レコ勉とは「レコード等のプロの音源を聞いて歌を勉強する」ことです。能力の高い人がやれば“耳コピ”ができます。
楽譜の読み書きを重視する教師は、生徒がレコ勉をすることを嫌います…が、現実問題として、少なくとも大人の生徒さんは、そのジャンルの音楽が好きだから音楽を習っているわけで、私の場合はオペラが好きだから声楽を習っているわけなので、レコ勉うんぬん以前に、たくさんの歌手の歌を好きで聞いているので、すでにレコ勉にどっぷり浸かっていたりするわけです。今更楽譜をしっかり読もうと思っても、頭の中では暗記しちゃったメロディーが勝手に流れたりするわけです。
だから五線譜を見ずに、歌詞だけを見ても、大雑把に歌えたりするわけです。
でも、耳で覚えたフレーズは楽譜どおりじゃないから、楽譜を見ながら歌うと、頭の中に「???」が飛び交い、混乱して、結局歌になりません。それでは勉強にならないので、耳で覚えたモノを一度封印し、改めてしっかり楽譜を読み込んで学び直さないといけないわけです。
最近は、それをかなり意識的にするようにしています。よく知っている曲でも、改めてリズムの確認をしたり、音を取ったりしています。そうすると…耳で覚えているメロディが楽譜通りでは無い事に気づいたりします。
プロのオペラ歌手の皆さんって、結構、自由自在と言うか、わがまま気ままに歌っているんですよね。特にリズムやテンポは…かなり“俺流”で歌っている人がたくさんいるんですよ。
クラシック音楽(特に声楽)というジャンルの特徴でもあるのですが、ほんと、テンポが自由自在なのです。テンポが揺れる揺れる…。特に高音歌手は高音になると、低音歌手は低音になると、たいていテンポがゆっくりになります。気持ちは分かりますが、それが頻繁に行われると、ちょっと目が回ります。
楽譜にない、慣習的に歌われるフレーズの方が有名になり、それが耳に残っていると、ちょっと厄介です。また、こぶしを回して歌う人の歌が耳に残っているのも厄介です。
ほんと、プロの歌手の皆さんって、ほんと自由ですよね。
たとえ楽譜から外れた歌い方であっても、成功している歌手の皆さんが歌っている歌い方の方が、ある意味、作曲家自身が書き残したメロディよりも正解なのかもしれませんが、学習者としては、まずは楽譜通りに歌うことが求められます。
まずは楽譜通りに歌える事。その後に、プロ歌手の皆さんのように、楽譜から逸脱しつつも演奏効果の高い歌が歌えるようになる事と順を追って上達していくべきなのだろうと考えます。
そういう意味では、レコ勉って危険ですね。だって、第一段階をすっとばして、いきなり第二段階に突入するようなものですからね。
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コメント
学習、練習、勉強ネタが大好きな私です。
我らが吉田雅夫様(私は「会った」ことがあります!)が、
ご著書で曰く「(苦笑いしながら)レコードの聞き過ぎは良くないよ」みたいな。
ところで、吉田さんが(確かストラビンスキーの曲を)吹いていて、
外国人指揮者から「マサオ!楽譜通りに吹け!」と注意されていて、
でも、音楽的に、どうしても楽譜通り(仮称A)じゃなくて、
もうちょっと、違った風に吹いていて(仮称B)、
後日、ご存命だった作曲者さんが、その曲を改訂していて、
改訂版は、吉田さんが吹いた通りの、仮称Bが記載されていたとか。
今そこにある楽譜は大事だけど、
楽譜が完璧ではない、っちゅうことかしらね?
ヾ(・◇・)ノ ヽ( ̄▽ ̄)ノ ヽ(・∀・)ノ
もう少し書かせていただくと、
小中高レベルの勉強で、学校の先生は、
「教科書ガイドなんか使うな」
「自分の頭で考えることが大切だ」
と(綺麗ごとを)言うけど、
大学院レベルの勉強では、
あらゆるものを読んで、聞いて、論文を書くのがあたりまえ。
偉大な経済学者サムエルソン曰く、
「私は経済学の全ての本を読んだ」(まあ、英語でしょうけど)
その話を、私が、日本の会計学者に言ったら、その学者さん曰く、
「僕も全ての(日本語の)会計学の本を読んでいるよ」
豪放磊落だった(と噂される)ランパルも、
ある曲の、あらゆる楽譜を集めて、丹念に研究していたとか。
教材(=本+レコード)は、
どんなにあっても、
どんなに読んでも、
どんなに聞いても、
あり過ぎ、読み過ぎ、聞き過ぎ、ってことは、ないのかしらね。
(-A-) (-A-) (-A-) ← ざっくぅ
おしまい
オペラ座の怪人の怪人さん
>今そこにある楽譜は大事だけど、
>楽譜が完璧ではない、っちゅうことかしらね?
この件に関しては、その外国人指揮者に同情してしまいます。ポピュラー音楽だったら、怪人さんが正解だけれど、この場合、クラシック音楽でしょ? クラシック音楽ってのは、今そこにある楽譜を忠実に再現するのが原理原則だからね。手元の楽譜に書かれている事と違う事をやっちゃったら、そりゃあ指揮者に怒られて当然でしょ。
でもね…
オペラ界では、19世紀末ぐらいまでは、一番偉いのは歌手で、作曲家や指揮者はそれ以下の立場だったので、歌手たちがほんと好き勝手をやっていたようです。作曲されていないフレーズを歌うのは当たり前だし、アドリブも勝手にドンドンやっていたし、オペラの最中に、別の(他の作曲家のヒットしていた)オペラアリアを勝手に入れて歌いだしたり…とか、ほんとう凄かったようですよ。
なぜ、オペラ歌手たちはそんな事をしていたのかと言えば、その方が客のウケが良かったから。つまり、オペラ歌手たちはオペラをエンタメとして歌っていたんですよ。あるいは、オペラのポピュラー音楽化を目指していたとか? ポピュラーの世界では、楽譜は尊重するけれど、楽譜通りの演奏は歓迎されません。
オペラが廃れていったのは20世紀に入ってからですし、その原因は色々あると思いますが、原因の一つとして、クラシック音楽として楽譜に忠実に歌うようになってきたというのがあるとは思います。
>小中高レベルの勉強で、学校の先生は、「教科書ガイドなんか使うな」
これはある意味、正しいアドヴァイスです。少なくとも、昔の教科書ガイドって、かなりいい加減だったんですよ。何しろ、学生バイトの労作でしたからね。はい、私も原稿書いてましたよ。なるべく正しく書こうとは心がけていましたが、よく分からないところは、結構ごまかしてました(汗)。そんな学生のバイト仕事に頼るよりも、きちんと自分の頭で考えて、自分の手で辞書をひいて勉強した方が、絶対に身につくと思います。
学問に王道なし、です。
そういう意味では、関連書籍をすべて目を通しておく事は、基本中の基本だと思います。私も大学院の頃は、手に取れる限りの関連書籍や論文にはすべて目を通したものです。
本日は朝のうちにご返信いただき、ありがとうございます。
反論でもないのですが、意見を申し上げますと、
>>>きちんと自分の頭で考えて、
>>>自分の手で辞書をひいて勉強した方が、絶対に身につくと思います。
一般的な、教科書だけ渡されて、なんとなく勉強する勉強方法を、
仮称A、
すとん様のおっしゃる、自分の頭、自分の手を使う「正しい」勉強方法を、
究極のZ(仮称)、と呼ぶとして、
私のチビッ子時代を思い出すと、
仮称A、教科書のあっさりとした説明だけでは、さっぱり分からず、
フラストレーションがたまって、勉強が嫌いになりそうでしたが、
一方で、仮称Z、自分の頭を使うとか、辞書を手で引くとかいうのも、
ほんと、正直、面倒くさい、
そこで、自分が採用したのが、教科書ガイドを買ってきて、
答を丸写しして、おしまい、という安直なことはしないで、
「詳しい」解説を読んで、ちゃんと理解して、90点~100点を取る、
という勉強法、言ってみれば、AとZの中間、仮称M?
教科書ガイド、ありがとう、という感じです。
まあ、勉強方法は人それぞれ、結果オウライをお許しください。
ヽ( ̄▽ ̄)ノ ヽ( ̄▽ ̄)ノ ヽ( ̄▽ ̄)ノ
(-A-) (-A-) (-A-) ← ざっくぅ
おしまい
オペラ座の怪人の怪人さん
教科書ガイドをしっかり使ってくれて、ありがとう。ゴーストライター冥利につきます(笑)。一部、ごまかしがあったとは言え、一応、真面目に書いていたつもりですからね。でもね、やっぱり良心の呵責はありますよ。今ならきちんと書けるだろうに、当時の力不足が悔やまれます。
教科書って、よく出来ているのだけれど、やはり先生の授業を前提としているので、内容的には、ちょっと不足するように作られています。だから、教科書だけで勉強するのは、少なくとも独学って点では無理なんです。だから世の中には参考書っていう補助教材があったわけです。
今はネットを利用すると、結構勉強できちゃうんですよね。予備校も配信授業に力を入れているし…昔と比べると、家庭学習の環境がだいぶ整っていると思います。今の子たちがうらやましいです。