当然ですが、映画のネタバレはありますから、気をつけてくださいね。
さて、遅ればせながら、『舞妓はレディ』という映画を見てきました。映画はだいだい封切り日に見る私が、封切り開始から約一ヶ月後に見に行くって…つまり当初は見に行く予定がなかった映画だった…って事ですね。
だいたい、この映画、タイトルがなんか変でしょ? それに映画館で見た予告では、ちっとも食指が動かなくって、それで見に行かない事にしていたのです(お金は大切…でしょ?)。
『舞妓はレディ』は…『Shall We ダンス?』の周防正行監督作品。周防監督作品は『ファンシィダンス』『シコふんじゃった』『Shall We ダンス?』の3つは見ていたのですが、それ以降の作品は、路線変更もあって、なんか興味を引かなかったんです。私の中では、周防監督はすでに終わった人であって、彼の芸風は、同じ制作プロダクションに属する矢口史靖監督が引き継いで発展させているので、周防監督と言えば“矢口監督の先代さん”ってイメージだったんですよ。
なので、『舞妓はレディ』は、周防監督の『Shall We ダンス?』以来のコメディー作品と知っても、正直「なんかなあ…」って感じがしていたのです。
ところが、テレビでメイキングを見まして、この映画がミュージカルだと知り「これは見に行かないといけない!」と思って、そろそろロードショーも終わる頃になってしまいましたが、重い腰を持ち上げて見に行ったわけでございます。
そうなんです。この映画。ミュージカル映画なんですよ。登場人物たちが、劇中で脈絡もなく歌い踊るタイプの映画なんですね。
まあ、映画の出来は、見た人がそれぞれで感じればいい事で、私はミュージカル映画だからと言って、それだけで欧米のミュージカル映画と比べてはいけない…と思ってます。
アチラのミュージカル映画と言うのは、最近であれば『レ・ミゼラブル』や『オペラ座の怪人』などがありますが、何年も何年も舞台で上演しつづけられて、ロングランを重ねて、常に作品として磨き上げ続けられてきたものが、満を持して映画化されるわけです。ミュージカル作品としては、元々素晴らしいものが、それまで舞台で稼いだ資金を投入して映画として制作されるわけですから、下手なものが出来るはずないのです。もちろん、出演する役者も、皆、歌手としても立派に通用する人たちばかり(そうでないと、世界中から叩かれます)でしょ?
そこへいくと、日本のミュージカル映画は、基本的に新作です。舞台で練られたモノではありません。面白いかどうかさえ未知数の出来立てのほやほやのモノが映画化されるのです。役者もミュージカル畑の人は、まず使われません。ほとんどが映画俳優か、テレビ俳優さんたちです。演技力や歌唱力に難点があっても、商業的な理由から、知名度優先でキャスティングされるわけです。音楽自体も、あちらはミュージカル専業の作曲家さんが時間をかけて書いているのに対して、こちらにはミュージカル専業の作曲家さんなどいるはずもなく、劇伴専門の作曲家さんたちが限られた時間の中で書いた作品です。一生懸命やっている事自体は、洋の東西問わずでしょうが、やはり時間と資金と才能のかけ方が、我彼では全然違うのです。
なので、比較してはいけない…私はそう思います。
私の個人的な感想を言えば…『舞妓はレディ』は、ミュージカルでなく、ストレートプレイの映画にした方が、もっと良くなっていたんじゃないかって思います。と言うのも、ミュージカルって、セリフをソングにする事で、キャラクターの心理描写を深くエグるのですが、この映画での歌は、ただセリフにフシがついた程度で、それほどエグい歌はないので、心理描写も深くならないんです。だったら、日本映画の武器である“長いセリフ回し”ってヤツで、キャラクターの心情を吐露させた方が良かったし、だいたい周防監督って“長いセリフ回し”が得意な監督さんだったじゃないですか? そういう点では、周防監督という人は、元々、ミュージカルには向かない監督さんじゃないかなって、私は勝手に思ってます。
『舞妓はレディ』って、タイトルからも分かるとおり『マイ・フェア・レディ』のオマージュなんですよ。でも、そこにこだわりすぎかな…って気がします。
例えば劇中で「京都の雨は、たいがい、盆地に降るんやろか~」 って歌い出した時は、私「…どうしようか(汗)」と思ったくらいです。これって『マイ・フェア・レディ』の“The rain in Spain stays mainly in the plain!”のモジリだろうけれど、本物は“エイ”の発音練習課題がそのまま歌になっているのに対して、こちらの方は、本物の単なるパロディでしかないわけです。まあ、この曲をあえて歌うことで「この映画は、マイ・フェア・レディのオマージュなんですよ」と宣言しているのでしょうが、それって必要かな?
それに、マイ・フェア・レディって…あれ、1964年の映画ですよ、もう50年も前の映画です。青春時代にあの映画を見ている人は…当然、アラウンド70、アラセブとでもいうのかしら? いや、団塊の世代か! つまり、この映画は団塊の世代に向けて作られたシニア映画…ってわけなんだな(納得)。
でもね、なんかせっかくの良いテーマと素材がありながら、その仕上がりがもったいないような気がするんですよ。おそらく『Shall We ダンス?』以前の周防監督なら、この映画を万人が楽しめるファミリー向け映画に仕上げることができたと思います…が、残念ながら、この映画は、視線が舞妓志願の春子ちゃんではなく、彼女を見守る大人たちの視線になっているため、見ていて、私なんかは、実に居心地が悪いんですよ。
そういう点では、私はまだまだ現役だし、物語の中にいたいし、だから主人公の心に自分を重ねて物語を追っていきたいのですが、この映画は、あくまでも傍観者視線なんですね。そこが面白いと言えば面白いのだけれど、見る人を選ぶ、万人向けの映画ではない…とも言えます。
そこが周防監督と矢口監督の違いかな? 矢口監督は、きちんと主人公視線で映画を作るから、私は矢口作品を楽しむ事ができるんです。
だいたい、舞妓さんの世界って、我々普通に暮らす人間にとっては、異世界なんだし、右も左も分からずに、その世界に飛び込んだ春子ちゃんの視線で、その異世界について、もっともっと詳しい知ることができる映画になっていたら、もうそれだけで面白い映画になっていたんじゃないかって、思います。
ミュージカルって、セリフを歌うために、どうしてもストレートプレイと比べると、言葉の情報量が少なくなってしまうんです。でも、言葉が少ない分、音楽で感情とか情動とかを刺激できるので、ミュージカルという演劇は、キャラクターの心情を深く表現するのが得意なタイプの劇なんですが、同時に、言葉が少なくて、説明が苦手だから、ストーリーそのものは、ありきたりの平凡で定型的なお話でないと成り立ちません。
つまりミュージカルって、知的に面白い素材には向かず、感情的に激しいテーマのモノに向くのです。キャラクターの感情がほとばしって、思わず歌になってしまうから、ミュージカルが成り立つんです。
でもこの映画は、ちっとも感情的ではなく、むしろ説明的な映画なんです。
日本になぜミュージカルの伝統がないのかと言うと…日本人は感情的に激しくないから…かもしれません。日本の伝統文化の中で、ミュージカルに近いものと言えば、歌舞伎がありますが、あれだって、キャラクターが歌うのではなく、歌はバックバンド(お囃子さん)が歌うわけです。つまり、キャラクターの心情を背景音楽が説明してくれるわけであって、キャラクター自身が己の心情を歌い上げるわけじゃないんです。
となると、この映画うんぬんではなく、元々、日本映画にミュージカルが似合わないのかもしれません。
それにしても、せっかく舞妓さんを取り上げるなら、その世界を広く見せて欲しかったと思うわけなんですよ。で、そういう意味でも、舞妓さんとミュージカルの食い合せは、あまり良くなかったかな…って思います。
それでも、この日本で、ミュージカル映画を制作したという、周防監督の心意気は高く評価すべきだろうと思います(本当に大変だったと思います)。
でもまあ、私自身は楽しめましたよ。最後の最後で『Shall We ダンス?』の青木・高橋ペアが出てきてニッコリしたり、ウチに帰っても、主題歌とか「京都の雨は~」とか歌ってますモン。少なくとも、代金分は楽しみました。
ちょっとググってみたところ、音楽映画ではなく、日本における生粋の国産ミュージカル映画って、21世紀になってから、あんまり作られていないようなんですね。
2005 オペレッタ狸御殿
2006 嫌われ松子の一生
2010 矢島美容室 THE MOVIE ~夢をつかまネバダ~
で、2014年に『舞妓はレディ』となるわけです。ちなみに私、不覚にも「嫌われ松子の一生」と「矢島美容室」は見てないんですよ。4作品のうち、2つも見逃しているなんて、ダメだな(涙)。そのうち、DVDでもレンタルして見なきゃ。
↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村
コメント
まあ、人それぞれでしょうけど
私は楽しんで見ました。
河童さん
記事にも書きましたが、私も料金分は楽しみましたよ。まあ、私は強欲だし、『Shall We ダンス?』は私の中では五指に入る名画なので『もっと、もっと』という気持ちが有ることは否定しません。それに、日本製の本格的ミュージカルの誕生ってヤツを、待ち焦がれていたりもするしね。
『舞妓はレディ』なんて、たぶん、DVD買っちゃうだろうし…。