現在放送中のNHK大河ドラマの主人公である、蔦屋重三郎は47歳の時に脚気(かっけ)で死んだそうです。
脚気って何?…ですよね。
調べてみました。脚気は、古くは江戸時代から明治、昭和初期まで国民病として多くの死者を出した病気で、その正体は、ビタミンB1欠乏症です。昔は、江戸などの大都市の富裕層の人とか、軍隊などの集団生活をしている人たちに多く見られた病気なのだそうです。ですから、当時は流行り病の一つと思われていたそうです。
しかし、実際のところは流行り病などではなく、米食が中心だった頃に、精米された白米ばかりを食べる食事に原因がありました。とにかく、昔の人は、米をたくさん食べました。軍隊などでは、1人1日5合の白米を食べるのが当たり前だったそうです。5合…茶碗にすると、約15杯です。一日3食とするなら、1食で茶碗5杯は食べた勘定になりますし、実際、それくらい食べたそうです。その代わり、食べるのは白米ばかりで副食の類はほとんど食べなかったようです。食べるのは、ご飯のお供…とも言うような漬物や焼き魚などをチビリチビリ食べ、それで白米のドカ食いをしていたそうです。
今でも食事の事を「ご飯」とか言うのは、食事がご飯(白米)ばかりを食べていた頃の名残なんだと思います。
なので、脚気は、白米ばかりを食べていた、大都市の富裕層の人間や、兵隊さんたちに多発していたわけで、当時でも地方在住者や貧乏人たちは、白米をたらふく食べる事はできずに、玄米や雑穀米を食べたり、空腹を芋や野菜などの他の食材で補っていたので、あまり脚気にはならなかったそうです。ですから、脚気の事を別名「江戸患い」と言ったのは、そんな理由からだそうです。
江戸の富裕層が脚気になりやすかったのは、玄米や雑穀米に多く含まれているビタミンB1を削ぎ落とした白米ばかりを食べていたため、ビタミンB1不足に陥ったためです。また、江戸の富裕層の人たちは、白米ばかり食べていたのに加え、酒を大量に飲酒していた事も、脚気を増やす原因になったのだそうです。と言うのも、アルコールの分解には大量のビタミンB1が使われるそうで、ただでさえ摂取不足のビタミンB1をアルコールの分解にせっせと使っていたため、ビタミンB1不足に陥り、脚気になってしまったというわけです。
脚気は、昔の軍隊でも大問題で、日露戦争当時、陸軍の脚気患者は25万人もいたそうで、そのうち2万8千人が脚気が原因で死亡したそうです。戦死者の総数が4万7千人ですから、死者の約半分が戦闘ではなく脚気で死んでいるわけです。やばいですよね。
脚気は、末梢神経や中枢神経が冒される病気で、症状として、足元がおぼつかなくなっり、まともに歩けなくなるそうで(だから、脚気と言われたそうです)、その他の症状としては、全身の倦怠感、食欲不振、手足のしびれ、足のむくみ…などがあり、重症化すると心不全を起こして死んでしまうのでした。
ちなみに陸軍では大問題になった脚気ですが、海軍では脚気の原因がビタミンB1不足であると見抜き、兵食改善運動を行い、脚気を撲滅させています。
脚気はビタミンB1不足が原因ですから、白米の偏食を止め、副食を充実させる事で避ける事ができます。ですから、現代人は脚気にかかる事が少なくなりました。まあ、脚気というのは、一種の栄養失調による病気ですからね。
蔦屋重三郎が脚気で死んだのは、白米ばかりを食べ、酒ばかりを飲んでいたから死んだわけで、まあ、一種の“贅沢病”で死んだ…とも言えるでしょう。
それにしても、蔦屋重三郎が47歳で死んだとは、早死だったんだねえ…と思いがちですが、江戸時代の男性の平均寿命は、せいぜい40歳程度だったそうですから、47歳と言えば、平均寿命よりも長生きをしたわけで、今に例えるなら、現在の男性の平均寿命は、だいたい80歳くらい(実に江戸時代の2倍ですね)ですから、当時の47歳は、現在の年齢に算術的に換算すれば、95歳くらいに相当するわけで、蔦屋重三郎は十分長生きした…とは言えそうです。
蛇足 今年の大河ドラマの主人公である蔦屋重三郎は脚気で死んでいますが、昨年の大河ドラマの副主人公とも言える藤原道長は飲水病で死んでいます。飲水病とは、現代では糖尿病と呼ばれる病気で…2年連続で大河の主役は贅沢病で死んでいるわけです。主人公が戦死とか討ち死とかでなく、脚気とか糖尿病とかで死ぬなんて…平和なドラマだと思います。
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