クルーズ船旅行の連載はまだ続きますが、今回は、先日の日帰り旅行の話をします。
今年はうっかり、ボタンとシャクヤクを見に行くのを忘れてしまって、すっかり花盛りを無為に過ごしてしまいました。今年はサクラもきちんと見ていなかったので、ならば、せめてバラぐらいは見ておかないと思って、重い腰を持ち上げてバラ見に出かけることにしました。
バラを見るなら…横浜の港の見える丘公園だよね。あそこは、下手な植物園なんかよりも、ずっと多くのバラが咲き誇っているから。
なので、この日の朝食兼昼飯は中華街にある、最近のいつもの店で食べることにしました。ここの店は高級中華の店なので、普通に食べに行くと結構なお値段になるのだけれど、ランチタイムだけは格安の庶民的な値段にしてくれるので、そんなランチ時を狙って食べに行くわけです。で、食べたのは、いつものエビ焼きそばです。この店に来ると、いつもエビ焼きそばしか食べません。だって、エビが美味しんだもの。焼きそばがきちんと香ばしいんだもの。
でもエビ焼きそばだけじゃ、私の空腹は満たせないので、途中にある点心屋に寄って、月餅を一つ買って、食べ歩きました。月餅は大中小の3サイズあって、大きい方から、1個、千円、四百円、百円となっています。本当は大サイズ(これが本来の大きさ)を食べたかったのだけれど、妻から「食べ歩きのデザートに千円は…?」と言われたので、中サイズにしました。大きさ的には大サイズの1/3程度ですが、味はフルサイズと同様で美味しかったです。
港の見える丘公園には、地下鉄の元町・中華街駅の駅ビルを経由して行きます。
港の見える丘公園は、高台にあるので、昔は元町から、急勾配の坂やどこまでも続く階段道をエッコラエッコラ登ったものですが、今は駅ビルを経由して、ビルの屋上に出ると、そこがアメリカ山公園で、そこから平らな道を歩いて、港の見える丘公園や外人墓地に行けるのです。ほんと、良い時代になりました。
アメリカ山公園は、すでにバラが満開で、ここで十分すぎるほど、バラ見を満喫しました。「これだけバラを堪能できたら、もう帰ってもいいんじゃないの?」って思うくらいです。
で、そんなアメリカ山公園を出て、港の見える丘公園に行きました。アメリカ山公園なんて、目じゃないほどのバラが咲いていました。いやあ、そりゃあそうだよね。
まずは、港の見える丘公園内にある、イングリッシュローズガーデンに行きました。広くて見事なバラ園です。色とりどりのバラが咲き乱れていて「アメリカ山公園のバラでいいじゃん」と思ってしまった、さっきの自分を殴ってやりたい気分になりました。ほんと、たくさんのバラが咲いていました。
で、イングリッシュローズガーデンを通り抜けて、バラとカスケードの庭を堪能してから、港の見える丘公園内にある、大佛次郎記念館(おさらぎ・じろう・きねんかん)に行きました。「戦国のひとびと 二人の秀頼」展をやっていたので、それを見たわけです。大佛次郎は「もしも豊臣秀頼が大阪夏の陣で死んでいなければ…」というテーマで、作品を2つ書いているので、その解説と展示をしていたわけです。大佛次郎の小説も興味深いですが、合わせて展示されていた、それぞれの作品(共に新聞小説)の挿絵(新聞小説なので、毎日挿絵が付きます)も展示されていて、それがいわゆる日本画の技法による挿絵だったので、とても興味深く見ました。今時、こういうイラストを書く絵師って…いないよなあ。
大佛次郎記念館の後は、県立神奈川近代文学館に行きました。吉屋信子展をやっていたので、さっそく入りました。入口付近のロビーで、吉屋信子の引っ越し歴に関する動画を上映していたので、それを見ている時に、場内アナウンスが入って、二階のホールで無声映画が上映されるというので、それを見てみたいと思って、さっそく二階に移動し、映画の当日券を買いました。220席しかないホールの、我々が購入したのは、180番台のチケットでした。ホールへの入場は、番号順に行われるので、我々がホールに入った時には、すでに見やすい席は当然なく、斜めのやや後方寄りの席になってしまいました。まあ、仕方ありません。
上映されたのは1935年に新興キネマ東京撮影所で製作された「福寿草」という映画です。スタッフ&キャストを書いておきます。
原作:吉屋信子「花物語」より
監督・脚本:川手二郎坂本薫(主人公の女学校生徒):江川なをみ
美代子(兄嫁・薫がお慕いするお姉様):久松美津江
村長(薫の父):大泉慶治
満男(美代子の夫・薫の兄):岡崎光男
物語は…年上の女性に憧れる若い女の子の心の機微を描いた作品…と言えますが、現代の視点で見れば、主人公視点によるソフトレズ、と言われても仕方ないかもしれません。何とも、不思議な恋愛もの映画でした。ちなみにエロは一切ありません。最初から最後まで清冽なお話です。ただ、主人公の心の内は結構グチャグチャですが(笑)。
本来は80分の作品だったそうだけれど、フィルムが散逸してしまって、今回上映されたのは、残っていたフィルムをかき集めて45分の作品に仕上げたというモノです。
昔、無声映画のフィルムは消耗品扱いだったので、上映が終わっても保存されるという事がなく、フィルムはいつのまにかどこかに消えてしまうものだったらしいのです。そんな状況を憂慮し、このままでは無声映画は消えてしまうと危惧した一部の有志の方によって、フィルムの回収・保護が行われ、何本かの映画が再生し保存されてきて、今に至るのだそうです。
それはとても貴重な出来事で、日本は、そうやって無声映画が残ってきた国だけれど、、世界の多くの国では、無声映画は数多く製作されたのだけれど、どこの国でも、当時撮影された映画フィルムの大半は残っていないのだそうです。なんと残念な…。
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