年末ですね。日本の年末と言えば、ベートーヴェン作曲の交響曲第9番、いわゆる“第九”の演奏ですね。私も、ご多分に漏れず、今年もそれなりに、あっちこっちで第九を聞いております。で、今回は、どこでとは証せませんが、先日某所で聞いた第九の感想を書きます。
第九は様々な団体が様々なレベルで演奏会を開いています。一流のオケとソリストを揃え、プロの合唱団や音大の学生たちが合唱を担当する、いわば“プロフェッショナル”な第九もありますが、アマオケに市民合唱団に、その市民合唱団から選ばれたソリストたちで演奏をする、アマチュアリズムあふれる演奏会まであります。
私が先日聞いたのは、ソリストと指揮者だけプロで、後は市民の皆さんたちが担当するという、割りとありふれたタイプの第九の演奏会でした。
私も様々な団体の第九演奏会を聞いてきましたが、その団体の演奏会を聞くのは…もしかすると初めて?かもしれません。まあ、それくらいになじみのない団体さんの演奏会だったのですが、聞いてビックリしちゃいました。と言うのも、演奏が、本当に、掛け値なしで、下手くそだったんですよ。
まずはオケが下手くそ。弦楽合奏は最初っから最後までうねりっぱなし。管楽器のピッチのズレは当然として、あっちこっちで音はひっくり返るは、落ちるは跳ねるは外れるは…。ツマラナイ演奏だと、あっという間に眠りに落ちる私ですが、ここまで規格外だと、目をランランにして集中して聞いちゃうから、驚きです。
第四楽章に入って、ソリストたちが歌い始めると…途端につまらなくなりました。だって、ソリストさんたちはプロ歌手の皆さんだったので、実にソツがなくて、見事なんだけれど、つまらないです。「あ~」と思って聞いていたら、やがて合唱のパートとなりました。
オケもすごかったけれど、合唱はさらにさらにすごかったんですよ。もう、音が合っているとか合っていないとかのレベルではなく、これは歌なのか?というレベルの合唱をやってくれました。第一声を聞いた時に、私、イスからずり落ちましたモン。合唱団の発声が見事なくらいの生声で、聞いていて痛々しいくらいでした。
いやあ、音楽的には、全く美しくなかったです。
演奏もヒドいと言えば、ヒドいのだけれど、観客は誰も、その程度の事で不満を露わにすることは無かったように思います。
と言うのも、この手の、アマチュアづくしの演奏会のお客さんって、たいてい、演奏者の身内なんだよね。「お母さんが歌うから…」「お兄ちゃんが演奏するから…」「知り合いが舞台に出ているから…」「近所の若い人が出ていると聞いたので応援しに…」とか、まあたいていはこんな感じなので、演奏の出来不出来よりも、知り合いが出演していて、一生懸命やっている事が大切なんですね。
つまり、最初っから、上手いとか下手だとかは問われない状況の中での演奏だったわけです。だから、私も、この演奏に対して、確かに上手い下手を問われれば「下手な演奏だった」とは言いますが、その点に関して文句を言うつもりはありません。それよりも、身内の応援を受けて、懸命に演奏している皆さんを見て「いいなあ~」って思ったくらいです。
演奏も歌唱も下手だったけれど、一生懸命さがビンビンに伝わってきて、なんかホッコリする演奏会だったんです。だから、これはこれでOKだったと思いますよ。
たぶん、演奏会後の打ち上げは、大いに盛り上がったんじゃないかしら? 美味しいお酒が飲めたんじゃないかしら? アマチュアなんだから、こういう楽しみもありだし、そういう音楽の受容の仕方もありだなって思った私でした。
結局、中途半端になってしまうくらいなら、突き抜けた方が面白いとも言えます。下手なら下手で、そのまんまでも、情熱さえあれば、それはそれでエンタメになるって事です。
でも、私が第九を歌うなら、この団体は、ちょっとパスかも(笑)。
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コメント
そうですね、どんな分野でも、アマチュア愛好家は下手なのは当たり前ですよね。
演奏でも絵でも、手芸でも、プロ並み~、とかプロみたい~、とか言われるとうれしいものですが、中途半端に上手よりも超がつくくらい個性的に下手なほうが、ショックがあって、私もいろいろと印象に残ってます。
>結局、中途半端になってしまうくらいなら、突き抜けた方が面白いとも言えます。下手なら下手で、そのまんまでも、情熱さえあれば、それはそれでエンタメになる
結局、演奏でも絵でもなんでも、大勢に向けて披露しよう、とするときには、披露する+「私はこれが好きなんです」、の気持ちを持つってことなんでしょうか。それがガンガン伝われば、出来のよしあしより温もりのある演奏会になるのでしょうね。
私も経験があります。高いお金をかけて聴きに行った演奏会ももちろんすごくよかった、けど、地元のお友達が一生懸命バイオリンを弾いていたチケット千円の市民オケのドボルザークが同じくらい耳に残っています。演奏技術をカバーするほどに強く伝わってきた演奏された方たちの気持ち、の違いなのかもですね。もちろん、あちこちうねったりずれたりしてましたがそんなの当たり前だと思いました。
クラシックの某音楽家曰く、(ま、こういう主旨のお話です)
ベートーベンの運命は音楽としての完成度が素晴らしく高い。
だから、その演奏会は、超一流のプロオケであれ、
普通のプロオケであれ、アマオケであれ、
演奏会の成功は、演奏の前から約束されている、と。
今春、アマオケの新世界を聴く機会がありました。
運命と同様、新世界も素晴らしい曲ですので、
この演奏も成功裏に終わるのだろうな、と思ったら、
いやあ、非常に問題のある演奏でした。
運命よりも新世界の方が、ソロ個人技が多く、
ソロ奏者の力量が試される機会が多く、
大変に問題のある演奏でした。
が、きっと、演奏者の身内の方がたくさん来場していて、
(いや、まあ、私自身もその1人)
問題ありとはいえ、名曲中の名曲である新世界の生演奏に接し、
クラシック音楽に開眼した方も多かったかも。
また、演奏する側には、おのれのレベルがどうであれ、
演奏する喜びがあるわけで、
私も大昔の、ロックバンドでのサックス演奏が忘れられません。
そんなことを思った、本日のすとん様エッセイでした。
あ、今日は、エッセイの掲載時刻が遅かったかしら?
おしまい
だりあさん
アマチュアであっても、技術の向上を常に目指して努力していくのは当然として、だからと言って、プロ並みのテクニックを身につけるかどうかは、全くの別問題だと思いますし、そう安々とプロ並みになっては、プロの存在価値がなくなってしまうような気もします。ですから、アマチュアの演奏は、プロの演奏とは異なった視点で楽しむべきだと、私は常々感じています。
アマチュアに必要なのは、情熱とか、熱い思いとか、頭の下がるほどの熱心さとか、必死さとか、晴れがましさとか、そういうものだろうと思うし、それらを舞台から感じ取れることで観客もまた、ほっこりした気分になれるのだろうと思います。そこがアマチュア演奏の醍醐味なんだと思います。
「俺達はこんなに上手なんだぜ~」なんて姿勢が見え透いてしまうような演奏は、アマはもちろん、プロですら、願い下げですよ。でも、時折、そういう姿勢で演奏をしているアマ個人/団体を見たりします。なに、思い上がっているんでしょうね…と思う私です。
音楽が好きだから、音楽を初めて、技術の向上を目指すわけです。あくまでも最初になるのは「音楽が好き」という気持ちであって、その結果、技術の向上を目指すのです。技術の向上を目指しているうちに、音楽が好きだった気持ちを忘れてしまうようでは、アマチュアの風上にも置けませんね。
だから、アマチュアは下手でもいいとは言いませんが、下手でも感動できるし、下手な演奏でも聞きたくなるんですね。
operazanokaijinnokaijinさん
>あ、今日は、エッセイの掲載時刻が遅かったかしら?
ごめんなさい。詳しくは「ひとこと」に書きましたが、マシン・エラー?が起こり、そこに私のヒューマン・エラーまで載っかってしまったようです。
>また、演奏する側には、おのれのレベルがどうであれ、演奏する喜びがあるわけで、
記事の方には、観客の視点でしか書きませんでしたが、当然、演奏会には演奏する側の視点もあるわけで、そこには演奏する喜びがあるわけです。
私たち観客が感じるもの…それは究極的には、演奏者の演奏する喜び…なのかもしれませんね。忙しくて厳しい日常生活の中から時間をひねり出して練習してきた成果を、多くの人々の前で披露できる喜び。毎日の生活がタフであればあるほど、その喜びは大きいのだろうと思います。それがアマチュアの楽しみであり、その気持ちを観客と共有するのが、アマチュアの演奏会の楽しみなのかもしれません。
だから、演奏の喜びを隠したクールな演奏は、観客にはつまらないのかもしれませんね。そう思いました。
しかし、舞台に上がってスポットライトを浴びる喜びは、何モノにも代えがたいほどの喜びなんですよね、ほんと、この喜びには中毒性がある…と思います。
第九って、本当に上手いか下手か、もろわかるので、なかなか辛いですよね~!なんたって難しいドイツ語だし、音は無駄に??高いし。
ちょうどあの高音ってソプラノは苦しいんでないかな?私は少なくとも苦手。その音を越えた音のほうがむしろ楽で。
喉を痛める恐れがあるからか、音大は三年生からでないと歌わせないらしいです~!だから、アマチュアというか素人はかなり厳しいと思うの。
しかし、年末といえば第九!ああ~、もうすぐで今年も終わりね、と思いますね~。掃除しなきゃ!!
人を感動させるのは大変な苦労が必要ですが
アマチュア演奏者が楽しむのは楽かな
目的、方向性、結果なにを目指すかはそれぞれ違うでしょうが、今回は参加することに何かを見いだした方が多かったのかな?
参加しやすい→クラシックの敷居が下がる
それはそれ良いことでしょうか(o^^o)
アデーレさん
>喉を痛める恐れがあるからか、音大は三年生からでないと歌わせないらしいです~!だから、アマチュアというか素人はかなり厳しいと思うの。
第九の難易度って、結構高いんですよね。それなのに、地元の第九合唱団では、毎年、半分近い人たちが「第九、初参加」で、そのうちのほとんどが合唱未経験者だったりします。なので、皆さん、最初の一年で合唱の難しさを痛感して、第九に参加した事を後悔して、次年度以降参加しないんですね。なので、毎年、華々しく第九をやっている割には、ちっとも合唱人口は増えないどころか、高齢のために引退する人々がいるので、減り続けているんですよ。
アマチュアの合唱の入り口として、第九は、本当にハードル高すぎだと思います。
もしもの話ですが、クリスマスに第九ではなく、メサイアが日本の恒例になっていたら、今頃合唱人口は増えていたんだろうなあって思います。だって、メサイアは歌いやすいし、曲数が多くて一年ではカバーしきれないから、通年で参加する人も増え、やがて、その人たちが地元の合唱団に参加して…って事になっていたんじゃないかって思います。
でも、昔の人って、ベートーヴェンが大好きだったから、仕方ないか。
chakoさん
>、今回は参加することに何かを見いだした方が多かったのかな?
そうだったのかもしれませんが、それも良しです。
演奏している人も、それを聞いている人も幸せなら、部外者が演奏をどうのこうのと言うのは、無粋ってもんです。私は、そう思いましたよ。