体重:103.1kg[+0.1kg:+-0.0kg]
体脂肪率:31.0%[+0.1%:+0.1%]
BMI:32.6[+0.1:-0.3]
体脂肪質量:31.9kg[+-0.0kg:-0.3kg]
腹囲:99.0cm[+0.5cm:+0.5cm]
[先週との差:2012年当初との差]
正直に言います。「お正月太りしていた状態に戻りました」 …以上です。
いやあ、いくらストレスフルだからと言って、食べて寝ないで仕事して、食べて寝ないで仕事して…じゃあ、太るよね。いかんですよ。とにかく、馬車馬のように働いてはいけません。もう若くないんだから、のんびりゆったり働かないと…いけないよね。
んじゃあ、今週のエッセイいくよ。
幸せとは何でしょうか? 人によって色々な定義があるでしょうが、ひとまず私は『不足を感じる事が無い上に、喜びを多く感じられる』人生/生き方/生活が“幸せ”って奴じゃないかなと考えます。
では、そんな“幸せ”を手に入れるために、何が必要か?を、自分自身の人生って奴を振り返りながら、考えてみました。
それは……『あきらめない心』と『感度の高いアンテナ』かな~。
これらの二つの精神を持つ事が、幸せになるためのには必要であり、この二つの精神を持ち続ける事で、幸せであり続けられるのではないかと、私は思いました。
まず『あきらめない心』とは、人生における“不足”を補うために必要な精神です。
人は誰でも、生まれた時は裸です。何も持っていません。何も持っていない状態から、不足しているけれど必要なモノを、手に入れながら生きていくのです。
幸運な人は、より多くを持っている親の元に生まれ、親から多くのモノを譲り渡され、必要なモノを有り余る程もらい受け、楽に人生を始める事でしょう。しかし、すべての親たちが、多くを持っているわけではありません。我が子に何かをあげたくても、何も持っていない親だっているんです。それは金銭だけではありません。教育だってそうだし、才能だってそうだし、身の安全とか成長に必要な食事ですら不十分な事もあるでしょう。
人の幸不幸は“生まれ”で決まるのでしょうか? 私が思うに…答えは否です。出自で人生のスタートラインは大きく変わってくるでしょう。しかし、出自で人生のゴールは決まりません。少なくとも、日本国内では、出自で人生のゴールは決まりません。我が国では、そこに生まれた人の人生のゴールは、例えどんな境遇に生まれたとしても、自分自身の力で切り開いていけるもの…そう思います。少なくとも、成人してからでも、人生の軌道修正が可能なのが21世紀の我が国の状況だと思います。
だから、たとえどんな出自に生まれたとしても、人生のより良いゴールを目指していく事は可能で、そのために必要なのが『あきらめない心』だと私は信じています。
例えば、あなたが「幸せになるためにお金持ちになりたい」と願うとしましょう。
…いいでしょう。あなたがそう考えるなら。(ちなみに私は経済的に豊かである事が、すなわち“幸せ”とは思いませんが:笑)お金持ちを目指して努力していけばいいんです。うまく行けば、十代のうちに成功をつかむかもしれません。でも、失敗するかもしれません。
一度の失敗であきらめてしまったら、その人は永遠にお金持ちにはなれません。一度失敗しても、そこから立ち上がり、再チャレンジをすればいいのです。我が国ではそれが可能です。そして再チャレンジをしても失敗したら…再々チャレンジをすればいいのです。何度失敗しても、本人にその気があれば、そのたびに立ち上がってチャレンジをし続けていく事ができます。そしてチャレンジをし続けていけば、やがてお金持ちになれる“かも”しれません。
チャレンジをし続けたからと言って、お金持ちになれる保証はありませんが、お金持ちになった人は、お金持ちになるまでチャレンジをし続けた人です。これに例外はありません。
『あきらめなかったものだけが、願うモノを手に入れられる』 これがこの世のサダメです。
人の願いには色々なものがあります。金もそうでしょう、知力も権力もそうだし、仲間や友人、学歴や経歴や人脈、女(男)だって、そうでしょう。「アレが欲しい」「アノ人のようになりたい」 そんな願いをかなえるためには、愚直に、あきらめずに、その願いをひたすら追い求めつづけるのです。そうすれば、やがて自分の手で願いを叶えられるかもしれませんが……あきらめた途端に、願いは夢へと変わり、やがて夢想するだけのものに成り果てます。
自分に不足していると感じたもの、ぜひ欲しいと切望するものは…若いうちに、努力して、あきらめずに、ぜひその手につかみましょう。泥にまみれて努力する事。まずはそれが、幸せの第一歩です。
そして、不足しているモノ、あなたが手に入れたと願ったモノを、一つ一つ手に入れ、不足を満たしているうちに(あなたが強欲な人間で無い限り)、やがて“足るを知る”ようになります。つまり『不足を感じない生活』にたどり着く事でしょう。
ここが、私の考える“幸せな人生の入り口”です。ここに来るまでに、多くの人は青年期を終えてしまうかもしれません。
『戦争をしていない国が平和な国』とは言い切れないように、『不足がない生活』だけでは、人は幸せとは感じません。人によって、むしろ『不足がない生活』そのものに虚しさを覚えるかもしれません。なぜなら、そこには“不足”はないかもしれませんが、まだ“幸せ”はありません。
不足がない状態は、単なる“幸せ”の入り口でしかないからです。入り口は中身ではありません。そこを土台として、そこから、さらに色々なモノを積み上げて、あなたの“幸せ”を作っていかなければいけません。
では一体、そこに何を積み重ねていけば、幸せにたどり着くのでしょうか?
それは『喜び』や『楽しみ』といったプラスの感情です。これらを積み重ねていく事で、幸せにたどり着くと私は考えます。
これらのプラスの感情は、お金では買えません。強く願ったからと言って手に入るものではありません。努力をすれば、どうにかなるものでもありません。
なぜなら『喜び』も『楽しみ』も、私たちの生活の中にすでに“在る”ものだからです。だから、改めて手に入れる事はできないのです。
問題は、生活の中にすでに在る『喜び』や『楽しみ』を、私たちがどれだけたくさん見つけられるかどうかがポイントなのです。
『喜び』なんて、実はそこらに転がっているもんなんです。問題は、それらの一つ一つの事象を喜びとして見つけ出し、感じ取れる『アンテナ』があるかどうかなんです。
例えば『素晴らしい恋人と巡り合えた』…これは誰にでも分かる『喜び』でしょう。『友人が成功した』は…多くの人にとって喜ばしい事でしょうが、ある人にとっては別に何とも無い事かもしれません。
『庭の花が咲いた』ならどうですか? 『今日はお天気が良い』ならば? 『朝、すっきり目覚めた』ならどうですか? これらの事について、多くの人々は気にもかけないでしょう。でも、庭の花が咲いて気分はどうですか? お天気が良いと気持ちいいでしょ? 朝の目覚めがすっきりしているなら、一日の始まりが快適ではないですか? そして、そういう気分って…小さいけれど“プラスの感情”なのではないでしょうか?
『幸せ』を構成する『喜び』や『楽しみ』の一つ一つは、おそらく取るに足らないほど、小さなものだと思います。その小さな一つ一つの『喜び』や『楽しみ』を積み重ねていって、大きくて高い『幸せ』の山を作っていくのだと思います。
それは小石を積み重ねて大きな山を作り出す事に匹敵するほどの、大きな作業かもしれません。しかし、その作業は、いくら大きな作業とは言え、喜びと楽しみをもって、行っていく事が可能なのではないでしょうか? なぜなら、その作業をする事自体が、幸せな事、なのですから。
これらの小さな『喜び』や『楽しみ』を見つけ出すのに必要なのが、あなたの幸せを感じる“アンテナ”で、このアンテナの感度が高ければ高いほど、多くの小さな『喜び』や『楽しみ』を見つける事できます。そして、ちいさなそれらの『喜び』や『楽しみ』を積み重ねていって、あなたの幸せの山を高く大きくしていくのです。
『あきらめない心』と『感度の高いアンテナ』という二つの精神を、人生の二つの車輪として進んでいくならば、あなたの生まれや育ちはどうであれ、やがて幸せな人生にたどり着く…と私は思います。
と言うのも、私は幸せ…だと毎日感じて生きているからです。
私は、そんなに生まれが良いわけではありません。むしろ、タフな人生を送ってきた方でないかなって思ってます。しかし、子どもの頃から『あきらめない心』と『感度の高いアンテナ』の二つは持ち合わせたいたと思います。そして、この二つの精神のおかげで、今の生活(客観的にはケチがつけられるかもしれませんが、私にとっては幸せな人生)にたどり着けた…と思ってます。
だって、私は、毎日が楽しくて仕方ないのですよ(笑)。
ですから、若い人たちに言いたいのです。『あきらめない心』と『感度の良いアンテナ』の二つを持ち合わせてください。そうすれば、少なくとも、私程度の幸せな生活が手に入る…と思います。だって、私の人生は…そんなに捨てたもんじゃないですよ。
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