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労働時間を短くしたい!

 先ず最初に言っておく事として、私は労働が嫌いです。働くのが嫌いです。例え、生活のためであっても、自由を拘束され、時間に縛られて生きていくのは“まっぴらごめんだ!”と思っています。今風に言えば「働いたら負けだよね」と、割と真剣に思っている人です。理想の生き方は“ニートの引きこもり”とか“髪結いの亭主”とか“専業主婦(ただし、家事と子育てと夫の世話はしない:笑)”とかだったりします。

 まあ『労働の喜び』というヤツを理解しないわけではないけれど、それよりも『怠惰でルーズで非生産的で趣味生活満喫な日常』の方を好むタイプの人間です。

 おぉ、つまり私の理想の生き方は、高等遊民とか遊び人とか怠け者とかダメ人間とかなんだな。書いていて、驚いた!

 そんな私ですが、理想は理想として、現実は、地道に真面目にコツコツと働いています。定時は8時~16時ですが、7時をちょっとまわったあたりには、すでに出勤して仕事してますし、退勤は早くて18時で、 油断していると、あっという間に19時とか20時とかになっちゃいます。月~金の仕事のはずですが、土日も出勤する事多いです。

 ほんと、大変なんですから(涙)。体力が有り余っていた若い時はそれでもなんとかなりましたが、還暦が見えてきた今では、体力が続かなくて、ほんとつらいです(涙)。

 「でも、それだけ働けば残業代もたっぷりついていいですね」

 実は残業代はゼロなんですよ、ビックリでしょ(薄笑)。でも時間調整手当が出ていて、それが毎日2時間ずつ残業しているという計算で計上されている(らしい)ので、定時としては、月~金の8~16時なんだけれど、それ以外の10時間/週分の賃金は支払われている事になります。つまり、実質上の定時は、月~金の8~18時って事になるわけだけれど、それでもやっぱり、それ以外の労働は、事実上のサービス残業(サービス労働)になっております。

 一応、システム的には時間外の労働については、残業代の支払いの代わりに、代休を取得する事になっています。つまり『余計に働いた分だけ、遅刻したり早退したり欠勤したりしていいよ』って事であって『週50時間労働分の賃金を支払っているんだから、各自の才覚で、労働時間をその範囲内に収めてくださいね』…って事になっているけれど、なかなか週50時間労働を守るのは難しいです。それでもまあ、年をとって偉くなってきて、あれこれわがままも言えるようになり、若い人たちからいたわってもらえるようになったので、最近の私は、週55~70時間程度の労働で収まっていると思う。まあ、なるべくサービス残業をしないで済むようにしています。それでも、サービス残業はゼロにならないのは…つらいねえ。

 もっとも若い時は週80時間以上の勤務もザラだったから、これでも結構才覚を働かせて頑張っていると思うし、私なんかよりもハードな労働環境で働いている人もいるんだろうから、あんまり愚痴をこぼすのも、カッコイイもんじゃあない。。

 で、なんでそんなに長時間働いているのかというと…そういう業界だから(涙)。同業他社の人に聞いても、まあ、似たような感じだから、この業界は日本中、どこでもそんな感じみたいです…ってか、ウチなんかは、まだマシな方かもしれないなあという事例もたくさん聞いております。びっくりポンやね。

 まあ、残業代の有無はともかくとし、押し並べて、日本の労働者の一人あたりの労働時間って、やたらと長いと思います。特に、知的産業に従事する人ってか、ホワイトカラーって言われる人たちの労働時間って、無闇矢鱈に長いよね。定時をきっちり守って働く事の多い、工場勤務者とか地方公務員とかの人が、うらやましく感じる時もあります。

 まあ、他人をうらやんでも仕方ないし、自分にはこの生き方しか出来ないんだから、仕方ない。まあ、自分を変えて、生き方を変えれば、色々と変わっていくんだろうけれど、そんな勇気も度胸も余力もないのが、私の現実。

 高等遊民に憧れつつも、サービス残業に明け暮れる日々を過ごしているのが、私なんだな。ほんと、理想と現実が見事に乖離しているわぁ。

 と言うわけで、日々の労働時間の長さに辟易している私ですが、更につらいのが、年金支給開始年齢が遅くなった事。

 たしか…私が子どもの頃は、会社員の定年って55歳だったと思います。それが、私が働き始めた頃、年金の支給開始が60歳になったので、定年も延長して60歳になったと言われ「5年も余計に働かないといけないなんて、うんざりだな…」と思ったものです、それが今や年金支給開始は65歳からなんですよ。65歳まで働かないといけないんですよ。知ってましたかぁ? 昔の人よりも10年も長く働かないといけないんです、10年と言えば、3650日ですよぉ、高等遊民志望な私にとっては、ほんと、つらいです。

 おまけに(私の場合)定年は60歳のままだから、定年後は年金支給開始までの5年間、老体に鞭打って、どこぞでバイトで働いて食いつないでいかないといけないわけです。老人なのに、安い時給でこきつかわれるなんて…そんな生活、耐えられるかしら?

 働くの好きな人だと、大した問題ではないのかもしれないけれど、私のような労働嫌いな人にとっては、こういう状況は、ストレスが溜まっていく話なんですね。

 ああ、なんとかして、生涯労働時間を短くしたいものです。もちろん、収入の無いのはゴメンだよ(笑)。

 収入さえあれば、明日にでも隠居したい私です。

蛇足 本当か嘘かは知らないけれど、アメリカとかヨーロッパなどの白人社会では、労働は定時で終了で、バカンスもたっぷりありますって聞くけど、それって本当なのかな? だとしたら、すっご~~~~く、うらやましい!

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コメント

  1. 在日日本人 より:

    自分は正社員経験×3、非正規×1、会社経営×2、バイト多数という経歴です。その内、正社員の2回はいわゆるブラック企業でした。会社経営は一度失敗しています。労働時間に関していえば、ブラック企業のそれはひどいものです。

    ブラック企業Aの場合、出社は朝7時、終わるのは早ければ夜9時、遅いと夜中の2時までやります。週の半分は深夜零時過ぎまでやります。日曜休みですが、時々日直当番があります。病欠すると、仮病でないかどうか、上司が1~2度社員寮にチェックに来ます。微熱の場合は強制的に出社させられます。

    ブラック企業Bの場合、日曜の夜に仕事依頼の電話があり、夜11時に出社します。そのまま水曜の早朝まで仕事です。水曜の朝に一旦家に帰りますが、その夜また依頼の電話が来るので夜11時に出社です。仕事が終わるのは土曜日の朝です。よって、自分の家で寝るのは土曜日の夜だけです。イベントなどで出張の場合、一ヶ月缶詰にされたこともあります。一ヶ月のうち、自由になった時間(自由に外出できる時間)が二回ありました。それぞれ牛丼を食いにいったり、ゲームセンターに遊びにいったりしました。奴隷よりはマシという状況です。

    このブラック企業は二件とも上場企業でした。会社の規模と内容は必ずしも比例するわけではありません。給料も格安でした。これだけの長時間労働でも、手取り16万だったことがあります。一ヶ月缶詰だとさすがにその二倍ありましたが。

    仕事で重要なのは、労働時間よりもその内容です。いやな仕事は、楽であっても地獄です。時間の経つのが遅いです。
    今は会社経営の身なので、仕事と長時間関わっていますが、自分の思うとおりにできるのでたいして負担になりません。正直、働いていて楽しいです。自分の意思でサボることも自由です。

    私の理想の仕事環境とは、個人事業、あるいは小規模の会社経営で、少数精鋭の優秀なスタッフに囲まれていることです。ただし経営がうまくいっているときは最高ですが、ダメになると悲惨です。自殺寸前までいきます。良くも悪くも自己責任ってことですね。

    9時から5時の普通のサラリーマンをやったこともありますが、これはこれで楽しかったです。仕事も知的なゲームのようで面白かったです。サラリーマンをやっていると、週末が来るのが楽しみでした。今は仕事とプライベートの区別が曖昧になっています。

  2. operazanokaijinnokaijin より:

    お久しぶりに、書き込み、させていただきます。
    Operazanokaijinnokaijin(オペラ座の怪人の怪人)です。

    高等遊民、いい言葉ですね。漱石小説の主人公っぽいですね。
    びっくりポンもいいですね。NHK朝ドラ「あさが来た」ですね。

    仕事というものに対する考え方=仕事観は、人によって異なり、
    同一人物の中においても、若い頃と老いてからでは、仕事観は異なり、
    成功体験、失敗体験、などなどから、仕事観は変化することでしょう。

    私、若い頃、ニューヨークでオペラ座の怪人に出会った頃、
    ずっと、ずっと、ニューヨークで暮らしたい、仕事したいと思ったり、

    会社内での会議の時、司会役・議長役を積極的にやったり、
    国内外出張に行きたいな、行ったら行ったで楽しいな、と思ったり、
    という時期もありました。

    ま、色々あって、今は、朝から晩まで、パソコン相手に、
    ダラダラと書類作成に徹しております。
    毎日4:30PMに、同僚2人+私=3人で、進捗確認の打ち合わせ、
    それ以外は会議に出ることも(そもそも、呼ばれることも)なく、
    外出したり、出張したりすることもなく。

    たまーに、忘年会・歓送迎会があったとして、
    たまーに、出席するとして(ほとんど欠席しますが)、
    たまーに、スピーチのご指名をいただいても、絶対に応じず。

    休日出勤は全く苦にならないのですが、残業はお断り。
    残業をすると、帰りが遅くなり、家で、好きな勉強をする時間がなくなり、
    大変にストレスを感じます。
    私、毎日、会計学・経済学・英語の3科目の教材、計12冊を、
    少しずつ読むことにしておりますので。

    さて、今日も、これから、NHKラジオのクラシック音楽娯楽番組を聞いた後、
    休日出勤です。
    今日の勉強は、午前中に済ませました。

    ああ、全くつまらない身辺雑記を書いてしまったことを、
    すとん様、お許しください。

    おしまい

  3. すとん より:

    在日日本人さん、いらっしゃいませ。

     会社も、ほんと、色々なんですね。

     身内に会社経営者がいますが、その仕事ぶりを見ていると、私は経営者じゃなくて良かったと思ってます。会社をやっていると、仕事や会社の事はもちろんですが、業界での付き合いとか、社員の生活とかも考えなきゃいけないし、何より多方面に渡って責任が生じて、それらを背負わないといけないわけで、好きな方ならともかく、私のような人間には、とても務まりそうにないです。

     他人に使われているのが楽だなあと感じる私は、奴隷気質なのかもしれない…と思いつつも、結構文句も多いので、奴隷としてはダメだなあと、わけわからない事を感じました。

     今の職場は、色々と問題もありますが、職場の人間関係が良いで、好きです(笑)。だから、続いているんだと思います。

  4. すとん より:

    operazanokaijinnokaijinさん

     私は、残業も休日出勤も苦にするタイプです。ほんと、地方公務員になっておけば良かったと、今更悩んでいたりします。

    >私、毎日、会計学・経済学・英語の3科目の教材、計12冊を、少しずつ読むことにしておりますので。

     いいですね、そういう生活、憧れます。私も、以前は寝しなに色々な勉強系の本を読んでいたのですが、今は布団に入ると、布団に瞬殺されていますので、めっきり読書量が減ってしまいました。ダメだな。

     「これは読んでおきたい」と思った本はなるべく購入するようにしていますが、購入後、手付かずのままのものも多くて、ほぼ“積読”状態で、その数はすでに100を越えているような気がしています(怖くて、数えられない)。ほんと、ダメな私です。

  5. おぷー より:

    白人社会、みんなが定時、じゃないですよ。
    ヒラと社長クラスが定時に帰れるんです。
    ヒラには、デイリーの仕事が殆どなので、5時に退社して、
    明日続ければ良い、程度の仕事しか与えられてないですね。
    マネージャー・ダイレクターは、5時に出るのは難しいでしょう。
    中堅で会社を支えているのは彼らですから、それなりの給料を
    貰ってますし、責任もヒラより大分重くなります。
    でも遅くまで働いても午後7時位までですね。

  6. すとん より:

    おぷーさん

     やっぱり白人社会とは言え、働いている人は働いているんですね。早く帰れるは…噂だったわけか。まあ、そうだよね。

    >ヒラと社長クラスが定時に帰れるんです。

     まあ、社長さんたちの生活はよく分かりませんが、日本だと、ヒラは、業種によっても違いますが、たっぷり働きますね。一番長時間働いているかも…。一番長時間働いて、一番給料が安い…そんなポジションが日本での平社員のポジションかもしれません。私もヒラ…と言うか、新人時代は夜10時退社が普通だったし、今の若い子たちも似たような感じだもんなあ。

  7. tetsu より:

    こんばんは。

    > 理想の生き方は“ニートの引きこもり”とか“髪結いの亭主”とか“専業主婦(ただし、家事と子育てと夫の世話はしない:笑)”とか

    こちらも夢はヒッキー(引きこもり)です。映画の“髪結いの亭主”は先日BSのどこかで放送されていたので、初めて見ました。こういう生活は理想です。漱石の「高等遊民」も大好きです。
    今は月から金まで10:00-17:00の仕事です。東京周辺の朝のラッシュの電車はもう乗れません。スニーカーに慣れてしまい、革靴も履けません。大きな事故とか病気とかなければこのまま65か70まで(あと何年??)プラプラと仕事を続けてしまいそうです。
    「下部構造は上部構造を規定する」(by マルクス)という呪縛は何となくあって、カスミ食うような生活はなかなかできません。
    老後の楽しみはアマオケの練習だけは何とか残したいです。

  8. すとん より:

    tetsuさん

     まあ、生活がかかっていると、なかなか“ニートの引きこもり”には成れないものです(悲)。結局、色々な楽しみは“老後”にとっておくしかないわけですが…問題は『果たして私に老後はあるのか?』です

     『長生きできるのか?』という心配もあるし、仮にそこそこ長生きできても『健康でいるのか?』という心配もあります。健康じゃないと遊べないものね。あと『お金はあるのか?』という心配もあります。お金がないと遊べないものね。

     なんだかんだ考えると“若いうちに引退して年金たんまり”がいいのですが、そんな生活はやってこないのだろうなあ。せめて、不労所得がたんまりあればいいのに“手からクチ”の生活をしていますので、そんなものはありません。ああ、残念。

  9. tetsu より:

    >『果たして私に老後はあるのか?』

    父は80過ぎまで仕事をしていました。電気関係の資格を持っていたので仕事には困りませんでした。その後引退して仕事を止めて自動車免許も返納してしまうと、趣味もなく、することは何もなくなってしまいました。今は庭の草取りもできず、飼い猫(この猫もかなりの年)の家からの出し入れとかどこにいるか探すくらいしか関心がもてません。一人では電車にも乗れません。でも、TVのクイズ番組は母より正答が多いとかで、認知症の診断には絶対いこうとしません。
    かなり怪しいのですが、こちらも回りに相談しても「奥さんとか子供が誰かわからないの?」とか言われてしまい、そこまではひどくなくて、無理やり連れていくほどのこともなくて結局そのままです。
    ここには書けないことも多いのですが、今は本人の性格、くせとか執着が露骨にみえてしまい、怖いです。

  10. すとん より:

    tetsuさん

     年を取ると子どもに返る…と言います。その人が大人になって、理性で封印していた色々な癖や習性が出てくると言います。これは認知症とは関係なく、単純に老化の問題です。

     優しい性根の人は、年を取ると穏やかになりますが、元々イケズな人は、いじわるになっていくと言います。それを考えると…私などは、貧しい家庭に生まれ育ち、品性お下劣で、基本の性格はかなり悪いです。それを理性と知性で社会にむりやり適応させているタイプですから、老後の私は、とっても嫌なヤツになりそうで怖いです。

     妻に嫌われないようにしないとなあ…老後は老妻が生命線になるわけだから。もしも妻に先立たれたら、たぶん私は生きていられない…ような気がします。

  11. tetsu より:

    こんばんは。

    > もしも妻に先立たれたら

    かみさんはこちらよりも長生きするつもりで元気で、骨は拾ってもらうつもりです。
    両親のほうは、父、母、飼い猫がいて順番を考えるのも怖いですが、こちらからみて最善と最悪、という予測は簡単にできて、そのときがくれば老々介護をするつもりです。

    別件ですが、旧約聖書の次は大好きな個所です。口語訳はかったるいので文語訳です。
    http://jcl.ibibles.net/021Ecclesiastes.htm#021-3

    天が下の萬の事には期あり 萬の事務には時あり
    生るるに時あり死るに時あり 植るに時あり植たる者を抜に時あり
    (中略)
    働く者はその勞して爲ところよりして何の益を得んや
    (中略)
    神の爲したまふところは皆その時に適ひて美麗しかり


    怖い文ですが忘れられません。

  12. すとん より:

    tetsuさん

     文語訳聖書は格調高くていいのですが、何を言っているのかわかりづらいという欠点があります。tetsuさんが引用した箇所を、わかりやすさではナンバー・ワンの“リビング・バイブル”で再度引用してみました。

    ——

    何事にも時があります。
    生まれる時、死ぬ時、植える時、収穫の時、
      (中略)
    一生懸命に働いたところで、何の利益があるでしょう。 
      (中略)
    神様のなさることは一点の非の打ちどころもなく、何一つつけ加えたり、取り除いたりすることはできません。

    —–

     伝道の書の第三章からの抜粋ですね。人の無力さを感じます。

     私の好きな聖書の箇所は、ヤコブの手紙の第二章です。著作権の都合もあるので、口語訳から引用します(個人的には新改訳が好きなんですけれどね:笑)。

    —–

     わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。
     ある兄弟または姉妹が裸でいて、その日の食物にもこと欠いている場合、あなたがたのうち、だれかが、「安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい」と言うだけで、そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。
     信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。しかし、「ある人には信仰があり、またほかの人には行いがある」と言う者があろう。それなら、行いのないあなたの信仰なるものを見せてほしい。そうしたら、わたしの行いによって信仰を見せてあげよう。

    —-

     “口先ばかりで偉そうでも、カラダを動かさない人って、ダメだよね”って事です。

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