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国立のマンガ喫茶? いいねえ、文化国家じゃん[2009年7月第2週・通算27週]

体重:101.8kg[+0.2kg:-4.0kg]
体脂肪率:30.8%[+0.2%:-2.7%]
BMI:32.1[+-0.0:-0.8]
体脂肪質量:31.4kg[+0.3kg:+0.1kg]
腹囲:101.0cm[+0.2cm:-5.9cm]
     [先週との差:2009年当初との差]

 そふくしダイエット第22週目。あっちゃー、ちょっと肥えてしまった。理由は自分でよく分かっているのけれど、やっちまったなー。えへへ。来週は、ちょいと心を入れ換えていきたいと思ってます。いやはや、なんとも。

 さて、今週のエッセイです。今回は長いし、理屈っぽいよ(笑)。

 世間もだいぶ落ち着いてきたようなので、今回は、「国立マンガ喫茶」こと「国立メディア芸術総合センター」について、勝手に語っちゃいま~す。

 まず、私の基本立場の表明です。私はネ、この「国立メディア芸術総合センター」に賛成なんですよ。むしろ、作るのが遅すぎたと思ってます。

 それにしても「国立メディア芸術総合センター」って呼称はいかにも役所的で長くでダメだね。ひとまず、以下では「メディアセンター」って呼びます。

 さてさて、メディアセンターに反対している人って、たくさんいますねえ。テレビなどでは、日本人全員が反対しているような報道をしています。ま、マスコミお得意の“印象操作”と言う奴ですが、これに踊らされている人も、実際には少なからずいるんじゃないかと心配しています。そのためにも、まずはこの施設の有効性について、冷静な頭で、一度きちんと考えないといけないんじゃないかと思ってます。

 このメディアセンターの第一の役割は「倉庫」でしょ。カタカナで書くと“アーカイブ”って奴ね。国会図書館と全く同じよ。つまりは「第二国立図書館[商業芸術専用館]」を作ると思えば、だいたい正解。それを「国立マンガ喫茶」とか「アニメの殿堂」とか侮蔑的に呼称して情報操作をして、おとしめて、建設中止に持ち込もうとしているだけでしょ。

 なにしろ、マンガ喫茶って言葉、イメージ悪いよね。派遣切りの浮浪者の宿泊所ってイメージ強いものねえ。日本文化をおとしめるには、絶好の呼称だよね。

 アニメだって、オタクのマイナスイメージと結びついて、必ずしも好印象って言葉じゃあない。

 さて、マスコミでマンガ喫茶と蔑称したものだから、やたらとマンガばかりに注目されているメディアセンターだけれど、実のところ、マンガなんて、どーでもいいんじゃないかなあ…。だって、マンガは現在でも、雑誌や単行本がきちんと国会図書館で保存されているもの。だから、メディアセンターの対象からマンガは外してもいいくらいです。

 むしろ問題は、映画とかアニメとかゲームの方だね。そっちの方だと、いわゆる“電子出版物”は国会図書館で保存されるけれど“映像ソフト”って呼ばれるモノは、どれだけ保存されているの? ゲームのカートリッジは? ゲームの基板は? アニメの原画や設定書は? 映画の台本は? ね、どこにも保存されずに、やがてみんなゴミ扱いをされて、捨てられてしまうんだよ。

 歴史を勉強すると、昔も似たような事があった事に気づきます。例えば、浮世絵ね。江戸時代に盛んだった浮世絵は、今でいうところの写真のような扱いを受けていました。風景画は、旅行に制限があった江戸庶民たちに、諸国の風物を伝える憧れのグラビア写真みたいなものだったろうし、役者絵は、今ならアイドル写真かな? 春画はもちろんエロ写真。こんなものに、当時の人々が芸術性を感じていたかなんて、愚問だね。感じているわけない。それどころか、浮世絵なんて、ただの商業的な消耗品で、大半のものがゴミとして捨てられ消えてなくなってしまった。

 明治になり開国をして、外国と貿易を始めた日本が、輸出陶器などの梱包剤として、ゴミ同然だった浮世絵で陶器を包んで輸出したところ、その包み紙が海外で大人気となり、それらが保存されて、今、世界中の美術館に浮世絵が保存されているわけよ。国内には、当時の浮世絵なんて、ほとんどないのにネ。

 国文学を勉強した人は分かるだろうけれど、日本の古典作品。名前だけ伝わっていて中身が消失してしまった作品がたくさんあるでしょう。更に、現存しているとは言え、その一部が消失してしまった作品とかもたくさんある。それらの作品が無くなってしまった事を嘆いても、仕方ないよね、今でこそ“古典作品”として大切に扱われている作品だって、当時はただの“なぐさめモノ”だもん。消耗品扱いでも仕方がない。

 絵画だってそう、日本には昔から絵師という職業があって、それらの職業絵師たちが書き上げた作品の大半は…すでにない。私は江戸時代に活躍した伊藤若沖(いとう・じゃくちゅう)という絵師の作品が好きなんだけれど、この人の作品だって、国内に残っているのはわずかで、一部は外国に流出して保存されているけれど、多くのものはこの世から無くなってしまった。

 つまり何が言いたいのかと言うと、後世、芸術として珍重されるものだって、同時代的には、単なる商業品で消耗品で、誰にも大切にされていなくて、その結果、そのほとんどが無くなってしまったという事。そして、映画やアニメやゲームを、浮世絵や古典文学や日本画と同じように、消失させてしまっていいのかって話だよ。

 おおげさな話かな?

 「メディアセンター設立なんて、税金の無駄遣いだ。そのお金を、福祉や教育に使うべきだ」という意見があります。正論ですね。2009年の国家予算って、当初予算が85兆円で、補正予算が14兆7000億円の、合計で約100兆円ね。その中からメディアセンターに使われる予算は117億円、まあ、約100億円って事にしておきます。で、マスコミは国が100億円も無駄遣いすると、声高に報道しているわけだ。

 100億円と言うと、確かにすごい金額に聞こえるけれど、全体の予算の一万分の1のだよ。つまり、全体の99.99パーセントのお金は、きちんと教育とか福祉とかの別な費用に回っているわけ。お財布の中の、ほんの0.01パーセントくらいの費用、未来の日本人のプライドのために、あえて、無駄遣いと知りつつも、使っていいんじゃないの。私達の子孫に、マンガやアニメを残しておこうよ。浮世絵や日本画の二の舞にならないようにね。

 それにさ、だいたいさ、メディアセンターが無駄遣いではないとは、私は言いません。はい、立派な無駄遣いでしょ。でもね、文化とか文明って、本来的に無駄なものでしょう。文化的な生活なんて、無駄遣いの積み重ねのようなものじゃない。精神的なものに無駄遣いできるなんて、文明国家の証だと私は思いますが、いかが?

 「メディアセンターの、その存在そのものが無駄だ」と言う人もいます。私の様に、文明が本来持つ非生産性という特質に対して無駄と言っているわけではなく、真剣に文字通りに「無駄だ」と言っている人がいるじゃない。古い似非インテリタイプの人に多いみたいだけれど、こういう人って「オレは賢い。賢いオレ様が分からないものは、くだらないモノだ。くだらないモノにお金を使うのは無駄だ」って言っているだけでしょ。

 これって、単に「オレって、バカ?」って言ってる事と同じなんだよね。自分自身では、そのものの価値が分からなくて判断できないとしても、状況的に判断をすれば、それが無駄か無駄でないかは分かるはず。マンガ? アニメ? ゲーム? その価値が分からなくても、すでに国際社会における一定のポジションってのは分かるでしょ。それを無視して「ムダ!」と叫んでいる人の頭には、きっと「私って馬鹿です」って旗が刺さっていると思います。

 「国が手を出して成功した事業はない。だから国はアニメに手を出すな!」という人がいます。この言葉自体は正解です。マンガ・ゲーム・アニメなんて、カウンターカルチャーなんだから、韓国における映画産業のように、国が保護したり、新人育成の手助けなどをするのは、私も間違っていると思う。

 でも、彼らの言いたいのは、そういう事ではなく、単なる問題のすり替えをしているだけ。だってサ、別に国家がアニメの製作をするのではなく(某国ではやっているけれどね)、すでに世にある作品を収拾管理しようというだけの話。それこそ国会図書館と同じことをするわけで、メディアセンターが不要というなら、国会図書館も不要だけれど、国会図書館って無くしていいの?

 「民間にマンガ系の博物館があるんだから、国立のものを今更作る必要はない」という人がいます。これも一見、筋が通っているようだけれど、その民間の施設って、マンガの保存はしているだろうけれど、映画の保存はしてる? アニメの保存はしてる? ゲームの保存はしてる? ね、してないでしょ。それに民間だと、経営危機になったら、簡単につぶれちゃうしね。博物館がつぶれたら、せっかくまとめていた資料もすべて散逸して、失われてしまうのだよ。民間の博物館ってのは、言葉はきれいだけれど、単なる見せ物小屋であって、商売が成り立たなくなれば、簡単に投げ出すんだよ。

 新横浜にある“ラーメン博物館”って知っている? あそこは繁盛しているから、今だってちゃんと営業しているでしょ。でもね、横浜の関内にあった“カレー博物館”って知ってる? お客が入らなかったわけではないけれど、結局十分な利益が出せなかったためにつぶれてしまいました。民間の博物館なんて、そんなものです。

 そういう意味でも、きちんと資料を保存し、後世に伝えるためには、国立のしっかりした倉庫が必要だと思うよ。

 だいたい、すでにウカウカしていたおかげで、多くのアニメの原画や設定書、ゲームのプログラムコードは失われてしまったのだよ。これの意味する事が分かる人って、どれだけいるんだろ。

 国民的アニメ作品である、エヴァンゲリオンですら、第9話?の原画がすでに紛失していたために、新劇場版を作る際に、当該の部分は、全面的に作り替えることにしたというインタビューをどこかで読みました。エヴァですらそうなんだから、あとの作品なんて、推して知るべしだよね。失われてしまった資料は二度と取り戻せないんだよ。その意味、分かる?

 あとね、私がちょっと気になるのは、メディアセンター反対を唱える人たちの、日頃の主張なんだよ。メディアセンター反対を唱える人の多くは、日頃から反日な意見を表明している方々が多いでしょ。反日系政治家とか、反日系タレントさんだよね。こういう日本が嫌いな人たちが中心になって、メディアセンター反対を言っているように私には見えます。こういう反日な人たちが声高に唱える事って、大抵、日本や日本人の不利益につながる事ばかりだから、よくよく注意しないといけないと思ってます。

 あと、マスコミが一生懸命取り上げることって、大抵は、日本や日本人にとって不利益につながることばかりでしょ。だから、マスコミが取り上げて報道しているという段階で、なぜマスコミが一生懸命にその問題について報道しているのかということを、よく裏読みして、私達は行動しないといけないんだ。

 とにかくサ、文化なんてものは、後世の評価を受けてナンボのものでしょ。大切なのは、その作品を後世に残す事なんだ。作品自体の価値判断は、我々の子孫に謙虚な気持ちでゆだねるべきなんだ。

 だから、そのためには私たち同時代人ができることは、今の時代の作品と資料を、きちんと保存しておくこと。

 モーツァルトが大作曲家だと認められているのは、彼の作品が残っているからだよ。モーツァルトがどれだけ偉大な作曲家だったとしても、その楽譜が散逸し、現在まで保存されていなかったら、モーツァルトなんて、誰も知らないし、誰も彼の曲を聞けないし、もちろん偉大な作曲家だったなんてことは忘れられてしまう。だから、作品を保存するって大切なこと。だいたいモーツァルトだって、同時代的には、それほど成功を納められた作曲家というわけではないでしょ。彼だって後世の人々に評価されるまでは、正しい評価を受けていなかった人と言えると思います。でなきゃ、あんな野垂れ死にみたいな死に方はしないって。

 モーツァルトのように…というわけではないけれど、メディアセンターの設立って、そんな日本の作家たちの作品をきちんと保存して、後世に伝えて、後世の人々の評価を受けさせてあげようという試みなんだよ。

 日本の作家の作品がきちんと保存され、将来、それらが高く評価されるとしたら、それで困る人々がいるんだろうなあ。だから、今、メディアセンターの設立に猛反対して、世論を動かそうとしているわけだ。

 みんなの大好きなドラえもんだって、きちんと保存しないと、100年後には藤子不二雄の作品ではなく、某国の某作家の作品ですって教科書に載っているかもしれないよ(冗談ではなく…ね)。

 鉄腕アトムも、キャプテン翼も、マジンガーZも、ガンダムも、エヴェンゲリオンも、サリーちゃんも、アッコちゃんも、セーラームーンに、ナルトだって、みんなみんな某国の某作家の作品って事になっているかもよ。いいの? それで。

 実際、剣道は日本ではない国で発祥したスポーツという触れ込みで、オリンピック競技化されようとしている現実があります。いつのまにか、剣道は日本から盗まれているわけだが、日本の剣道関係者は事を荒立てるのを好まない日本人の方々が中心だから(当たり前か)黙っているうちに、好き放題にされて、今に至ってしまったというわけだよ。剣道が別の名前でオリンピック競技化された時が、日本から剣道が盗まれた日になる思います。

 メディアセンター建設反対ってのは、これはある意味、某国による日本の文化侵犯、文明剥奪の鏑矢である可能性すらあるわけよ。つまり、これはすでに“戦争”なのかもしれない。ここで踏ん張らずに、敵国の侵入を許してしまったら、私たちは子孫たちに顔向けできないよ、マジで。将来の日本人たちに、きちんと我々の仕事を残し、伝えていくことが、文化の継承というものなんだ。

 でもね…、なんでメディアセンターをお台場に作るんだろ? あれはどう考えても、秋葉原にこそふさわしい施設だと思うんだけれどなあ。秋葉原に集う外国人たちのパワーってのが、役所の役人たちには全然見えていないんだろうなあ。

 世界の趣都、秋葉原にメディアセンター作って、世界中のオタクたちを集め、その城下町で彼らのお財布を開かせ、その中身をジャブジャブ使わせてしまえばいいんだ(笑)。これは使う方も使ってもらう方も、みんな幸せになる大切なことだよ。「庶民が安心して活発に経済活動ができるように市場を整えるのが、立派な為政者の仕事」だと思うので、この際、国立マンガ喫茶と蔑称されようとも、秋葉原にメディアセンター作るべきでしょう。日本大好きな外人さんたちが、金持って、いっぱいやってくるよ。

 ああ、一気にいっぱい書いて、疲れた(笑)。

コメント

  1. Cecilia より:

    熱い記事を一気に読ませていただきました!
    私も国立メディア芸術総合センター建設は良いことだと思っています。
    反対派の意見は新聞とかインターネットで少し見ているだけですが、そんなに無駄なことだろうか、くらいに思っていました。

    音楽とか美術などの芸術系の事業に対して必ずと言ってよいほど「無駄だ」という意見がありますね~。
    アニメに関してはそれ以上なのでしょうね。
    大体こういうことを言うのは左の人々で、かならず「教育と福祉」を掲げて反対していますよね。
    でもそういう人たちもたぶん出来てしまえばホールなどを利用しているのですよね。

  2. すとん より:

    >Ceciliaさん

     音楽とか美術とかのアート系って、本来的に無駄なんですよ。基本的には何も生み出さない。ただ、消費を促すのみ。なぜなら、文化とか文明の本質は、無駄遣いであったり、怠けであった、サボりであったりするわけだから(笑)。とりわけ、娯楽はそれがすごく分かりやすい形になっているから、娯楽系のものに対する風当たりは激しいのですよ。

     どう理論武装したって、娯楽系施設は無駄であると言う認識を完全に払拭するのは無理でしょう。でもそれが文化の一翼を担うものなら、あえて無駄と知りつつ、投資していくのが、文化国家に住む教養ある市民の取るべき態度だと思います。

     我々の近所にある、文化のかけらもないような国を見ていると、つくづくそう思います。

     本来的には、娯楽系のアートに従事する人たちが共闘するといいのだけれど、みんなバラバラだから、うまくやられてしまうんだろうなあと思います。事はアニメだけの話ではなく、スポーツだって、演劇だって、服飾デザインだって、みんな一緒なんだけれどなあ…。

     なぜ、日本人がプライドを持とうとすると、国内から反対意見が飛び出して、プライドを踏みにじるような行為が何度となく繰り返されるのか。悲しいなあ…。

     選挙も近いけれど、そんな日本人のプライドを踏みにじる発言をするような方々には、票を入れたくないよ。だって、それしか日本人のプライドを守る方法は、今のところ、思いつかないもん。

  3. はむはむ より:

    面白かったぁ~~~!!!!
    すとんさんのこういう記事って、実にいいですね。
    読みごたえもあるし、理路整然としていて何を書かんとしてらっしゃるのか
    私でもよ~~~くわかるし、第一 題材がとても興味深いです。

    なるほど、そう考えると…メディアセンターはやっぱり必要ですね。

    私、中学生の時に買った事あるんですよ、その「産業廃棄物」扱いをされた
    実際にTV放映フィルムに使われた、アニメのセル原画。
    名作アニメの「アライグマ ラスカル」の原画でしたね…懐かしいです。

    そんな風にして、そういう系のお店で山ほどオリジナルのセル画が
    バラで売られていましたっけ。ああ、勿体ない;;

    アニメの設定資料集だって、人気のアニメのものなら本になって出たりしますが…
    サザエさんとかドラえもんとかのお茶の間アニメの資料など、
    需要がほとんど無いから出版まではされませんよね。
    やっぱり放映が終わったら即ゴミ箱行きなんでしょうか。

    >某国の某作家の作品ですって教科書に載っているかもしれないよ(冗談ではなく…ね)。

    私が3年間住んでいた某国の某所では、すでにそんな雰囲気でした。
    吹き替えで放映されているのですが、日本に固有のセリフなどは
    ことごとく某国の同じようなものに変えられていたりとか。

    絵柄(特に背景の街並み)などは明らかに某国とは違いますが、
    あの国の子供達は、あの数々の日本アニメを自国のアニメとして
    認識して育つんだろうなぁ…(怒)
    ゲームだって、日本で新作発売後すぐに違法にコピーしたものが
    市場に出回るような国ですよ?
    攻略本でさえ、あっという間に某国の言葉に翻訳されたものが
    日本では考えられないような安価な値段で手に入ります。
    あれって、ちゃんと版権元に翻訳許可を取っているのかどうか
    非常に怪しいと思っていました…実際はどうなんでしょうね。

    しっかりしろ、日本人! 自国の文化を取られるな~~~!!
    と、某国に滞在中によく思っていた事が現実になりそうとは
    日本人のはしくれとして、ちょっと情けないなぁ[E:despair]

  4. すとん より:

    >はむはむさん

    >しっかりしろ、日本人! 自国の文化を取られるな~~~!! と、某国に滞在中によく思っていた事が現実になりそうとは、日本人のはしくれとして、ちょっと情けないなぁ

     実際に外国で暮らしていた、はむはむさんの言葉には重みを感じます。自分たち作ったものを、自分たちが保存する。たった、それだけの事なのに、なぜ、ああも、ヒステリックにクレームをつけられなければいけないのか。なぜ、こんなに泥棒の片棒を担ぐ人間が大勢いるのか。

     日本の文化は、日本人の心とつながっているんだ。文化を盗まれるとは、心が盗まれるのと同じこと。将来の私たちの子孫たちに伝えていかなければならないものが、盗まれると言うこと。

     きちんとした覚悟で、守っていかないと、ドンドン好きなようにやられ、盗まれてしまう。それはとても悲しいことだし、子孫たちに申し訳ないことだと思う。

  5. 明和電機 より:

    突然ですが、明和電機土佐信道です。
    設立準備委員として、
    みなさんより、現場の近い意見を
    聞けています。

    ご意見、同感です!

    自分のブログでも、似たようことを
    書きました。
    お暇でしたら、ぜひ読んでみてください!

    http://maywa.laff.jp/blog/blog_index.html

  6. すとん より:

    >明和電気さん、はじめまして、
     と言うか…ファンです、ラブです、コメント、大歓迎です。

     なんか、うれしいです。私のなぐり書きを、設立準備委員の方に読んでいただけたなんて、恐縮しゅくしゅくでございます。でも、嘘は書いてません。本当の気持ちです。

     マスコミは大反対キャンペーンを繰り広げていますが、日本人は、みんながみんな馬鹿じゃあありません。メディアセンターの設立を応援している人も大勢いると思います。ただ、私たちは、マスコミと違って、自分の意見を世間に披露する場がありません。ブログが精一杯の表現手段です。

     形や方法はどうであれ、とにかく、日本人作家の作品をきちんと保存してくれる、公の施設の完成を強く強く待ち望んでいます。

  7. 文化って無駄モノかもしれない。
    でも無駄のない人生がなんぼのもんじゃい!!って、思っちゃうわけです。
    マンガやアニメやゲームって日本の文化じゃん。私が接したことがある外国の方からそういう話を聞いたこともあるし、本当にそう思います。国でそーいうのを作るのはどうか、民間に任せれば、っていう声があるのも分かりますが、民間って基本、収益ありきなんですよ。でもそういうことは度外視しても守らなきゃならないものってやっぱり、あると思う。

    …と、「習い事は受験に無駄だからやめます」といっつも言われて、ほぞをかんでいる私は思うわけですよ。無駄を楽しめないのって余裕ないよね~。

  8. すとん より:

    >ことなりままっちさん

    >…と、「習い事は受験に無駄だからやめます」といっつも言われて、ほぞをかんでいる私は思うわけですよ。無駄を楽しめないのって余裕ないよね~。

     受験にだって、無駄な勉強は必要なんだけどなあ…。(一応、これでも)高学歴な私は、そう思いますよ。無駄な勉強をきちんとしていない奴は、いわゆる「学力しかない馬鹿」で、社会で通用しないのは当然だけれど、学校でも邪魔なんだよね、そういう奴。

     結局、受験を最終目的に設定した勉強をしちゃうから、大学に入学して受験が終わっちゃうと、途端に勉強しなくなっちゃうんだよね。勉強は、大学に入ってからが、おもしろいのに。ああ、もったいない。

     私は思うんだけれど、受験勉強をしなければ入れない学校なんて、行っても無駄だと思うよ。身の丈に合ってないじゃん。身の丈に合ったところで、その人なりに勉強したり、人生経験を積んでいくのが、色々な意味で良いと思います。

     「でも、受験勉強をして、少しでもいい学校に行って、少しでも大きな企業に入らないと、幸せな人生を送れない…」なんて、間違いだよ。少なくとも、それは高度成長時代のモデルであって、21世紀型のモデルじゃないね。今の時代、人間は、学歴があっても幸せにはなれませんし、大企業だって、来年も存続できるかなんて何の保障もないし(笑)。

     だいたい“安定した高収入”だけが幸せじゃないじゃん。もちろん、収入に不足があっては不幸の始まりだけど、必要な分だけ稼げたら、あとは毎日、歌うたって笛吹いて遊んでいる人生の方が、高収入を得るためだけに、汗まみれで過労死寸前になるまで働いているよりも、よっぽど幸せだと思ってるよ。

     それに、本当に賢い奴って、習い事を続けたまま、部活もきちんとやって、それでもちゃんとした学校に合格するもんだし(笑)。それは息子の合唱団の諸先輩たちを見ていると、そう思うよ。そういう奴らが、人生の勝ち組になるんだと思う。

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