年末になりましたね。年末になると、なぜか募金活動が活発になるような気がします。街頭のあちらこちらで募金箱を持った人が募金を訴えていたり、職場や学校でも募金を入れる封筒が回ったりする…そんな季節がやってまいりました。
私、募金に関してはポリシーがございます。それは「募金をするなら、顔が見える人にするか、信用信頼のできる機関にだけする」です。なにしろ、命よりも大切(笑)なお金を募金するんですよ。無駄遣いされちゃイヤでしょ? 変なことに使って欲しくないし、詐欺団体や反日運動をしている団体や国家に、私のお金を使ってほしくない…そう思っているだけなんです。
ですから、最近は滅多に見ないのですが、もしも目の前に乞食がいれば、私は乞食にお金をあげますよ。だって可哀想だもの。目の前に困った人がいるんだもの、助けてあげたくなるじゃない。そういう事です。
それにしても、ほんと、最近は、乞食なんていなくなりましたね。私が子どもの頃は、まだまだ乞食がたくさんいましたし(乞食ではないのだけれど)傷痍軍人さんが道端で金銭をねだっていたりしましたが…本当にこういう人はいなくなりました。いれば、私、絶対に募金しちゃいます。
乞食はいなくなりましたが、最近良く街頭で見かけるのが、大道芸人とかストリートミュージシャンです。私はそれらの人たちの芸を足を止めてまで見るという事はほぼ無いので、多くの場合はスルーしてしまうのですが、時折、心を奪われて芸や音楽に見とれてしまう事があります。そんな時は、しっかりと募金(?)させていただいています。
あと、お坊さんが托鉢しているのを見かけると、必ず募金させてもらってます。もちろん、神社やお寺にお賽銭箱があれば、入れさせてもらってます。
養護施設なども、知り合いだったり、知り合いの知り合いだったりしする場合は、直接募金をさせてもら事もあります。これらは顔が見える募金ですね。
顔が見えない(見えづらい)募金は、信頼している機関のものだけに留めています。毎年させてもらっているのが、共同募金(赤い羽根募金)です。緑の羽根募金は、チャンスが無いので最近はしていませんが、チャンスがあればしても良いと思ってます。また、チャンスがあればしたいと思っている募金には、救世軍の社会鍋があります。あれって、大都市でしかやってないみたいで、ウチの地元では見かけないのですが、もし見かける事があれば是非募金したいと思ってます。
それと、募金した事は無いのだけれど、最近考えているのは、盲導犬団体への募金かな? よく駅で見かけるのですよ。でも不勉強のまま募金するのは違うかなって思ってますので、しっかり勉強をして、どの団体へ募金をするべきか調べて、納得できたら募金しても良いと思っています。
でも私がしたいと思っている募金は、それくらいです。それ以外の団体への募金は原則的に断っています。きり無いしネ。
ですから、街角で行われている、震災とか津波とか関係の“○○のための募金”っては奴は、まずしませんし、何のために誰をどのようなカタチで助けているのか具体性に欠けるし、募金を集めている人も知らない人だし、だいたいそんな団体、詐欺じゃないとは誰も保証してくれないし…ね。
あるいは、病弱でアメリカに行って高額な治療を受けないと死んじゃうから助けてくださいと訴えている“○○ちゃんを助けるための募金”ってのもしません。本当に困っている人もいるかもしれないけれど、あの手の募金って、詐欺も結構あるんだよね。もしも本当に困っていて助けて欲しいなら、21世紀なんだから、詐欺まがいな街頭募金などせずに、クラウドファンディングを始めればいいと思うわけです。
それと夏場によくやっている○○時間テレビなどのチャリティ募金もしていません。あれはテレビ番組の企画の一つだし、感動テロの一種だと思うし、だいたい、あの募金は、募金の数割は出演した芸能人の高額ギャラになっちゃうわけでしょ? それって何か違うような気がします。
ユニセフ系の募金もしてません。ユニセフを名乗る団体って、いくつかあって、実は本家ユニセフとは全く関係ない団体もあるってご存知ですか? 日本人はカタカナに弱いので、ついつい誤魔化されちゃうわけです。私、以前、ユニセフを名乗る団体の募金団体に街頭で出会って、腕を掴まれた上に大声で募金を強要された経験があります。なんとか振り切って逃げたのですが、逃げる際に人混みの中で大声で罵倒されてしまいました。「人でなしー!」とか言われたよ。ありゃあ、立派な暴力行為だよな。後で調べたら、そのユニセフは、本家のユニセフではなく、バチモノのユニセフでした。いやあ、危なかったなあ。そんな得体の知れない団体には募金したくないよ。
ちなみに本家のユニセフへの募金は、街頭では行っていないそうです。ユニセフへの募金は、ユニセフ親善大使である黒柳徹子さんが開設している口座に直接入金するシステムになっています。ちなみにこちらのサイトに口座が記載されています。でも、正直、そこまでの気持ちが私には無いので(ごめんね)、私はユニセフへの募金はしていません。なんか、バチモノのユニセフ以来、ユニセフ自体が一種のトラウマになっちゃっているんだよ。私と同じような怖い思いをした人も少なくないと思うと、絶対、バチモノのお陰で本家の評判って悪くなっているよね…。
私は税制上の優遇を受けたいわけではないし、自分自身の生活でキリキリという事もあって、そんなに募金活動には熱心ってわけではありません。ですから、できる募金は少額なのだけれど、そんな少額であっても、しっかりと生きた募金として使って欲しいなあと思っているので、募金先は限定させてもらっているのです。
皆さんも、やみくもに募金をするのではなく、募金したお金がしっかりと使ってもらえる所に募金すると良いと思いますよ。少なくとも、募金詐欺にあったり、募金したお金が反日団体の運動資金になる事が無いようにしてください。
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コメント
おはようございます。
私は、少額ですが自治体に直接募金をすることが多いです。
すると、大量のパンフが来たりするのです。不要だと明記するのですが。
自治体としては、是非来てほしいというアピールなのでしょうが、出向けないからこそ募金をするのであって…
難しいなと考えます。
ともさん
なるほど、自治体に直接募金って手もありました。自治体に限らず、福祉施設などへの募金も直接すると良いのだと思います。あと、お金だけでなく、タイガーマスクのように、ランドセルを贈ってあげるとか、相手の必要に応じて物品を贈っても良いのだと思います。
富の再配分の問題もからんできますから、物事はそんなに簡単ではないのですが、自分が無理なく出来る範囲で、この年末も募金していきたいと思ってます。
「ユニセフは街頭募金をしていない」
そうなんですか!初めて知りました。
家に飛び込みで来る募金。
障害者に…などなど色々ありましたが、この何年かは何故か来なくなりました。
いらっしゃった時、私は「折角いらっしゃったのに、申し訳ありませんが…」と、丁重にお断りしております。
どこの何?という確かな証明は何も出来ないからです。
海外に出かけ、とある東南アジアの国に行くと、路上に物乞いがいます。
白人の方はすぐにお金をあげますが、現地の人と少なくとも日本人はあげているところを見た事がありません。某中の国の方など他国のアジア人については知りません。
もちろん私はあげません。
現地の友人は「あの人は、働ける人」と言います。
物乞いは必ずと言って良いほど、小さな子供を連れています。
ただ、この子供は物乞いの本当の子供ではありません。
「物乞いの村」という村があって、そこの村から大挙して毎日街に通って来ているのです。
街に着くと、それぞれに「あんたはこの子、あんたはこの子」と適当に振り分け、街に散らばっていきます。
そして物乞いを職業としてするのです。
昼には決めた広場に集まって、物乞い職の皆さんは楽しそうにワイワイ笑ってご飯を食べます。
現地では、高価であるポカリスエットも飲んでいたりします。
そして午後の部。夕方には村へ帰って行きます。
募金、寄付がそうだという訳ではありません。
しかし、「物乞いの村」が実際にあるように、思いも寄らない事ってあるんです。
自分がしたければ、寄付をしようが募金をしようが構わないのですが
「それをする事が良いこと」「徳を積む」などのようにこだわり過ぎて、事実を見誤っていないか?って事です。
そもそも募金や寄付は、自分がどうするか決めてするもの。
他人がどうこう言う事ではありません。
しても、しなくても自分は自分。
胸を張って毎日を大切に生きれば良いと思います。
meeさん
白人はキリスト教徒が多いですからね。彼らにとっては、募金や献金は、相手のためではなく、あくまでも自分のためなのです。善行をする事で天に宝を積んでいるわけだから、目の前の物乞いに銭をあげているわけでなく、彼らを通して、天にある自分の銀行口座に貯金しているようなものなのです。このあたりは、文化の違いだから、なかなか日本人には理解しづらいかも。
募金やら献金やらは、それぞれの価値判断で行えばいいと思う私です。なので、私は、犯罪者集団とか、日本に仇なす団体とか、反日活動をしている人々へは、私のお金を渡したくないのです。ですから、基本的には顔の見える人たちとか、私が信頼できる団体とかにしか募金しない…って事になるわけです。
今はいない傷痍軍人ですが、私が子どもの頃はたくさんいて、道端でつまらない歌を歌って、世間の人たちから小銭を恵まれて生活していました。私も見るたびに、子どもの小遣いから少額だけれど恵んでいましたが、その度に親が嫌な顔をしていたのを覚えています。曰く、彼らは傷痍軍人ではなく、傷痍軍人のふりをした乞食なんだから、何も恵む必要はない…って言うわけです。まあ、実際、彼らが本当に傷痍軍人ならば、恩給がたっぷりもらえるので、道端で他人の善意にすがらなくても良いわけで、事実は親の言うとおりなんだろうけれど、それでも私は目の前のあわれなオジサンに小遣いの一部をあげたくて仕方なかったんです。
なぜそんな気持ちになったのかは、今では分かりません。