えができる歌手になりたいです。
これは実は、楽器でもそうらしいです。オーケストラの中で演奏するのと、ソリストとして呼ばれた時では、やっぱり違うのだと、ある演奏家の方がおっしゃってました。きちんと気持ち的にも、テクニック的にも切り換えていくのだそうです。
切り換えるためにも、まずはそれぞれのモードで必要なテクニックの習得が先決ですね。そうでなければ、どっちつかずの、どっちでも使えない歌手になってしまいます。
まだまだ、合唱も独唱も学ばないといけない事がたくさんありそうです。
…なんて、私は考えてます。異論反論、大歓迎です。
コメント
はじめまして。
トラックバックピープルから参りました。
合唱と独唱の違い、僕も常々考えていたことでした。
僕は、歌の先生にすすめられて聖歌隊に加わろうとしたことがあるのですが、僕の声は他の人の声と全く馴染まなくて、どうしても一人だけ浮いてしまうのでやめました。声質だけでなく、音域、声量などの面でも馴染みませんでした。その時、僕は独唱タイプだな・・・と痛感し、聖歌隊に入るのはあきらめました。
また遊びに来ます。今後ともどうぞよろしくお願いします!
>Kenta Nakamoriさん、いらっしゃいませ。
なかなかユニークなタイトルのブログをやられていますね。あとでゆっくりと読ませていただきます。
私も独唱タイプのようです。今考えてみれば、周囲の人はずいぶん前からそれらしき事を指摘してましたが、私も頭が固いので「大人の素人が歌を学ぶ」=「市民合唱団で歌う」という図式しかなくて、ずいぶん遠回りをしてしまったような気がします。
独唱の勉強をほんの少しですがしたおかげで、合唱のほうも取り組みやすくなったような気がします。たとえ違った事でも、色々なところがつながっていて、勉強が無駄にならないというか、遠回りが近道じゃないのかって気もします。
合唱と独唱、今回は違いに焦点をあてて考えてみましたが、確かに違いはあるものの、共通する部分は、もっと遥かに数多くあるわけですから、違いを踏まえつつも、共通部分に目を向けて、素人なんだから、色々な分野の様々な形態の音楽を楽しめるといいなあと思って頑張ってます。
はじめまして、
いつも楽しく拝見させていただいております。
私も、実は、ある少人数のグループのオーディションを受けた時、他の歌手で、合唱ではとても上手なのに、一人だとどうして下手なの!と疑問に思っていました。
合唱員に必要な技術は、
一般に以下の様に言われていますが、
1.正しい音程で、正確に歌えること。他の歌手を、補える音色を持つこと。
2.音量、ダイナミクスを、譜面のとおり、又は指揮者の言うとおりに忠実にコントロールできること。同じパート内で、一人だけ飛びぬけて大きな声を出さないこと。
3.楽譜が読めること。
4.歌詞を指揮者の指示通りに、正確に、読み、発音できること。話し方、正しい母音、二重母音のタイミング、正しい子音の位置を含む。
5.音楽を理解し、解釈し、演奏に反映できること。
6.他のパートの音程が絶対音程から外れていても、それに合わせられるように、音程を調整できること。要するに音程を相対的に修正できること。
合唱、独唱を問わず、最も大事なことは、
1.正しい音程で、正確に歌えること。
に尽きると思います。これが出来ない人が団にいる場合、全体のレベルを相対的に下げるだけでなく、ハーモニーを感じたい人、音程を忠実に守っている人の妨げになるばかりか、練習の中でも多くの時間をこの修正に費やすようになり、団にとって、百害あって一利無しです。練習初期で、完全ではないにしても、舞台に上がるまでには、少なくとも一人で全部歌えるようにしておくことが、最低線の礼儀だと考えます。
合唱は、声さえでれば誰でも出来ます。ではなく、
正しい音程で声を出すことさえできれば、誰でも始めることが出来ます。だと思います。
個人的には、合唱は、精緻なハーモニーを完成させる場であり、独唱は、高度な技術を土台にして、個人の感情をより豊かに表現する物と捉えています。
ですから、私の中では、発声法という意味では、合唱声と独唱声は、音量、タイミングなどは、指揮者によりますが、それ以外は全くといって良いほど変わりません。
只、私の場合、合唱と独唱では、前述のように、表現しようとしている物が、全く異なるので、その目的のために、心がけていることが異なるともいえます。(合唱だけ、長年行っている人が、一人でうまく歌えないのは、歌う曲が、独唱用で、合唱用でないからかも知れません。)
緊張の度合いだけが大きく異なるともいえますが。
(海外在住)
>Hydeさん、いらっしゃいませ。
今回は、合唱と独唱の声等の違いについて述べてみました。なので、多くの共通点については自明の事として省きました。もちろん、正しい音程や正しいリズムで歌えること等は前提なので、あえて書きませんでした。なので、Hydeのお書きになった“技術”は、概ね同意しますし、ある意味、理想な合唱団員の姿ですね。
それにしても、まず音程について書かれるところを見ると、Hydeさんは、音痴さんに苦しめられているのでしょうか? 少人数でオーディション付きの団なら、そんな音痴さんはいないのではないでしょうか?
合唱団にも色々なレベルがあると思います。セミプロのような団体、コンクールをめざしている団体は、技量も高いでしょうが、市民合唱団のすべてがそういう団体というわけではありません。いや、むしろ、現実を見ちゃうと、そういう上手な団体って、ほんの一握りの存在なんじゃないかなって、私は思ってます。
ごく普通の市民合唱団とかお母さん合唱団などの相当数は、音程もろくにとれないメンバーがわんさかいますよ(笑)。
私が今いる、第九合唱団も、かなりヤバイです(大笑)。合唱と言うよりも雑唱なのかもしれません。でも、歌っている人は真剣かつにこやかに歌ってますし、聞きにくるお客さんたちも「しょーがねーなー」って感じで楽しんで応援(笑)してます。演奏としては、あんまり上手ではありませんが、舞台の上も下も楽しんでますよ。音楽的なレベルは決して高くありませんが、これも立派な合唱だし、エンタテイメントとしては上出来だと思ってます。
なので、Hydeさんのいらっしゃるような、少人数のオーディション制のところなら、ともかく、和気あいあいと楽しむことを優先して、そんなに厳しくない練習で運営している市民合唱団などは、本当に「声さえ出ればOK」みたいなところがありますし、それはそれで、合唱をしていると思います。
そういう団のメンバーはHydeさんの条件には全く合致しませんが、でもそういう人も、そういう人たちのレベルで合唱を楽しむことは、やぶさかではないと、と私は思ってます。
またそうでないと、上手な人しか合唱を楽しめないことになってしまい、それはそれでマズイ社会じゃないかなって思ってます。
ストンさん、体調が思わしくない上に、大変丁寧にご回答いただきありがとうございます。
実は、私は、少人数だけでなく、オーデションの無い大人数(100人ぐらい)の団でも、楽しませていただいております。
そこではストンさんのおっしゃる通り、まあこういうのもありか、という、楽しむだけ、底辺を広げるために、存在するのかとも受け取れますが、目指しているのは、あくまですばらしい音楽です。
ストンさんも書かれているように、
ま、アマチュア合唱団の演奏会とは言え、きちんと入場料を取る以上は、入場料なりの演奏はできないとマズイと思うし、観客にとっては、アマチュアだろうが、プロだろうが関係ないのですが…いやあ(汗)。今年の演奏は、色々な意味で、とってもスリリングな演奏になりそう…。
とおっしゃっていますが、
他方で、声さえ出れば、合唱は出来ます。手抜きOKの様なコメントがありましたので、本意はどちらかなと、ふと疑問に思ってコメントさせていただきました。
日本の合唱界の将来を憂えておられるのも同意できます。(こちらは、教会音楽がベースですので、日本よりは恵まれているかも知れませんが。)
私個人も、単に歌が好きで合唱を始めましたが、倍音の乗った素晴らしいハーモニーが出来た、聞こえたとき、初めて合唱は素晴らしいと思いました。
仲間と楽しく時を過ごすだけなら、合唱に限らず何でも良いのであって、本当に素晴らしいハーモニーを演じ、聴衆に聞かせることが、次の世代に伝える、又人口を増やす唯一の方法だと思うのです。
ストンさんが、日々鍛錬されているのも、素晴らしい音楽を聴衆と共有したいからですよね?
単に歌う人の意識の問題だけかも知れませんが。
勝手な意見を長々と失礼いたしました。
>Hydeさん
ご指摘ありがとうございます。ま、確かに私は「アマチュア合唱団の演奏会とは言え、きちんと入場料を取る以上は、入場料なりの演奏はできないとマズイと思うし…」と書いた、その口で「声さえ出れば、合唱は出来ます…」とも書いてます。
一見、矛盾するように見えるこれらの話ですが…やっぱり矛盾してますね(私)。ただ、私の中では、これら二つの考えが同時に、いつも、存在してます。
私の中では、いつでも「音楽をする以上は上を目指すべきだし、人前に出る以上は恥ずかしい演奏をしてはいけないし、お金をいただく以上それ以上の満足をお客さんに与えないといけない」と思ってます。これは本当です。
でも、その一方で「音楽は上級者だけのものではなく、初級者や入門者も、それぞれの演奏レベルに応じて、演奏する楽しみを持つべきだ」とも真剣に考えてます。
矛盾していますね。確かに矛盾してます。この二つは同時に成り立たないかもしれません。でも、この両方とも私の真意です。つまり、私の心は、この相容れない二つの考えに引き裂かれていると、かっこよく言っちゃえば、言える状態です。
矛盾していて、ダメかな? でも両方とも、私の真意だし、両方とも声高にいい続けていたい願いでもあります。
つまり、私の場合、寄って立つ論拠が弱いと言うか、理論武装が甘いというか、そんな状態なんでしょうね。これらの二つの考えを矛盾なく、一つにまとめて主張できると、素晴らしいのになあ…ううむ、残念って感じです。
でも、真剣に、この二つの考えが矛盾なく両立して主張できる、理論の根拠が欲しいです。だって、両方とも私なんだから。
ううむ、ちょっと、考えてみますわ。もしかしたら、いい考えが浮かぶかもしれないし。
ストンさん、日本のことはわかりませんが、こちらでは、矛盾は生じてないような気がします。
こちらでは、次の三つに分類でき、棲み分けが出来ています。
1。コミュニティー合唱団
オーディションが無く、来る者は拒まず、老若男女全て、歓迎。
合唱を通して、地域に還元するのが目的。(チャリティ扱いなので、団費は、税金の控除対象です。)
但し、あくまで、素晴らしい音楽を作ることが目的なので、うまく歌えないところ、音程の不確かなところは、音楽の邪魔になるので歌わないでくださいというスタンス。ご自分で練習されて、歌えるようになったら、歌ってくださいとの事。練習の初期は、何も言われませんが、コンサートが近づくに連れ、指摘が増えます。練習の出席日数が不足している人は、レベルに関わらず、コンサートには、出ることが出来ません。
2。コミュニティー ユース合唱団
1とほぼ同じで、学生対象の合唱団、1の予備軍です。但し、何故かオーディションがあります。
3。オーディション合唱団
団員は、全てオーディションを通過した者のみ。
より高いレベルの声楽芸術を聴衆とともに、共有し、広めるのが目的。難易度の高い曲に挑戦し、芸術の域まで高めようと努力する。
こちらは、とてもしんどいです。手抜きは一切出来ません。
恐らく、ストンさんの様に、上昇志向のある人は、1からスタートして、レベルが上がった時点で、3に挑戦する、
自信の無い人、上昇志向のあまりない人は、1に留まる。という事では無いでしょうか?
こちらでは、スポーツクラブも同様な棲み分けが出来ています。
コミュニティークラブの中で、競争志向が強すぎる人は、どうぞ、止めて上のクラブに移って下さいというスタンスです。
ストンさんの役に立つかどうかわかりませんが、コメントしてみました。
日本との違いは、レベルの低い演奏に甘んじるか(レベルの低い人に合わせる)か、実際のレベルはともかくそれは受け入れられない(比較的レベルの高い方に合わせる)かの意識の違いですかね?
>Hydeさん
そちらはなかなか良い状況のようですね。
参考までに、日本の状況を書いてみます。
まず日本には「2。コミュニティーユース合唱団」に相当するものは、まずありません。かつては、学校の合唱部がそれに当たっていたかもしれませんが、かつて日本の学校にあった合唱部の大半は廃部になってしまいました。学校の音楽の授業でも(授業時間の都合でしょうが)合唱はあまり真面目に取り上げられなくなり、今の子どもたちは、年一回おこなわれる合唱大会(これは音楽のためというよりも、クラス経営上のテクニックとして、日本中の大半の学校で実施されます)での活動が、合唱体験のほぼすべてとなりつつあります。もちろん、ごく一部の学校の、ごく一部の熱心な教員がいる学校では、以前のような合唱部が運営されているケースもありますが、それはごくごく少数のレアケースとなっています。
「3。オーディション合唱団」は日本にも存在します。日本には、プロの合唱団というのが、本当に数えるほどしかないので、これらの上手なアマチュア合唱団が、ある意味、日本の合唱界を引っ張り上げているという側面があります。ただし、参加メンバーの大半は(日本中にかなり多数存在する)音大声楽科の卒業生たちばかりなので、本来はプロ合唱団になるべき存在なのでしょうが、日本では合唱では生活できないので、こういう形態を取らざるをえないのだろうと思います。
「1。コミュニティー合唱団」のあたりが、だいぶ違うのかな…って思います。
まずパっと見の共通点は「オーディションが無く、来る者は拒まず、老若全て、歓迎。」 違うところは、日本では女声合唱団が主流なので、男性を募集している団は極めて少数であること。また、その団の設立目的も「合唱を通して、地域に還元するのが目的。」という団もごく少数あります(日本ではボランティア登録制度というのがあります。ただし、税金は安くなりません)が、その大半は「自分たちの楽しみのための習い事」というところでしょうね。
さらに検討していくと、そのあたりの合唱団の目的は「素晴らしい音楽を作る事」と言いたいのですが、どうもその辺が怪しい団も相当数あります。どちらかと言うと「音楽活動を通して友だち作り」に力点が置かれている団の方が多いような気がします。つまり「好きな事を、同好の士と一緒に楽しもう」という主旨なんだろうと思います。
なので、参加メンバーの力量も実に様々です。しかし「うまく歌えないところ、音程の不確かなところは、音楽の邪魔になるので歌わないでくださいというスタンス」は、全くありません。そんな事を言い出したら「そんな事を言ったら○○さんがかわいそうじゃない。彼女だって、一蹴懸命やっているのよ~!」と言われて、言った方が団を追われます。もし言うにしても、指導者がやんわりと注意するくらいですが、そこで歌わせないとかいった強権はおそらく発動できないでしょうね…。
コンサートの出演に関しては、歌の上手い下手とか、出席人数の多少は、考慮されない団がほとんどでしょう。基本的には、メンバーである以上、上手い下手は問わないし、たとえ練習に出られなくても、せめて本番だけでも…と言った感じのところが多いようです。むしろ、毎回のように練習に出ている中心メンバーが「本番は恥ずかしいから…」とか言って、当日はモギリをやっている団もあるとか聞いたことがあります(これはあくまで伝聞です…)。
当然ですが、この手の合唱団には、何年いても、技術が向上する事はないと思います。
日本には、以上の3パターン以外の種類の合唱団があります。それは「4。コンクール合唱団」です。
日本には、全国各地で様々な女声合唱コンクールが大小開催されています。それらに参加し、そこで優秀な成績を勝ち取ることに団体の存在意義を見いだしている団体です。これらの団体の大半はオーディションがあるわけでもなく「初心者歓迎」だったりしますので、そういう点では、コミュニティー合唱団と同じです。ただ、違うのは、コンクールで勝つために、必死で練習するという点です。それこそ、死に物狂いの猛特訓です。あと、選曲もコンクールで勝つための選曲をしますので、コンクールで勝てるような邦人作曲家の新作(準新作)の作品を取り上げる事が多いです。
しかし、この邦人作曲家の作品ってのが、コンクール向きの技巧的な曲ばかりで、聞いていて、実につまらなかったりするのが残念なんですよ…。
もちろん、現実の合唱団には色々なタイプがあるので、それを単純化して論ずるのは、乱暴だと承知した上で、単純化して話をしてしまうと、日本では、大人になってから合唱を始めたいと考えた場合は、まずは「1。コミニティー合唱団」に入団し(個人の意志ではなく、主に指導者の意志で)やがて「4。コンクール合唱団」に変化する事もあるってところでしょうね。
なので「声さえ出れば合唱できます」って事になっちゃうし、それ以上を求めても、そんな場はありません…って事になります。なにしろ「3。オーディション合唱団」は音大卒業生たちの巣窟ですからね。大人になってから合唱を始めて、これらに入団するためには、音大卒業生以上に歌えないと入団できません。そうなると「4。コンクール合唱団」で数年頑張って、実力をつけてからと言うことになるのでしょうが、そういう方はやはりレアケースだと思います。