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中途半端なアマチュアの演奏が一番つまらない!

 中途半端なアマチュアと言うのは『プロ並に上手いアマチュア演奏家』の一部を指しています。

 「プロ並みに上手いなんて、アマチュアにしてはすごいじゃないですか? アマチュアなんて、たいてい、下手くその集まりで、プロと比べられるほどの技量を持った人なんていないんだから、素晴らしい事じゃありませんか?」

 確かにアマチュアなのに、プロ並みの腕前であるなんて、素晴らしいと思うし、すごいと思うけれど、でも大抵はつまらないんです。だって、上手いだけなんだもん。余裕がないほどに上手な演奏だから、聞いていて、本当につまらないんですよ。

 この点においては“中途半端なアマチュア”だけではなく“売れないプロ奏者”も同じです。売れないプロは、売れようが売れなかろうが、プロとして活躍しているくらいですから、とにかく上手いんです。でも、上手いだけでつまらないから、売れないのです。売れないから、客も入らず、客が入らなければ、プロを廃業するしかないわけですから、この世には“売れないプロ”というのは希少な存在だし、一時的な存在なので、あまり問題にはならないのです。

 ですから活躍しているプロの演奏は、技量的に完璧であるばかりでなく、演奏そのものがチャーミングであったり、アグレッシブであったり、情熱的であったりして、聴く人をグイグイと演奏に引き込む何かを持っています。その演奏を聞いていると、その演奏が、いかに技量的に素晴らしいものなのかなんて、全然問題ではなくなるほどです。

 そして、アマチュアであっても、人の心を打つ演奏は、必ずしも技量的に満足がいくレベルに達しているとは限りません。おそらく、感動は、技量とは別次元に存在するモノなんだろうと思います。

 「とても下手くそな第九に感動した話」を先日書きましたが、あの後、今度は「中途半端なアマチュアの演奏会」や「売れないプロの演奏会」を聞き、本当に退屈をして、なぜ、これだけちゃんと演奏しているのに、どうしてこんなにつまらないのだろうかと考えてしまったわけです。

 まあ、演奏者がプロであれ、アマであれ、演奏そのものがヘタクソで良いとは、私、微塵も考えません。上手いに越したことはないし、たとえアマチュアであっても、人前で演奏する以上、技量的にあるレベルを超えていないとダメだろうとも思います。

 しかし、観客の立場であれば、上手な演奏と言うよりも、楽しい演奏、心に響く演奏、感動的な演奏を、聞きたいのです。クラシック音楽とは言え、エンタメですからね、演奏を聞いて、何かしらホッコリしないとダメでしょう。

 そこらへんの、エンタメ性を忘れているのが、中途半端なアマチュアだったり、いずれ消えてしまう、売れないプロだったりするのかなって思うわけです。

 音楽の練習を、修行や修練として捉え、日々自分磨きの一環として行っている人がいる事は知っています。それはそれで立派だと思うし、それほどまでに厳しい姿勢で音楽に取り組めるなんて、うらやましいです。でも、その厳しさは稽古場では美徳ですが、舞台ではいかがなものでしょうか? 

 練習室や稽古場では自分との戦いですが、舞台では観客の存在を忘れてはいけません。
 舞台人であるならば、観客を楽しませたり喜ばせたりすることを忘れてはいけないと思います。そこを忘れてしまった音楽は、かなり残念な音楽だなって思います。

 まあ、これは私自身に向かって言っているようなモノなんですがね(笑)。 え? “お前は中途半端に上手い”ではなく“きちんと下手くそだ”って? まあ、そうかもしれませんがね。気持ちだけは、いつも前向きの上昇志向でありたいんです。

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コメント

  1. chako より:

    おはようございますm(__)m
    先月上野星矢先生の仙台リサイタル行ってきました
    まさに言葉には表せない、観客を感動させるなにかをもっていましたよ
    けっして技巧ではない何か

    この年になると少し話すと、人となり何か感じますが、上野星矢先生は若いのにとても人として良い方に感じました

    人格も人柄も演奏の一部かな

  2. akkoto より:

    ユニークな視点で明快な分析、楽しく読ませていただきました。。。「とても・・・第九に感動」の記事には、お腹を抱えて笑ってしまいましたが、ほのぼのしていていいですね~
    私はトルコ在住ですが、こちらはプロが天才から唖然とするようなレベルまで包括しているので、私的にはまだ消化してれていませんが、すとんさんに一度分析していただきたいです~

  3. たまごっち より:

    はじめまして。いつも楽しく読ませていただいています。

    日本の楽器って、お祭り音楽でない限りは精神鍛錬の結晶・・・なイメージを勝手にもっているのですが、きっとヨーロッパの音楽も、音楽は本来は厳しい姿勢で臨むもの・・・なんでしょう。
    でも、観客に聴かせるとき・・・となると、きっと考え方や姿勢が根本的に異なるんでしょうね。

    つまらない演奏は、中途半端なんだと思います。

  4. だりあ より:

    プロとアマチュアの違いですか・・・私はあっちの人とこっちの人の間でお金が動くか動かないか、それだけの単純な違いだと思っています。本人が「私はプロです」と宣言すれば、どんなにへたでも対価は発生しますよね。どんなにすばらしい演奏でも「アマチュアですからお茶だけで」と言われば、お茶とお菓子と寸志です。
    スポーツの世界で、クーベルタンさんがオリンピック創設時に宣言としておっしゃっていることがどんな分野でも、プロとアマチュアの境界を分ける厳然たる真理だと思いますけど、今はもうあちこちグチャグチャですよね・・。まあ自由でいいんじゃないでしょうか。特に音楽では、聴く立場の人のほうが選択権を持っていますので、どちらかというと強いってこともありますし。

  5. アデーレ より:

    本当になかなか、興味深い内容ですね、今日は。
    私もアマチュアでその上に下手で見た目も平凡であり、舞台を圧倒するものを何も持ち合わせていませんから、本当に退屈な歌唱と言えるのかもしれません。ですから、なるたけ自然な範囲でニコニコして【にこやかに】歌おうかと思っています!春に発表会があるので歌で勝負にならない分を気持ちよくにこやかに歌おうと!視覚的に聞いてる方もそれならよくないかな~、と考えました(笑)
    曲の音形に合わせて表情を多少、変化させながらニコニコ路線でいきます!いかがかしら~(笑)

  6. すとん より:

    chakoさん

    >人格も人柄も演奏の一部かな

     それは言えると思いますよ。結局、音楽の演奏って表現じゃないですか? 表現である以上、表現者の人柄を経由して表現するわけだから、その良し悪しについては、ベースとなる人柄ってものの良し悪しが関係すると思います。

     円満な性質の方の演奏はやはりゆったりしているし、エキセントリックな性格の方の演奏はやはり尖っているもんでしょ?

  7. すとん より:

    akkotoさん

    >こちらはプロが天才から唖然とするようなレベルまで包括しているので

     ブログを拝見していると、そちらは我々と人々の気質がかなり違っていて、色々と大変そうですね。おそらく、プロだアマだとかの感覚も、我々とはかなり違うのかもしれません。

     民族や文化が違えば、表現方法や表現の動機付けも違うわけで、そこが大変だし、そこが面白いのだろうし、そこで苦労されるんだろうなあって思います。

     がんばれ(とりあえず応援します)。

  8. すとん より:

    たまごっちさん、いらっしゃいませ。

     どんな芸術芸能であっても、稽古は常に真剣で自分との戦いだし、限界ギリギリを目指して頑張るものだと思います。

     もちろん、舞台でも演者は真剣だろうし、自分の限界まで出し切るものでしょうが、でも、そんな頑張りを見せたら、客は引きます。一生懸命頑張りつつも、その頑張りを感じさせない…それが舞台人の最低限のマナーだと私は思いますよ。

     言葉で言っちゃえば簡単な事だけれど、これを実際に行うために、たくさんたくさん練習して腕を上げなきゃいけないんだよね。

  9. すとん より:

    だりあさん

    >私はあっちの人とこっちの人の間でお金が動くか動かないか、それだけの単純な違いだと思っています

     私もそう思いたいのですが、実際はかなり違うみたいです。つまり、客から木戸銭をもらわずに演奏するプロもいれば、客にチケットを売りつけるアマもいます。

     実は、私のフルートの先生であるH先生の、近々のコンサートは無料なんですが、なんでも主催者からたっぷりギャラをいただくので、客は無料なんだそうです。ですから、見かけ上はタダで演奏しているように見えますが、実はきちんとビジネスとして演奏しています。そういうケースは良いのですが、中には「ボランティア活動」と称して、無料で演奏されるプロの方もいらっしゃいます。いくらボランティアだからと言って、自分を安売りしていいのかと、他人事ながら心配になります。

     逆に、アマなのにしっかりチケットを販売する方もいらっしゃます。とりわけ、団体の皆さんにその傾向は強いですね。その理由を尋ねると、曰く「会場費がかかるから」、曰く「指揮者/伴奏者がプロだから」、曰く「プロのゲストを呼んでいるから」等々です。

     会場費? 指揮者/伴奏者がプロ? ゲストがプロ? そんなことは客には関係ないです。それでも有料チケット販売をするなら、あなたの演奏は抜きにして、そのプロの方々だけの演奏で聞きたいものです…と毒づきたくなります。会場や伴奏がどうであれ、客はアマであるあなたの演奏を聞きに行くわけですからね(それもたいていは縁故で断りきれずに…)。

     ならば「チケット代は、我々の打ち上げ代の一部になります」と公言してくれた方が、このチケットは、あの人たちの酒代なんだなっと、まだ納得がいくってもんです。

     アマチュアは自腹を切って演奏するべきだ…なんて古臭い考えを持っている私だったりします。

  10. すとん より:

    アデーレさん

     笑顔はいいですね。少なくとも、不安げな顔つきや、ブータレた顔つきで歌う人がおりますが、そんな人よりもずっと良いです。演者が不安だと、その不安は客に伝染りますし、演者が不平不満だからけだと、客も不愉快が伝染るものです。

     なので、笑顔は良いと思いますよ。でも、表現を考えた場合は、笑顔であるよりも、詩の感情に身を委ねた方が良いかもしれませんね。

  11. たまごっち より:

    >すとんさん
    こんばんは。返信ありがとうございます。

    がんばりつつもそのがんばりを感じさせない演奏・・・
    なるほど!たしか、モーツァルトも同じことを言っていたのを読んだ気がします。
    (今思い出しました)
    斜め読みしたので記憶はあやふやですが、でも確かにそんなことが書いてありました。

    腕を上げて叶えたい表現は、「頑張ってます!」でなくて、他のことですね。
    思い切って書き込んでみて良かったです。これからも楽しみにしています。

  12. EK より:

    すとんさん、こんにちは!

    鑑賞する側の立場からすると、ホントにそうですね~
    すごくよくわかります。
    すとんさんのおっしゃる「中途半端なアマチュア」と「売れないプロ」の共通点は
    「テクニックはあるけど、それで表現したいものが伝わらない」
    ということですかね。

    伝わらない理由は次のとおりかと。
     ①表現にテクニックが生かされていない
     ②表現したいものの趣味が鑑賞者と合わない
     ③そもそも表現すべきは自分のテクニックと思っている(笑)
    感動する演奏と感心する演奏は違いますよね。

    一方、アマチュア演奏者の端くれとしては
    修練できることはやっぱりテクニック中心なわけで、一生懸命やってきたことだから、
    発表会などではそれをお聞かせしよう!という間違った心になりがち、、ですねえ。
    ああ、反省。。

    クラシックの場合、テクニックがあれば出来ること
    (テクニックがないと出来ないことというべきか)というのは、
    結構多い(多分、声楽より器楽はもっとそうでしょう?)から、
    どうしてもそうなっちゃうんだと思います。
    「大音量で高音が出るんだぜ!」とか「むずかしいカデンツァが歌えますのよ!」的な
    演奏は、いくらアマチュアでも、いかんですよね。

    しかし、表現したいものを自分の中に醸成することって
    大事だけど、時間がかかるし、繊細な心も必要ですよね。
    私も、ついつい手を広げてしまうのだけれど、一つ一つの音楽に
    丁寧に真摯に向き合わなくてはいけないな、と反省させられました。
    すとんさん、良い記事をありがとうございました!

  13. すとん より:

    たまごっちさん

     モーツァルトの話は知りませんが、同じような事を言っているのだとしたら、ちょっとこそばゆいです。

    >腕を上げて叶えたい表現は、「頑張ってます!」でなくて、他のことですね。

     つまり、演奏者がその曲で伝えたいものは何か?…って事なんだと思います。そこを見失わなければ、少々テクニックに難があっても(少々ね、あくまでも)、伝えたいモノの片鱗ぐらいは伝わるんじゃないかな? 逆に言うと、伝えたいものがないのに演奏してしまうと…それこそ“仏作って魂入れず”となり、テクニックだけが空回りをする、ある意味“痛い”演奏になってしまうんだと思います。

     まあ、私のような下手くその場合は、表現だとか、伝えたいモノだとか、そんな事を言う前に、まずは最低限のテクニックを身に付けろって事です(汗)。

  14. すとん より:

    EKさん

     見事な分析、感服しました。まさにその通りだと思います。これに、付け加えるとすると…

     ④表現すべきモノを持ち合わせていない
     ⑤作品に対する愛がない

     …あたりを加えたいかな?

     つまり、的外れな演奏はダメよ…なんだと思います。

     テクニックのある人が陥りやすい穴は“スポーツ的な快楽”なんだと思います。演奏行動って、肉体を使って行うわけですが、その際に筋肉を動かすことで得られる快感に演奏家自身が溺れてしまい、音楽そのものが持つ悦楽を表現することを忘れてしまう…というのが、根本にあるかなって思います。EKさんのおっしゃる③に近いのですが…。私はそれを『体育会的な演奏』と呼んでいます。もちろん、演奏には、アクロバティックな魅力も必要ですが、それだけではつまらないと思ってます…ってか、それだけじゃあ華があっても、肝心の中身がないよね…って事です。

  15. EK より:

    おほめ頂き、恐れ入ります。

    『体育会的な演奏』・・言い得て妙ですね!

    確かに声を出すことは、根本的に気持ちが良いですものね。
    しかし、出してる人が気持ちいいから、聞いてる人が気持ちいいとは限らない・・・
    間違いの元ですね(笑)

    うちの先生は「演奏中はもちろん熱くなっていいんだけど、どこかで自分をコントロールする冷静なもう一人の自分を残しとかないとダメよ~」とおっしゃってます。
    といって、演奏している本人が高揚していない演奏は、それこそつまらないだろうし。。
    兼ね合いが難しいですね!

  16. すとん より:

    EKさん

     難しい難しい、だから舞台は難しい…し、楽しいのだと思います。よく「舞台には魔物がいる」って言いますが、それこそ、そんな魔物に食われない事が大切なんだと思います。

     演者の楽しさと観客の楽しさは別ものでしょうが、その両立を探していくのがアマチュアが目指すべき方向だろうと思います。そして、演者の経済的な必要と観客の満足を両立させていくのがプロなんだと思いますよ。

     やっぱり、色々と難しいと思います。

  17. あじ より:

    非常に共感いたしました。

    演奏者の人格や技巧が優れていようがいまいが
    そんな小賢しい飾りつけはけっこう。興味ない
    ただ良い曲を聴かせてくれ、と思います

  18. すとん より:

    あじさん、いらっしゃいませ。

     客が求めているモノを提供できる事。これはエンタメのみならず、すべてのサービス業の根幹にあるモノだと私は思います。プロであれ、アマであれ、他者に演奏を饗するのであれば、力及ばずとも、その求めに応じていこうとする姿勢が大切だと思います。

     その結論が「良い曲を聴かせてくれ」ですね。実に同意します。

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