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聞こえなきゃ話にもならない

 最近、改めて感じています。
 音楽は聞こえなきゃ話にならない。絵画は見えなきゃ話にならない。料理は食べて美味しくてナンボです。
 たぶん、多くの人はご存知ないだろうけれど、昔はラジオで映画を放送していたんですよ。もちろん、邦画ですよ。私が何度か聞いたのは、あの寅さんシリーズでした。寅さん映画の音声をそのままラジオで放送するんです。もちろん、画面は見えませんから、画面の様子は、しばしば音声を(たぶん)止めてナレーションで説明されます。
 当時は今よりもラジオの聴衆が多かった時代だし、まだ家庭用ビデオもなくて、旧作映画を見られるチャンスは今よりも全然少なかった時代です。だから成り立った、ラジオでの映画放送だと思うのですが…いやあ、何とも物足りなかったです。いくらナレーションで状況説明をされても、頭の中で一生懸命想像するんだけれど、それでもやっぱり実際の絵が見たいと思うものです。だって映画だもの、元々の映像があるんだもの。そういうものでしょ?
 確かにストーリーだけを伝えるなら、音声だけでもどうにかなるかもしれないけれど、映画は画面があってナンボです。俳優の演技って、映画における大切な要素でしょ?
 さて、閑話休題。音楽は聞こえなきゃ話になりません。だから、P.A.装置は大切です。音声を拡声して、広範囲に伝える設備は大切です。じゃあ、P.A.装置のないクラシック音楽は…と言えば、聴衆に音を届ける進化をしてきたわけです。音の小さなチェンバロは、音の大きなピアノに置き換わり、象牙で作られていたフルートは金属製にする事で音量の増大をし、1挺だけでは音が小さなヴァイオリンは合奏形式で演奏をして音量を増やしてきたのです。そうやって、電気の力を借りずに音量を増やして、広い会場にいる大勢の観客に音を届けてきたわけです。
 歌だって、合唱が発達してきた背景には、音量の増大が求められていたのだろうと思います。
 問題は、クラシック音楽における独奏/独唱でしょうが、これは個々の演奏者の努力と修練で乗り越えてきたと考えます。
 このように音楽は聞こえてナンボ、聞こえなきゃ話にはなりません。唯一例外として、私が受け入れるのは、素人独唱の発表会です。最善を尽くしても、客席には届かない歌声で歌う人がいますが、発表会は演奏者が主役ですから、それもアリ!と思います。聞こえない声で歌っていても「頑張れ、頑張れ」とエールを送ります。
 確かに聞こえない声で歌われては、客としては困りますが、それでも「次は聞こえる声で歌えるようになろう」という課題が生まれるので、発表者にとっては得るものがあるわけだし、発表会の客なら、それに付き合うのも、ある意味、義務だと思ってます。

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