初っ端のモーツァルトはともかく、その後、ヴェルディ、プッチーニ、トスティと、私は大好きだけれど、世間的にはマイナー作曲家が続いてしまったので、ここらでメジャーな作家を出しとかないと、バランス悪いなあと感じた私が、今回取り上げるのが、ベートーヴェンです。大メジャーです(笑)、パフパフパフ~…!。
私、自分でも意外なのですが、ベートーヴェンって作曲家、実は好きなんですね。とは言っても“聴力を失っても音楽家を辞めなかった不屈の精神”とか“苦難から喜びへ”とか“運命はこのように開かれる”とか“楽聖”とか“9つの交響曲”とか“ピアノの新約聖書”とか“三大B”とか、そういう多くの人々がベートーヴェンに惹かれるワードには、特に魅力を感じていません。
私がベートーヴェンに感じる魅力ってのは“不器用な人間が一生懸命に頑張っている姿…”かな? ベートーヴェンって、楽聖とか言われ、音楽の神様のような扱いを一部の方々にされていますが、私が見るに、彼って、そんなに才能豊かでもないし(ごめんなさい)、そんなに偉い作曲家でもない(ごめんなさい)って思うんですよ。
もちろん、音楽家としては一流だし、才能だって他の作曲家と比べれば豊かに持っている事に間違いは無いわけだろうけれど、ちょっと過大評価されすぎ…って思うわけです。一流だけれど、超一流って感じじゃないし、同時代的にも一番手ではなく、二番手扱いの作曲家だったわけで、それなのによくぞ、後世(つまり現在)の評価が、こんなに高くなったのかな? ベートーヴェン君、頑張ったもんね…って感じなんですよ。
才能が超一流でなくても、努力と根性とタレント性で超一流の評価を得て、結果として“世界一の作曲家”の地位を固めた、不器用で愚直な音楽家。それが私にとってのベートーヴェンなのです。
日本の学校における音楽教育って、ドイツ視点なんですよ。はっきり言っちゃえば、ドイツに偏った見方をしています。
クラシック音楽が全盛期だった時代、世界の中心は、ドイツではなく、今は小国となってしまったオーストリアであり、その都のウィーンであり、ウィーンを取り巻くように、フランスのパリとか、イギリスのロンドンとかが、一大音楽消費地として存在していたわけです。
だから、モーツァルトもウィーンを目指したし、ベートーヴェンもウィーンに出てきたのです。ウィーンじゃイマイチだったヘンデルはロンドンを目指したわけだし、パリに落ち着いたショパンだって、最初はパリではなくウィーンでの成功を目指していたわけです。
で、ベートーヴェンの時代、ベートーヴェンもウィーン子に愛されていたけれど、決してナンバーワンではありませんでした。
勘違いしちゃいけないんだけれど、ベートーヴェンの時代、ダントツ一番人気の作曲家は、ロッシーニです。ベートーヴェンではありません。それどころ、ロッシーニは、ウィーンのみならず、パリでもロンドンでも大人気で、当時の世界ナンバーワン作曲家だったわけです。今でも、日本以外じゃあ、きちんと人気作曲家として扱われています。ただ、日本はドイツ視点でクラシック音楽を見ているので、ロッシーニの評価は低いんです。だってロッシーニを評価しちゃうと、相対的にベートーヴェンの評価を下げざるを得ないけれど、ドイツ視点的には、それは有り得ない話だからね。だから、ロッシーニは空気のようにいない事にされちゃうわけだ。
当時のベートーヴェンは、あくまでもロッシーニの陰に隠れた、二番手、三番手の作曲家であり、現在のような高名な天才音楽家という扱いではなかったのです。
ってか、ベートーヴェンの音楽って、同時代的には、かなり無視されていたんだよね。彼の生前、一番有名な曲で、彼の名刺代わりとなった曲って…当時は“戦争交響曲”と呼ばれた“ウェリントンの勝利”という曲です。で、この曲は、後に改訂されてオーケストラで演奏されるようになり、現代の私たちはそれで聞きますから、それでも立派で、いかにもベートーヴェン的な交響曲として聞きますが、この曲、実は、作曲された当時は“パンハルモニコン”と呼ばれる自動演奏オルガンのために作曲された、自動演奏オルガンの販売促進用のデモ曲だったんです。つまり、今風に言うならCMソングです。
意外ですか? でも、当時のベートーヴェンの評価と、彼の立ち位置なんて、そんなモンだったんですよ。ロッシーニが大人気作曲家で、売れに売れて、お金を稼ぎすぎちゃって、このままではせっかく稼いだカネが使えないって心配になって、40歳になる前に、作曲家を辞めて、残りの人生(彼は76歳まで生きてました)を消費と浪費と美食に費やしたけれど、それでも財産を使い切れなかったそうなんだよね。すごいね。
そこへ行くと、ベートーヴェンは、いつもお金の心配をし、日々倹約の毎日を送り、貯金に励んでいたわけで、貧乏ではなかったけれど、けっして豊かとも言い切れない人生を過ごしたわけで、彼は彼なりに頑張っていたわけです。
私は、そんな、天才とは程遠い、業界では二番手三番手で、日々、営業努力をし、売れない音楽を書き続けて、一生懸命に働き続けた、ベートーヴェンが好きなんです。フリーランスの鏡じゃないですか!
そんな彼が、ロッシーニに追いつき追い越せと頑張って、何度も書き直して、根性で仕上げたのが、歌劇『フィデリオ』です。ベートーヴェンが書き残した、たった1曲しかないオペラ、それも正直な話、ベートーヴェンというブランドがあるから残っているだけで、もしもこの作品が優良な作品の多いロッシーニの筆によるものだったら、きっと駄作扱いをされてしまって、消えてしまった程度の出来でしかなくても、私は、この『フィデリオ』が好きなんです。
だって、実に、暗いんだもん(笑)。でも、音楽はいいですよ。陰キャラ満開の根暗ベートーヴェンの本領発揮って感じの音楽なんです。特に私が好きなのは、第二幕冒頭のテノールアリア「Gott! Welch Dunkel hier!/神よ、ここは暗い」です。
ね、暗いでしょ? おまけに長いでしょ? イントロが長くて長くて、いつになったら歌が始まるんだい…って感じです。実際、この曲、イントロだけで4分あります。ロッシーニなら、アリア1曲分です(笑)。いかにもベートーヴェンが書きそうな、根暗な音楽でしょ? でも、これも彼の計略なんだと思うのです。根明でお気楽なロッシーニの音楽に対して、正面切って戦うには、こういう暗さが必要だったんだと思うんです。さすがはベートーヴェン、目のつけどころが違います。ただ、こういう暗い曲は、当時のウィーンでは、いや、当時のヨーロッパでは、受けなかった…ただそれだけなんです。
ちなみに、参考音源で歌っているのは、ヨナス・カウフマンです。ドイツオペラのトップテナーは、現在、間違いなく彼だものね。彼の歌唱で聞くのが吉です。
さて、こんな挑戦者然として、あれこれ格闘しているのが、私の好きなベートーヴェンなのです。交響曲やピアノソナタ、弦楽四重奏で楽聖として君臨している大作曲家ではなく、当時の人気者、ロッシーニに追いつき追い越せで、持っている才能のすべてを注ぎ込み、奮闘努力を重ねたベートーヴェンが好きなのです。
その努力が、彼の死後、報われて、今は楽聖と呼ばれるほどの偉大な音楽家扱いを受けるようになったのだから、彼の努力も無駄ではなかった…と言えると思います。
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コメント
ベートーベンなら、ピアノが好きかな。ピアノソナタが好きです。男性が弾くピアノソナタ、できれば美少年?が弾くピアノソナタならキュンとします。(笑)それにはモーツァルトではなく、、シューベルトでもなく、やっぱりベートーベンなんです。冬の寒い日に、レトロな感じの古い喫茶店のアップライトピアノで、もくもくした白いセーターをきた美少年にピアノソナタをひいていたら、それは最高に素敵、笑)
そんな妄想を抱く、それが私のベートーベン(笑)歌は器楽的で歌いにくいよね(笑)ベートーベンさんって。
追加。
遅ればせながら、すとんさま。ブログ11年目おめでとうございます!!お盆休みやあれこれ、遅くなりましたが、めでたいです!実に。
今後ともお世話になります!(笑)
アデーレさん
ベートーヴェンなら、男性が弾くピアノソナタ、ってのは、なんか分かります。美しいのだけれど、どこか無骨で力強い。アデーレさんは“美少年が弾く”イメージなんでしょうね。私は“ごっついオッサンが弾く”イメージです。ただし、このごっついオッサンは、ごっついんだけれど、どこかカッコいいオッサンなんですがね。“ゴリラ系美中年”って感じのオッサンです。
>歌は器楽的で歌いにくいよね(笑)ベートーベンさんって。
そうなんだよね、でも器楽的と言えば、モーツァルトだって、極めて器楽的なメロディを書く人なんだけれど、でもモーツァルトは別に歌いにくいってほどじゃありません。やはりベートーヴェンって、不器用なんだと思います。
それと、色々あるけれど、これからも、まだしばらくはブログ頑張っていきますので、こちらこそ、応援よろしくお願いします。
ブログ11年目突入おめでとうございます。毎日更新ですから、ものすごいことだと思います。ハードなときには無理せず休みを入れるなどして、長く続けて欲しいです。新しい音源アップを楽しみに待っています。
ベートーベンは、人物像に合わない?きれいな旋律を作りますよね(褒めてます)。ほんの一例ですが、バイオリン協奏曲など溜息が出るくらい美しいなと。彼のピアノ曲や交響曲も良く聞きます。自分好みの曲が一番多いのはベートーベンかも。
ねぎさん、ありがとうございます。
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は私も好きです。きれいなメロディだと思います。ベートーヴェンの音楽はメロディも美しいし、サウンドも素敵だと思います。あえて、難を言えば、あれこれ、音楽的にやり過ぎな部分が見えること。たとえば、曲の終わり方が、すっと終わるのではなく、これでもか!これでもか!と言った感じで、畳み掛けるように終わる曲が多い事かな。まあ、これがベートーヴェンらしさと言えば、らしさなんでしょうね。
多くの人に楽聖と崇め立てられるのも分かります。ただ、ベートーヴェンの時代と彼の音楽が、ちょっぴり合わなかったのが、彼の不幸なんだと思います。