体重、計り忘れました。すんません。さっそくエッセイに入ります。
近年、テレビの視聴率が下がってきているそうですね。つまり、テレビを見る人が減っているわけで、それに伴って、CM広告料で経営している民放テレビ局の収入が減ってきているそうです。
そのあおりを受けて、テレビ局で働く方々のお給料が下がってしまって大変なんだそうですが、私に言わせれば、今までが高給過ぎたのですから、そんなに大騒ぎをする事ではないと思います。減った減ったと騒いでいる今だって、世間の普通の会社員と比べたら、十分すぎるほどの高給取りなんですから。
と言うわけで、テレビ局の職員の方々にはあまり同情しない私ですが、テレビ局に出入りしていた業者の方や下請け会社の方々の中には、契約を打ち切られたり、仕事量が減ったり、支払が渋られるようになったり…と色々とコストダウンのしわ寄せの煽りを受けて、廃業せざるをえなくなったり、失業したり、そこまでいかなくても収入が極端に減ってしまったりした方々も大勢いらっしゃるわけで、そういう方々については、深く同情している私です。
大手による下請けイジメと言うのは、いつの時代でも、どんな業界にもあるモノとは言え、相手の立場の弱さを突いて、無理難題を吹っ掛けると言うのは、端から見ていて、あまり気分のいいモノではないです。下請けの人たちにも家族がいて生活があるわけだからね。できれば、お手柔らかにお願いしたいものです。
まあ、それはさておき、それらすべての元凶は『テレビの視聴率が下がってしまった』からですね。テレビ番組が以前のように大勢の人たちに見られていたら、そんな事にはならなかったわけです。
民放テレビ局の番組を見るのに、テマもかからなければ、オカネもかかりません。ただ、テレビにスイッチを入れて、チャンネルを合わせるだけで、見れます。それは今も10年前も30年前も変わりません。なのに、昔はみんなテレビを見てくれたのに、なぜ今は見てくれなくなったのか? そこが問題でしょうね。
私はテレビを見る人です。忙しい忙しいと言いながら、結構見てます。毎日の簡便な娯楽として、2~3時間か、もっと見てます。だって、いわゆる“テレビっ子世代”ですからね。テレビ大好きなんですよ。
そんな私からすれど『テレビの視聴率が下がった』と聞けば…そりゃあそうだよね、以前と比べて、テレビ番組がつまらなくなったもんなあ…って思います。
テレビなんて、自宅で無料で見られるものです。面白ければ見るし、つまらなければ見ないだけです。それはテレビっ子世代である私だってそうです。面白い番組は見るけれど、つまらないモノは見ません。つまらない番組ばかりになれば、どんどん見なくなります。見る人が減れば、当然、視聴率だって悪くなるでしょ? つまりそういう事なんですよ。
テレビ局で、番組を作ったり、番組を編成している人って、きちんとテレビを見ているのかな? って思います。たぶん、見ていないんじゃないかな? きちんと毎日テレビを見ていたら、あんな番組は作らないだろうし、あんな番組編成にはしないだろうなあって思うもの。
具体例を出しましょう。
例えば、バラエティー番組の、番組冒頭部とか、CMに入る前にちょっとした時間に、その番組のハイライト的な部分を見せるでしょ? で、その時「この後、驚きのゲストが!」とか言いながら、そのゲストの姿を映しちゃったり、「この後、衝撃の事実が!」とか言いながら、その衝撃のシーンが流れちゃったり…。あれって、推理小説の合間合間に「犯人は××です」って書き込むようなモノで、あれを見ちゃうと白けるんだよね。だから、私は、その手のシーンがあって、この先の展開が見えちゃうと「もういいや」と思って、その番組を見るのを止めます。だって時間がモッタイナイじゃない? それに、ああいうのって、なんかテレビ局のスタッフに馬鹿にされたような気がして、イヤなんですね。
確かにCMって奴は、番組にとっては鬼門です。CMになったら、別の局にチャンネルを替えちゃう(いわゆるザッピング)でしょうから、なるべくCM後も同じ番組を見続けてほしいので、色々と苦労して、興味をつなぎとめようとしているんだろうけれど、だからと言って、あれはないでしょ? 逆効果じゃんって思うわけです。
視聴者は番組を見たいのであって、CMを見たいわけではないのです。でも、CMを見せなければいけないのがテレビ局の仕事だとしたら、CMをどう見せるか、そこに知恵をしぼるべきじゃないのかな?
同じように、バラエティ番組を見ていて「馬鹿にされているなあ」って感じるのは、雛壇タレントさんたちの存在です。特にVTRで番組が進行するような番組だと、VTRとVTRの間に雛壇タレントさんを映して、彼らの感想を聞いたり、VTRの最中もワイプで雛壇タレントさんの表情を抜きだして彼らの反応を映していたりするけれど、あれって、テレビ局のスタッフに「ああいう感想を持ちなさい」とか「こう反応しなさい」とか示されているようで、とってもイヤ。押しつけがましいし、番組の中身が薄く感じます。もちろん、VTRの合間にメインの解説者なり司会者の方が解説をしてくれるのはありがたいけれど、雛壇タレントさんたちの感想はいらないです。ましてや、雛壇タレントさんたちの悪ふざけなんて、うへ~って思うだけです。
テレビドラマも、ドラマを見せたいのか、タレントさんを見せたいのか、中途半端なモノが多くて、ちょっとウンザリです。ドラマを見せたいなら、有名なタレントさんなんかいらないから、演技派の俳優を揃えて、ビシっとドラマ制作して欲しいし、タレントさんを見せたいなら、ドラマの筋書きなんてどうでもいいから、そのタレントさんの様々な表情をたっぷりと見せてほしいです。
タレントさんにきちんとしたドラマをやらせるのが、今の流行りなんだろうけれど、それは無理な話でしょ? きちんと演技の勉強をして経験を積んだプロの俳優さんと、ただのテレビタレントさんでは、その実力は雲泥の差じゃないの?
なまじ素人に毛の生えたようなタレントさんをドラマに起用するから、ドラマそのものがつまらなくなってしまうし、彼らに無理めの演技を要求するから、せっかくのタレントさんの良い部分が生かされないし…。なんだろうねえ。「虻蜂取らず」というか「角を矯めて牛を殺す」と言うか、結果として、ドラマもタレントさんも、両方の良いところを殺している事になるわけです。おまけに、そんな生ぬるいドラマばかり作っているから、本当のドラマ好きの視聴者たちにあきれられて、映画とか海外の秀作ドラマに逃げられてしまうんだよな。
歌番組も、昔の歌番組は家族揃って見れたと思うけれど、今の歌番組って若者しか楽しめないラインナップでしょ? そんな狭い年齢層を狙っているのに、視聴率もへったくれもないと思うし、私なんかは、とても歌番組を見る気持ちにはなれないよね。
ニュース番組は、反日的な番組ばかりで、政府やアメリカに常に反対しケチをつけ、皇室を軽んじているのが見え見えでイヤです。別に番組の主張が右翼でも左翼でも良いのですが、自国を貶め、若い人のやる気をそぐようなテレビ番組はいりません。 そんなモノ、誰が見るんですか? ニュース番組なら、中立な立場で事実を伝えてほしいわけで、テレビ局の反日的な意見を、アナウンサーに語らせるのは止めてほしいなあって思います。
昔は似非インテリが幅を利かし、そういう人ってへそ曲がりだから、反日自虐報道が受けたから、そういうスタイルでも良かったんだろうけれど、今はそういう自国を貶める報道って、かっこ悪いって事に気づかないのかな? 妙に愛国的なモノも、どーかと思うけれど、反日的で、国益に反するような報道なんて見たくないよ。なるべく中立公正な立場で報道してほしいものだと思います。
さらに言える事は、我々視聴者の、テレビを見るスタイルが変わったという事も、視聴率の低下につながっているんだろうなあって思います。
昔は、テレビ番組って、一期一会の部分があったら、ちょっと時間の隙間にテレビのスイッチを入れて、ダラダラと言うか、仕方なしにと言うか、とりあえず“今放送している番組を見る”というスタイルでした。その番組が、たとえつまらなくても『そのうち、面白くなるかもしれない』と思って見ていたり、そのうちお目当てのスターが出てくるだろうから、それまで我慢して見ていたり、他に見るものもないので仕方なしに見ていたり、とにかく寂しいから、誰も見ていないけれど、テレビをつけておいたり…なんてね。
でも、今は、HDR(ハードディスクレコーダー)が普及して、ひとまず見たい番組は録画しておいて、あとで見るのが普通になったと思います。なぜなら、このやり方なら、CMをスキップして番組に集中して見る事ができるし、裏番組だって録画しておけば見れるし、雛壇タレントさんの馬鹿騒ぎを飛ばせるし、早朝や深夜の番組だって見ることができるし、新番組だけれど、今すぐに見るかどうかは決められないので、しばらく録画して溜めておいて、評判が良ければ見るし、悪ければ見ずに削除すればいいし…なんて感じでしょ?
さらにケーブルテレビやBS放送やCS放送も普及して、いわゆる“地上波”以外のテレビ局もたくさん増え、見たい番組も増えました。地上波では放送されない海外ドラマにも面白いものはたくさんあります。地上波で中継してくれないマイナースポーツの試合だって見たいです。昔々に放送された過去の名番組を再放送してくれるのも、その手の局だったりします。
映画もビデオレンタル店から借りてくれば、旧作ならいつでも見れます。ヒデオオンデマンドだってあります。当然、それらで映画を見ている時間は、テレビは見ていても、テレビ番組は見ていないわけです。
さらにゲームをするためにテレビを使えば、その時間はテレビ番組は見ていません。最近では、テレビでネットも見れるそうですね。そうなると、ますますテレビ番組を見ている時間が減ります。
そう考えると、みんな昔ほどテレビを見なくなってきたわけで、視聴率が下がるのも仕方のない話かもしれません。
その一方で『あまちゃん』や『花子とアン』は高視聴率なわけだし、例年視聴率が悪い悪いと言われている大河ドラマも、今年はなかなか視聴率が良いわけでしょ? 民放だって『半沢直樹』や『リーガル・ハイ』とかは高視聴率だったわけで、こんな時代でも、テレビ局がきちんと面白いモノを作れば、みんな見るわけよ。
つまり、視聴率が下がってきたのは事実だけれど、それは時代が変わったから、そうならざるをえなくなった部分があるわけで、あくまでも構造的な変化がもたらした結果なんだと思います。
簡単に言っちゃえば、昔はNHKと在京5局の民放で分け合ってきたテレビ視聴者を、今では地上波のテレビ局以外でも、ケーブルテレビやBS放送CS放送、レンタルビデオにゲームにインターネットなどと、分け合っているのだから、一つ一つのテレビ番組/テレビ局の視聴率が下がっているのも当たり前と行っちゃあ当たり前の話なんです。
結局、視聴率は下がらざるを得ないのだから、昔のビジネスモデルである、広告収入だけに頼ったテレビ局経営では、今後は難しいでしょうね。かと言って、NHKのような、テレビという機械が家庭にあったら、問答無用で受信料徴収というやり方も、理不尽だと思います。
素直に、視聴者とテレビ局が契約を結び、視聴者はテレビ局に契約料を支払ってテレビ番組を見るというスタイルにすれば、問題ないんじゃないかな? そうすれば、テレビ局は視聴率から自由になれるわけだし、個性を打ち出して他局との差別化を図れば、固定客だって獲得できるわけだしね。
まあ、どちらにしても、テレビ局が殿様商売ができる時代は終わったという事だと思います。ラジオ局が今に生き残っているように、テレビ局も自分たちの立ち位置をしっかり見定めて、落ち着くべきポジションに落ち着くべきだろうと思います。
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コメント
こんばんは。
こちらもテレビは好きです。
何も気にせずおバカなテレビを見れる、ことにホント幸福を感じてしまいます。
テレビで印象に残っているのは、アポロ13号の月着陸と浅間山荘の生中継でした。どちらもリアルタイムで見ましたが、これを超える放送はない、とおもっています。またある意味では決定的というほどのことはありませんが、自分の立ち位置にも影響を与えています。
最近のバラエティは内輪受けが多すぎてつまらなくなってしまいました。松本清張のドラマ版は大好きでした。トレンディドラマと呼ばれたものも、ロンバケは大好きでしたしかなりみていますが、最近は毎週追っかけるのが面倒でほとんどみていません。
テレビ、新聞、雑誌などのメディアは当然作った人の思想とか意志があるので、必ずバイアスはかかっています。一次資料に直接あたる、というのは大切ですが、とかかなり限定された範囲でしかオッカケできません。バイアスあり、を前提として右から左で流し続けて、引っかかることがあればそのとき見直すことができれば、という程度でしょうか。
ジョージ・ギルダーが「テレビの消える日」という本を書いたのは20年以上前、インターネットもなかった時代です。未来予想をした本を今になって後から読むと違った意味で面白そうです。
tetsuさん
アポロ13号と浅間山荘ですか。やはり歴史的な事実を報道する番組(?)には作り物は敵わないのだと思います。昨今の例で言えば、アメリカ同時多発テロの映像とか、イランイラク戦争の映像とか、東日本大震災の映像とかですね。まったく目を覆いたくなるような大惨事でしたが、これらはテレビの力というものをまざまざと見せつけてくれたと思います。
>テレビ、新聞、雑誌などのメディアは当然作った人の思想とか意志があるので、必ずバイアスはかかっています。
今考えれば、それは当然の話ですが、BS放送での海外ニュースとかインターネットが普及するまでは、そんな事にも気づかずに、易々とメディアに世論が操作されていたのですから、我ながら愚かだったなあと思います。そして、その手法は今でもまだ通用するんですから、恐ろしいと思ってます。ほんと、世の中を動かしているのは、我々日本国民でもなければ、政治家たちや企業のトップではなく、マスコミだったりするんですから、誰がこの国の主人なのか、疑問に思いますし、それじゃあいけないとも思います。
こんばんは。
山籠もり中にお邪魔で、失礼します。
こちらも山籠もりしてケータイ、メールの仕事とかもろもろから離れたいとおもうこともありますが、有給休暇もない立場でなかなか難しいです。仕事はメチャオモロイのでグチることはありません。
今日はオボちゃん関連の話題で、ニュースが流れました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140805-00000020-asahi-soci
彼女とその後の笹井氏の記者会見は事務所で流しっぱなしで見ていました。
笹井氏は頭が良すぎて、STAP現象はない、と結論づけてしまったと推測しています。
反証実験を試そうとしなかった、というのが失敗でしょうか。
http://openblog.meblog.biz/article/23254226.html#more
STAP関連では以前からこのサイトに注目していました。
今回もかなり面白い(ヒンシュク???)コメントです。
分子生物学会のヒステリーについては、
http://openblog.meblog.biz/article/23228207.html#ps
そもそも、STAP細胞事件の問題点は、何か? 次のことだ。
“ STAP細胞が本当に存在するかどうかもわからないまま、「 STAP細胞は存在する」と勝手に思い込んで、勝手にあれこれと研究を推進した。その際、「 STAP細胞は存在しないかもしれない」というふうに疑念を持つことはなかった。だから、STAP細胞が存在するかどうかについて、チェックすることもなかった。もちろん、再現実験もしなかったし、実験ノートをチェックすることもなかった。 ”
これとそっくり同様のことを、分子生物学会はやろうとしている。こうだ。
“ 不正が本当に存在するかどうかもわからないまま、「 不正は存在する」と勝手に思い込んで、勝手にあれこれと処分を推進する。その際、「 不正は存在しないかもしれない」というふうに疑念を持つことはなかった。だから、不正が存在するかどうかについて、チェックすることもなかった。もちろん、実験ミスがあったかの検証実験も止めようとしているし、検証実験で実験ノートを取ることも止めようとする。 ”
まったく、うり二つである。「自分は正しい」とだけ思い込んで、「自分は間違っているかもしれない」という可能性を考慮しない。
—
芥川龍之介曰く
人生を幸福にする為には、日常の瑣事を愛さなければならぬ。雲の光り、竹の戦(そよぎ)、群雀(むらすずめ)の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ。
人生を幸福にする為には?――しかし瑣事を愛するものは瑣事の為に苦しまなければならぬ。庭前の古池に飛びこんだ蛙は百年の愁を破ったであろう。が、古池を飛び出した蛙は百年の愁を与えたかも知れない。いや、芭蕉の一生は享楽の一生であると共に、誰の目にも受苦の一生である。我我も微妙に楽しむ為には、やはり又微妙に苦しまなければならぬ。
人生を幸福にする為には、日常の瑣事に苦しまなければならぬ。雲の光り、竹の戦、群雀の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に堕地獄の苦痛を感じなければならぬ。
—
長くなり、かつ世俗的な話題で、失礼しました。
tetsuさん
死んじゃったんですね、笹井さん。
死んだら負けでしょ? 『死人にクチ無し』で、これからは敵対勢力(って誰?)にいいように言われるだろうに…。本当は優秀な研究者なんでしょうに、こんなスキャンダルに振り回されて死んでしまうなんて、残念です。
上司であり、論文共著者の笹井さんが死んじゃったという事は…これで小保方さんも詰みって事になるわなあ…。結局、STAP細胞とその研究、それにまつわる報道ってってなんだったんでしょうね?
tetsuさんのおっしゃるヒステリーには、NHKを始めとするマスコミのヒステリーもあるんだろうと思います。