世の中には“言い換え言葉”というものがあります。そもそもは、元の言葉に差別的な意味があったりするので、別の差別的な意味合いの薄い言葉に取り替えていきましょう…ってのが、最初だったと思います。
例えば「めくら」とか「つんぼ」。これらの言葉には差別的な意味合いがあると考える人たちがいます。なので、これらの言葉を「目の不自由な方」とか「耳の不自由な方」と言い換えるようになって、だいぶたちます。若い世代の人たちの中には「めくら」とか「つんぼ」という言葉を知らない人たちもいるかもしれませんね。
しかし、私の個人的な意見ですが、これらの言い換え言葉って、好きになれないんだよね。
まあ、差別的な意味合いのある言葉を使わなくなったからと言って、人間から差別の心が無くなるわけじゃないし、別の言葉に変えることで、指し示す意味が微妙に違ってしまったりとかするでしょ? 例えば「めくら」ってのは、そもそも全盲の事を指しているわけで、近眼や弱視の人は「めくら」じゃ無いよね。でも、今じゃそれらも全部合わせて「目の不自由な方」なんだよね。それってどうなの?って思うわけです。もっとも、だからと言って「めくら」を使い続けろとは言いません。どうせ言い換えるなら、もっと適切な言葉にしろよって言いたいだけなのです。
そんな感じで、言い換え言葉があまり好きではない私ですが、最近、よく見聞きする言い換え言葉の中に、やはり好きになれない言葉がいくつかあります。今回は、それらの言葉について書いてみましょう。
1)地域猫
最初に聞いた時は「なんじゃそれ?」と思いました。いわゆる“野良猫”の事を今では「地域猫」と呼ぶそうです…と書くと「野良猫と地域猫は違います」とのたまう人が出てきそうですが、飼い主がいるわけでもなく、野外で自由気ままに生きていて、人間とは適度な距離にある猫…と言えば、やっぱりそれは“野良猫”でしょ?
「地域猫は、地域で面倒を見ている猫の事で、野良猫とは違います」 昔から、野良猫に常習的に餌をやるなどの面倒を見る人って、いるよね。で、近所迷惑になっていたりするけれど、あれは地域の人が面倒見ているけれど、やっぱり地域猫なの? それとも野良猫なの?
「地域猫は、不妊手術をしています!」 不妊手術済みの野良猫を地域猫と呼ぶのなら、まあそれでもいいよ。でもね、不妊手術をしていようといなかろうと、やっぱり野良猫じゃん。なら、野良猫でいいじゃん。
愛猫家ならともかく、一般市民レベルでは、あなたたちがおっしゃる地域猫と野良猫の差なんて分かんないよ。耳が切ってある? そんな猫の傷なんてイチイチ気にしないよ。分からないほどの小さな差なら、別に区別する必要なんて無くない?
2)AGA
ハゲです。禿頭です。薄毛です。
まあ、ハゲとか禿頭とか薄毛とかの言葉に差別的な意味があると感じる人もいるだろうから、それを言い換えているんだ…という言葉を全面否定するだけのモノを持ち合わせていない私です。実際、「このハゲ!」とか言われると、凹むもんなあ。ハゲって言葉、罵倒語なんだよね。
でも、AGAは、分かりづらい言葉です。私は、ハゲはハゲなんだから、ハゲでいいじゃんって思ってます。まあ、罵倒語として使われると辛いんだけれど、それはどんな言葉だって、使い方によっては罵倒語になりうるわけだから、ハゲにだけナーバスになっても仕方ないと思います。
ハゲなんだもん、ハゲでいいじゃん。AGAは分かりづらいよ。
3)自死
自殺の事です。自殺とは「自らを殺す行い」であるので“自殺”という言葉が適切だと思います。自死とは「自然に死ぬこと」であるので、言葉的には“寿命が尽きて死ぬ”イメージであって、老衰死とかがそれに当たるかなって思います。なので“自殺”の言い換え言葉として“自死”は、かなり違うなあって思うわけです。
自殺はいかんよ。他人を殺してもいけないけれど、自分を殺すのもいけない事です。自分であれ他人であれ、その人の未来を奪う権利なんて、誰にもないわけで、もちろん、自分にだって無いわけだ。
自殺は他殺の対義語です。自死の対義語は他死になるけれど、他死って何? そう考えると、やっぱり“自死”なんて日本語って、変だよな。
4)終戦
1945年に、日本がアメリカに負けた事を“終戦”と呼びます。
いやいや、終戦じゃなくて敗戦でしょ? って私は言いたいのです。終戦という言葉は、実に他人行儀な言葉です。まるで、自分たちとは無関係な戦争が、いつのまに知らないうちに終わってしまった…みたいな感じじゃん。
そんな事って、ありえないよね。
当時の日本人たちが、それこそ総力戦で命がけで戦って、戦った結果、負けたんだよ。それが他人事であっていいわけないじゃん。
負けたんだよ。だから敗戦というべきでしょ。それを終戦と言い換えることは、負けを認めたくないわけでしょ。でも負けは負け。それを受け入れた上で、胸を張って生きればいいだけの話で、そこをいい加減にしているから、隣国からあれやこれや言われるんだと思うわけよ。
負けは負けなんだよ。「この前は負けたけど、今度やったら負けないぜ、次はリベンジだぜ!」でいいじゃん。別に実際にリベンジしなくたっていいんだよ。いや、問題解決を暴力で解決するのは21世紀的ではないでしょう。ただ、リベンジしてやるぜという気持ちは大切だと思う。それが無いから、ナメられるんだよ。
まずは負けを認めよう。その上で、負けを克服していこう。そうでしょ? そのためにも「敗戦」という言葉を堂々と使おう。「終戦」とか言って、負けを認めないのは止めよう。
5)援助交際
不特定多数の男性に春を売って金をもらう…んだから“売春”だよね。それを“援助交際”と言い換える事に、何の得があるんだか? こういう言葉を言い換えるなんて、むしろダメだよ。売春は売春、そこははっきりしましょう。
ちなみに、パパ活とか愛人契約とかプロ彼女とかは、金銭の授受を伴うものの、特定の男性との関係なので、売春防止法的には、これは売春とは呼ばないそうな。えー、それはなんか可怪しいよ。売春防止法という法律には、あれこれ可怪しい部分がたくさんあるわけだし、この法律が令和の現代も有効というのが、本当はダメなのかもしれません。まあ、廃止も含めて、法律をきちんと検討しなおす時期に来ているんだと思います。
カジノは合法で、売春は非合法ってのは、私には理解できないです。カジノと売春ってセットじゃん。カジノを合法化するなら、合わせて売春も合法にしないと、それこそ片手落ちだよね。
カジノが非合法なら売春も非合法でいいけれど、カジノを合法化するなら売春も合法化しましょう(マジです)。闇社会の人たちに売春業をやらせるからダメなんであって、いっそ、公営施設で売春すればいいのよ。そこで働く売春婦たちは準公務員扱いをして、きちんと身分を保証してあげる。出来ない話じゃないし、いい女が安価で抱けるなら、少なくとも性犯罪は激減するぜ!
こんな感じで考えているので、納得できない言い換え言葉ってのがあるわけなのです。
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コメント
こんばんは。
> 4)終戦
こんなタイトルがあってビックリです。結論は違いますが。
> 無条件降伏は「終戦」か「敗戦」か、それとも「解放」か?
http://agora-web.jp/archives/1480978.html
こちらは当時生まれていないので文献から探すしかありませんが、谷崎潤一郎と永井荷風は8月14日に疎開先ですき焼き食べたというのが記憶にあってググったら次です。
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=48266
谷崎の細雪は大好きです。
「軍部から「内容が戦時にそぐわない」として(1943年)6月号の掲載」を止められた谷崎にとっては8/15は解放記念日です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E9%9B%AA
三木清は8/15で解放されず9/26疥癬で亡くなりました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E6%B8%85
こちらのおふくろからは勝った負けたではなく、照明がついたという話です。
世代の違いも大きいですがやっぱり解放ですね。
失礼しました。
tetsuさん
うーん、“解放”はやっばりダメだよ。“終戦”と同じで、戦争に負けた事から目をそらしています。負けを認めた上での“解放”なら良いと思うけれど、負けた事から目をそらして(あるいは、負けたことを認めないまま)での解放なら、全然ダメだと思う。
誰が何と言おうと、国際社会的には、日本は負けたわけで、それを受け入れていないから、あれこれややこしい事が起こったり起こらなかったりしているわけで、そこが日本人の精神性の脆弱さなのかもしれないと私は思います。
昔は、死病になった人(例えばガン)に、絶対に病名を告げなかったのと同じ、精神の弱さだと思うのです。
その弱さにあれこれ付け込まれるわけで、昨今の日本ではガン患者にきちんと告知する風潮になってきたように、負けは負けできちんと受け入れる事が必要で、そろそろ負けた事実を踏まえられるような日本になってきたんだと、私は思いたいのです。だから、8月15日は敗戦記念日でいいじゃんって思ってます。
AGAとはハゲ全般ではなく、成人男性がなる「男性型脱毛症」のことですから、微妙に違うんですね。
私は女子小学生時代に円形脱毛症になったことがありますが、少なくともAGAではなりません。
他の例としては、「尋常性ざ瘡」は十代で「ニキビ」、成人すれば「吹き出物」と呼ばれますが、そんなのは年齢による差別によるもので、医学的には同じなのだから「尋常性ざ瘡」って言葉が普及すれば良いのにと思います。
私も「地域猫」は自分で家で飼うこともできない人が何を無責任にと思います。
「従軍慰安婦」も「売春婦」と同じですが、することは同じでも、戦争という私たちの想像を絶するシチュエーションの環境であるのだ、という意味では言い換えにならないかもしれません。
あとは「障がい者」とか「子ども」とか・・・こっちは変換が大変です。
ドロシーさん
微妙に違う言葉を持ってきて言い換えるのが、昨今の風潮なのかもしれません。ハゲだって、今はAGAですが、ちょっと前までは“薄毛”でしたからね。「薄毛とハゲは違うだろ!」とよくツッコミを入れていたものです(笑)。
ニキビの件は、たしかに年齢差別だと、私も思いますが「尋常性ざ瘡」はちょっと言いにくいかな? もっと言いやすい言い方があればいいのになあと思います。
「従軍慰安婦」は、千田夏光によって日本を蔑むために1974年に作られた言葉です。戦争中の用語ではないんですね。悪意の籠もった言葉です。
ちなみに、戦争中は「従軍慰安婦」ではなく「慰安婦」と呼ばれていました。当時は売春は合法で、慰安婦(売春婦)は立派に労働者扱いされていた時代で、彼女らには相応の給金が支払われていましたし、辞める辞めないは本人の自由に任されていました。なので、蔑むべき存在ではありませんでした。とは言え、下層階級の方々がつく底辺の仕事であった事には間違いがありません。
現在のパチンコ屋がほぼ朝鮮系の人が経営しているのと同様に、当時の売春宿の亭主(女衒と呼ばれていました)は、ほぼ朝鮮系の人でした。もちろん、軍とつながりのあった慰安所(売春宿)も、朝鮮系の方の経営がほとんどでした。そこで働いていた女性は、朝鮮系の女性もいたそうですが、圧倒的多数は日本の女性だったそうです。ですから、今更従軍慰安婦がどうのこうのと言っているのを聞くと、女たちに売春させて儲けていたのは誰ですかと、聞きたくなる私です。
そうそう、売春が非合法とされたのは1954年の売春防止法施行以降です。現在の価値観で、戦前のことを語るのは、大きな間違いであるとも思っています。
障害者は…難しいですね。障害者と言われるのは嫌だという人がいるので「障がい者」と言い換える自治体もありますが、一方で「障がい者」と呼ばれるのは嫌だ、きちんと「障害者」と言ってほしいという人もいます。
障害者という言葉は「社会に害を与える者」というイメージがあるのでイヤだという人がいる一方で、「社会に害されている者」というイメージで、むしろ積極的に使っていきたいと考える人もいるわけです。私が考えるに、いくら言葉の表記を変えても、人々の心が変わらなければ、何も変わらないのに…と思っております。