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誰か私に“憲法九条”を守らないといけない理由を教えて下さい

 「現行法なんだから守れ」は当然の事として、とりあえずの“思考ゲーム”です(笑)。

 まず最初に言っておくべきことは、私は平和大好き人間です。戦争は嫌いだし、無秩序とか混沌とか嫌いだし、テロなんて卑怯極まる野蛮な連中のする事だと思ってます。私自身も息子くんも、戦争には行きたくないし、もちろん、徴兵制は反対です(第一、兵隊さんをやる適性が我が家のDNAには無いと思う:笑)。

 今も後も、私たちの暮らす、この日本という国が、平和で安全で豊かな国である事を望んでいます。

 その上で思うのですが、日本国憲法って、すぐにでも改正しないといけないんじゃないかしら?

 理由ですか? だって、古いじゃん。憲法だって法なんだから、時代に合わせて改正していくのが当然でしょ。そうでないと、今の時代からどんどんズレていってしまい、国の発展と我々日本国民の生活の足かせになってしまいますよ。

 いわゆる戦後、アメリカは6回、イタリアは15回、カナダは18回、フランスは27回、ドイツに至っては58回も憲法を改正しています。なのに日本は0回です。これって、絶対にオカシイでしょ?

 現在の日本国憲法には不足している点や時代遅れになっている点などが多々あると思われます。例えば、現憲法には、移民に関する取り決めとか、電子情報に関する取り決め、福祉に関する取り決め、在外邦人に関する取り決めなど、現代社会において必要不可欠と思われる事が、まるっきり抜けています。これも憲法改正を怠ってきたためだと、私は思ってます。

 今日のような事態を招いたのは、正確に言えば“憲法改正を怠ってきた”のではなく“憲法改正を阻止されてきた”からだと思ってます。と言うのも、憲法改正の話が出る度に決まって「憲法を守れ」という声が上がり、憲法改正が阻止されてきたからです。

 で、その「憲法を守れ」と叫ぶ人たちの話を聞いてみると、決まって“憲法九条”を守れという話になってくるわけです。つまり「憲法九条を守るために、その他の部分も含めて、憲法を改正してはならない」という事になり、現在に至っている…というのが、私の認識です。

 つまり“憲法九条”が守るべき価値のあるモノであるかどうかが、憲法改正の判断の第一歩って事になるんだろうと思います。(もちろん、憲法九条はそのままで、他の部分の改正という手もあるのでしょうが、その話は、とりあえず横に置いておきます)。

 で、私も、自分なりに“憲法九条”の価値ってヤツを調べてみましたが、どうも声を大にして守らなければいけないほどのモノには思えないんですよね。いやむしろ、憲法九条こそ、憲法改正の際には、真っ先に手を付けなきゃいけない条文だとすら思ってます。

 だって、おかしいじゃん。憲法九条って。

 ちなみに、憲法九条の条文って、こんな感じです。

第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 とりあえず第1項(番号が付いていない方の条文の事ね)に関しては、色々と思う所はあるけれど、まあ、その精神に関しては、平和を希求する私としては、とりあえず良しとしておきます。ただ『永久にこれを放棄する』は、言い過ぎだと思います。せめて『(日本国民は、…)これを望まない』ぐらいにしておかないとマズイなあとは思ってます。だって、この世の中、一寸先は闇だし、一体何が起こるか分からないのに『永久に』とか『放棄する』とか、中二病のお子ちゃまですか!って話です。

 戦争は確かにマズいし、私も望まないけれど、武力による威嚇とか行使とかは必要に応じて出来るようにしておかないと、戦争にはならなかったけれど、日本人全員皆殺しになっちゃいました…とかになっちゃうよ? もう少し、現実への対応を考えないとね。とは言え、すぐに威嚇や武力行使になっちゃうのもマズいから『望まない』程度にして、なるべく外交を用いて穏便に事を済ませて欲しいと願ってます。

 と言うわけで、第1項は、まあ良いです。概ね賛成です。

 問題は第2項ね。ここには問題点が2つあります。一つは『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない』であり、もうひとつは『国の交戦権は、これを認めない』です。

 『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない』 まず日本語が変でしょ? この文章には主語がありません。第1項からの続きで考えるなら『日本国民は』が主語になるのかな? それに『保持する』って言葉も普段使わない言葉だしね…。これって“持っている”程度の意味でしょ? だとしたら『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない』ではなく『日本国民は、陸海空軍その他の戦力を持たない』となります。同様に『国の交戦権は、これを認めない』ではなく『日本国民は、国の交戦権を認めない』となります。

 とまあ、日本語の間違いを直したところで、内容が変なんだから、やっぱり改正する必要はあるよね。と言うのも、いくら憲法九条で『日本国民は、陸海空軍その他の戦力を持たない』と言っても、現に自衛隊は存在するからね。

 自衛隊って、誰がどう見たって、軍隊だよね、日本軍だよね。“自衛隊”と言い換えたって、軍隊は軍隊。誤魔化しようがない事実です。

 憲法はダメと言っているのに、自衛隊は存在する。じゃあ、なんで存在しているの?

 憲法では“戦力はダメ”と言っているんだから、自衛隊が“戦力じゃないのならOK”というふうに憲法解釈をして、自衛隊に“軍隊としては中途半端な戦力”しか持たせない事で「自衛隊は軍隊じゃありません、自衛隊です」って言い訳をして、その存続を認めているわけなんだけれど、そんな屁理屈は国内でしか通じません。日本人以外の目で見れば、自衛隊はやっぱり日本軍でしょ。

 自衛隊は立派な軍隊であるのに、国内向けの屁理屈のために、中途半端な戦力しか持たされず、その活動にも色々と制限をかけられているわけで、海外から見れば“奇妙な軍隊”でしかないわけだ。

 まあ、本来、法的には有ってはならないものがある事自体おかしいわけだし、中途半端な憲法解釈のために、きちんとした軍備を持てない自衛隊という日本軍もかわいそうだと思います。

 やっぱり、法と現状が食い違っているんだから、これは一致させないといけない、でしょ?

 おそらく“九条を守れ!”と主張している人は「だから自衛隊を解体廃止しなければいけない」って言うんだろうけれど、だったら災害救助は誰がやるの? 警察? 消防隊? 小規模災害なら、警察や消防隊でもいいけれど、大規模災害ならば、彼らでは力不足です。どこの国でも、大規模災害の時に活躍するのは、その国の軍隊です。現に日本でも、先の東日本大震災の時には、自衛隊の皆さんの大活躍で多くの人々が救われたわけです。

 もしも自衛隊が解体されてなくなってしまったら、この前の大震災で助かった命の大半が死んでしまい、災害後の生活だって、どうなっていたか分かったものじゃありません。“福島の人なんて地震や津波や原発被害で死んでしまえばいい”と言うのなら、自衛隊も不要だし解体しちゃえばいいんだろうけれど、私には到底そんな事は思えないし、いつ自分たちだって大規模災害に遭わないとは限らないわけだから、そんな時のためにも、自衛隊は、絶対必要です。

 それに、東日本大震災の災害救助はひとつの例であって、災害は国内だけで起こるわけじゃないです。今は世界各地で大規模災害が起こったら、それぞれの国が軍隊を派遣して災害救助支援に当たるのが当たり前の話になってきています。軍隊の在り方が、20世紀と21世紀じゃ違ってきているわけです。そこんとこも踏まえれば、いまさら自衛隊を解体しましょうってのは、現実的な話じゃないです。

 「だったら自衛隊は解体して、大規模災害救助隊を作ればいいじゃない?」

 これって、日本軍を自衛隊と呼んで誤魔化しているのと同じように、日本軍を大規模災害救助隊って呼び替えることにすぎないでしょ?

 「いや違う。戦力はいらないんだ。銃も戦車も無しで、純粋に災害救助を目的とする隊を作ればいいんだよ」

 大規模災害って、別に自然災害だけが相手じゃないんだよ。核ミサイルが降ってきたり、隣国の工作員が原発爆破を実行したり(そう言えば最近似たような事がありましたね)、隣国の海兵隊さんたちが攻め込んできたり、そういう大惨事の時こそ、大規模災害が発生するわけで、災害救助に戦力が不要なんて、それは“頭の中がお花畑”って言われても仕方ないし、危機感無さ過ぎ(笑)。

 さらに“武力”として突き詰めて考えるなら、問題は自衛隊だけでなく、米軍の駐留にだって問題はあるし、さらに言えば、日米安全保障条約そのものがマズいでしょう。だからと言って、自衛隊を廃止して、日米安保を破棄して、日本が軍事的に丸腰になったら……って、そりゃあ、いくらなんでもありえないでしょう(笑)。もし、そんな事を真面目に言う人がいたら、バカですよ。アホですよ。工作員ですよ。スパイですよ。売国奴です(笑)。あの、永世中立国として有名なスイスだって、自国の軍隊ぐらい持っているもの。

 まあ、世界には“軍隊を所有しない国家”ってのがいくつかあるけれど、たいていは、人口も少なく、経済的にも貧しくて軍備を揃えられないような小国だよ。こう言ってはなんだけれど、他国から狙われるような価値のない国が大半です。当然、それらの国々は、政治的・経済的・歴史的に大国の属国であって、その大国と安全保障条約を結んでいたり、大国に相手にされていないようなケースだと、周辺国同士で相互安全条約を結んでいたりするわけです。決して、軍事的に丸腰でいるわけじゃないです。

 日本も、再独立を果たした当時(1952年ね)は小国だったし、下手に軍備を持たせて宗主国であるアメリカに逆らってもマズいだろうから、宗主国であるアメリカは、日本と安保条約を結んで、軍事力を解体させたんだろうけれどね。日本が今も小国だったら、たぶんそれで問題ないんだろうけれど、日本は今や小国どころか、アメリカと肩を並べるくらいの大国になっちゃったわけです。そりゃあ、アメリカだって、今となれば色々と考えるわけさ。

 と言うわけで、現状を現実として受け入れるならば、やはり変えるのは法の方となります。『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない』ではなく『日本国および日本国民は、陸海空軍および海兵隊等の戦力を持ち、その活動を監督しなければならない』ぐらいにしないとダメだろうなって思います。

 次。『国の交戦権は、これを認めない』という変な日本語を『日本国民は、国の交戦権を認めない』と直したところで、やっぱりこっちも変だよね。

 『国の交戦権を認めない』って事は、某国が日本に核ミサイルをぶち込んできても反撃しちゃいけないって事だし、某国が日本海を散歩しているカップルを拉致誘拐しても、黙って指を加えて見ているだけって事でしょ? あ、だから拉致被害者はいつまで経っても日本に帰国できないわけだ(納得)。

 戦争ってか、武力衝突と言うのは、こっちが外に攻めていく事もあるけれど、敵がこっちに攻めてくる事だってあるわけだよね。“交戦権”が無いなら、やられてもやりかえせないわけで、盗まれても取り返せないわけで、家族や大切な人が殺されても、ただ黙って見ているしかできないわけです。いつでも敵の言いなりになりましょうって事だ。これもおかしいよね。

 これまた憲法解釈ってヤツで「交戦権はないけれど自衛権はあります」って事になっているけれど、少なくとも憲法九条を読む限り、現憲法下においては、我々には自衛権も無いでしょ。自衛権って言うのは“国際紛争に巻き込まれた場合に戦力を行使する権利”には違いないわけだからね。戦力の保持が否定されている以上、自衛権なんてあるわけないんだよ。でも、そこんところを憲法解釈ってヤツで「交戦権はないけれど自衛権はあります」と言って、ごまかしているわけだ。自衛権自体が無いんだから、集団的自衛権とか個別的自衛権とか、そもそも論議する事自体がおかしな事なんだよ。「日本は自国の防衛は勝手にしない。日本の防衛は、アメリカの必要に応じてアメリカ軍が行うかもしれない」というのが日米安保ってヤツだもんね。我々の生殺与奪の権限は、日米安保にかかっているんだけれど、これがまた、頼りない“お約束”なんだよね…。

 そんなこんなのごまかしを通用させているのも、憲法改正をサボっているからなんだな。

 日本国憲法が制定されたのは1947年です。当時は、日本国という国はなく、アメリカの占領下にあった“Occupied Japan(占領下日本)”という、アメリカが支配する地域の一つだったわけだ(今のグアムみたいな扱いだね)。ちなみに、日本が主権回復して、現在の日本国として再独立したのは、サンフランシスコ講和条約を結んだ1952年のことね。つまり、日本国憲法が制定された当時は、日本はアメリカに占領されていて、独立国家ではなく、ただのアメリカの支配下に有る地域だったわけで、そんな地域に“交戦権”なんてあるわけないのは当然でしょう。だってそんなモノを認めて、宗主国であるアメリカ様に逆らうような事があったら大変だよね。だから、占領下の日本に交戦権もなければ自衛権もなかったわけだし、それらはみんな、宗主国であるアメリカが担っていたわけだ。

 そういった意味では、1947年に制定された日本国憲法は、1952年に再独立した際に、改正されるべきものだったんだけれど、時の政府がサボっちゃったんだな。ダメだなあ。

 だいたい、日本国憲法なんて、アメリカが日本を占領しやすくするために作った、占領下法なのに、その占領下の憲法を、独立国となった現在でも、未だに使っている事自体がオカシイんだよ。

 まあ、現実問題としては、再独立後も、日本とアメリカは安保条約を結び、その結果、米軍は日本に軍隊を駐留し続けたおかげで「日本を攻撃する事=米軍に牙をむくこと」となり、日本の本土に核ミサイルを打ち込まれる事はなければ、空爆される事も無かったわけです。

 その代わり、米軍が駐留していないところでは好き勝手ができるから、日本海からカップルを拉致してもOKだし、北方領土を始め、離島の1つや2つカッパらっても、全然問題ないわけだし、返す必要もないわけだ。南西諸島沖の油田から石油だってドンドン吸い上げ放題だし、アメリカをスパイするのはご法度でも、日本国の機密情報なんて抜き放題だから、結果として日本はスパイ天国になって、国民の個人情報だって好き放題やられちゃうわけだよ。

 諸外国からすれば、日本の手足はアメリカが縛ってくれているから、何でもかんでもやり放題だし、あれこれやれば、当然、日本はガーガー文句は言ってくるだろうけれど、日本には交戦権がなくて、いつも口先だけなんだから、アメリカの顔色だけチェックしておけば、日本なんてシカトしても問題ないわけだからね。つまり、日本はなめられているわけだ。なめきられているわけだ。

 だから『国の交戦権は、これを認めない』ではなく『日本国および日本国民は、国の交戦権を認めるが、その行使にあたっては、慎重なる審議を必要とする』とかにしておく必要があると思うんだよね。そうしておけば、少なくとも、諸外国の皆さんが日本国内で好き勝手に振舞っている現状を少しでも変えられると思うんだよね。

 そう思うと、憲法九条は即刻改正すべき条文だと思うし、守る対象じゃないと思うわけです。

 「いやいや、憲法九条があったら、今の日本の平和があったんだよ」

 よく“憲法九条を守れ!”と言っている人は、そう言うけれど、本当にそうなの? 私は、憲法九条があったから、日本の平和が守られてきたのではなく、良くも悪しくも、日米安全保障条約があって、アメリカの軍事力によって守られてきたから、平和を甘受できたのだと思ってます。

 だいたい、憲法なんて国内法でしかないのだから、日本国は守らなきゃいけないのだろうけれど、諸外国の行動には何の歯止めにもならないわけでしょ。憲法九条があるから、日本は外国を攻める事はできないけれど、憲法九条があったからと言って、諸外国は自由気ままに日本を侵略/攻撃できるんだから、むしろ憲法九条がある事によって、日本の平和は、常に危機にさらされているんじゃないの?

 「いやいや、憲法九条があって、日本は他国を攻撃する事ができないから、日本は平和だったんですよ。もしも日本に憲法九条がなく、他国を攻める戦力と、交戦権があったとしたら、某国の大統領が竹島に上陸した時に戦争になっていたかもしれないし、某国の工作船が尖閣諸島周辺を回遊して日本漁船を武力で追い出した時に戦争になっていたかもしれないし、某国との中間線付近でお互いの申し合わせに反して、大々的に石油開発を勝手にし、国境線付近に軍事施設に即時転用可能な巨大施設を建造している件だって、へたすると戦争になっていたかもしれないし、日本海沿岸での多数の行方不明者が某国のしわざだと分かった時に、人質奪還作戦が実行されて戦争になっていたかもしれないでしょ? そんな時でも、日本に憲法九条があって、他国を攻撃できなかったから、日本が平和でいられたのです。憲法九条があったおかげで、日本は今でも平和なんですよ」

 つまり、日本がやられ放題やられていても、やられっぱなしだから、平和でいられた…そういうわけですか? まるで『ボコボコにやられちゃったけれど、こっちは手を出さなかったから、ケンカにならなくて良かったね(笑)』って言われているみたい。

 「だって、本音で言えば、竹島だって尖閣諸島だって、どうなったっていいじゃない。我々の生活には関係ないよ。南西諸島沖の石油だって、いいじゃないの、そんなものくれてやれば(笑)。北方領土は、もうすでにロシア領土だし、独島は韓国のモノ、尖閣諸島だって中国領でいいじゃない。墓参り? そんなの、年寄りが死んでしまえば、誰も望まなくなるって。海洋資源? あげちゃえばいいじゃん。え、北朝鮮による拉致被害者の救出? 君の家族は拉致被害者かい? 違うだろ? だったら、無視しとけばいいよ。関係者が死んでしまえば、問題は解決だよ。そんな事よりも、大切なのは、今の平和だよ、平和。日本という国は、今や日本人だけのモノじゃないんだよ。周辺諸国を下手に刺激せずに、手を取り合って、共存共栄を図っていかないとね。自分たちの幸せばかりを考えてちゃダメなんだよ。アジア全体で発展していかないとね。そこんとこは、しっかりとわきまえないダメだよ。」

 マジで、こう言われた事あります(もちろん、言い回しはアレンジしてますが)。憲法九条を守ろう!と叫んでいる人たちの全部が全部、こんな薄情な考えをしているとは思いたくないけれど、私、こういう考え方には、どうも賛同できません。だってね…

 これって“国がどうなろうと、他の人がどうなろうと、自分(とその家族…ぐらいかな?)が、安全で平和なら、それでいいじゃん”って事でしょ?

 某国から核爆弾積んだミサイルが飛んできても、自分さえ無事なら、それで良いわけでしょ? 誰かの家族が死んじゃっても、どこかの町が焼かれても、自分のところが無事なら、それで良いわけでしょ?

 政治なんて自分とは関係ないから、だれが総理大臣であっても、自分の生活が居心地良ければ良いわけで、自分の生活に少しでも不安を与える人は、誰であってもダメなんだ。だから、フクシマの原発事故の犠牲者なんて、どうなったってかまわないけれど、放射能が自分の生活地域に降ってくるのは、たまったもんじゃないわけで、文句の一つでも言いたくなるわけだ。

 で、あれこれ文句を言っていると、どこからともなくチヤホヤしてくれる人が現れて、そういう人って良い人っぽいので、ついつい一緒になって行動しているうちに、色々と新しい事を教えてもらったり、新しい友人を紹介してもらったり、おもしろそうなサークルを紹介してもらったりして、今はそっちの活動で忙しかったりするわけだ。

 なんかなー。

 そういう人って、きっと、湘南地方に核ミサイルが落ちて、私が死んでも「憲法九条のおかげで、今日も日本は平和」とか言って、ほのぼのしていたりするんだろうなあ。

 私が外国の核ミサイルで殺されているのに、ほのぼのと平和を満喫している日本人がいるなんて…なんかむかつく。

 いやいや、やっぱり、そんな人でも核ミサイルは怖いと思うのかな? 今日は湘南地方でも、明日は自分の住んでいる町にミサイルがやってくるかもしれないしね。そんな人は、その不安を回避するためには、ミサイルを落としそうな国の人たちに親切にして、自分たちの安全だけは、なんとしても確保したいと思って、あれこれやっちゃうのかな? いわゆる“反政府活動”とか“反日活動”なんてのも、悪気はなくて、単純に我が身可愛さでやっている事だったりして…。

 以上、全くの私の妄想でございます。とんでもない妄想だし、ほんと、妄想のままだといいなあと思っています。

 こんな妄想すら思いついてしまうほどに、あれこれ考えだすと止まらなくなるわけです。

 ああ、それでもやっぱり“憲法九条”って守らないといけないんでしょうか? 誰か私に、その理由を教えて下さい。

 日本は、今まで問題の先送りをずっとしてきました。もちろん、これからも問題の先送りをし続ける事も可能ですが、やがてそれではやっていけなくなります…ってか、そろそろマズいんじゃないかなって思います。だからこそ、私は憲法九条を含め、日本国憲法を大幅に改正しないといけないと思ってます。もちろん、日本は平和を愛し、自国民とその未来を大切にし守っていく国家である事を宣言する憲法にして欲しいです。次の憲法も、平和を希求する憲法にするために、憲法九条を守るのではなく、現状に合った形に改正するべきだと思ってます。

 いわゆる護憲派の方々の意見を聞きたいんですよ、私は。

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コメント

  1. operazanokaijinnokaijin より:

    私、日本なら自民党支持ですが、
    アメリカなら民主党、イギリスなら労働党支持。

    日本国憲法の9条は守るべき、と思いますが、
    護憲の集会に行こうとか、安保法制反対のデモに行こうとか、
    そういう熱意は全くありません。

    今回のすとん様の「9条論」に関して、
    もし、すとん様と議論する機会が与えられたとしても、
    全く勝ち目はないので、議論は避けたいなと思ってしまうでしょう。

    だから(←という接続詞を使うのも、不適切ですが)、
    日本全体で考えると(←と、急に、範囲が拡大するのも不適切ですが)、
    9条を変えることの是非の議論は避ける、
    すると現状維持で、9条は変わらないまま、ずるずると進み、
    9条は堅持される、めでたし、めでたし、という感じかしら?

    一般論として、きちんと議論をすることは大切と思いますが、
    一方で、議論を避けたい時、ってあると思います。
    例えば、相手のレベルが高過ぎたり、低過ぎたりする時。
    レベルと言うのは、知性だったり、勉強具合だったり、熱意だったり、
    あるいは、長時間議論に耐えるだけの体力だったり。

    それらを複合して、相手のレベルが高過ぎたら、勝ち目はないし、
    あるいは、低過ぎたら、時間の無駄だし、人間関係悪くするし。

    憲法9条を変える(改正と言うべきか?改訂というべきか?)という議論で、
    国内外、色々な意味でのレベルの違いが、あまりに多々ありますから、
    日本国内が揉めて、血を見るようなことになるのは嫌だし、
    国外からヤイノヤイノ、感情的な、低レベルの攻勢を受けるのも嫌だし。

    多くの憲法学者が「違憲」と断じている現安保法案はよくないと思いますが、
    過去、憲法は変えずとも、憲法解釈の変化によって、
    従来は違憲と解釈されていた事象Aが、現在は合憲と解釈されている、なんてことも
    多々ありましょう。

    あと、もう少し、低レベルの書き込みを続けてしまいますが、
    50キロ制限の、見通しのよい道路で、皆が60キロくらいは出している
    という現実があるとして、
    制限時速を現実に合わせるとして、制限時速60キロに変えた場合、
    今度は皆が60キロを超えて、70キロくらいで走り出すことでしょう。

    9条「歯止め論」としては、あまりに低レベルの話でしたが、
    どうか、すとん様、お許しください。

    おしまい

  2. すとん より:

    operazanokaijinnokaijinさん

     私は一応“改憲派”って事になりますが、だからと言っても盲信しているわけじゃないです。護憲派がより良いのであれば、明日にでも護憲派に身を投じる用意はあります。

     私が改憲派なのは、護憲派の言っている事に納得がいかない事が大きな理由の一つかな? だって、声ばかり大きくて、やっている事や言っている事は???なんだもの。だから私は、何が彼らを突き動かしているのか、それを知りたいんです。

     だから、今回は論争を挑んでいるわけではなく、護憲派の方が意見をアップされたら、それを読んで「へー、なるほど」と思うだけでしょう。人間色々ですから、色々な考え方があっていいんです。それが民主主義だし、言論の自由だしね。

    >9条「歯止め論」としては、

     なるほど、九条が歯止めとして働いているとお考えですか。私は九条が歯止めどころか、日本を危険にさらしていると思っているので、思考の方向としては真逆ですね。

     九条が歯止めになっていると考えている人って、たくさんいるのかな?

  3. こうじ より:

    憲法問題がこじれるのは日本に憲法裁判所がないからではないでしょうか。(制度の不備?) 憲法裁判所がないので憲法と矛盾する法律が普通に存在でき、憲法を変える必要がないというわけです。(法律ができるたびにどんどん憲法裁判をして、もし違憲判決が出ればそのとき憲法か法律かどちらを選ぶか決めればよいと思うのですが。)
    今の最高裁判所は一票の格差が違憲で選挙は無効、選挙やりなおし、とさえいえないヘタレですからすべては言葉遊びに終始しているのではないかと思います。

  4. こうじ より:

    ちょっと論点がずれてしまいました。未来のことはわかりませんが九条があってよかったか悪かったかと言えば、私にとってはよかったです。とりあえず徴兵されずにすんだ、という点で。九条がなかったら李承晩ライン 、竹島問題でとっくの昔に韓国とドンパチ戦争していただろうと思います。

  5. すとん より:

    こうじさん

     憲法裁判所がない…確かに無いですね。言われてみれば、憲法裁判所は必要なのかもしれませんし、もし憲法裁判所があれば、実際の法執行と憲法の精神って、かなり乖離していますから、多くの憲法問題がもっと早い段階で顕在化しているでしょうから、憲法改正をせざるをえなかったのではないかと思います。

     憲法裁判所が無かったために、憲法改正にまで手が及ばなかった…私はそう考えます。そういう意味でも、憲法裁判所はぜひ必要ですね。今すぐ必要かも(笑)。

    >とりあえず徴兵されずにすんだ、という点で。

     徴兵と憲法九条には何の関係もないですよ。

     徴兵は日本軍がGHQによって解体させられた時に自動的に廃止されています。今の自衛隊には徴兵制はありません(だから、リクルート部隊が苦労しているんですね)。憲法九条がなくても、憲法十八条の「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」の規定によって、現在、徴兵を執行することは、憲法違反になってしまうので、現憲法を改正して、徴兵制度を復活させない限りは、一般人が徴兵されることはないんです。

     だから、徴兵される事を恐れる必要はないんです。それに、私の友人の自衛隊幹部(陸上自衛隊)に言わせると「お前らが来ても、邪魔!」だそうです(笑)。

     戦争のやり方も、昔と今ではだいぶ違うらしいです。今の時代は、白兵戦なんてありえないんだそうです。ハイテク戦ですからね。

     だから、兵隊さんは、そんなに数はいらないんだそうです。“烏合の衆”ではダメで“少数精鋭”でないと役に立たないのだそうです。それに防衛の観点で見れば、必要なのは陸軍よりも、海軍と空軍と海兵隊であって、これらはマジで少数精鋭の軍隊ですから、やっぱり徴兵制じゃ賄えないようです。

     ただ、徴兵制ではダメだけれど、軍人さんの数は必要です。しかし、これもあまり心配はいらないようです。自衛隊の入隊希望者数は、年間10万人を下ることはないそうですから、まあ、これで数的に足りているかはどうかは私には分かりませんし、リクルート部隊は隊員募集に汗をかいているわけですから、もっといればいいのでしょうね。もっとも、自衛隊には予備自衛官も約5万人います。現役の自衛隊員が約25万人いるそうですから、合わせると30万もの兵卒が日本にはいるわけで、これって少ないのか多いのか、私には分かりませんが、少なくとも、一般人が徴兵される必要はないと思いますよ。

     仮定の話ですが、もしも日本に徴兵制があったら、私は別に深い考えもなく軍に行き、2~3年の兵役を終えたら、きっとそのまま軍に残ることを選択して、職業軍人になっていたと思います。そしたら、今頃は何をしていたでしょうね。自衛隊は定年が早いですから、私はすでに定年退職をしている事でしょうから、軍の紹介で、民間警備会社あたりに再就職しているかな?

    >九条がなかったら李承晩ライン 、竹島問題でとっくの昔に韓国とドンパチ戦争していただろうと思います。

     その可能性は否定できません。やってたかも…。まあ、やってたら、軍事力・経済力の差がありますから、順当に考えれば、日本が勝っているでしょう。そう思うと、なぜやらなかったのか、やっていれば、今、こんなに韓国及び朝鮮人たちになめられることもなかったのにと思うと、実に残念です。

  6. tetsu より:

    こんばんは。

    > だって、おかしいじゃん。憲法九条って。

    パンキョウで聞いたレベルのド素人ですが、芦田修正がはいったため、メチャわかりにくい日本語です。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%AC%AC9%E6%9D%A1
    wikiでもウソ書いているようにもみえませんが、どこをどう判断すればよいかわかりません。

    > 移民に関する取り決めとか、電子情報に関する取り決め、福祉に関する取り決め、在外邦人に関する取り決めなど

    憲法修正にあたるか、民法とかほかの法律にあたるのか、どうなんでしょう。

    ところでポツダム宣言を読まれたことはおありですか?
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%A0%E5%AE%A3%E8%A8%80

  7. すとん より:

    tetsuさん

     不明にもwikiの解説は未読でした。これから読みますが、読んで咀嚼するには時間がかかりそう(汗)。

    >憲法修正にあたるか、民法とかほかの法律にあたるのか、どうなんでしょう。

     法律ってのは、上位法で決められた事を下位法で細かく規定していくものだから、憲法で言及されていない事は、民法やら何やらで取り決める事って(本来)出来ないんですよ。何しろ、憲法って、すべての法律の大基だからね。だから、まず必要なのは、憲法の改正だと私は思ってます。

    >ところでポツダム宣言を読まれたことはおありですか?

     実はポツダム宣言についても思うことがあるので、勉強している最中だったりします(汗)。引っかかっているのは、安倍総理が当然ポツダム宣言について知っているはずなのに、マスコミの取材(だっけ?)でシラを切った件。そこがひとつの切り口になるかな…なんて思って、ダイブしている最中なんです。

  8. 在日日本人 より:

    初めてコメントします。すとんさんのブログは長期に渡って読んでいます。作曲とフルート演奏を趣味にしている者です。

    私は長く外国暮らし(西側先進国と共産圏)をしてきました。今は日本で平和に暮らしています。外国では、シャワーを浴びる時も、武器を手元に置く必要のある環境にいました。争乱やテロの被害体験も複数あります。

    現在の長期に渡る日本の平和の理由ですが、日米の外交と米軍の存在が大きいです。憲法九条は関係ないです。外から見るとあまりにも常識過ぎる話ですから、議論になること自体が不思議です。

    憲法九条を知る外国人は極めて少数でしょう。アメリカの軍人ですら、日本が法律上は軍備を持てないことを知らないです。もちろん上級将校は違うのでしょうけど。

    私は日本の某仮想敵国にも住んだことがあり、そこのインテリグループとも親しく付き合っていました。彼らが日本を侵略できない理由は、アメリカが怖いからです。
    私が住んでいた当時、その某国は経済的には貧しい状況でした。その国のインテリ連中は、日本の経済力に対して敬意を持っていました。日本は経済一流、政治は二流とよく言われました。
    ところが、軍事的には彼らに妙な自信が感じられました。その自信の源は、彼らの持っている核兵器の存在でした。

    我々や西側先進国のアイデアでは、通常兵器と核兵器の間に大きな敷居がありますが、核兵器の使用をためらわない国もあります。共産圏と中東の一部です。彼らは核兵器を大きな爆弾程度にしかとらえていません。

    憲法九条の存在意義についてですが、これは現実的に意味がないでしょう。戦争ってのは、何しろ相手がいる問題ですから。
    たとえば中学生が自分のルールを決めるとします。「落ちているゴミがあったら拾おう」と思えば、それを彼は実行できます。「いじめは禁止」と決めれば、それも実行することは可能です。
    ただし、彼の決意はいじめ加害者にならないだけであって、いじめ被害者にはなる恐れがあります。いじめは良くない、と唱えているだけでいじめが根絶できるならば、これほど楽なことはないです。でも現実は違うでしょう。(日本は陰湿ないじめが多いですね)

    彼がいじめ被害に会わないための方法は複数あります。まず、人間関係を良く保つことです。それでも理不尽ないじめっこはいます。それを防ぐには、威嚇としての、いじめっこよりもさらに強力な暴力が必要になります。彼が弱ければ、強い用心棒で代理できます。日本にとってのアメリカがそれですね。

    このように、いじめ問題も平和維持も、解決法は意外と単純です。単純なものほど矛盾が少なくて良いです。いじめっ子の問題と、国際関係は別だと思うかもしれませんが、基本は同じです。複雑に見える世の中の動きも、皆様が想像しているよりも実際はかなりシンプルです。いじめ問題よりも、国際関係の方が誤解を生じやすく、いったんこじれたら被害は甚大ですから気をつけないといけません。

    平和を維持するのには、金と人的な貢献が必要です。題目唱えていれば、平和が維持できるならこれほどラクなことはないです。
    日本で大きな津波の被害がありましたが、津波が来ないように祈るだけでは、次の津波を防ぐ事はできないでしょう。金と人的エネルギーが必要です。

    長くなりましたので、すとんさんにはまたメールいたしますね。ではまた。

  9. すとん より:

    在日日本人さん

     国防をいじめ問題に例えるのは、とても分かりやすくて良いと思いました。

    >核兵器の使用をためらわない国もあります。共産圏と中東の一部です。彼らは核兵器を大きな爆弾程度にしかとらえていません。

     …と言うか、彼らは核兵器のみならず、毒ガスも化学兵器も地雷も平気で使いますよね。我々とは、かなり感覚が違うというか、倫理(戦争に倫理もへったくれもないと言う話もありますが:笑)よりも勝ち負け優先…というか、勝ち方の美醜にはこだわらないというか、とにかく“勝てばいい”という人たちなんだなあって思います。

     そんな我々とは感覚の違う人たちを、我々の感覚で推し量ること自体が間違いだと思うんです。『我々が憲法九条を守っている限り、彼らもそれを尊重してくれる』という考えは、一体どこから湧いてくるんでしょうね?

    >平和を維持するのには、金と人的な貢献が必要です。題目唱えていれば、平和が維持できるならこれほどラクなことはないです。

     全くです。子どもの頃に「平和と水はタダじゃない」と大人たちに教わりました。その頃は、水をお金を出して買ってくるなんて想像だにしていませんでした。平和を維持するためには犠牲を払わないといけない…という事も、やがて常識になってくるんだろうなあって思います。

  10. 在日日本人 より:

    在日日本人さん

    > 国防をいじめ問題に例えるのは、とても分かりやすくて良いと思いました。

    いじめる側にも彼らなりの正当な理由があるでしょうね。同様に、侵略国にも戦争を起こさざるを得ない大義名分があるわけです。
    もちろん、いじめられる側、侵略される側はたまったものではありませんが。

    > …と言うか、彼らは核兵器のみならず、毒ガスも化学兵器も地雷も平気で使いますよね。

    私は常に、相手の気持ち(敵の気持ち)になりきって考えるようにしています。これは相手に同情するという意味ではありません。敵を理解し、分析し、対処するためです。それがお互いの利益につながるからです。それには相手の価値観やモラルを体の芯で演じる必要があります。

    西側よりも経済的、軍事的に劣った国が、核兵器などの最後の切り札をあっさり使いたくなる気持ちは理解できます。それを理解できないのは、金持ちが貧乏人の気持ちをわからないのと同じです。もっとも日本に対して核兵器を使われたらかなわないので、それを防ぐ手段を考えるのが次の段階です。難しい問題です。

    ただ、戦争を防ぐ手段が、憲法九条のような安易なものでないことだけは、100%間違いないです。そんな生易しいことで戦争は防げません。
    戦争ってのは、多数の人間を巻き込んだ究極の人間関係であって、言葉遊びで片付く問題ではありません。

    >そんな我々とは感覚の違う人たちを、我々の感覚で推し量ること自体が間違いだと思うんです。『我々が憲法九条を守っている限り、彼らもそれを尊重してくれる』という考えは、一体どこから湧いてくるんでしょうね?

    「自分たちとは異なる常識、道徳、価値観を持つ人間がこの世にいる」という現実は、実に恐ろしいことです。私はいろいろな土地でそれを身体で学びました。
    残念ながら、四方を海で守られた日本に住んでいては、国境の怖さってのを理解することは難しいと思います。国境の向こうには我々とは異なるものがいます。これは観光旅行で体感できるものではありません。

    敵の温情に過度に期待したくなる発想は、日本のように閉ざされた場所では自然発生しそうですね。ほとんどの人間は弱いですから、残酷なものや暴力的なものはなるべく見たくないし、考えたくもないものです。
    これは情報不足からくる無知とは異なります。人間は不快な情報、不都合な情報を遮断したくなる動物です。無意識に現実逃避するのです。

    さらに、集団特有の自己防衛システムがあります。
    憲法九条原理主義者の周囲には、同じ様な思考しかしない人ばかりいるのでしょう。疑問を持ったら負けなのです。彼らは共通の敵(改憲論者)を持つことによって、団結力がさらに深まります。団結といっても、実際に集まることはまれです。ネットで共感するという程度の緩やかなつながりです。

    ですが、しょせんこれらは烏合の衆ですから、簡単に寝返る可能性もあります。同様に、マジメに憲法改正を考えている者の周囲にも、深く考えていない連中が集まってくるでしょう。同じ穴のムジナです。
    彼らの目的は、同じ志を持ったコロニーを維持することが最優先ですから、思想なんてのは別になんでもOKです。

    人間にとって、この世に同胞がいるってことは実に気持ち良いことなのですね。良かれ悪しかれ、私は一匹狼でやってきましたが、スポーツの応援団や、ヒトラーユーゲントの快感はわかる気がします。
    平和憲法を守る!ってのも、シンプルでわかりやすいです。スローガンはこのようにシンプルな方がグッド。庶民の心に訴えますから。この世で平和を望まない人ってほとんどいないでしょうから、力強いスローガンです。

    私なんか単純ですから、もしも昔のドイツに住んでいる貧乏学生だったとしたら、ヒトラーの演説聴いて感動してナチスに入ったかもしれません。昔の中国の若者だったとしたら、毛沢東に感動して文化大革命で同胞を弾圧していたかもしれません。

    独裁者の言葉は蜜のように心に沁みるのでしょうね。我々は、今だから結果論として彼ら独裁者を批判できるだけのことで、おそらくその中心にいたら状況がわからないと思います。わかっていたとしても逃れられなかったでしょう。それが世の中の大きな流れってもんです。
    それを踏まえて、私は将来後悔しないために、ビビりながら行動することを心がけています。

    ところで、すとんさんは常に疑問を持って思考している方のようですね。残念ですが世の中、敵も味方もそういう頭の良い人ばかりではありません。
    私は世の中に期待することは何もなく、絶望しきっていますが、すとんさんがそれでも諦めずに前向きに行動しているところは尊敬しております。いや、これは皮肉ではないですよ。

    > 全くです。子どもの頃に「平和と水はタダじゃない」と大人たちに教わりました。その頃は、水をお金を出して買ってくるなんて想像だにしていませんでした。平和を維持するためには犠牲を払わないといけない…という事も、やがて常識になってくるんだろうなあって思います。

    歴史をみれば、平和を獲得するために人類はいかに高価な犠牲を払ってきたかよくわかります。恐怖と感動を覚えます。

    私は外国で、戦争に参加する若者を見ました。平時にはそれなりの仕事や地位を持っていた優秀な連中が、志願して自国を守る戦いに参加する行為は心打たれます。
    彼らの中には帰ってこない者や身障者になる者もいます。平和を獲得するための尊い犠牲です。平和ってのは本当に高くつくものなのですね。

    残念ながら、日本の場合は国として痛い目にあうまで目覚めることはないと思います。いくらすとんさんが啓蒙しても、その警告が大衆に正しく伝わることはないでしょう。

    そう考えれば、逆に憲法九条を盲目的に守って現状維持を続ける方が、逆に早い結末(終末)を見れそうな気がします。これが私の二段階国防シナリオです。いったん落ちるところまで落ちて、みんなでやり直しましょうってことですね。ただし、本州が最終防衛ラインなので、かなり怖いシナリオと言えます。次のやり直しがない状況も高い確率であります。けっきょく、落ち着くところに落ち着くはずですけど。

    一つ希望があるとすれば、教育で世の中を変えられるかもしれませんね。それはすとんさんの得意分野でしょうけど。

  11. すとん より:

    在日日本人さん

    >、教育で世の中を変えられるかもしれませんね。

     そのためには、学校のセンセたちを総入替えしないといけないかもしれません。

     今の日本の学校は、サヨク思想にどっぷり使っている方が実に多いです。まるで学校って、サヨクの百貨店のようだし、センセたちはサヨクの伝道者のようです。

     私は、サヨク思想がダメとは思っていません。サヨク思想の持ち主の全員が、中韓のスパイや工作員であるとも思っていません。むしろ、学校にいるサヨクな人たちって、真面目だし善意の人が多いんですよね。ただ、みんな、日本人なのに反日ですが(笑)。

     サヨク思想も、数ある思想の中の一つだし、思想信条の自由が保証されているのが日本ですから、それはそれで良しなんです。ただ、教育現場にサヨク思想しかなく、子どもたちがサヨク思想しか教えらていない現状は、大いに問題だと思います。

     学校に、サヨク教師と同じくらい、愛国教師がいればバランスが取れていいんでしょうが、実際は、学校に愛国的な思想を持った人は、ごく少数派です。だって、そんな人がいたら、イジメにあって、学校にいられなくなりますから(笑)。それくらい、学校のセンセって、反日な方が多いんですよ。なので、全くバランスが取れていないんですよ。

     確かに、昔々、サヨク的な思想を持ったり、反日的な言動を行う事が、とても知的に見られていた時代がありましたが、それはもう大昔の話です。学校というのは、世の中から、二歩も三歩も遅れている場所なので、そんなサヨク的な思想や反日的な言動が、知的だと、まだまだ信じられているようなんです。

     学校よりも、よっぽど、一般社会の方が健全なんです。でも、そんな事、多くの保護者の方々は知らないんだろうと思います。とりあえず、日教組が無くなるまで、教育で世の中を変えるのは難しいと思います。でも日教組が無くなる事は、まず無いでしょう(笑)。

     私は、日本がこれからも平和であり続けるために、憲法九条よりも、想像力の方がよっぽと必要なのではないかと思ってます。

     未来に対する想像力。隣国が何を望み、どう変わろうとしているのか。今、世界では何が求められているのか。力と言えば、昔は軍事力を指していたのだろうが、21世紀の社会では、力と呼べるものの正体はなんだろうか。向上心や嫉妬心。なぜ彼らは我々を敵視するのだろうか? とかね。在日日本人さんのおっしゃる「相手の気持ちになりきって考える」と同じかもしれませんが。

    >人間にとって、この世に同胞がいるってことは実に気持ち良いことなのですね。

     SEALDs(シールズ)に参加している高校生たちを見ていると「きっと楽しいんだろうなあ」って思います。でもこの子たちは、本当に安保法案について理解しているのかしら?って思います。徴兵反対と叫んでますが、彼らが徴兵される事なんて無いのにね。そんな事も教えてもらっていない子たちなんです。

     まあ、嘘もごまかしも分かった上でやっているなら良いのですが「なんか、楽しそうだからやろうぜ」的なノリでやっているのだとしたら、かわいそうだよね。女子どもをデモの正面に立たせるのは、サヨクさんたちの常套手段だから、サヨクの大人たちに踊らされているんじゃないかしらと、余計な心配をしてしまいます。

     この子たち、テレビやネットで顔をさらして、大丈夫なの? 今は情報化社会なんだから、これでもう、この子たちはカタギの社会では生きて行けなくなったわけだし…こんな事をして、自分の未来を塞ぐ必要なんて、無いのにね。

  12. operazanokaijinnokaijin より:

    護憲の強い気持ちを持っているわけではない私、
    正統派の護憲論などは書けないのですが、
    でも、もう少し、書かせていただきます。

    例え話から。
    楽器でもスポーツでも、練習だけで素晴らしい実力を蓄えることはできず、
    本番を通じて、かつ、本番に伴う失敗をしながら、
    楽器・スポーツの実力を向上させることがありましょう。

    軍隊も、演習だけで素晴らしい実力を蓄えることはできず、
    実戦を通じて、かつ、実戦に伴う犠牲を払いながら
    軍事の実力を向上させることがありましょう。

    過日、NHKラジオで、軍事専門家曰く、
    (誰だか?聞き逃したのは失敗!)
    自国ではなく、外国に出向いていって、
    軍事活動をきちんとできるのは、
    1にアメリカ、2にイギリス。
    少し差があって、3にフランスとロシア。
    また少し差があって、5に中国、の5か国だけ、と。

    見事に国連常任理事国、ってことは、第2次大戦の戦勝国。
    この5か国は、大戦後も時々戦争に参加して、
    実戦を通じて、かつ、犠牲を払って、軍の実力を維持・向上させたのでありましょう。

    数十年前に愚かな戦争をして、負けた日本は、
    実質的に戦勝国が作った日本国憲法により、
    軍事力を奪われ、戦争を禁じられたため、実戦の機会はなく、
    自衛隊の実力を維持・向上させる方法は演習であって、
    一方で、実戦に伴う犠牲を払うことなく、数十年。

    上記5か国のような実力を持つことはできませんでしたが、
    上記5か国のような犠牲を払うこともありませんでした。

    米英仏並みの軍事の実力を持たない日本が、今後、
    憲法改定により、実戦に積極的に参加して、犠牲をも払いつつ、
    軍事の実力を蓄えていく-A案

    あるいは、今から実戦に参加しても、
    未来永劫、米英仏並みの実力を得るのは無理、と考え、
    ならば、憲法は改定せず、
    派兵という実戦参加はせず、犠牲を払うことなく、
    得意分野(?)のお金系、あるいはハイテク系の軍事活動に特化する-B案

    この、A案・B案で考えるならば、私はB案であります。

    おしまい

  13. すとん より:

    operazanokaijinnokaijinさん

     B案は無いよ。もちろん、A案もどうかと思うけど。

     他国に攻めこまれたケースで考えないとね。だって日本は平和主義だから、他国を侵略する事なんて無いんだから。だから考えるのは、敵国に侵略された時の事です。その時、どうするかでしょ? 侵略者にお金を支払ったって、無駄だもの。侵略すれば、財産は奪い放題なんだから、お金じゃ止めてくれないよ。だから、B案はありません。

     だから選択肢としては、

    甲案
     憲法は変えない。自衛隊は廃止する。日米安保も破棄。敵国が攻めてきたら、男は殺され、女は犯され、文化財は盗まれ、言葉と歴史を失い、日本という国を終わらせる。

    乙案(B案に近い)
     憲法は変えない。自衛隊は戦力を持たない。ただし、日米安保は堅持し、アメリカに国防を任せる。その結果、戦争のため、国土を焦土にされても文句は言わない。日本人が殺されて財産を奪われても文句は言わない。もちろん、アメリカが「日本を守らない」と言ったら、黙って負けを認めて、敵国に侵略されて、男は殺され、女は犯され、文化財は盗まれ、言葉と歴史を失い、日本という国を終わらせる。

    丙案
     憲法は変えないが、自衛隊には戦力を与え、アメリカ軍と共同で国防に当たる。もちろん、前線に出るのは日本人。アメリカは空襲と艦砲射撃で応援。本土決戦をしないように、日本が頑張る。日本人の犠牲が少なくなるように頑張る。アメリカが手を引いたら、自国だけで戦う。

    丁案
     憲法を変えて、普通の国になる。平和主義は継続。新日本軍を創設し、軍事力を備えていく。必要に応じて海外派兵も行うが、自国および同盟国の利益のための軍事活動は行わない。敵が攻めてきたら、全力で応戦する。

    戌案(A案に近い)
     憲法を変えて、普通の国になる。平和主義は廃棄。新日本軍を創設し、積極的に海外にも派兵し、軍事大国を目指す。同盟国とも、政治・経済のみならず、軍事面でも積極的に協力していく。政治的経済的に必要があれば、他国を侵略することもいとわない。

     乙案と丙案は亡国の案なので、無し。個人的には丁案かな…って思いますが、K国の現状は丁案だし、C国の現状は戌案だから、丁案で十分かどうかは不明です。本音で言えば、現状に近い丙案がいいけれど、ノブレス・オブリージュを考えるならば、いつまでも丙案ってわけにはいかないでしょ。なので、丁案かなって思います。

  14. tetsu より:

    こんばんは。

    > 安倍総理が当然ポツダム宣言について知っているはずなのに、マスコミの取材(だっけ?)でシラを切った件。

    共産党志位委員長との党首討論での発言です。
    https://www.youtube.com/watch?v=Hpe_lmEULcU&index=34&list=PL3M7AtnZgh3U41I_9TybULqo1e-H5dluu

    ただポツダム宣言は「日本」ではなくて「国体」護持を前提として「日本軍」の全面降伏を求めた、らしいです。

    話は変わりますが第二次世界大戦の終戦記念日が8/15であるのは、日本、韓国、北朝鮮あたりのようです。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%82%E6%88%A6%E3%81%AE%E6%97%A5

    このモトネタの佐藤卓己 『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学』はおもしろかったです。

  15. すとん より:

    tetsuさん

     勉強ネタをくださって感謝です。本当にありがとう。

     物事を考えるにあたって、色々と調べるわけですが、やはり一次資料にあたって調べるようにしてますが、一次資料を探すのに苦労するわけです。

     他人の頭の中を通過した文献で勉強しちゃうと、いつのまにか他人に毒されてしまうからね。大切なことは(たとえ間違えたとしても)自分の頭で考える事だと思います。

     それにしてもYouTubeの党首討論の件を聞いていると、次の言葉を思い出します。

    The winner takes it all
    The loser standing small

     戦争の善悪は私にも分からないけれど、敗戦は悪だね。負けたらダメだね…って強く思いました。

  16. るん より:

    度々読ませていただいております。
    少し気になりました。

    >おそらく“九条を守れ!”と主張している人は「だから自衛隊を解体廃止しなければいけない」って言うんだろうけれど、

    少なくとも当方のまわりで「九条を守れ!」という活動をしている人達(改憲にNOを言う人達)に、自衛隊の存在自体が解体することを望んでいる人はいません。
    すとん様は九条を守る活動をしている方と対話をしたことはございますか?

    皆さん、平和を望んでいるいることは一緒です。
    そのために武力を全く持たないことが現実的ではないことも多くの方は理解してます。
    ただ、戦争では(儲かる一部の人を除いて)殆どの人民が大きな痛みを背負うことを学び、積極的に戦争したくないという思いから改憲にNOを言っているのだと私には感じられます。
    現在も既に憲法九条は守られてはいませんが、どのように改憲されるのかがわからないというのはこわいことだと思います。
    国民投票を経ず、解釈自体でどうとでもなるということもとてもこわいことですが。

    日本では権力が一点に集中しないために権力を分散してあります。あるはずです。が、言論を弾圧し、法を軽視し、国民の声を無視して進めるというやり方は問題だと個人的には感じています。
    最近の議員の発言は問題が多いと感じますし、こういった発言等を見聞きすると、より一層、国が進めようとする方向に不安や不快感をおぼえるという人は少なくないと思います。
    政治に対する不信感もまた、改憲に対する不安を増長するのではないでしょうか。

    多くの人が守りたいものは憲法でもなく、国家でもなく、人、それぞれの大切な人であるということは変わらないことだと思います。

    とても個人的には、大々的に軍事力を持った国家よりも、平和国家として友好的な関係を築きつつ、裏で何をやっているのかわからない国家、という今のやり方でいいのではないかと思います。
    日本はそもそも、原発を攻撃されたらおしまいです。
    積極的に喧嘩する姿勢をみせるものではないと思います。

    原発も再稼働してしまいますが、「原発を廃炉にする」という世界のリーダーシップをとりつつ(その技術を売りつつ)、「そのための研究」として原子力の研究をもんじゅで永続的に進める等、「いざという時は核武装できる国」というカードを残しつつ、諸外国との関係を築いていく、といったような、もっとしたたかなやり方もあるのではないかと思います。一例ですが。

  17. すとん より:

    るんさん

    >すとん様は九条を守る活動をしている方と対話をしたことはございますか?

     ありますよ…ってか、サヨクな友人はいっぱいいますよ。ダテに年は取ってません(笑)。毎週デモに行ってる人もたくさんいます。たまに「今日、デモあるけど、一緒にどう?」とか気軽に誘われちゃったりしてます。

     毎週デモで先頭きってシュプレヒコールを上げている人から、自衛隊勤務でよく行方不明になってしまう人まで、友人の幅は広い私です(笑)。

     いわゆるサヨクな人にも色々なタイプの人がいる事は存じ上げていますし、サヨクな人も決して一枚岩ではない事も知ってます。るんさんがおっしゃっているように「護憲派だけれど自衛隊はOK」という人もいますが、運動をしている人の中では、たぶん少数派だと思いますよ。だって、矛盾しているもの。運動をしていく中で、論理に矛盾があるのは自らの弱点になりますからね。弱さは粛清の対象となります(おぉ、怖!)。

    >ただ、戦争では(儲かる一部の人を除いて)殆どの人民が大きな痛みを背負うことを学び、積極的に戦争したくないという思いから改憲にNOを言っているのだと私には感じられます。

     積極的に戦争したくないのは、私も含め、日本人なら誰もがそう願っていると思います。戦争したくないから、憲法を変えちゃいけないと言うのが護憲派で、戦争したくないから、憲法をきちんとしましょうというのが、改憲派なんだと思います。つまり、願いは一緒。違うのは現状認識です。

     日本が今まで平和でいられたのは、憲法九条のおかげではなく、日米安保のおかげです。しかし、日米安保は米ソの冷戦の中では有効な手段だったんですが、これは20世紀の話です。もう昔の話なんです。

     今や21世紀になり、国際情勢も大きく変わってます。冷戦も終わり、アメリカは、共産主義とのイデオロギー対立ではなく、イスラム教との宗教対立に力を入れるようになり、アジアはお留守になってます。それを見た中国が、巨大な軍事力と経済力を使って、力づくで世界のルールを変えていこうとしていのが、今の世界状況の簡単な説明です。具体的に最近の出来事で言えば、スプラトリー諸島(南沙諸島)の件と、AIIB問題と、新シルクロード構想ってヤツがそれね。

     世界が変わってしまったのだから、我々も変わっていかないと、戦争が起こって、国が無くなり、我々の子どもたちが殺されてしまう…と、私などは、かなりマジに心配してます。だから、まずは憲法をきちんと整備して、時代に則したモノにして、普通の国になりましょう…って思っているわけです。

    >最近の議員の発言は問題が多いと感じますし、こういった発言等を見聞きすると、より一層、国が進めようとする方向に不安や不快感をおぼえるという人は少なくないと思います。

     そんな議員を選挙で選んだのは、私たちです。私たちが選挙で選んだ議員にダメ出しをするのは、民主主義を否定している事になります。大切な事は、民主主義なんだから、まずはダメな議員を選ばない事です。「自分たちが応援している人が当選しないから、今の政治はダメなんだ」と言うのは、傲慢です。もっとも、傲慢な事が言えるのも、民主主義社会であるからなんだけれどね。これが中国や韓国のように、言論の自由が保障されていない国だと、エライことになってしまいますからね。

    >日本はそもそも、原発を攻撃されたらおしまいです。

     そうそう、だから反日政治家を選挙で選んではいけないのです。総理大臣を始めとする政治家の皆さんは、まず第一に、日本と日本国民の事を大切に思ってくれる人を選ばないといけないんだと思います。

  18. るん より:

    ご返信ありがとうございます。

    私の周りの活動家の皆さんは改憲に反対ですが、自衛隊は容認しています。
    改憲に反対する人がイコール左翼というわけでもないと思いますが・・・。
    「そのような人達は少数派である」と断定されてしまうのも、私の周りではそうであるというだけで、すとん様の周りではそうではないというだけで、少々納得致しかねますが不毛なのでそのようにお考えだということがわかりました。

    戦争の始まりは不安や恐怖を煽られること、そして正義を主張することからはじまります。
    でも、戦争それ自体が正義ではないと少なくとも言われるようになってきています(色々な価値観の国・人がおりますが)。
    戦争を極力しないための外交が望まれるのは皆さん一緒だと思います。
    護憲派と改憲派とでは現状認識が違うとおっしゃっておりますが、
    >世界が変わってしまったのだから、我々も変わっていかないと
    そうして絶えず戦争は繰り返されてきました。と護憲派の方は言っていました。
    現状認識や持っている情報量がさほど変わらなくても、同じ意見になるわけではないと思います。
    たとえ同じ状況であっても、違う人間がいれば違う方法を考えるのだと思います。

    私の知人は、憲法九条を厳守することに重きをおいて活動しているのではなく、憲法九条という理想を掲げて世界と対話していく姿勢を日本は持つべきだということに重きをおいて活動しています。

    民主主義は所詮多数決です。
    平均的な人間の意見が通るだけです。
    個人的には有能で且つ人格者な人間が独裁した方が国は平和であるとすら考えており、そもそも民主主義に限界を感じておりますので、私はすとん様がおっしゃる傲慢な人間に該当するのでしょう。
    でも、こうしてメディアが一方通行では無くなり、盛んに議論がされるようになってきたことは好ましいことだと思っています。

    戦争をしたい人は殆どいないのは大前提ですが、様々な立場・価値観を持った人間がいる中で、ある活動をしている人達について書いてあることが、少なくとも私の周りの人間とはかけ離れた像で語られており、「それは違うのでは?」と思い、思わずコメントしてしまいました。
    すとん様の周りでは記事にしたような人が多いそうですが、それが全てでは無い点、ご理解いただければと思います。

    失礼いたしました。

  19. すとん より:

    るんさん

     私は、茹でガエルにはなりたくないです。

     るんさんのお考えって、もしかしたら「今まで平和だったんから、このやり方を継続していけば、これからもずっと平和で入られる」ってヤツですかね?

     これって、主知主義に対する体験主義ってヤツですよね。

     体験主義が間違っているとは言えませんが、あくまでもケースバイケースだと思います。周囲の状況とか世界のルールとか自分の立場とかが不変であるならば、体験主義は正しいと思います。でも、周囲の状況とか世界のルールとか自分の立場とかが激変している状況での体験主義は、ヘタすると、茹でガエルになってしまいます。

     熱いお湯にカエルを入れると、当然カエルは驚いて飛び跳ねて、鍋から逃げ出してしまいます。しかし、常温の水なら、カエルはおとなしく鍋の中にいてくれます。そして少しずつ少しずつ加熱していっても、カエルはその水温に慣れてしまうので、水温が上がった事に気づきづらいのです。そして鍋の中の水が熱湯になった時になって、ようやくカエルも気付くのですが、その時には、カエルにはもはや跳躍して鍋から逃げ出す力を失っていて、後はおとなしく鍋の中で茹で上がってしまうのです。

     今の日本って、もしかすると茹でガエルになりつつないか?と、私は常に心配しています。

    >憲法九条という理想を掲げて世界と対話していく姿勢を

     言葉尻を取り上げるのは申し訳ないのですが、理想は持たない方がよいですよ。なぜなら、戦争を始める人は常に“理想主義者”ですから。戦争って、素晴らしい理想を遂行するために行うんです。これは歴史の事実です。だから、平和を待ち望むのなら、決して理想を追い求めてはいけないのです。これ、私の信念です。『理想を掲げる』のではなく『現実と妥協しあう』事が平和を維持するポイントだと思ってます。

    >個人的には有能で且つ人格者な人間が独裁した方が国は平和であるとすら考えており

     私も以前はそんな風に考えていた事があります。特に「銀河英雄伝説」のアニメを見ていた頃(低レベルでごめんなさい)は、そんな考えにどっぷり浸かっていました。

     でも、実社会では“有能で且つ人格者な人間”が独裁者になる事はありません。“有能で且つ人格者な人間”がいないとは言いませんが、そういう人は独裁者になる道を選ばないからです。独裁者になるのは、理想主義者です。これは歴史上の事実です。理想を追い求め、それを実現するために、独裁者になるんです。そして、その理想を実現するためには、手段を選ばなくなると、戦争を起こすんです。

     だから共産主義とか社会主義ってのは、好戦的なんです。なぜなら、理想主義だからです。そんな好戦的な人たちに囲まれているのが、日本なんですよ。

    >すとん様の周りでは記事にしたような人が多いそうですが、それが全てでは無い点、ご理解いただければと思います。

     了解…と言うか、そういう前提で記事を書いているのですが、それがるんさんには伝わっていなかったようで、私の筆力不足を感じています。

     で、るんさん。私が尋ねたいのは、護憲派の方々の意見なんです。そこで、るんさんに質問します。

     るんさんは、護憲派でありながら、自衛隊は容認されるそうですが、違憲な存在である自衛隊を容認する事と、憲法の改正を認めない事に、矛盾は感じないのでしょうか? 憲法を守る事とは、憲法の条文の変更を許さない事と同時に、憲法の規定を遵守する事でしょ? 自衛隊の存在を容認している段階で、憲法の規定に反しているわけで、それって、憲法を守る事とは真逆な行い(憲法を無視する、あるいは、憲法を死文化する行為)なのですが、そこに自己矛盾は感じないのでしょうか? るんさんの個人の意見ではなく、るんさんが活動している団体のお考えで結構なので、勉強のために、私に教えていただけると、感謝です。

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