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月があまりに美しいので、月に向かって笛を吹いてみましょうか

 私はチャンスさえあれば、常に人前で、歌ったり、笛吹いたりしたい人です。人前で演奏して、聞いている人みんなに、ほんの短い時間でも喜んでもらいたい(笑っていただきたい)と思います。音楽を分かち合うことで、お互いに幸せな気分になれたらいいなあという気持ちでやってます。だから、お客さんが楽しくない演奏はしたくない人だし、聞いていて苦痛を感じる音楽は大嫌いな人です。だから、一生懸命練習して、精一杯の演奏をしたいと思ってます。まあ、思っているだけで、なかなか、人前で歌ったり、笛吹いたりするチャンスは、なかなか無いんですけれどね(笑)。

 その一方で、人前で演奏するのは恥ずかしいのでイヤだという人の存在は知っています。私自身がそういう人間ではないので、その人の深い気持ちまでは分からないかもしれませんが、そんなに人前で演奏するのって、恥ずかしい事ですか?

 私は全然、恥ずかしくないです。もちろん、ヘマをすれば「しまったー」と思うし、練習不足や未完成のままの演奏で舞台に上がるのはイヤですが、それは“恥ずかしい”という気持ちとは、少し違うかなって思ってます。

 “恥ずかしい”という気持ちは、他人に注目される事で不快感(いたたまれなさ)を感じる気持ちの事ですよね。人は本能的に不快感を回避する生き物です。これを回避するには「他人に注目されない事」か「注目されても不快感を感じない事」のどちらかの状態に身を置くしかないわけです。もちろん、後者の人間は私のように“恥ずかしくない人”なので、それはすでに“恥ずかしい”という感情から自由になっている人となります。

 ですから、どうしても“恥ずかしい”という気持ちを持っている人は「他人に注目されない事」をチョイスするわけです。

 「音楽」で「他人に注目されたくない」を成り立たせるのって、色々と難しいですよね。それで、本番回避なんでしょうね。

 音楽って、何のためにやっているのでしょうか? 西洋音楽には、基本的に三種類の音楽があると思います。それは、神様に捧げる音楽(教会音楽)と、商売としての音楽(劇場音楽)と自分たちが楽しむ音楽(サロン音楽)。今の“大人の趣味としての音楽”は、自分たちが楽しむ音楽だから「サロン音楽」なのではないかと、私のような人間は、すぐにそう理解し、人前で演奏しない人を不思議に思うわけですよ。

 でも、東洋では、これら三種類の音楽の楽しみ方以外のものがあるんですよね。これは自分のためだけに演奏するという「自楽」という楽しみ。

 …月があまりに美しいので、誰もいない屋敷で、一人で月に向かって笛を吹いてみました…平安の物語には、時折、そのようなシーンが描かれています。もしかすると、こういう趣味に通じるものがあるのかなって思います。

 日本の文化には、時折、他人とのコミュニケーションを念頭に置かず、自分の中だけで完結させる文化があるように思います。例えば、俳句。例えば、華道。いやいや「~道」と付くものには、多かれ少なかれ、そういう側面があるやもしれません。

 音楽も「音楽道」になれば、まずは自分自身を追究する事を目指し、他人とのコミュニケーションについては念頭に置かないのかもしれません。ならば、他人の前で演奏をするのは恥ずかしいという人は、音楽道の中にいて、音楽を通して、自分自身を追究しているのかもしれません。それならば、そういう人に、他人とのコミュニケーションである“人前での演奏”を強要するのは、実は筋違いなのかもしれませんね。そんな気がしてきました。

 人前演奏が大好きな私ですが“月があまりに美しいので、月に向かって笛を吹いてみる”気持ちは分かりますよ。一応、国産のDNAで作られていますから(笑)。今の季節なら、月明かりの八重桜の下で桜茶をちびりちびりやりながらフルート吹いたら、最高かもね。近所迷惑だろうけれど(笑)。

 以上、習い事レベルでの話です。サークルレベルの話になると、また世界が変わってくると思いますが、その話はまたいずれの時にでも致しましょう。

コメント

  1. アリサ より:

    私は、あまり深く考えたことないです。

    いろんな楽器が集まって、できる曲を持ち寄ってるリハーサルバンドみたいなのは楽しいです。
    自己満足といえばそうですが。
    足りない楽器は別の楽器でおぎなえるし、アレンジ自由なので。

    人前でやるのも、背伸びせずにできる曲をやるのですが、聞いてくれる人がどんな曲が好きかなあとか、こんな話をしたら興味を持ってくれるかなあとか、考えてやります。
    集まっている人がどんな人なのか見て、その空気に合った曲をやります。
    多分知らないだろうなあと思ったら、知っていそうな話題からその曲につなげたりします。

    一番緊張するのは、司会者がいて全部やってくれて「はい、どうぞ!」というやつです。
    そういう時って、それまでの空気が読めないので、私、これで出ていいの?と不安になります。
    聞いている人が無反応で拍手のみだと、ああ駄目だって思います…。

    一人で練習するのは、練習になりますね。遊び吹きも練習ですね。
    音楽道に行くにはまだまだ修行がたりません。

  2. すとん より:

    >アリサさん

     たぶん、アリサさんも、人前演奏を苦にしないタイプの人なんでしょうね。

     リハーサルバンド、こっちではセッションバンドと言うのと、たぶん同じだと思いますが、セッションって楽しいでしょうね。私はなかなかそういうチャンスがないので憧れますが、好きな曲も持ち寄って、なんとなくメンバーの阿吽の呼吸でアレンジが決まっていって、ドンドン演奏していく。順番にソロをやりあって、足りない楽器は適当に補って…。ああ、私も仲間がいれば、そういうセッション活動をやりたいです。あ、実力が伴わないか(汗)。

    >聞いている人が無反応で拍手のみだと、ああ駄目だって思います…。

     ああ、気持ちは分かります。でも、客の立場で言えば、別に内容が悪いから、ブスーとしているんじゃなくて、よかったなあと思っていても、なんかそれを表に出すのは照れるみたいな感じはあります。もう少し自信を持ってもいいと思いますよ。ま、だいだい、我々は、ノリノリのラテン系じゃないから、表現が控え目なんですよ。

     私の場合、あまりマジメではないので“道”が付いちゃうと違和感を感じますが、でも練習は好きですよ。本音では、本番なしの練習だけでもイイと思っています。でも、本番を控えた練習とか、本番そのものって、単なる練習のための練習よりも、グッと力が付くんですよね。そういう意味では本番って大切だと思ってます。

  3. はっチャン より:

    人前で演奏するのって楽しいですね~!。
    大好きです。
    セッションでも演奏会でもライブでも病みつきになりました。
    特にお客の反応も分かりチョー楽しいです。
    また、お客に聞かせるために上手なろうと一生懸命練習しますもの。[E:happy01]
    病み付きになりました。[E:happy02]

  4. ダリア より:

    人前で演奏するのは恥ずかしいのでイヤだっていう方、私の知り合いにもいます!
    その方は「もっと上手になってからじゃないと他人には聞かせられないわ」って言って発表会には出ないんです。
    面と向かっては言えませんが、たぶんいつまでたっても上手になれないんじゃないかなあ~と思います。上手下手の判定って他人の耳が聞いてくださってこそ、されるものですよね、自己判定の上手下手はつねに上がありますから、これでいい、は永久にありえないから、永久に人前には立つ気がない人でしょうね。

    もし「上手になったからもう大丈夫」と思って意を決して人前演奏をされて、大成功されたら、きっと人前がクセになると思うけどそこで玉砕でもされたら、もう立ち上がれないくらいショックをうけるタイプの人かも・・・・。
    私は、っていえば、たぶんすとんさんと一緒のタイプかなと思います。へたっぴーなときから、緊張でガチガチで音がとびまくっても、目の前の聞いてくださる存在(大自然さまより人間さま)がいてこそ、がんばってこれました。音楽の場合は聞き手の存在は大自然より大きいと思います。

  5. すとん より:

    >はっチャンさん

     そう、楽しいんですよね、人前での演奏。だから、音楽をしているという部分があると思います。

     人前で演奏するのが、イヤだという人は、その楽しみを味わえないわけで、ちょっと残念じゃないかなって思います。

    >お客に聞かせるために上手なろうと一生懸命練習しますもの

     そうそう、実はこれって、結構、強い原動力ですよね。だから、定期的に“本番をやる”とか“ステージにあがる”って大切なんですよね。

     それにしても、はっチャンさんは実に積極的に音楽と関わっていますよね。そのパワーを分けてほしいくらいです。

  6. すとん より:

    >ダリアさん

    >音楽の場合は聞き手の存在は大自然より大きいと思います。

     「お客に育てられる」という部分は、音楽を含め、舞台系のものなら確実にあります。だから、定期的にステージに上がらないとダメなんだと思ってます。

     あと、私は、ステージ演奏って、上手であることに越したことはないけれど、下手でも客を感心させたらOKだと思ってます。感動させられたら、もう天に昇っちゃいますね。客って、上手い演奏を聞いたからと言って、感心や感動をしてくれるわけじゃないんです。何か、心にふれる演奏をした時に、感心や感動をしてくれるものです。

     だから、私は、たとえ下手っぴであっても、何かを伝えたいと思ってます。それが、例えば、熱意であったり、真剣な気持ちであったりと、音楽以外の要素であってもいいとすら思ってます。何かが伝わる音楽が演奏したいです。それが私の望みです。

     恥ずかしいからと言って、ひっこんでいたら、ほんと、もったいないと思います。

  7. かのん より:

    ぜんっぜん緊張しないタイプでしたが、それは万全を期してないからで、事前に練習がんばったり準備万端だと、かなり緊張する事が最近わかりました。

    でもそれは人前に立つまでの話で、立ってしまえばどんとこい!です。つまりわたしも苦手じゃないし、むしろその緊張感のあとの開放感とやり遂げた感が好きです。それに好評がついてくればばっちり!

    でも、できれば視線は浴びたくないですね。ほどほどにみててくれると嬉しい。ので、コンクールみたいのは苦手かも…

    夜桜にフルートもよさそうです。

  8. すとん より:

    >かのんさん

     緊張することは、実は良い事なんだそうです。“緊張”と言うから、足がガクブルになりますが、“気持ちが高ぶってきた”とか“戦闘モードに突入した”と考えれば…ね、むしろ緊張するのが当たり前で、緊張しない方が、よっぽどおかしい。

     舞台袖では緊張していても、舞台に上がると平常心になる、かのんさんのような方が一番良いそうですよ。逆に、舞台袖では全然平気なのに、舞台に上がって、いざ演奏という時にあがったり、ちょっと失敗して舞い上がったりする人の方が、始末におえないみたいです…って、それって私の事じゃん(涙)。

     私もコンクールみたいなのは苦手だけれど、視線はジャンジャカ浴びたい人です。見られれば見られる程、気持ちが高まっていくでしょ。

    >それに好評がついてくればばっちり!

     うんうん、やっぱり、誉めてもらえると、うれしいですよね。

  9. 人前で演奏するのが恥ずかしい…んじゃなくて、怖い、っていう気持ちは持っています。
    自分のメンタル的な問題は大きいと思いますが。

    その反面、「人前で演奏してナンボ、間違えても次に生かせ」という私もいますので(夫あさかぜからは、「先生は間違えちゃいかんだろ」といわれますが、トチるのはブランクのせいだと絶対思う)生徒には「どんどん演奏チャンスを作りなさいね~」と言っています。
    なので、基本、発表会も全員参加。今回出られなかった生徒たちは、それぞれに事情がありましたが、出る事自体拒否った人はいませんでした。

    ところで、華道人の娘としてすとんさんにちょっと訂正ね。
    イマドキのお花は、自己完結だけではやっていけませんよ。
    みなさん展覧会に出されることが多いし、出して、多くのお客様に見ていただくことで技術だとか、センスを高めようという気持ちになることも多いです。少なくとも私の母なんかは、「とにかくチャンスがあったら出しなさい」ということをお弟子さんに言っているようです。

    書道もそうですよ。
    娘は展覧会に出すことで上手くなっていると思います。

    勿論自分なりの完成度とかもあるかもしれませんが。

  10. chiko より:

    去年のピアノ発表会を思い出してしまったああああああ・・・・
    出るまでは、全然恥ずかしくなかった。むしろ、次の番の子どもと談笑していたくらいです。私の出番がきて、ステージに出たところまではまだ良かった。でも、ピアノの前にすわったら、足ががくがくしました。手がぶるぶるしました。
    私って、こどもの頃から結構リーダーシップがあるように見られていましたけれど、本当は気が小さいんですよね。今だって、総代会とか、評議委員会とか、何かの委員とか、誘うなあああああ、推薦するなあああああああって、思いますものね。
    あれですかね。「稽古不足を幕は待たない、恋はいつでも初舞台」って。
    これ、昔から好きなんですよね。
    どっちかというと、ひとりで遊ぶのになんの不自由も感じない。「淋しいから遊んで」なんて言われると、うっとうしい。私は、何日でもひとりで大丈夫です。
    って、主旨からはずれてます?

  11. すとん より:

    >ことなりままっちさん

    >人前で演奏するのが恥ずかしい…んじゃなくて、怖い、っていう気持ちは持っています

     なるほど、そういう方もいらっしゃるでしょうね。そこは気付きませんでした。怖いと言えば、確かに怖いですね。

    >ところで、華道人の娘としてすとんさんにちょっと訂正ね。

     華道と書道の件ですが、私は、時間芸術か否かという視点で書きました。つまり、お客さんの目の前でお花を生ける事はないでしょ、って感じですが、最近はそうでもないのかな? 書道でも、別の場所で別の日に書いたものを展示するだけで、客前で字を書いたりしないでしょと思ってましたが、最近はそうでもないのでしょうか? 「書道ガールズ」という映画が公開されますが、ちょっと見てみたいです。書道でライブ? ちょっと想像できません。

  12. すとん より:

    >chikoさん

     私も気が小さい人間だと思ってます。私もそうですが、chikoさんも“場馴れ”が必要なんだと思います。小心者は、始めての場面とか始めての出来事などに弱いんですね。これも“あがる”のバリエーションの一つかもしれませんが…。

    >「稽古不足を幕は待たない、恋はいつでも初舞台」って。

     はは、その通り。でも、そこに“場馴れ”している人たちもたくさんいますよ。プレイボーイとか、モテ子とかね。

  13. >華道と書道の件ですが、私は、時間芸術か否かという視点で書きました。

    うん、多分そうかなって思いました。
    でね。
    華道については、これは流派にもよりますが(華道の流派の話を始めると、それはそれで膨大なレスになるし、私も自分が直接かかわっていないので、あまり詳細な話はやめておきますが)生け花パフォーマンスみたいなものは、実際ありますよ。
    私も見たことがあるのですが…。
    しかも普通、自分の正面に花がある状態でいけるはずが、正面を観客に向けていけるという…私の母はお手伝いをしたことがあるそうですが、想像できませんよね。
    書道についても、「とめはねっ!」という漫画もあるし、「書道ガールズ」についても記事で読みましたが、書道ライブもありますよん。うちの娘も参加してきました。

    で。毎回、「コワイ~」とおびえているのに、出る。演奏して、帰ってくる。そして次を考えている。私も懲りないなぁ。だから多分、キライじゃないんですよ、きっと。みょ~な高揚感がありますもん、ライブって。

  14. すとん より:

    >ことなりままっちさん

     なるほど、華道にせよ、書道にせよ、ライブとかパフォーマンスとか、その手のものがあるんですね。そう言えば、華道の假屋崎省吾さんがテレビで華道のパフォーマンスをするのを見かけますね。納得です。

    >みょ~な高揚感がありますもん、ライブって。

     そうですね。私は、スポットライトが好きです。あれを浴びるのが気持ちいいですね。それこそ、みょ~な高揚感が満ち満ちてきます。きっと、脳内ではアドレナリンがあふれているんだと思います。

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