体重:103.6kg[-0.5kg:-2.2kg]
体脂肪率:31.5%[-0.1%:-0.8%]
BMI:32.7[-0.2:-1.1]
体脂肪質量:32.6kg[-0.3kg:-0.3kg]
腹囲:102.8cm[-0.5cm:-3.4cm]
[先週との差:2009年当初との差]
そふくしダイエット第28週目です。涼しくなりましたね。インフルエンザは怖いですけれど、ひとまず、普通の生活に戻る事にしました。普通に戻って、そふくしを始めた途端に、スタートダッシュ? ちょっといい感じです。でも、まだ、夏前の状況とはほど遠いので、まだまだ頑張んないとダメですね。
さて、私は時折、ほんのたまにだけれど「もしも、病気や怪我をして障害が残ったらどうしよう」と根拠のない不安に襲われることがあります。
人は壊れやすいモノですから、病気や怪我をするのは当たり前です。回復するものもあれば、悲しいかな、元の状態まで回復せずに制限のある状態に留まる事(これが障害という奴ですね)もあります。障害はとても不便なもので、とりわけ健常者として長年生活していた人にとっては、大きな喪失感とストレスに襲われることでしょう。
でも、病気や怪我は避けて通れません。極端な話、明日にでも交通事故に遭い、片腕切断とか、胸部損傷で片肺を切除せざるを得ない状況にならないとも限りません。いや、それどころか、私なんかはデブですから、気をつけないと、近い将来、視力を喪失したり、腎臓や足がダメになって切除しなければいけなくなるかもしれません。笑い事じゃないです。
もし、そうなったら…本当は生活の心配をまず第一にしなければいけないのですが、そこは切実感や現実感の薄い妄想から来る不安ですから、趣味の事を考えてしまいます。
つまり、もしも障害者になったら、音楽の趣味なんて続けていられるのだろうか?
馬鹿ですねえー、ほんと。馬鹿だと思う。いや、こんな発想をする事自体が、不謹慎極まりないことだと思いますよ。この世界には、多くの障害者の方々がいて、その方々が日夜、多くの不便や偏見と戦いながら、それでも立派に暮らしているのに、よりにことかいて「音楽できるかな~」なんて、どーでも良い事を真剣に心配しているバカモノなんです。
ああ、でも今日は、そんなバカモノに腹を立てずにいてやってください。
障害者となった時に自分は趣味をやり続けられるだろうか? そしてその趣味として音楽をやれるだろうか?
健常者から障害者になった時に、生活は一変するだろうし、私などは心が弱っちいので、色々と取り乱すことの多い人生になってしまうと思う。だから、そういう状況になっても、趣味は続けていたい。趣味を続けてる事で、ストレスを発散して、ちょっとでも円満な人柄でありつづけたいと願います。
さて、そうなった時に、今は大好きな音楽を、その時も続けられるだろうか、これはちょっと心配。もっとも、音楽鑑賞の方は、耳がダメにならなければ大丈夫でしょう。
でも演奏の方はどうでしょうか? 自信ないなあ…。身体を欠損してしまった場合(指とか腕とか肺とかの一部を失う)、その欠損の事実に対応し乗り越えることでできるか。欠損は免れたけれどマヒが残ってしまった場合、リハビリを乗り越えてまで音楽をするだろうか?
世間には、プロ奏者の話だけれど、片腕を失っても活躍しているピアニストとかドラマーがいます。声帯がマヒしてしまった声楽家もいます。盲目の歌手やピアニストもいます。障害者になってしまった事は悲しいことだけれど、障害者である事を感じさせないほど、普通に立派に活躍している音楽家の姿を見聞きできることは素晴らしいことだと思います。
私がそんな状態になった時にどうするかは、今は予想だにできませんが、でもそういう先達がいらっしゃる事は、大きな励みになるでしょうね。生きる希望になるでしょうね。
世の中には強い人がいます。…私はそこまで強い人間でないし、だからこそ、そうなる事を恐れているのだけれど、人は壊れ物だから、いつまでも健康で若々しいわけではないんだよね。もしも私が障害者になったなら…。時々は、この不安と対面し、不安と語り合っておく事は必要なことだろうと思います。雨の日にずぶ濡れにならないためにも。
コメント
私、右の人差し指、機械に挟まれて潰した事あるんですね。
幸い欠損はしてませんけど、
指先が多少短くて指紋はぐちゃぐちゃです。
でも、リングキー普通に使ってます。
それぞれギターリストの、
ラリー・カールトン、イングヴェイ・マルムスティーン、
犯罪に巻き込まれたり、事故にあったりしているけれど、
そこでの障害を克服して第一線に戻ってきていますね。
先の事は分からないけれど、
予測したり予防はできると思うんですね。
例えば、バイクに乗るときは必ず指先まで革の手袋しますし、
ドアを開け閉めでは変なところに
手を付かないとか意識してますし、
街で車が突っ込んできたら、
乗用車だったらボンネットに飛び乗れば
なんとかなるかもとか考えたり。
「こんな発想をする事自体が、不謹慎極まりない」
なんてことはないですよ。
意識していれば防げる確率は上がるわけで。
それでもダメなときは、仕方がないですね。運です。
平凡に生きている人でも、「どれだけ優れた人」でも
いつかは老いが訪れ、死を迎えます。
せっかく今生きているんだから、少しだけでも
「どれだけ優れた人」の領域に近づいてみたいではないですか。
ただそれだけですね。
先日、スイス政府編「民間防衛」って本読みました。
戦争を含めた異常事態でどういった心構えで対処するかが
書いてあるガイドブックですが、想定してる場合と
考えもしていない場合で覚悟が違うと思うんですね。
その点、日本は平和(ボケ)です。
3年前に脳梗塞で入院し、ベッドから起き上がることすら出来なかった時には、体を動かすことしか考えませんでした。なにしろ脳がイカれてましたので、それ以外のことは考えられませんでした。リハビリの時も同じで、とにかく目の前の事だけをやってました。
フルートもリハビリの一環として再開したのですが、全く昔のように吹けなくて、その頃からストレスを感じるようになりましたねえ。悩むとかストレスを感じるのって、健康になってきた証拠か…なんて思ったものです。
時間が経つとだんだん良くなっていくマヒと良くならないマヒがあるのがわかってくるんですが、それが嫌なんですよね。私の場合は左背筋のマヒは直らなそうです。ブレスは病気前の80%までしか回復しないかなという感じです。左半身のマヒの程度は、歩けはするけれど走れません。
左手の五本の指と右手の人差し指は、入院している時は全く動かなかったんですが、今は疲れている時以外は動きます。
以前と同じ状態に回復することは難しいと感じてますが、それでも杖もつかずに歩けることと、フルートも吹けるようになったこと、車も運転出来る(オートマ車で左足は使わないですむので)ことに感謝しつつ生活してます。
人間って、そういう状態に陥っても、結構前向きに生きられる強いものだと思います。
ならぬことの心配をするのは辞めましょう! なっちゃったら考えれば?…そのくらい楽観的でいないと身が持ちませんよ、勿論予防出来る事であればそれは必要ですが。
私は重度仮死で生まれた子と、先天性複合障害を持った子を育てています。ものすごぉーく大変な山を見ちゃうと、後は楽なもんですよ。
自分自身も昨年の突発性難聴から耳の障害が残ったままです。聴き取り難い音域があり、その音域の含まれる子音で始まる言葉は聴き取り難いですし、音域をカットされている電話は苦手です。
フルートが吹いていられるのは、楽器が純音ではないので、倍音構成から「響き」として聴ける事、病状の1つとして鼓膜の反応が一般人の5倍以上鋭いので、聴かなくて良い音まで聴き取ってしまう事(脳が異常に疲れます)があるからです。
私は割と聴力が戻りましたが、うちの団には突発後、片耳がまったく聴こえなくなった方も楽しくクラリネットでアンサンブルしています。聴き方のコツみたいのが判ってから吹きやすくなったそうですよ。
駄目になった機能を他機能で補う事。。
意識して使う事もありますが、自然に行おうとする力が人間にはあるようです。
私も色々考えてます。
足が悪くなったらパントマイムは出来ないけど、落語みたいに座ったままできる。
指のどこかの一本なら使わずに弾けるように工夫する。(ジャンゴ・ラインハルトみたいに)指全部なら右手ならピックに変える。腕全部なら弾けないから聞いてるだけになるかな。耳が聞こえなくなったらベートーベンのようにがんばる。目が見えなくなったらクラシックではなくてインプロに変更する。耳は今はまだ大丈夫ですが、私も一度突発性難聴になったので、最近は大きい音とか特定の周波数なのかな、が苦手です。いつも耳栓用意してます。最近はライブで耳栓してます。後が楽ですね。
また指はとっても大事にしているので、お茶碗などを落としても指を守っています。指でやることをがんばらない。人に頼む。
これで一番大変なのはギター仲間が集まった時に会議机の移動です。全員指と爪が大事な人なので、男性といってもあまり期待できない。でもやってくれますが、申し訳ないですね。軍手を用意しておく方がいいですね。自転車に乗る時も人より早くに手袋はめて人より長くはめてます。
心配というより覚悟ですかねえ。続ける気があるので。ほんとに好きなので。やる気があればなんとか出来る方法を工夫しますよ。たてのいずみさんも左手だけでコンサートやってるし。
無駄な不安が一番相談にのりにくいです。
>ひょっとこさん
事故による怪我は怖いですね。実は私も右人指し指の根本を機械に挟んだ事があります。傷跡は残りましたが、完治したので無問題なんですが、今でもその時の傷跡を見ると、あの時の気持ち(痛かったこと、パニクったこと、これで指を失ってしまうかも…と思ったこと、など)を思いだします。正直、アレ以来、臆病になったのかもしれません。
予測や予防は大切ですね。我が身を守るためにできる小さなことを積み重ねていきたいです。
スイス政府の「民間防衛」は持ってます。読んでません(笑)。覚悟を少しでも決めるために、ボツボツと読んでみたいと思います。平和ボケは国を亡ぼします。安全ボケも身を亡ぼすでしょうね。
物想う秋…ですし、日々思うことはフツフツと湧いてきますね・・・・北極の氷が全部溶けたらどうなっちゃうんだろう?とか、
食料自給率の低さとか・・・・地球だって生きている以上いつか『最期の日』は来るだろうし・・・『…100人の村だったら』の中で日本は上位?(語弊がありますが)数名の内に入るようですが、いつまでキープできるかわからないし、日本が上位をキープできるというのは、途上国の下支えがあったりするわけだし・・・・。途上国に生活していたら、病気=死だったりするわけで・・・、というかそういう事態が日本でもすでに始まっているんだよ、とか・・・やっぱり思索の秋・・・・いえ、秋に限らず、現状に感謝する気持ちをいつも心に止めておかねば、とも思ったり・・・(私は“ネイティブインディアンの教え”とか案外好きなんですが…北山耕平さんのブログとかよいですよ。なんか“ロバの話”があったな・・・)。変に語ってるコメになってしまいました、すみません。
>たかさん
たかさんは、大変なところ(と書かれると、いい気はしないでしょうね、すみません)をくぐってきた方でしたね。たかさんが、ネットにかかれているリハビリの話のほんの断片を読むと「ああ、大変なところをくぐってきた人なんだな」と心底思います。そして、くぐらざるを得なかったら、乗り越えるしかなかったから、懸命に乗り越えてきたのだなあと、感心?、尊敬?、してます。
>人間って、そういう状態に陥っても、結構前向きに生きられる強いものだと思います。
ですね。いや、案外、どんな状態であれ、それが日常になってしまえば、たしかに不便で苦労することも多いかもしれませんが、日常になってしまえば、それなりに楽しく暮らせるのでしょうね。
日常にしてしまうまでは、大変なのかもしないなあ、と思います。とりあえず、健康で不自由なく過ごせる毎日に感謝したいと思います。
>めいぷるさん
>ならぬことの心配をするのは辞めましょう!
いやいや、全くその通りですね。ふさぎ込んで、下を向いて生活していても仕方がありません。元気に前を向いて、たとえ人生が少々しんどくても、ニコニコしながら生きていきたいものです。
今週は仕事が強烈に忙しくて、疲労困憊だったために、ちょっと視点が下向きになっていたのかもしれません。嘘偽りは書いてませんが、もう少し元気でいないとね。身体と心はどこかでリンクしているものなのでしょう。
耳がダメにならなければ…と書きましたが、多少ダメになっても(おおげさな表現でごめんなさい)、その機能を回復させたり補ったりする機能が人間には備わっていますよね。そうなった時はそうなった時にそれなりになるわけで、心配して予防して防げることは防ぎ、そうでないものに関しては、考えない、または楽天的に過ごしていく。これが肝心なんですね。
そう言えば、以前、私がいた合唱団に、耳の遠くなったジイサマがいました。補聴器を愛用していて、時折ハウリングを起こすくらいの強度で使っていましたし、会話にも不自由するくらい、耳が機能を失っていましたが、それでも不思議と歌えたものです。日常会話だとロクに聞こえないのに、きちんと周囲の歌声を聞いて、それに合わせて歌える…当時も不思議に思いましたが、今考えても不思議ですが、あれが人間なんですね。
結構、人間って、タフにできているのかもしれない。
>ticoさん
>無駄な不安が一番相談にのりにくいです。
全くそうですね。漫然とした形の無い不安を愚痴として書かれても、なんとも反応のしようがないですね。
おっしゃるとおり「心配というより覚悟」なんだと分かりました。
何事にも腹の据わらない、すぐにうろたえる体質の私です。不惑の年齢は軽く飛び越しているのに、惑うどころか、何事にもうろたえる毎日を過ごしています。でも、そういう弱っちい私を捨て去ることはできないので、こんな弱っちいまま生きていきます。それも一つの覚悟なのかな? または開き直り?
無駄な不安を抱えて生きるよりも、現実的に色々と対処し予防し安全を確保しながら、生活していく事をすべきですし、そうしていこうと思います。
そのように予防をしても、きっと新たに、色々と無駄な不安をいっぱい抱えて生きていくのだと思います。それが私という人間の基本的な生き方だから。つまりは弱っちいんです。ふがいない、イラつく、歯がゆい。…ほんとうに申し訳ないです。
>YOSHIEさん
私も時折、YOSHIEさんが書かれた事を心配します。私ごときが心配したからと言って、どうにかなるわけでもないのにね(笑)。でも、本当に大変な事態の中で生活しているのだなあと、改めて思う時もあります。
私が一番神様に感謝していることは『この時代のこの国に生を授けてくださった事』です。無論、生まれてこなければ感謝のしようがないのですが、生まれるにしても、いつの時代に生まれてくるか、どこの国に生まれてくるか、どんな親やどんな環境の中で生まれてくるのか、生まれてくる人間には選びようがありません。
私はたまたま、この時代のこの国に生まれてきました。すごく良い時代の良い国に生まれてきたと思ってます。別の時代や別の国に生まれていたら、今ほど幸せな毎日は過ごせなかっただろうなあと思ってます。ま、ちょっと言わせてもらえば、もう少し裕福な両親、国民の平均所得なんて贅沢は言いません、子どもが毎日の食べモノの心配をせずに済む程度の経済力のある家に生まれてきたかったなあとは思います(笑)。無理心中は決して他人事ではない家庭状況の中で生きてきたもので…。
後は、私が幸せに感じている、この国のこの状況を、次の世代に引き渡す時に『この時代のこの国に生まれてよかったなあ』と思ってもらえるようにしておく事が、大人の務めだと思ってます。でも、よかったなあと思ってもらえるかなあ…。若い世代は、そんな幸せを感じてくれているかなあ。これから生まれてくる世代にも、生活の心配をせずに済む世の中でいられるかなあ…。大人としてのふがいなさと、無力さを感じてます。
私は、日本の将来がとても不安です。外国人参政権が近いうちに国会を通過してしまいます。私たちの母国を、他国に合法的に侵略されてしまう不安を感じています。
実は私も左耳がほとんど聴こえないんです。
小学生の頃おたふく風邪にかかった時、左耳にウイルスが入って聴こえなくなってしまいました。
10万人に1人だか忘れましたが、稀にそういうことが起こるそうで運悪くその中に入ってしまったのです。
もちろん不便ですが周りの人はまったく気がつかないんですよね。
日常生活には問題ないので。。。
でもやっぱり隣同士などで座ると左側に座っている人の声は聞き取りにくです。
なので意識的になるべく人の左の位置をとるようにしています。
ヘッドホンは使ったことないし、耳に悪そうな場所では耳を塞いでます。
私もすとんさんと同じようなこと考える時ありますよ。
右耳が聴こえなくなったらなんにも聴こえなくなっちゃうわけですから。
でも今現在健康で幸せな日々を送れることに感謝しています。
ただフルートは高音だと耳にキ~ンとくるので(私の吹き方の問題?!)、右耳に影響があったら・・・と思わないこともないです。
特に今やっている高音Bがサイアクです。
15課が終わったら、私の先生は基本的に好きな曲を吹きましょうという方針なので、心配なら自分であんまり高音が入ってない曲を選んでもいいかなって思ってます。
フルートは一生続けていきたいと思っています^^
私もすとんさんと同じこと考えています。
外国人参政権を与える意味が分からないのです。
わざわざ内堀をくずす手伝いをするようなものですから。
これは区別であって、それを与えない事は差別ではありません。
ゲストに家の細かな事をいろいろ言われる筋合いはないわけで、
自分の立ち位置を理解しないといけない。
日本がゲストにひどい仕打ちをしているわけではありませんし。
本当にそれぞれ個人が、情報やメディアに対する
リテラシーを持っていかないと大変なことになります。
今回下手すると大変なことになるかもしれません。
正しい事を公平に言っている、とは限らないわけですから。
マスコミはプロパガンダにも使われる事を忘れてはいけません。
—
本当に大きな音は聴かない方がいいですよね。
再生医療は進みつつあるようですが、
まだ耳のセンサーを再生させるまでには
至ってませんからね。
音が大きいときは、みなさんやってあるように
耳栓した方がいいですし、
状況によってはマイクで拾って密閉型のヘッドフォンで音量を
調整して聴いた方がいいと思います。
フルート、特にピッコロは注意しておいた方がいいようですよ。
>sakuraさん
耳の不自由な方(と言う言い方をしてごめんね)のご苦労は、他の障害と違って、外見上は隠されていて他人からは分かりづらいので、大変な思いをなされている方が大勢いらっしゃることは存じております。障害は、それぞれに不便なものですが、耳がよく聞こえないというのは、何にもましてつらい事だとおっしゃる方もいらっしゃいます。実は私、大学卒業後、しばらくの間、聴覚障害児教育を基礎においた研究をしていました。なので、その種の障害を抱えながらも元気に生活している人々の苦労を多少は知っているつもりです。
私は別に聴覚に障害はありませんが、加齢のために、視力も聴力が日に日に衰えています。耳鳴りもするようになりました。衰えていく事は寂しい事ですけれど、仕方のない事です。現在の自分の能力でできることを精一杯楽しんでいきたいと思ってます。
>ひょっとこさん
外国人参政権に限らず、多くの恐ろしい、それこそ国を亡ぼし、日本人を破滅に向かわせるような法案が、今後、次々と国会を通過し、現実化していく事でしょう。ひどい話ですが、それも日本人みずからが選んだ道ですから、どうにもなりません。
売国…この言葉が私の頭から離れません。国を売ってまで、手に入れたいモノって、何なのでしょうね?
耳栓ですか…私も用意しようかな? 実は私、大きな音が苦手なんです。だから、音楽好きですが、いわゆるロックコンサートには言った事ありませんし、吹奏楽を聞きに行くと、気分が悪くなる事もあります。どうやら、ラッパの音と電子音が苦手のようです。
ただ、基本の聴力がさほど良くないので、耳栓をしちゃうと、今度はほとんど音が聞こえなくなってしまうというジレンマを抱えています。中途半端なのが、困りものです。
う~~~~む…
幼児の頃に、左足を自転車(笑)に轢かれ…
子供の頃には運動会の練習で左腕骨折、
そして運悪く友達が投げた石が頭に当たって
額を縫うほどの大怪我。
デパートで弟とふざけて走り回り、ちょっと
左小指をぶつけたら骨折、以来指が右よりも1㎝ほど短いまま。
大人になって階段を踏み外し左足首ねん挫で
全治1ヶ月まで松葉杖生活。
と、まあちょっとした怪我の多い人生の私、すとんさんのお悩みは
他人事ではありません。
特に私の場合、体の左に怪我が集中していますので
次は心臓か!? なんて要らぬ心配をすることもありますよ(笑)
なんにせよ、自分に出来るだけの精一杯で
気をつけて暮らすしかないですけど…
災難は突然やって来くるものですから、如何ともしがたいですね;;
が、世の中には諸々の事を乗り越えて、
輝いて生きている大先輩が沢山いらっしゃるので、
何かあったらそりゃ~落ち込んで、暫くは気分がどん底なのは普通でしょうが、
せっかくの人生、それでお終いにする気はありませんでしょ [E:wink]
その時は出来るだけ早く気分を浮上させて、
世の大先輩の後に続けば良いのですよ。
例え浮上に何年かかっても、最後までどん底気分なんて
嫌ですもんね~。頑張ります。
と、いう大雑把な心構えで、なんとか日々気を付けておりますです [E:happy01]
>耳栓
耳栓をしてもかなり聞こえますよ。しかも耳栓の材質によっては耳栓と耳のすき間が振動してかえってそれがうるさいという物もあります。ですからかなり柔らかいぴったりする物の方が電気を使ったコンサートには丁度いいです。以前は悪い方の右耳だけにしていたのですが、先日ふと両方に耳栓をしてみたら快適でした。それと今まではうるさくなったら耳栓をするということをしていたのですが、その時は初めから耳栓していたら静かな曲でもよく聞こえ丁度よかったです。耳がいやな感じにならなくて精神的にも安定して聞けてよかったです。
実は私のギターの練習中でも耳栓してます。最近少し悪くなったのかもしれません。顔が左を向くので右耳がギターに近いので、ちょっと痛い感じがするのです。
それから静かなはずの能を見た時も声や鼓の音が耳にビンビン響いて音の不思議を感じました。
耳栓は色んな物を買って実験しています。高い物はまだ買ってないんですが、ネットで見るとよく聞こえるのがあるようなことが書いてありますね。やっぱり耳が聞こえる人でも耳鳴りなどで音が耳に痛く響く人は多いのかもしれませんね。前は人に言わなかったのですが、最近はあんまり遠慮しなくなりました。だって、しんどいのは自分だしねえ。いい格好してもしんどいしねえ。
聴力の場合、見た目ではわからないですものね。
私の場合職場などでも日常には問題ないのでまったく気づかれないのですが、ボソボソしゃべる人や、声の小さい人は苦手です。
親しい人には言ってるので、いつも私は左の席指定です。
>ticoさんへ
横レスすみません^^
耳栓のこと興味深く拝見しました。
ギターの練習中耳栓をされてるんですね。
耳栓って思いつかなかったのではっとしました。
フルートの練習にも使ってみようかと思います。
楽器の構造上耳に対する響き方などどうなのかわかりませんが、高音を練習する時だけでも使ってみたらいいかも?と思います。
よいことを教えていただきありがとうございます^^
ウレタンの耳栓、遮音性はいいんですが、すぐ汚れるんですよね。
でも、軽く入れると外の音も聞こえますしね。
http://www.mmm.co.jp/ohesd/support/sup08.html
http://www.mmm.co.jp/ohesd/hearing/plug.html
演奏の現場で音量下げるのに使えるのは、
耳全体を覆う密閉型のヘッドフォンだと思います。
音を出さずにつけておくだけ。ある程度外の音が聞こえますから。
ほんの少しずらすと音の聞こえ具合も調整ができますよ。
アンプに繋げば音も聞こえますし。(本来の使用法)
こんな感じです。
http://www.soundhouse.co.jp/shop/ProductDetail.asp?Item=680^MDRCD900ST
>はむはむさん
はむはむさんもなかなかに怪我の多い人生で…。私は柔道をやっていた事もあり、一時は整形外科と骨つぎの先生から年賀状が届くほど、常に外傷外傷外傷の日々を送っていた時期もあります(笑)。
ちなみに心臓は身体の中央部になるのでご安心を。左側と言うのは、心臓の鼓動の源となる心房部分が身体のやや左サイドにあるからで、心臓そのものは中央部にあります。
ま、万が一の時も、強く生きている大先輩方の姿に見習って、後に続くことにします。人生、あきらめない限り終わりは来ない…ものだからですね。
>ticoさん
そう言えば、私、就寝時に耳栓をしていた時期があることを思いだしました。私、昔から聴力そのものは、さほど良くはないのの、敏感な部分もあり、安眠するために耳栓を使用していたのですが、その時に色々な耳栓を試したことを思いだしました。
耳栓の使用をやめたのは、年を取って、だんだん鈍くなってきた事と、あと、汚い話ですが、耳垢のせいです。私はウェットな耳垢の人なので、耳栓を使用すると、あっと言う間に耳栓が激しくよごれてしまうのです。洗えばいいのですが、それも案外面倒で…。
また、耳栓研究でも始めてみようかな…。しんどいの自分なんだし、自分の身は自分で守らないと…ね。
>sakuraさん
人間の身体って、本来、二つある臓器の場合、一つはスペアであって、生きていく上では一つあれば十分なんだそうです。耳の場合は、片側の聴力が激しく低下していると、ステレオ効果が望めないため、音源の位置探索ができない事と、聞こえづらい側の音が聞こえづらい(当たり前か)程度で、あとは特に支障はないはずです。
音楽家にも片側難聴の方は、実は大勢いるらしいです。皆さん、大声で言わないだけで(笑)。
私は両側とも聞こえますが、聴力そのものは誉められるほど良くはないし、どうも分解能って奴が低めのせいか、ボソボソしゃべる人や声の小さい人はやっぱり苦手です。あと、普通の声でも、急に話しかけられると、音として関知しても、声として関知できず、聞こえても何をしゃべられているのか分からないと言った事もあります。
親しい人だと「え? 何言ってるの?」と聞き返しますが、上司が相手だとそれもできないので、前後の発言がら一生懸命内容を推察して、当てずっぽうで返事をしていたりします。良いことではありませんが、なんかもう、それが人生の基本姿勢になってしまってます。ダメですね。
あと、フルートはともかく、ピッコロ奏者は練習の際に耳栓は必須なんだそうです。
>ひょっとこさん
そうそう、ウレタンの奴は汚れるンです。そこが難点です。
密閉式のヘッドフォンは耳栓としては、試したことありません。たしかにあれなら、演奏中に付けていてもさほど変ではないですね。問題は、私はデブなので、暑がりなんですよ。なので、密閉式のヘッドフォンを使用すると、もう耳周辺から汗がわき出るわき出る…。
実はヘッドフォンのタイプとしては、密閉式が大好きな私ですが、その暑さに参ってしまい、いつしか愛用ヘッドフォンを、密閉式からカナル式に移行しました。低音部の再現など、密閉式には絶対かなわないのですが、なによりも涼しいのが良いのです。
しかしカナル式にして、汗は減ったものの、耳垢でヘッドフォンがグジャグジャに汚れるのは、ウヘーって感じです(笑)。