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怒っちゃ、ヤ~よ[2010年9月第2週・通算32週]

体重:96.2kg[-0.6kg:-12.3kg]
体脂肪率:28.2%[-0.2%:-4.2%]
BMI:30.4[-0.2:-4.1]
体脂肪質量:27.0kg[-0.5kg:-8.7kg]
腹囲:94.4cm[+0.4cm:-11.7cm]
     [先週との差:2010年当初との差]

 おたびダイエット14週目でございます。「ダイエットとは空腹との戦いである」のです。ひもじい時間を多く過ごすと体重が減り、食欲に負けて、ついつい食べてしまうと体重は増えます。なんて、分かりやすいんだー! 今週はいまさらながら、そんな事を肌身に感じました。ああ、腹減った…。

 さて、今週のエッセイです。別に『イカリヤ~に怒られた!』わけではありません(笑)。今回は『怒り』について、ちょっと考えてみました。

 さて、世の中には、いつも不機嫌で、やたらと怒っている人がいます。困ったものだと思います。

 「○○が悪いー!」とか「××が気に入らなーい!」とか「目の前のアイツはホントにイライラするんだー」とか「なんで、オレ/アタシばかりがこんな目にあうんだ!」とか…まあ、彼らには彼らなりの言い分はありますが、なぜかいつも刺々しい人がいますね。私は、そういう彼らの姿を見つけると、無意識のうちに距離を取って離れてしまいます。

 それと「怒る」と「叱る」を混同している人もいますね。これも困った事です。例えば、子どもとか若者をやたらと怒るオトナ/老人がいますが、ああいうのも見ていると「怒らずに、叱ればいいのに。あんなやり方じゃ、反発させるだけで、注意にも何にもなっちゃいいないよ」と、私はいつも心の中でつぶやきます。

 オトナの責任として、子どもや若者は、大いに叱っていかないといけません。成長のチャンスを与えるためにも、是々非々を正し、きちんと叱っていかないといけません。でも、そこで叱らずに怒ってしまったら、彼らに反発されるだけで、何も正す事はできませんし、無論、良い事はありません。

 若者に怒って、怒鳴りつけることで、自分のイライラを解消しているんでしょうね。ああ、見苦しいオトナです。

 それと、怒りと憤りもよく混同されます。私的な感情の爆発が“怒り”なら、公的な感情の爆発が“憤り”だと、私は思います。つまり、自分がヒドイ扱いを受けた時に感じるのが“怒り”で、他人がヒドイ扱いを受けているのを見聞きした時に感じるのが“憤り”です。

 家族がみんなでメロンを食べているのに、自分だけメロンが食べれない時に感じるのが“怒り”で、不景気で職を失い、食べるモノや住む所に困っている人がいる一方で、何らの経済政策も打たずに、自分たちの権力を保持することだけに夢中になっている政治家たちがいることを見聞きした時に感じるのが“憤り”だと思います。

 さて“怒り”って一体、どんな状態のことなんでしょうか?

 よくイヌが、敵を威嚇する時に「ウ~~」と唸っていますが、あれの人間バージョンが“怒り”なのではないかと思います。つまり、イヌが「ウ~~」と言っているのは「これ以上、イヤな事をすると、かみつくぞ~」と言っているわけでしょ。人間の場合も怒った人をそのままにして、ご機嫌をなだめてやらないと、暴力をふるったり、嫌がらせをしたり、脅迫したり、悪口や流言蜚語を言ったり、悪意の風説を垂れ流したり、ブログにハレンチな書き込みをしたり、といった攻撃をしてきます。

 つまり、怒りというのは、物理的な暴力の前に行われる、精神的な暴力なのではないかと思います。

 いつも怒っている人とか、ブログにハレンチな書き込みをする人って、おもちゃ売り場の前で「オモチャ、買って~~~」と大騒ぎをして、手足をばたつけて大泣きをしている子どもと一緒なんです(って、そんな子どもはいないか:笑)。オモチャを買ってやって、頭の一つでもなでてやれば、それで収まるんですが…子どもならそれで済みますが、オトナ相手に、何をどうすればいいわけ?

 それに[物理的であれ、精神的であれ]暴力に屈するのは、文明社会に生きる我々としては、取るべき解決方法ではありません。毅然とした態度でいなければ、この世の中から暴力は根絶できません。

 さて、皆さん。怒っている人の顔を、しげしげと観察した事ありますか? 私は意地が悪いので、よく観察しています。そういう人って、普段はやさしげな方でも、怒っている最中は、実に下品な顔をしています。正気とは思えない顔つきをしているものです。

 顔を赤らめ、目尻はつり上がり、鼻息は荒く、言葉は乱れ、舌はもつれて震え…確かに、うなっている犬みたいな顔をしてます。イヌならケモノだから下品も何もないですが、人間なのにイヌレベルになってしまっては…ちょっと悲しいです。

 怒りを奨励する宗教はおそらくないと思います。大半の宗教では、むしろ、怒りは、罪であり、悪徳であり、排除すべき行いにリストアップされています。日本社会でも、怒りの人は嫌われます。温厚で柔和な人の方が人々の尊敬を集めるものです。

 私は若い時から、なるべく怒らないように心掛けています。実際は、なかなか完璧にはできません。不覚にも心がかき乱され、怒りに我を忘れてしまう事がないわけではありません。そういう意味では、まだまだ人間修行が足りない私ですが、それでも、なるべく、怒らないように自分をコントロールしているつもりです。

 人間の悪徳には色々な種類のモノがあります。人間の本能に根付いているもの(姦淫、好色など)や社会生活のひずみから生まれるもの(敵意、争い、反目など)、悪い生活習慣から生じるもの(不摂生など)から逃れるのは、私にとっては大変に厳しい事です。それよりも、自分の心の弱さが原因で生じるもの(怒り、ねたみ、利己心、虚勢、嘘偽りなど)ならば、自分の心を律することで克服することができるのではないかと思ったからです。

 実際は、自分の心一つ、満足に律せないのが私の悲しい現状ですが、それでも心を野放図にせずに、理性でコントロールしようと試みている分だけ、より一人前のオトナとしての振舞いができているのではないかと、ちょっと自惚れてます。

 世界を平和にするには、核兵器の廃絶だとか、軍縮とかも必要ですが、人間一人一人が、心の中にある悪徳を、たった一つでもいいから、理性でコントロールしようと努力するだけでも、だいぶ、平和で安心安全な世界がやってくると、私は思いますが、こんな考えは、甘いのでしょうか?

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