スポンサーリンク

ピースとタバコ[2011年6月第4週・通算20週]

体重:100.4kg[+-0.0kg:+-0.0kg]
体脂肪率:30.1%[+0.4%:-0.1%]
BMI:31.7[+-0.0:+-0.0]
体脂肪質量:30.2kg[+0.3kg:-0.7kg]
腹囲:97.0cm[-3.0cm:-0.5cm]
     [先週との差:2011年当初との差]

 気合を入れずにユルユルとダイエットもどきをしている最中です。とにかく、健康第一だし、仕事忙しいし、変に気合を入れてダイエットして倒れたら、そりゃを本末転倒だしってわけですが、それでも体重を(高値とは言え)安定させているのは、上々っすね。今は、体重が増えていなければ、それで良しっす。

 夏が本格到来したら、ダイエットするぞ! ……と、宣言しておかないと、ダイエットを始めなさそうな自分が怖いです。
 
 
 さて、今週のエッセイです。タイトルの「ピースとタバコ」は……別にピースというタバコの銘柄について語りたいわけではありません。日頃感じている、ちょっとした疑問をブログに書きとめておこう思っただけで、深い意味のあるタイトルではありません。まあ、枕草子の“モノ尽くし”みたいなものですが、あれほど高尚なモンじゃありやせん(笑)。

 では、始めます。今回は、日頃から、私がよく分からないなあ~って思っている事を、書き並べてみます。
 
 
 まず、ピースって分かりません。手をジャンケンのチョキの形にして、自分の胸の前に差し出す行為ですね。あのピースです。

 ボディランゲージの一種なんでしょうが、その意味する内容が私には不明です。以前「VictoryのVのサインだよ」って聞いた事がありますが、それはVサインという奴で、似ているけれど、ピースとは別物じゃないかな?

 ピースの意味、分かりません。なので、ピースサインをする人の事も分かりません。特に分からないのが、写真撮影の時に、このピースをしちゃう人たち。よくいるでしょ。集合写真と言うと、必ずピースしちゃう人。あれってなんでしょうね? 分かりません。

 写真撮影だから言って、おどけた顔やポーズを取る人がいますが、これは何となく分かります。楽しい雰囲気を写真で伝えたいとか、写真にとられる照れくささを隠したりとか…、まあ、分からないでもないです。すまし顔や作り笑顔で写真を取るのも分かります。ばっちりメイクを決めて写真を撮る気分だって分かります。でも、ピースサインだけは分からない。なぜ、ピースをするんだろ? これはきっと、私自身がピースをしない人だから、ピースな気分が分からないから、写真撮影時のピースも理解できないんだろうな、きっとそうだ。そういう事にしておこう。
 
 
 も一つ分からないのは、タバコ。私はタバコを吸いません。でも、他人がタバコを吸うのをどうこう言うつもりはありません。そういう意味では、嫌煙家と言うよりも、分煙家なんだと思います。

 だから、喫煙者の方がタバコを吸う事自体は、どうとも思いませんが、それでもさすがに夏場に汗をかきながらタバコを吸っている姿を見ると、どうにも???な気分になります。

 だって、熱くないですか? タバコを吸うって事は、目の前というか、自分の鼻先で火が燃えているんですよ。熱くないはずないですよね。おまけに、その煙まで吸って…。煙だって暖かいでしょ? 暑い夏なのに、熱いタバコを吸うなんて…真夏に熱いお茶を飲むのと一緒じゃないですか?

 実は私、真夏に熱いお茶を飲む人です。ただし、それは冷房がよく効いた室内限定であって、たとえば野外とか、締め切ったムンムンするような部屋では、熱いお茶は飲みません。当然、そういう時はキンキンに冷たくしたお茶を飲みたいです。なので、涼しい部屋でタバコを吸うのは理解できますが、汗をかきながら暑い場所でタバコを吸うのは分かりません。きっと愛煙家の方に言わせれば、色々と思うところがあるのでしょうが、私はタバコを吸わないので、そのあたりの機微が分からないのだろうなあ。
 
 
 映画館で映画を見ながら友人に感想を語らずにはいられない人、これも分かりません。物語を見て、色々と感想を言いたくなったり、思わず突っ込みを入れたくなる気持ちは、実は分からないでもありません。私もテレビではたまにやりますし、妻はしょっちゅうしてます。テレビ番組なら、それもアリだと思います。別に家庭内の行為だし、誰に迷惑をかけるわけでもないし、感想を言っているうちに物語のストーリーが進んでしまって、ちょっと分からなくなっても、タイムシフトって奴で時間を戻せばそれでOK。もちろん、ビデオとかDVDとかオンデマンド放送も巻き戻せばOKだから、やっぱり同じ。だから、家でおしゃべりしながらテレビを見るのはアリなんです。

 でも映画館で見る映画は違うでしょう。私は映画館で見る映画は、家のテレビで見る映画と違って、一期一会だと思ってます。だから、食い入るように見ています(笑)。家のテレビだと色々と感想を言ってくる妻も、映画館では静かにしています。映画って、そういうものでしょ。

 だから、映画館で映画を見ながら友人に感想を語らずにはいられない人って、分かりません。お茶の間気分の延長で映画館に来ている? やっぱりそうなのかな?

 でも、映画館って、あまりにお茶の間とは違う条件でしょ? 暗いし、画面も音も大きいし、他人もたくさんいるし、何より入場料を支払って映画館に入っているわけだし。いわば、一種のハレの場なんだけれど、そこにお茶の間感覚を持ち込める人って、分かりません。それに映画館で大声で会話されると迷惑だし…。
 
 
 迷惑と言うと、全然理解できないのが、他人のブログを荒す変態さんたち。あれって、攻撃対象になっているブログが好きで、そのブログを書いている人の事を愛していて、それで少しでも自分の事を気にして欲しい/目をかけて欲しい/こっちを振り向いて欲しい…という、まるで“乙女心”のような気持ちがねじれて“小学生男子のスカートめくり”のような斜め上の行動に出ているだけで、オッサン版の“ツンデレ”なんだよね。

 だって、本当に気にいらなかったら、そのブログを読まないでしょ。わざわざコメントつけないでしょ。気に入らないのに、わざわざアクセスして、隅から隅までブログを熟読玩味して、わざわざそれに対して嫌がらせのコメントを熱心に書き込むわけで、普通の人にはできないほどの、深い深い愛情表現ですね。

 分からないのは、そういう、好きで好きでたまらない、という気持ちを素直に表現できないって事。好きなら好きと、素直に言えば事は足りるのに、それを斜め上の行動でツンツンしちゃうなんて、ああ、分からない。

 「いや、好きなはずないだろ、本当にイヤなんだ」と反論するなら、もっと分かりません。だって、キライなブログなのに毎日のようにわざわざアクセスし、わざわざ記事を読んで、わざわざコメントを書き込むわけです。その熱心さが分かりません。

 普通の人なら、キライなブログには、普通、アクセスしないし、読まないでしょ。ましてや、コメントなんてするはずもない。それがごく普通の当たり前の人間の行動です。キライなブログに時間を費やせるほどの暇人なんて、今の世の中、なかなかいないでしょう。…ねえ。

 ……例えば、たまたまレストランに行って、そのレストランの食事がマズかったら…皆さんはどうしますか? 私は「ああ、ハズレな店に来ちゃった…」と自分の不運を恨みこそすれ、出された料理は黙って食べて[あるいは、そっと残し]、黙って食事代を支払って、二度とその店に行かないだけです。たぶん、大概の人はそうでしょ。

 確かに料理は自分にとっては、マズかったかもしれないけれど、別に健康に被害が出るわけでもないし、そこのシェフは一生懸命調理をしたけれど、マズく感じたなら、それはお店の味付けと自分の好みが合わなかっただけかもしれません。他のお客さんが喜んでいる人気店なら、なおさらです。

 なのに…

 マズい(と思っている)レストランに行って、そのマズさが気に入らなくて、黙っていられず、食べ終わってから、店の正面玄関のところに「この店、ゲロマズ~い」とかスプレー缶で書いていく人って、いる? さらに、それが一回こっきりではなく、毎日のように、そのマズイ食事をオカネを出して食べに行っては、毎度のように、玄関にスプレー缶でいやがらせを書いていく人なんている?

 いないよね~? もし、いたら、奇人変人狂人病人の類だよね。

 わざわざブログにやってきて、嫌がらせコメントを残していく人って、こういう、奇人変人狂人病人さんと同じです…ってか、モロ、そういう人です。だから、そういう人って、分からないなあ~。
 
 
 よく分からない奇人変人というと、ゴミ屋敷とかゴミ部屋に住んでいる人も分かりません。

 私も実は片づけが苦手な人間で、私の周辺は結構色々なものが散らかっています。でも、足の踏み場のないほど散らかった場所はさすがにイヤなので、そうなる前に片づけます。

 おそらく、ゴミ屋敷とかゴミ部屋に住んでいる人って、散らかっていてイヤだなって思う感覚が、私とは極端に違うのだろうなあって思います。私は部屋が臭いのはダメです。床にモノが転がっているのもダメだし、床に置きっぱなしになっているモノを踏んづけるのは我慢なりませんし、ゴロっと横になって(私は結構、横になります)、砂やらゴミやらホコリやらがカラダに付着するのも我慢なりません。これは理解できる出来ないではなく、感覚の問題でイヤなんです。

 でも、あの人たちは、それが平気なんだよなあ。いやむしろ、ゴミを片づけると怒り出す人もいるそうだから、むしろあの散らかった状態の方が安心を感じるんだろうねえ。ああ、分からない、分からない。
 
 
 分からないと言えば、在日外国人って全然分かりません。背負っている文化や風俗習慣が違うんだし、おそらく脳内で使っている言葉だって違うんだから、分からなくて当然と言えなくもないです。でもね、母国で暮らしている人ならともかく、日本に移民/長期滞在していて、日本で就職して、日本で家庭を築いていても、やっぱり外国人は外国人なんだよなあ~。それに、日本で生まれて、日本で育って、日本で教育を受けた人でも、在日外国人さんって、やっぱり、どこか違っていて、違和感がある、…結局、分からないです。ありゃ、なんででしょう。長く日本で暮らしていても、やはりお国柄のようなものが、にじみ出てくるんですかねえ。あるいは何かDNAにでも刻まれた行動様式/思考様式のようなものがあるのでしょうか?

 例えば、世界は自分たちを中心に回っていると信じているA国人さん。お日様は誰の上にも等しく照らしてくれているって事を、もっと知った方がいいと思います。リーダーシップを発揮する事と、エゴを押し通す事って、違うって事を知ってほしいです。

 世の中を勝ち負けでしか考えられないK国人さん、勝ち負け以外の尺度も人生には必要だと思います、特に、正義とか、平等とか、遵法精神とか、公共のマナーとか、他人への思いやりとか…ね。少なくとも、他人を馬鹿にしたり、見下したりしちゃダメだと思うよ。「日本人にだけは負けたくないので~」なんて、ダサすぎます。ってか、そういう発想をしている時点で、負けていると、なぜ気がつかないのだろう?

 何があっても謝れないC国人さんも分かりません。悪かった事は感じていても「ごめんね」のひと言が言えない生き方って、苦しいんじゃないのかな? 謝れないから、逆ギレして、ついつい他人を騙したり、攻撃したり、誤魔化したりするんだろうけれど、悪かったなあと思ったら、すぐに謝っちゃた方が楽だと思うし、少なくとも日本で生活するなら、謝っちゃった方がいいと思うんだ。

 とにかく在日外国人さんたちは(皆が皆、そうではないだろうけれど)分かりません。
 
 
 で、実は、私が最も分からないのは、女性です。いやあ、女心って、ちっとも分かりません。同じ人間という種類の生き物のはずだけれど、なんか色々と違っていて、まるで別の生き物みたい。ある意味、在日外国人さんたちよりも、遠い存在だよなあ、女の人って。

 …でも、そんなミステリアスな部分が、カワイイんだな。

コメント

  1. Yテノール より:

    で、マントヴァ公爵のアリア「女心の歌」の解釈もぐっと深くなるわけですね。
    ストンさんの「女心の歌」楽しみです〜♪

    実は私、足の踏み場のないほど散らかった部屋で仕事をしております。
    毎日、かたずけるか、描くか、二者択一を迫られ、ついつい後者を選んでしまう性の結果です。
    そんくらい手仕事の自営業は、時間的にも経済的にも追いつめられております〜涙

    本当はちらかっているのは大嫌いですが、描けない、歌えない辛さよりは、ましというのが本音です。

  2. すとん より:

    >Yテノールさん

    >毎日、かたずけるか、描くか、二者択一を迫られ、ついつい後者を選んでしまう性の結果です。

     あ~、なんとなく、分かるような気がします。

     本当は、助手とか弟子とか秘書とか言う役割の人がいて、そういう人が片づけなどの下働きをしてくれるのが“理想”なのでしょうが、世の中、なかなか、そううまくはいかない事が多いですからね。

     まあ、あくまでも程度の問題ですが…「散らかっているくらいで、人間、死にはしません」ので、片づけは、そのうちまた、行う事にして、今日という日は、今日やる事を粛々とやっていきましょう。

     マントヴァ公爵の「女心の歌」はぜひ歌いたいのですが(音域的にも声質的にも)私には合わないので、当面は手が出ません。いずれ、そのうちに…って感じです。

タイトルとURLをコピーしました