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オペラヴィジョンで「蝶々夫人」を見た

 さて、箸休め的な記事をアップします。

 標題の通り、オペラヴィジョンで「蝶々夫人」を見ました。きちんとした日本語字幕が付いていて、とても見やすい公演でした。いつものように、スタッフとキャストをアップします。

 演出:モシェ・ライザー、パトリス・クーリエ
 指揮:アントニオ・パッパーノ
 製作:ロイヤル・バレエ・アンド・オペラ(2017年3月30日)

 ピンカートン:マルセロ・プエンテ
 蝶々さん:エルモネラ・ヤホ
 ゴロ:カルロ・ボージ
 スズキ:エリザベス・デショング
 シャープレス:スコット・ヘンドリックス
 ボンズ:ジェレミー・ホワイト
 ヤマドリ:ユーリー・ユルチュク
 ケイト:エミリー・エドモンズ

 歌唱は実に素晴らしく、歌手たちの演技も堂に入ったもので、演出も字幕もきちんとしている事から、物語にひきこまれてしまいました。残念なのは、メイクですね。いわゆる化粧師さんと床山さんの仕事です。私はこの部分に違和感…というか、悪意を感じました。「やってくれたな、ブリカスどもめ」って、正直、思ってしまいました。これらのメイクを統括しているのは、演出家なのでしょうか、それとも衣装さんでしょうか、それとも…。

 こういうふうに、巧妙に悪意や侮蔑を仕込むのが、彼らの国民性なのだとしても、あまり良い気はしませんでした。

 余所の劇場の違う公演でも、西洋人が「蝶々夫人」をやると、変な日本が入り込むのが常です。それは西洋から見れば日本は遠い国だし、風俗習慣も全然違うわけだから、間違いが入るのも仕方ないわけだし、日本人から見れば「なんか変」なのは当然と言えば当然なんだけれど、たとえ間違いがあっても、そこに敬意が感じられるから、我々は許せるわけです。でも、今回のロイヤル・オペラの蝶々さんは…日本人を笑いものにしてやる…という作為が感じられます。もしかすると、無意識で入り込んでいる人種差別が原因なのかもしれません(イギリスって人種差別が激しいことで有名でしょ)。彼ら自身が自分たちの悪意に気づいていない可能性すらあります。

 であってもなくても、どちらにしても、あまり良い気分にはなれません。きっと彼らの言い訳は「あのメイクは、歌舞伎をリスペクトしているんです」だろうけれど、だったらなぜきちんとやらない? 私が見るに、あれは歌舞伎じゃなくて、ピエロの化粧ですよ。ピエロ、つまり“道化”です。なぜに蝶々さんが道化の化粧なのか? なぜ役柄上、日本人の役は道化の化粧をしているのか? そもそも道化って、下に見られて、人々から嘲笑される存在じゃないですか?

 見え隠れする蔑視の視線を無視すれば、良い公演だと思うし、そのあたりの感性が鈍くて悪意を感じられないのなら、それはそれで楽しめる公演だと思います。でも、不快に感じてしまったら、もう受け入れるのは難しいかもです。

 それにしても「蝶々夫人」って、日本人的に受け入れるのが難しいオペラなんだな…とは思いました。日本とか日本文化ってのは、オペラの本場である西洋からすれば、どうしても下に見られる…というか、舐められがちなんだよなあ…とグチってしまうわけです。

 日本で行われている日本人キャストの「蝶々夫人」だと、あくまでも国内向けの公演だから大丈夫とは言え、そんなものは世界の人たちの目に触れることはありません。世界という視点で考えると、大昔にスカラ座で始まった浅利慶太の演出がスタンダードにならなかったのが、重ね重ね残念です。あの演出は(今でもビデオで見ることはできますが)ほんとに良かったです。あの演出でないなら…せめて、たくさんの間違った日本が入っているけれど、現在行われているメトロポリタン歌劇場のアンソニー・ミンゲラの演出ぐらいの敬意は欲しいなあと思うし、この演出が今後のスタンダードになってくれればいいけれど…まあ無理だな。ミンゲラの演出だと文楽の人形遣いが必要になるからなあ…。

 とにかく「蝶々夫人」は上演が難しいオペラなんだな…と改めて思いました。

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