フルートのレッスンは…風邪をひいて、高熱を出してしまったので、お休みしました。まあ、発熱を押してレッスンに行くことも考えたけれど、先生にうつしてしまってはいけないし、なによりも大きく息をすると、必ず咳き込むのでフルートが吹けないので、泣く泣くレッスンをお休みしました。
というわけで、今回もフルートのエッセイでお茶を濁すことにします。
私は基本的に音程が甘い人なので、歌でもフルートでも音程が甘々なんですが、最近「本当に私のフルートは音程がダメだなあ…」と思いました。
というのも、私、歌の練習をする時に、歌う前にピアノで音を取ったり、フルートで表情漬けを確認したりしてから歌うのですが、それって、もちろん、歌い込む前なので、あまり気にならないのですが、ある時、発表会の曲をフルートで吹いてみました。もちろん、この段階で、歌の方は相当に歌い込んでいる状態なんです。
いやあ、もう、耳を覆いたくなるほどに、フルートが音痴でした。
私、歌の音程が甘い人ですが、フルートになると、歌以上に音程が甘々に感じてしまいました。吹きながら「え?」って思ったほどです。
フルートは楽器ですから、普通に考えれば、声などよりもずっと音程が正確なはずです。もちろん、私のフルートも、チューナーで確認すれば、大抵の音は、きちんとグリーンランプが点灯するほどに(一応)正確な音程で演奏しております。ですから、ベッリーニも、楽譜的には正しい音程で吹けているはずなんですが、その正しい音程でフルートを演奏すると、音痴に聞こえちゃうんですよ。
どうやら、歌と笛では、音程の取り方が異なるのではないでしょうか?
例えば、歌って、楽器よりもかなり複雑に細かく音程を取っているんだなあって思いました。例えば、ヴィブラート。フルートのヴィブラートは基本的に音量の変化ですが、声は音量と音程の二方向から同時にかけます。また歌は、経過音を多用しますし、ポルタメントだって結構使います。音程変化が、なだらかな波のようにうねりながらメロディをつむぎます。一方フルートは、キーコントロールで音程を変化させますから、善くも悪しくも階段状にデジタルに音程変化をします。だから、楽譜どおりに楽器を演奏すると、歌のイメージとだいぶ違っちゃうんだなあって思いました。
実はこんな事を感じたのは始めてではありません。以前も感じた事があります。それはいつかと言うと、高木綾子さんが出したカーペンターズのカバーアルバムを聞いた時です。
このアルバムを聞いた時、最初はとっても気持ち悪かったんです。と言うのも、フルートが実に生々しくて、フルートと言うよりも なんか得たいのしれないモノが鳴っているような気がしたんです。何度か聞き込んでいるうちに、高木氏がフルートの音程を実に丁寧に、実に微妙に調整して、歌手の音程の取り方(この場合は、カレン・カーペンターの音程の取り方)をコピーしているんです。だから、聞いた感じが、フルートの演奏っぽくなくて、楽器の演奏っぽくなくて、それこそ、何かよく分からないモノが歌っているような気がしたんです。
歌にあって、楽器にないもの。それはたぶん“節回し”って奴なんじゃないかな? この節回しって奴は、あまりに微妙すぎて、楽譜にはうまく書けないんですが、でもこの節回しがないと、歌は生き生きと聞こえないんです。クラシック声楽にはクラシック声楽の節回しがあるし、ロックにはロックの節回しがあるし、ポピュラーにはポピュラーの、歌謡曲には歌謡曲の、それぞれの音楽の、そしてそれぞれの歌手に特有な節回しがあるんです。だから、フルートで楽譜どおりに演奏しちゃうと“これじゃない”感がするんですね。で、その違和感が「私って音痴?」って気分にさせちゃうわけです。
歌曲をフルートで、楽器で演奏するのって、実はかなり高度なテクニックが必要なんだなあって思いました。とてもとても、私ごときの腕では、歌曲をフルートで演奏することなど、できないなあって思い知ったわけです。
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コメント
こんばんは。
> 基本的に音程が甘い
こちらは笛のみですが、音程はメチャ甘いです。アマオケで練習させてもらっていますが、いつも突っ込まれています。うなりをなくすとか、自分の音がとがらずに周囲と溶けるような音にするとかで、何とかゴマカシ続けています。
そもそも1Hz程度の違いは絶望的なくらいわかりません。知り合いのVn弾きは以前TVで流れていた440Hzの時報が低くすぎて気持ち悪い、と呻いていました。レベルは全然違いますが元師匠の話ではフルート科の同級生のあいだでも音程の感覚はそれまでの音楽経験の違いでピンキリらしいです。
クーパースケールとかアルタスのベネットスケールあたりでは、指さえ違わなければ音程が正確になりやすいかもしれませんが、ピアノみたいにある音ひとつのみ指で押して、音程が正確にふけるような楽器ではありません。ピアノでも和音になると話は別世界になるので省きますが、フルートはきちんと倍音の積み重なった音をつくる部分が練習でもかなり時間がかかるところ、とおもいます。
> 歌にあって、楽器にないもの。それはたぶん“節回し”って奴なんじゃないかな?
歌でも言語をきちんとわかっているわけでもありません。最初に聴いた印象とか感じがかなり大きい、ような感じもしています。オペラ、歌曲、その他の歌でも、やっぱり声での曲、と思ってしまいます。
クラシックでの交響曲、協奏曲、器楽曲あたりでも偶然最初に聴いた曲の感じがずっと残ってしまうことは珍しくありません。
“節回し”というのがソルフェージュの意味であれば、特にフランス出身の笛吹きの演奏ではいかにもという感じでわかりやすく伝わってくる、というのはあります。
tetsuさん
音程の話は、私はついつい簡単に書いてしまいましたが、実はよくよく考えると、難しい話なんだと思います。
と言うのも、音程は音律によって、それぞれ違いますからね。私のような素人は、音程と言うと、ピアノに代表される“平均律”での音程を想像しがちですが、音楽は別に平均律で演奏されるわけではなく、純正律やらなんやら、とにかく、たとえクラシック音楽であっても、色々な種類の音律が使用されるようで、それぞれの音律にふさわしい音程で演奏することが大切なんだそうです。
そういう音律の違いが“お国柄”に通じるのかもしれません。
もっとも、私の耳には、音律による音程の差が聞き取れるわけもなく、ただなんとなく「いい感じだな」とか「なんか違うような気がする」程度ですから、エラそうな事は書けませんが…。
節回しも、突き詰めて考えるとよく分かりません。よく問題にされる音律が割と公式な存在だとしたら、節回しは、あくまでも個人的で個性的な音律の一つなのかもしれません。