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ジンバブエが大変だ!

 『韓国が大変!』、『ギリシャが大変!』とニュースで言ってますが、いやいや、ジンバブエだって結構大変そうです。でも、あんまり報道されないんですよね。かわいそうに。

 ジンバブエって、アフリカ大陸にある国です。アフリカ大陸と言っても、かなり南側。当然、南半球にあります。海には面してません、陸だけの国です。国土面積は日本とほぼ同じ。世界国土の広さランキングでは、ジンバブエが61位、日本が62位ですからね。

 人口は約1400万人(日本の1/10強)。住んでいる人は、当然、ほとんどがアフリカ系の黒人です。98%が黒人、白人&アジア系の人は、残りの2%程度だそうです。人口の2%と言うと、日本に住んでいる在留外国人のパーセンテージとほぼ同じです。

 公用語は英語で、人々はキリスト教を信仰しています。

 元々は、19世紀後半に、イギリスの政治家であるセシル・ローズによって設立された“イギリス南アフリカ会社”によって開発・発展してきた地域の南半分がジンバブエなんだそうです(北半分はザンビアね)。その開発も、最初は鉱山開発で、やがて大規模農園(いわゆるプランテーション農業)経営へと舵を切り、経済的に豊かな地方として発展しました。当時は『アフリカの穀物庫』と呼ばれるほどの豊富な作物を誇る大農業地域だったそうです。

 元々何もなかった所に、白人たちが入植し、鉱山開発と大規模農園経営(典型的な植民地経営っすね)によって経済的に発展し、力を蓄え、やがて南ローデシア自治政府が白人たちによって作られ、イギリスの直轄植民地となりました。ちなみに、ローデシアという名前は、イギリス南アフリカ会社の社長さんのセシル・ローズのローズから取ったそうです(なんすか? それ)。

 南ローデシアは白人が優位を保っていた地域でして、アパルトヘイト政策を行っていました。第二次世界大戦後の脱植民地化の流れにのって、ローデシア共和国として独立。当然、白人による国家でした。

 国家として独立はしたものの、少数の白人が大多数の黒人を支配するという構造(日本で言えば、在日朝鮮/韓国人が日本人を隷属させ日本を支配していると想像すると、分かりやすいかも)だったため、白人と黒人の対立が生まれ、国内は内乱とゲリラ活動が勃発し、ローデシア紛争と呼ばれる戦争状態を経て、1980年に今度は、黒人国家のジンバブエ共和国として独立します。

 最初のうちこそ、白人宥和政策を取っていたジンバブエ政府だけれど、やがて政策は反米・反白人政策に変わり、2000年に白人所有の大農場の強制収容を行い、白人の財産を黒人農民に再分配する“ファスト・トラック”という政策を実施しました(農地改革の一種だね)。この政策のため、国の経済基盤である農園経営の主体が、白人たちから黒人たちに移り、結果として、白人たちが持っていた農業技術・経営手法が失われ、あっという間に飢饉が発生し、食料危機を迎え、ハイパーインフレが発生してしまいました。

 つまり、それまでの豊かなジンバブエを支えていたのは、実は白人たちであり、彼らを追い出してしまったため、農地はあっても生産できず、収穫しても販売できず…という事態を迎えてしまったわけです。大切なのは、大規模農園というハードウェアではなく、大規模農園の経営ノウハウというソフトウェアだったわけです。

 国力はみるみる衰え、経済は悪化し、治安が悪くなり、大統領による独裁政治が強化され、コレラが発生し、言論統制が行われ、疫病は発生し、とにかく国内はグッチャグッチャになりました。国民の不満は募る一方で、失政だらけの国内政治から国民の目をそらすために、反白人政策をバシバシやったので(どっかの国も、国民の不満を国内政治からそらすために、反日政策やってますよね)、白人国家からは総スカンをくらい、国際社会の中では見捨てられた存在となり(だから窮状がロクに報道もされない)、仲良くしてくれるのは、中国とロシアぐらい(!)というテイタラクとなっています。

 ジンバブエの通貨は“ジンバブエドル”です。1980年にローデシアから独立したばかりの頃は、0.68ジンバブエドルが1米ドルでした。つまり、ジンバブエドルの方が米ドルよりも高価で強かったわけです。それくらい、ローデシアが豊かで経済力があったという事です。

 独立直後はともかく、2000年に行ったファスト・トラック以降、そこから坂道を転がるように、ジンバブエドルは弱くなり、2006年にデノミを行い、ジンバブエドルは3桁切り捨て(旧1000ジンバブエドルが新1ジンバブエドルになったわけです)を行ったそうです。これによって、新250ジンバブエドルが1米ドルとなりました。つまり、この16年間で、ジンバブエドルの価値が1/36万に減少したって事です。なんかもう、目が眩みます。

 2008年に二度目のデノミを行い、今回は10桁(!)の切り捨てを行ったそうです[つまり、旧10,000,000,000(100億)ジンバブエドルが新1ジンバブエドルになったわけです]。さらにこの年よりジンバブエは、固定相場から変動相場に移行し、おおよそ、新256,000,000(2億56千万)ジンバブエドルが1米ドルになったそうです。

 ここまでお金の価値が安くなると、ジンバブエの紙幣よりも、印刷する前の紙幣の用紙の方が、絶対に高価だって事ですよ。つまり、ジンバブエの紙幣として印刷された途端に、その紙幣の価値が暴落するって感じです。

 翌年の2009年には三度目のデノミを行い、今度は12桁の切り捨てを行ったそうです(つまり、旧1,000,000,000,000(1兆)ジンバブエドルが新1ジンバブエドルになったわけです)。それでも、こんなにデノミを行っても、新359,000(35万9千)ジンバブエドルが1米ドルだったそうです。もう、ほんま、えらいこっちゃで!

 で、その後、ジンバブエ政府は…あきらめちゃったんでしょうね。ジンバブエドルの無期限発行停止を発表(印刷すればするほど赤字になってたはずです)し、年末には、公務員のお給料をジンバブエドルではなく、米ドルで支払う事にしたそうです。そりゃあそうでしょう、こんなインフレでは、日用品を買うにしても、お札を山のようにリヤカーにでも積み上げて買いに行かないと、何も買えませんからね。

 そして今年2015年6月、ついに政府は公式にジンバブエドルの廃止を宣言し、国内に残っているジンバブエドルはすべて米ドルに交換される事になりました。

 交換レート(?)は、銀行の預金残高が175,000,000,000,000,000(17.5京)ジンバブエドル(ちなみに“京”と言うのは“兆”の上の単位です。ま、普通に生きていれば、見ることのない大きな数字の単位です)までの人は、一律5米ドル(日本円にすると約620円)と交換。17.5京を超える預金残高に対しては、3.5京ジンバブエドルごとに1米ドルで交換されるそうです。

 で、ちょろっと換算すると、つまり300,000,000,000(3000億)ジンバブエドルで、やっと1円ぐらいの価値になるみたいです。つまり、ジンバブエで億万長者になっても、日本じゃ生きられないってわけです。

 反米政策を強く押し出しているくせに、通貨としては米ドルを使用する、つまり経済的にはアメリカの影響下…ってか、支配下に入ることになったわけです。政治的にはともかく、経済的には、アメリカの一地域になり下がってしまったわけで、ジンバブエという国は(経済的には)無くなってしまったわけです。

 それにしても、ひどい状況だな。全く想像が及びません。だって、インフレだからお給料はすごぶる高額なわけで、ガンガンガンガン貯金通帳の数字は増えていくわけです。で、数字が増えすぎて、貯金通帳に記載できなるなると、デノミが行われて、貯金通帳の額面がガクガクガク…と下がってゆくんだよ。変な気分だろうね。

 で、貯金通帳にはたんまりお金があっても、インフレですから、買い物に行くときには、現金は、お財布に入りきるわけもなく、リヤカーにでも山積みにして載せて出かけるわけです。そうなると、紙幣なんて、ティッシュペーパーよりも価値がないわけだ。

 だからと言って、デノミで貯金通帳の残高が減ってしまうのは(悲しいけれど)ともかく、自国の通貨が無くなるなんて…自分の国が経済的に死を迎えるなんて、一体どんな気分だろう…。

 ジンバブエの国民の1/3はHIVに感染しているそうです。平均寿命も、ファスト・トラックを行う前(つまりハイバーインフレが発生する前)は62歳だったけれど、インフレが発生した2006年で36歳と世界最短寿命となりました。もっとも、現在は58歳まで回復しています。それでも日本の83歳と比べると、だいぶ短いです。

 2013年にはジンバブエの国庫には、日本円にして2万円しかなかったそうです。貧しいにも、程があります。でも、そんなジンバブエにも、約1400万人の人間が暮らし、日本人も100人弱の人が住み、日本国内にも100人強のジンバブエ人がいるそうです。たとえ状況がどうであれ、人間が生活しているわけです。

 なんかなー、なんかなー。少なくとも、韓国やギリシャなんかよりも、はるかにハードな状況にあるんじゃないの? ジンバブエって。

蛇足 今回、桁数の大きい数字がバンバン出ました。一部で数えミスがあったら…勘弁してね。

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