昨日の続きではありませんが、関連話題が続きます。
ボイトレ…もちろん、ボイストレーニングのことです。ここのブログのカテゴリーにもありますが、漢字で表現すると、発声練習または発声訓練? 私が言いたいのは、このボイトレの辞書的な意味ではなく、この言葉の使われている状況の違いによる認識の違いって奴です。
もう少し具体的に言うと「私、最近ボイトレ始めたよ~」とか「練習前のボイトレ、さぼっちゃおうかな~」とか「ボイトレしすぎて、喉痛い~」とかのセリフに出てくる、ボイトレ。同じ意味かどうか微妙だよねえ…と言う話です。むろん、言葉の意味はその話者の置かれている状況によって違うはずなんだけれど、その状況を無視して言葉の一人歩きがネットなどでは見受けられるから、少し整理しようねという事です。
まずは、ボイトレと聞いて、どんな事を頭に思い浮かべますか?
1)ボイトレと呼ばれる歌の基礎練習
ポップス系の音楽教室でのボイトレと呼ばれているのが、たぶんこれ。ちょっとした発声やって、スケール練習やって、ある程度声が出るようになったら卒業。ポップス系はマイク使用が前提だから、本来的な意味でのボイスのトレーニングは必要ない、とのことなのでしょうね。担当する先生も、声のこと、どれだけ分かっているのか疑問な、ギター系やキーボード系の人が多いですね。
ところで、ポップス系のボーカリスト用のちゃんとしたメソッドって、日本にあるのでしょうか?日本のポップス系のボーカリストたちって、才能だけの人ばかりなのは、教育メソッドに問題があるのではと思います。
つまり、ポップスの世界では、最初から歌の上手な人だけしか歌手になれない? 何かそんな臭いがプンプンする世界ですね。ならば、今はまだうまくないけど…という人は、勉強したところで、せいぜいがカラオケ歌手どまりなわけです。
ポップスでも、昔の歌謡曲とか演歌の世界は、歌手もきちんと作曲家の先生のところへ弟子入りをして、基礎から歌の勉強をしていたはずなのですが、最近はそういうのもないみたいで、才能オンリーみたいな感じですわな。
2)歌の準備体操としてのボイトレ
合唱団の練習や、学校の音楽の授業の最初にやっているアレのことです。運動する前の準備運動みたいな位置づけだと思います。体をほぐし、喉の筋肉や発声諸器官をほぐすために行われます。歌うための最低限の準備でしょうね。でも、これすら行わない合唱団も結構ありますが…大抵、そういう団は、歌唱力の向上よりも親睦を深める方に傾いている団なので、私は何も言わないことにしています。
3)声を育てる、または作り上げるためのボイトレ
狭義のボイトレがこれです。基本的に個人指導で行われます。合唱団では、上記の集団での準備体操としてのボイトレをするだけのところが多いのですが、歌唱力の向上を目指している団では、それ以外にも、個人をピックアップして練習したり、ほんの短時間でも個人レッスンをするところがありますね。ポップス系の学校でも[数少ない]良心的なところは、熱心に声を育てることに近いことをやっているようです。
また「声楽を勉強する」と言った場合は、その初期段階で、この種のボイトレをやります。
本格的に「声を育てる」ためのボイトレを始めたら、どれだけの期間が必要なのでしょうね。もちろん個人差はあります。しかし、実際問題として、かなりの時間が必要なのではないかと思います。
歌はバレエと同じで、体を使って美を表現するものです。バレリーナが踊る体を作るために、何年もの節制と訓練を重ねるのと同じように、本来、歌手も歌うための体を作るために、何年もの節制と訓練が必要なはずです。私たちは、そこのところを忘れて、お手軽に歌が上手になれる、または上手になる方法があると勘違いしてしまうのです。
私もそうですが、趣味で歌の勉強している人に、プロの歌手と同じことを要求するのは、酷だと思いますが、だからと言って、最初からこの程度でいいやと思っていたら、たとえ趣味であってもつまらなくありませんか? 趣味だからこそ、自分の才能や将来などを考えずに、打ち込めるのではないでしょうか?
趣味だからこそ、じっくりと腰を据えて、声を育てていって良いのではないか思います。趣味だからこそ、焦る必要は全くないと思ってます。
私もキング先生について勉強を始めて、やっと1年たったところです。自分では、かなり成長したつもりですが、まだまだ一定の結果が出るところまでは行ってません。先生からも「まだ人前で歌うのは無理です」と言われてます。1年やっても、そんなレベルです。私は特別、成長が遅いのかもしれませんが、たとえそうであっても、やはり声を育てるボイトレには、時間がかかると思います。
このように「ボイトレ」という言葉には、3つの側面があります。それらをゴッチャにせずに「今はこの『ボイトレ』の意味で使っているなあ…」くらいの認識は、歌の話をする際には必要でしょうね。
ちゃんちゃん。
コメント
こういう記事を書いてくださると、何となくわかっていることでも更に確認ができてありがたいです。
そうそう・・・趣味だからこそ焦る必要がないのですよね~!
それと同じで合唱を楽しむ人の場合、年老いてからも続ける人がほとんどなのですから、いつまでも譜読みができないとか言わないで、努力したらどうかと思うのですが~。
私の合唱は音取りばかりでボイトレはほとんどありません。
先生がたまに気が向くとやります。
本番がなくて暇な時だけね。
・・・で各パートの音取りの時間が長く、主旋律が多いソプラノは暇。
2時間いても歌うのは30分程度じゃないかな~?
私はその間他のパートの音取りを一緒にしたり、頭の中で自分のパートを鳴らしたりするのですが、他のメンバーがおしゃべりしたり(時々先生に叱られる!)、自分のパートの声を大きな声で歌ったりするので困ります。
今子供のことを理由に休んでいますが(役員も今は引き受けられない。)、本当は4月から復帰しようと思っていましたが、自分にとっては無駄な時間が多く、ためらっています。
もちろんおば様方との交流は楽しいんですけれどね~。
かといってきちんとボイトレするようなところに行くと、遠いだろうし負担も大きいし・・・。
読んでいると色んなことを思い出しました。言葉足らずになるかもしれませんが羅列してみます。
1.知り合いの声優さんはマイクを通す仕事ですが、発声は声楽並みです。マイクあり、マイクなし、どちらでも使える声を訓練されています。マイクなしで私のギターに合わせていただいた時はみんな「マイク使ってなかったですよね!」とその声量と通る声に驚いていました。
2.息子(大人)がどういう知り合いかわかりませんが、歌手のプロデューサーというかそういう人と知り合ったそうです。その時に息子の声を聞いて「アカン。使いもんにならん。」みたいなことを言ったそうです。確かに磨いておりませんから。で、すぐに思ったのは歌手になる為には元からいい声を持っている人を探して採用しているんだなってこと。(息子にはちゃんと練習したら誰でもきれいな発声ができるんだから、ダメだって思ってはいけないよって言いました。息子は今のところ歌うつもりはないようですが。)
3.森昌子が、離婚後歌手に復活した時、ワイドショーでレッスンの様子を取り上げていました。私がレッスンで言われているようなことと同じことを言われていたので、ほっとしました。(笑)
4.私の知り合いの知り合いが声楽を習っていて、3年経ってようやく歌ってもいいって言われたそうです。私も今3年です。やっと少しましになったかなあと思いますが、ほんの少しです。奥深いです。何事も5年10年ですね。
昨日のことに関するコメントになりますが、私は声楽一年生の時から「リリコ・レジェーロ」と言われました。(先生によって判定の時期が違うかも・・・。)
それから初めての発表会は声楽を習って1年経った時期でした。
人前で出せないレヴェルだったかもしれませんが、人数稼ぎの意味もあったかも。
だってほとんどがピアノの子供たちだったし(先生は声楽の先生なのに。)、声楽は私とK音大の人と二人だけだったので。(言っちゃあ何ですが、この時点で私はK音大の教育科の人より歌えていた自信があります。要するに最初から一番弟子になれたのです。)
ticoさんのコメントに関連してもう1つ追記。
ちょっと前に記事の中で書いた同じ門下の声優さん、彼女は声楽家のもとでボイトレをした・・・ということになりますね。
>Ceciliaさん
だから何だというコメントになってしまいますが…。
本当に合唱団もレベルが様々なようで…。
妻が所属する混声合唱団は、練習の前に、各自でその日に練習する曲の譜読み&音取りを済ませておかないといけない団です。ですから初回の練習の時から、楽譜通りに歌えるのは当然で、その楽譜通りに歌えるから、観客を感動させる音楽にするまでの過程を練習するそうです。
そう書くと「うわー、レベルの高い合唱団ですね…」と思われるかもしれませんが、上には上がありまして、この合唱団は、地域では中堅どころの団体です。
個人競技なら個人で頑張れば済むだけの話ですが、団体競技はチームの問題も多々ありますよね。チームを自由に選べる環境にあればいいのですが、現実問題、そうはいかず、自分に与えられたところで頑張るしかないのです。無論、個人競技を声楽、団体競技を合唱と読み替えてください。
>ticoさん
実はジャンル違いになるかな…と思って書かなかったのですが、声優を含めた演劇関係者のボイトレってすごくありませんか? プロはもちろん、素人演劇の人だって、かなりきちんとボイトレやってますよね。
そこへ行くと、歌はプロはきちんとしてますが、素人はダメな人、多いですね。「みんな、歌をなめてるんじゃないの?」と言いたくなる時もあります。
>もう一つ、Ceciliaさん
実は私、入門したての時、キング先生に「すとんさんは、テノールとハイバリトンの中間くらいかな…」と言われてましたです、はい。
それまで大抵トップテナーを歌っていましたから、意外な感じがしてましたが、勉強をするにつれ、ドンドン声が太くなり、確かに中低音部はまるでバリトンのような響きになってきました。
おそらくは、太い声のテノールだけれど、趣味で歌の勉強をしている人だから…ってわけで、色々見越して「ハイバリトン」という言葉も使われたのだと思います。
実際、太い声のテノールって、日本人には珍しいタイプでしょう。趣味で歌う人にはまずいないタイプだから、先生が色々と考えられたのも止むないことだと思ってます。
それと…
Ceciliaさんの合唱団のオバちゃんたち、甘えすぎ! 死ぬまで歌うつもりなら、死ぬまで向上心を忘れちゃダメでしょう。「これからの人生の中で、今日が一番若い日」なのだから、今がんばらないで、何時がんばると言うのサ!
・・・ねえ!
そうですよね~。
私は年だから、主婦だから~って思いたくないです。
それに地元ではそれなりに素養のある方々なのですから絶対にできると思うのです。
都会の同世代の合唱団ならこなしているのですが、刺激がなさすぎですよね。
それで地元で一番の合唱団だと思っているのですからね!
以前リコーダーサークルをやっていた時もそうでした。(私世代ばかりでしたが。)
ちょっと目標を高く設定したり、曲を増やすと、「ついていけない。」と言われてしまうので、いろいろと気を遣いました。
芝居やってる人ともお付き合いが色々ありますので、そっちの世界のこともよく知っています。みなさん、声が違いますね。きちんとお腹から出ている声です。尊敬しちゃいます!勿論発音もきれいですしね。
歌は私も初めはなめてました。結局生まれてから習わなくてもみんな歌ってますもん。どっちかというとなんで歌を習うわけ?みたいな気持ちもあると思いますよね。でも習って初めてえらいことやってるんやなあとオドロキモモノキでしたっ!今は習ってよかったと思っています。
それはギターでも似ていて、ギターなんか習わなくても弾けるという意識がありますが、実は習わずに弾いてる人のギターって、私にしたら、あれこれ言いたくなることばかりです。
そういうことって世間には他にもあるのかもしれませんね。
Ceciliaさん、
>「ついていけない。」と言われてしまうので
他には「そこまでする気はない。」とも言われてしまいます。私も一途な性格なので、集団で浮いてしまうことがよくありました。というわけで集団ですることは避けて生きています。私に被害がなければ、それぞれ、自分にあった目標に向かっていってくださればいいのですし、私は私の目標を目指しますしね。
でも考えてみたら、人それぞれに重要なことって違うかもしれないですし、得手不得手も違うでしょうし、同じ歩みで進むのが難しいですね。なんとかプラス思考で乗り切れるとお互い楽しいと思います。(と、集団を避けている私が言うのですから、説得力はないですけど…)
ticoさん、リコーダーサークル、私は立ち上げた時からのメンバーでした。
本来リコーダーでバロック音楽を・・・だったので、バロック中心になるはずが、「勇気100パーセント」とか「ムーンライト伝説」になってしまって。
いや、それももちろんいいのですが、どんどん趣旨から離れていきました。
指導者がいないので、私が実質の指導者のひとりでしたが、皆集まるとおしゃべりになってしまうので、練習があまりできませんでした。
自分たちで立ち上げたサークルでさえそうですからね~。
自分がやってみたい合唱をしたいという気持ちはありますが、かなりのエネルギーが要りそうでたぶんできないのでは・・・と思います。
私も子供も集団を避けて生きているかも・・・。(苦笑)
Ceciliaさん、
>皆集まるとおしゃべりになってしまうので
これは、どこも同じですね。
私はおしゃべりが、つまり練習しようとしている時に違うこと(特に日常生活のあれこれ)をしゃべられるのが大嫌いで、気持ちがそういう方向へ向かないのですよ。歳とともに生き方も少しうまくなって来るので、おしゃべりが始まったら一人で練習しています。
あ、申し遅れましたが、現在コカリナ(オカリナではなく)を教えてますので、主婦達はそのようになります。おしゃべりに加わらないことで、ちょっとだけ反発精神を表しているつもりですが、あまり伝わってないようです…。(笑)でもいいんです。私の気持ちが収まれば。お互いになんとかストレスを溜めないように生きられますように!
>Ceciliaさん&ticoさん
習わずにギターを弾いている私です。基本がなっちゃいないので、かなり不自由な思いをしています。
それはともかく、それぞれ思いの違う人たちから成り立っているのが現実社会というものなんでしょうね。現実とどう折り合いをつけるかということは、どう他人と妥協していくことかと、同義だと思ってます。
しかし、本来、趣味というのは、妥協のないものであり、その妥協の無さが、単なる暇つぶしとの違いだと思ってます。
暇つぶしのために行っている習い事と、趣味のために行っている習い事を、一緒にされたくないと私は思ってますが、これはやはり「上から目線」という奴なんだろうなあと、ちょっと自己嫌悪です。それに教える側からすれば、どちらもお客様でしかないのだろうし。
ふう。