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ちばらきに行ってきました その3 伊能忠敬は本当の偉人です

 鹿島神宮を後にした私は、次の目的地である佐原に行くため、テクテク歩いて、鹿島神宮駅に向かいました。ほんの数日前までは鹿島神宮から佐原までバスが走っていたそうだけれど、今は(緊急事態宣言のためでしょうか?)運休しちゃってるので、やむをえずJRを利用する事にしました。それにしても、地図を見ると、神宮から駅までは近そうに見えるし、実際はそんなに遠くないのだけれど、道が…すごい下り坂! こりゃあ、膝に来るよねえ…。
 ちなみに鹿島神宮とその周辺では塚原卜伝(つかはらぼくでん)推しでした。郷土の偉人…って事らしいです。いわゆる剣豪なんですが、生涯1度も負けた事がない達人なんだそうです。そりゃあすごいね。私はNHKのドラマでしか知りません。神宮から駅までの途中の公園に塚原卜伝の銅像があったので、そこでちょっとだけ休憩をしました。それにしても、ほんと急坂だよね。道が途中から階段になってるくらいなんだもの…。
 さて、鹿島神宮駅に到着です。基本的に電車は1~2時間に1本という、ローカルな時刻表で運用されております。ちなみに鹿島神宮駅から、佐原方面にはSuicaが使えますが、反対側の水戸方面へはSuicaが使えないそうです。路線が第三セクターになるんだろうね。地方じゃあ、よくある話です。
 駅のホームに着いたら、道に迷っている外人さんに話しかけられました。東南アジア系の外人さんで、日本語が不自由な上に、英語はもっと不自由なお兄さんでした。私以前にも周囲の人たちにあれこれ話しかけていたようだけれど、まあ、田舎の人って外人苦手だよね。みんな遠巻きにしていました。
 義を見てせざるは勇無きなり…って言うじゃない。仕方が無いから、お兄さんの面倒みました。せめて英語が通じれば妻に任せちゃったけれど、英語も通じないんじゃ仕方ないよね。実に基礎レベルの日本語と英語と手振り身振りを使って、お兄さんが行きたい場所を聞き出して、そこまでの道案内をする事にしました。どうも、我々と同じ電車に乗って行き、我々の下車駅である佐原駅で乗り換えをすれば良いみたいので、ひとまず佐原駅まで一緒に行きました。
 我々が乗っていた路線は鹿島線だったのだけれど、彼はそれが何番線なのか、とても知りたがっていました。路線や駅に固有名を付けるのは日本独特のやりかたで、諸外国では鉄道の路線にせよ駅にせよ、番号で呼ぶ国って多いんだよね。日本だと、道路がそんな感じじゃない(東海道とは呼ばずに国道1号線って呼ぶように…ね)。彼はきっと、鉄道の路線を番号で呼ぶ国から来たんだと思う。日本もオリンピックに向けて、都会の路線や駅には番号が付いたけれど(例えば、東海道線はJTだし、江ノ島のある藤沢駅ならJT08だよね)さすがに地方の路線や駅には番号が付いてなくて、それがためとは言えないけれど、彼は困っていたのかもしれません。おもてなし…とか言いながら、日本の文化って、外人とか旅行者とかの余所者には手厳しい面があるからね。
 とにかく、彼を佐原駅まで連れて行って、乗り換えホームまで一緒に行って、次の電車と降りる駅を教えて見送りました。まあ、私だって色々な人に助けてもらっているわけだし…情けは人の為ならず…だものね。
 さあ、佐原に着きました。目指すは、郷土の偉人、伊能忠敬だ! 精密な日本地図を作った、ホンマものの偉人、伊能忠敬だ! 彼の偉業を称える博物館を目指しました。
 伊能忠敬博物館は、佐原の小江戸と呼ばれる地域にありました。ここは昔ながらの町並みを保存している地域なのです。江戸時代の佐原は、一大商業都市だったそうです。町中を流れる小野川から利根川を経由して、直接江戸まで行けちゃったわけで、当時は水運が物流の中心だったわけですから、江戸との交易が盛んだったわけで、今の感覚で考えちゃいけません。江戸時代の佐原はすごい大都会だったわけです。
 伊能忠敬は、そんな佐原の商家の出身で、すごく優秀なビジネスマンだったわけです。彼の代で家の身上を3倍にしたそうだから、やり手経営者だったわけです。
 そんな彼が50歳で隠居して(うらやましい…)江戸に出て、暦学を学び極め、幕府から測量の許可を取り付けて(沖縄と樺太を除く)日本全国を測量する責任者となって、やがて『大日本沿海輿地全図』と言う、日本初の精密な日本地図を作成する事になるわけで、江戸時代を代表する日本のインテリの一人なわけで、誰もこの人の偉業にはケチをつけられないわけで…そんな彼の業績を偲ぶために、今回、佐原にやってきたと言っても過言ではない私でした。
 博物館では、そんな彼の爆発的な学識に圧倒され、成された偉業に触れ、驚くばかりでした。本当の本当に優秀な人だったんだな。佐原の偉人ではあるけれど、日本を代表する偉人でもあるわけだ。
 そんな彼を称える博物館の直ぐ側に、伊能家の屋敷が残っているので、そちらも見物。金持ちっぷりがよく分かりました。家の裏手には、専用の水路まであって、こりゃあ凄いよなあ…。やっぱり、勉強するには裕福でなければならないのは、今も昔も一緒。いくら優秀でも金がなければ勉強し続けられないものね。いやはやなんとも、先立つものは、いつの時代もお金です。経済力です。ため息しか出ません。

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