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書き言葉における方言とは…?[2009年4月第1週・通算13週]

体重:103.7kg[+-0.0kg:-2.1kg]
体脂肪率:31.9%[+0.3%:-1.4%]
BMI:33.1[+-0.0:+0.2]
体脂肪質量:33.1kg[+0.5kg:-0.7kg]
腹囲:104.0cm[-0.1cm:-2.3cm]
     [先週との差:2009年当初との差]

 そふくしダイエットは第8週で止まってます(中断3週目)。でも、中断は今週で終了。来週からは、また、そふくしダイエットを開始するつもりでございます。乞ご期待。

 では、今週のエッセイ。

 このブログをご覧の方はお分かりと思いますが、私は基本的にブログの文章を“言文一致文体”で書いております。ま“口語文”と言うか“会話文”でブログを書いているわけで、ざっくり言っちゃうと、『しゃべっているままに書いている』わけです。

 時折、文体が変だったり、わけの分からない冗漫な言い回しが出てきたりするのは、そんな理由。だいたいが、こんな感じで普段からしゃべってます。

 ところが、私にとっては意外で、世間的には当然なのかもしれないけれど、ブログを会話文で書いていない人がいるんですねえ…。これを読んでいる、あなた自身がそうかもしれないけれど、会話文でブログやコメントを書かない人がいるんです。

 これ、私には、全然想像つかないし、ありえないし、わけわかんめーだし、え、何、それ、どーしたの、ねえねえねえ…の世界です。

 その代表例が、方言話者の方々。つまり、あなたの事です。違ったら、ごめんね。

 日頃は、ばっちり方言でしゃべっているのに、ブログの文体は、全く標準語。ある意味、書き言葉におけるバイリンガル? すげーぜ、あんた、の世界です。

 もっとも、方言丸出しで書かれても、私は読めないし、意味も分からないので、標準語で書いてくださるのは、とても感謝な事なんだけれど、自分の日常語とは違う、語彙や言い回しでブログを書くのって、どんな気分ですか? 苦労なさっている事はありませんか? 困った事はありませんか? 海は死にますか? 山はどうですか? 教えてください。

 あとね、“話し言葉方言、書き言葉標準語の人”って、書き言葉の時は頭の中で「方言→標準語」と一度翻訳してから書いてますか? それとも方言を経由せずに、最初から標準語で考えてそのまま書いてますか? あと、失礼だけれど、標準語、話せますか?

 標準語しか使えない(多少の湘南訛りはあるけれど、方言はまったくダメよ、私)私からすれば、方言による言語世界って、理解どころか、想像もできないんです。だから、一体、どーなっているのか、興味シンシンです。

 ね、私同様、標準語ネイティブの人は、そう思うでしょ。ね、ね。

コメント

  1. Cecilia より:

    >海は死にますか? 山はどうですか?

    最近時々思い出すのですがさだまさしでしたよね?
    ”二百三高地”の曲でしたっけ?

    私は基本的に話している言葉に近いです。
    昔話していた方言は意識しないと文章にできません。 

  2. すとん より:

    >Ceciliaさん

     はい、さだまさしの「防人の詩」です。見たことはないのですが、おっしゃるとおり、映画「二百三高地」のテーマ曲だそうです。「二百三高地」と言えば、旅順陥落とか乃木将軍とか日露戦争とかをキーワードとして、学校の歴史の時間に教わりましたし、教えました(笑)。

     さだまさしのこの曲は、万葉集の歌を元にして作詩されたのだそうです。

    >いさな取り 海や死にする 山や死にする 死ぬれこそ 海は潮干て 山は枯れすれ
    (海は死にますか 山は死にますか。死にます。死ぬからこそ潮は引き、山は枯れるのです)

     映画「二百三高地」を見たことはないですし、この曲がこの映画のテーマ曲だったとは、Ceciliaさんに指摘されたのをきっかけにググってみて、始めて知りました。

    >私は基本的に話している言葉に近いです。昔話していた方言は意識しないと文章にできません。

     Ceciliaさんも、基本的には、言文一致派ですね。方言に関しては、すでに使っていないから文章にできない…というニュアンスで考えていいのですよね。

  3. aky より:

     「あとね、“話し言葉方言、書き言葉標準語の人”って、書き言葉の時は頭の中で「方言→標準語」と一度翻訳してから書いてますか? それとも方言を経由せずに、最初から標準語で考えてそのまま書いてますか? あと、失礼だけれど、標準語、話せますか?」
     とありますが、これって、文部省検定済みの教科書を全国共通で使っている国で、同胞に発する質問だとしたら、ひょとしたら、きわめて不適切な問いかけではないでしょうか。

     まず、なにが{方言」で、何が「標準語」だと言っておられるのか意味不明です。
     例えば、「大阪弁」と称する言語が大阪地方で話されているとしましょう。その場合、その「大阪弁」は大阪地方では、標準語ではないでしょうか(従って、大阪地方では「東京弁」とやらは「方言」となります)。
      幸か不幸か、日本では、上で言いましたように、「文部省検定済みの教科書を全国共通」で使っています。だから、書きものをするときは、当然に教科書に準拠した「日本語」となります。翻訳もへったくれもありません。つまり、「一度翻訳してから書いてますか」などといった質問は日本では成立しないのです。

     また、「あと、失礼だけれど、標準語、話せますか?」は、ご本人がおっしゃるとおり、全く失礼な質問だと思います。

  4. すとん より:

    >akyさん

     別にケンカをするつもりは毛頭ないし、失礼な物言いについては、いくらでも侘びるつもりはありますが、理想と現実は違うことは承知おきください。

     まず、akyさんのおっしゃるとおり「文部省検定済みの教科書」が全国共通で使われているわけですから、そこで使われている言葉が「標準語」と考えて良いのではないでしょうか? ですから、いくら大阪地方で大阪弁が標準的に用いられたとしても、これはあくまでも「方言」しかないことは、私が説明するべき事柄ではないことはお分かりだと思います。

     理想は「文部省検定済みの教科書」を用いて国語教育を行なった結果、方言の壁を乗り越え、すべての日本人が「文部省検定済みの教科書」で使われている言葉で、考え、話し、コミュニケーションが取れることが理想なのですが、現実はちょっと違うではないですか?

     「文部省検定済みの教科書」の言葉で書く事は、日本で教育を受けた人なら、別段、生まれや国籍がどうであれ、可能なのは周知の事実ですが、では、それらの人々の脳内言語が「文部省検定済みの教科書」の言葉かと言うと、否となります。

     どんな人であれ、脳内言語は、Mother tongue になります。この Mother tongue として「文部省検定済みの教科書」の言葉、またはそれに類似する言葉を使用している方もいらっしゃれば、その方が生まれ育った地域の言葉(それこそ、大阪地方なら大阪弁でしょう)を使用している方もいらっしゃいます。

     私が尋ねたかったのは、そこで、普段、大阪弁で考えている方が、考えているままに書けば、それは大阪弁になるでしょう。それなのに、ブログを書く時に大阪弁ではなく、標準語になるのは、どういう仕組みなのかな、知らないので教えてくださいという事です。

     それと、これも現実ですが、立派に標準語で書き物をなさる方でも、話し言葉になると、方言オンリーで標準語が話せない方もいらっしゃいます。

     おそらく、方言の使用について記事を書いたことで、akyさんの心のデリケートな部分に触れてしまったのかもしれませんが、私に悪意がないことはお分かりでしょうし、そこに文句を言われても困ります。

     書いている私自身が、これは失礼な物言いだなと思う部分は、あらかじめ「失礼だけれど」と断り書きをいれて、悪意はありませんよと断っているにも関わらず「失礼だ」と怒られても、これも困ります。

    >これって、文部省検定済みの教科書を全国共通で使っている国で、同胞に発する質問だとしたら、ひょとしたら、きわめて不適切な問いかけではないでしょうか。

     ご安心ください。私が問いかけているのは、このブログの読者の方々であって“同胞”と称する方々ではありません、念のため。

     それと、このやりとりをこれ以上、ブログのコメント欄で深めるつもりは私にはありません事も、ご承知置きください。これ以上のやりとりを私としたいとおっしゃるならば、ぜひメールでお願いします。コメントに書かれた場合は、削除することもありうることを、事前にお知らせいたします。

  5. 私は話し言葉はかなり方言が混じっていますが、話し言葉と書き言葉は違います。
    大体名古屋弁は表記には不便なんです。多分私が普段しゃべっている言葉をそのまま文章にしたとして、かなり読みにくくなるのは間違いないし、私としても入力が複雑になるため避けたい、というのが本音。

    ところで、どうやって書いているか?ということなんですが、あくまでも私限定の話ですがそんなに複雑なことはやっていません。というかやっているつもりはないんです。
    標準語での話し言葉と書き言葉に違いがあり、話すように文章を書かない方とやっていることは多分同じなのでは?と思うのです。
    というのも、ブログ記事の文章は標準語で出てきますので、別に方言で考えているわけではないんです。(勿論そうではない方もいらっしゃるでしょう。あくまでも私個人の話です)

    今の若い人たちは使わなくなってしまった言葉もありますが、方言でなければ伝わりにくいニュアンスもあるので、方言がなくなることはないと思うし、実は純粋な標準語ってあるのかな?とも思います。

  6. すとん より:

    >ことなりままっちさん

    >標準語での話し言葉と書き言葉に違いがあり、話すように文章を書かない方とやっていることは多分同じなのでは?と思うのです。

     あ、なるほど。それは盲点でした。私も、この手のブログのような柔らかい文章は、話し言葉で書きますが、時折かたい文章を書くのですが、それは明らかに話し言葉とは違う、いわゆる書き言葉で書きますが、だからと言って、何か苦労をするわけではないです。

     ああ、納得。つまりクチで書いているのではなく、手で書いているわけですね。納得というか、実感できました。

     手で文章を書くって、実は訓練が必要で、簡単ではないんですよ。ですから、高校生くらいまでですと、学校での訓練が不足気味なのでしょうか、なかなか書き言葉が書けませんね。書き言葉って、難しいのだと思います。

    >方言でなければ伝わりにくいニュアンスもあるので、方言がなくなることはないと思うし、実は純粋な標準語ってあるのかな?とも思います。

     私も方言はなくならないと思いますよ。それになくなってしまったら、日本語もお終いだねって思います。多様性が力だと思うんですよ。それは言葉も同じで、色々な方言があって、はじめて言語としての活力が生まれてくるのだと思います。ただ、みんながそれぞれの方言で勝手に話していると、意思疎通ができなくなりますから、何らかの共通ルールが必要であって、それがいわゆる標準語なんだろうとおもいます。

     ですから、純粋な標準語なんて、私も無いと思います。もしもあるとしたら、それは国語の教科書の中か、NHKのアナウンスルームの中だと思います。

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