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日本の歌劇団の上演を見て思うこと その1

 いよいよ、新国立劇場の巣ごもりシアターは最終週に入りました。今までたくさんのオペラを無料で見せていただき感謝しております。ほんと、ありがとうございました。
 さて、先日は、新国立劇場の巣ごもりシアターの感想を書いた私ですが、別に新国立劇場しか日本の歌劇団の上演を見たことが無いわけでもなく、過去には、二期会や藤原歌劇団、その他大小色々な歌劇団の公演を見せていただきました。それらを見てきての感想を書きます。
 まず、歌手の歌のレベルは、一部の市民オペラを除けば、合格点かそれ以上の出来です。今の日本人オペラ歌手って、ずば抜けた特別な方はいません(ごめんなさい)が、実に上手な方が揃っているというのが、私の感想です。平均点が高い…って感じでしょうか。
 で、歌のレベルはなかなか良いのですが、演技の方は…というと、一般的な俳優レベルに到達していない方が多いかな? つまり、日本のオペラ歌手はあくまでも歌手であって、俳優とは言えないレベルだなってのが、私の感想です。海外のオペラ歌手の方々は、有名な人でも、それほどでない人であっても、演技力がある人が多いですからね。とは言え、日本の歌手の演技力が足りないとは言え、歌の邪魔になるほどの下手っぴはいないと思います。
 日本のオペラ歌手の今後の目標は、歌はさておき、演技力を俳優レベルにするって事でしょうか? そこまで行って、本当の意味での“世界に通じるオペラ歌手”ってモンだろうと思います。そういう意味では、今後が楽しみです。
 というわけで、個々の日本のオペラ歌手のレベルには、歌至上主義の私にとっては、まあまあ満足の行くレベルだと思っています。いや、ほんと、歌手の皆さんの歌の巧さに関しては、実に脱帽モノだと思っています。
 ただ、それはソロ歌手の話であって、合唱となると、ちょっと話は変わるかな…? って思ってます。
 全部の公演ではありません。いや、それなりの数の公演で、私は合唱に不足を感じません…が、その一方で、少なからぬ数の公演で、合唱に不足を感じるのも事実なのです。
 この場合、市民オペラは数に入れません。市民オペラは、ソロ歌手はプロの方が演じていることが多いですが、合唱はまずアマチュアの方々が担当している事もあり、そんなアマチュアの合唱に関して、アレコレ言うのは私の本意ではありません。
 プロの方々が合唱を担当しているような公演であっても、合唱に不足…というよりも、合唱が全然足りていない公演にしばしば出会います。足りていないというのは、合唱全体の人数が少なくて、声の塊を感じる事ができない“しょぼい合唱”のケースと、各パートの人数のバランスが悪くて、聞いていて、あまり気持ちよくないケースの2ケースあるんです。
 最初の“しょぼい合唱”と言うのは、合唱の人数があまりに少ない場合です。合唱というよりも重唱のように聞こえ、決して合唱の持つ「集団のちから」を感じる事ができずに、しょぼく感じてしまうのです。次の“バランスが悪い”は、文字通り声のバランスが悪くて、だいたいの場合、合唱なのに女声ばかりで男声が少なかったり弱かったりして、ハーモニーのバランスが悪い合唱だったりするんです。
 おそらくこれは制作費の問題なんだろうと思います。経費さえ許せば、もっと合唱に人数が割けるのに、合唱をこれ以上増やすと収益的にまずい…って事で、合唱の人数が抑えられているのだろうと思います。で、こんな事になってしまうのです。
 というわけで、ソロはともかく、オペラの合唱に関しては、残念だと感じる事も多々ある私だったりするんです。
蛇足 日本の歌手に決定的に不足しているのは、ダンス能力だと思います。そもそもオペラでは、歌と演技は歌手が、舞踏はバレエダンサーが担当するのが伝統的な取り決めだと思いますが、昨今の海外オペラ団では(演出の必要もあるのでしょうが)歌手が踊る場面があります。おそらく、今後は海外でのオペラ歌手には、歌と演技の他に、舞踏も求められるようになるのではないでしょうか? 日本の歌手の場合、踊ると歌の鑑賞に支障がほど苦手な方が大勢いらっしゃるように思われます。今は演技力の向上がまず求められていますが、ダンス能力も磨いていかないと、海外のレベルには追いつけないと思います。

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