私は昭和の男です。私が若い時は、男女平等という言葉こそ飛び交っていましたが、実情はまだまだ平等にはほど遠く「男は女を養うもの」とか「結婚したら、女は家庭に入るもの」とかの言葉が、現実味を持っていた時代でした。
実際、若い女の子たちの大半は高卒で、せいぜい進学しても短大がやっとで、4年制大学に行こうものなら「お嫁に行けなくなるぞ!」と言われたものでした。で、学校を卒業して、2~3年だけ会社勤めをして(これを“腰掛け”と言ってました)、その後は結婚するか、お相手がまだ見つかっていない時は、一度実家に戻って“家事手伝い”という名の花嫁修業をするのが、世の常でした。つまり会社側も、若い女の子を戦力とはみなしていなくて、2~3年で辞めるものと考えていたので、結婚する気もなければ花嫁修業をする気もない人であっても、3年程度で最初の会社をやめて、別のところに再就職をする人がいたくらいです。
と言うのも、当時の女性は、結婚後は専業主婦が当たり前でしたから、働く事なんてなかったのです。農家とか商売をやっている家はともかく、一般のサラリーマン家庭の奥さんが働くことは、まずありませんでした。なにしろ当時は働く女性をわざわざ“職業婦人”と呼んでいたくらい、女性がフルタイムで働く事は、特別な事だったからです。
ですから、女性が働くのは、育児が終わって、子どもに手がかからなくなる頃に、昼間の数時間をパートとして働く程度でした。
逆に男は、残業は当然、休日返上で働くのが常でした。ライフワークバランスなんて言葉は無かった時代です。そして「男は結婚して家庭を持って一人前」と言われ、独身者は出世の道が閉ざされていました。有能な若い社員は、上司が見合い相手を用意するのが当たり前でした。
恋愛結婚なんて、まだまだ憧れで、それが出来るのは一部のエリート男性とモテモテ女子だけで、多くの夫婦は、お見合いで結婚するのが当たり前の時代でした。
お見合いとなれば、男性はある程度の経済力が必要とされるので、結婚は30歳前後が多く、一方女性は花嫁修業さえ完了していれば若い方が良いので、22歳前後で結婚する人が多く、多くは24歳までに結婚していたものです。つまり男女の年齢差は6~8歳前後あるのが普通で、時には一回りぐらい男性の方が年上なんて夫婦も珍しくなかったものです。むしろ、男女が同世代って方が珍しいくらいでした。だって、同世代なら、男に経済力が無いか、女にトウが立っているかのどっちかですからね。
昭和は、結婚が強制される時代でしたが、ある意味、割と簡単に結婚できた時代でもあります。それは“お見合い”というセーフティーネットが機能していたからとも言えます。男女ともに、非モテであっても、恋愛経験がなくても、多少の難点があっても、ある程度の年齢になれば、いい感じのお相手が用意され、平穏な結婚生活を営めたものです。
それを考えると、令和の今は、成婚率が低くなり、少子高齢化が進むのも、ある意味やむをえないと言えます。
だって、すっかりお見合いというものが廃れ、結婚は恋愛結婚がメインとなってしまいました。でも、恋愛で結婚できるのは、一部のハイスペ男子とモテ女子だけで、その他大勢の一般男女にとっては、恋愛そのものが難しく、ましてや結婚なんて、遠い道のりとなってしまいました。
お見合いの代わりに出来た、結婚相談所は、かつてのお見合いとは全く違って、地縁も血縁も人柄も関係なく、ただただスペック的に釣り合ったお相手が紹介されるだけでは、なかなか結婚には踏み切れませんよね。だって、自分とスペック的に釣り合った相手なんて、面白くないし、お得感はゼロでしょ?
おまけに今の時代、男女ともに働いて共稼ぎが当たり前だけれど、家事分担は男女平等と言いつつも、女側の負担は多く、ましてや育児となると、かなり女側の負担が増え、でも女も働かなきゃ暮らせない…となると、女性が結婚へ二の足を踏むのも当然です。
男の側だって、一人暮らしなら自由気ままに暮らせていたのに、結婚すると、家事を強制されたり、趣味の時間が減らされたり邪魔されたり、息苦しさを感じるので結婚を後回しにしたくなるし、ようやく結婚しようかと思って結婚相談所に行っても、紹介されるのは(自分と同年代なので)子どもが産めるかどうか微妙な年齢の女性ばかり紹介されて、なんかもう結婚を諦めてしまう…って感じでしょ?
昭和が良かったとは言わないけれど、結婚をする環境という点で考えるならば、恋愛をしなくても結婚できた昭和の方が気が楽…と感じる人は大勢いるんじゃないかしら? 令和は、結婚の前のに、恋愛という無理難題という大きな壁がたちはだかるわけで、これが厄介なんだろうなあ…と思うわけです。
まあ、私は昭和の人間で良かったと思ってます。
蛇足 ちなみに、私は恋愛結婚だよ。
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