昭和と言っても、私の子どもの頃の価値観で、いわゆる戦後社会の価値観について書いてみます。
考えてみるに、昭和の価値観って、今の令和の価値観とは、かな~り違うんですよね。だから、昭和の価値観のまま生きていると、令和の社会とのズレを感じたり感じなかったりするわけです。
私が思う昭和的な価値観って、だいたい次の3つかな?って思います。
1)男は男らしく、女は女らしく
2)武士は食わねど高楊枝
3)努力が身を助ける
まずは1)だけれど、社会には“男社会”と“女社会”があって、それぞれに文化が違っていて、行動様式や思考回路に違いがありました。同じ場に暮らしていても、全く違った文化圏の人間が混在していた…のが昭和の社会です。
男と女で、生きている社会が違うのですから、当然ですが、あれもこれも違うわけで、そういう違いを互いに意識して生きていました。世の中には男と女しかいなくて、今の世のように多様性なんて有り得ませんし、そこからはみ出した生き方は許されません。そんなことすれば“村八分”状態になります。LGBT? そんなのは笑いものです、一族にそんなヤツがいたら、いい恥さらしです。
男は強くて稼ぎます。だから威張っていて良いのです。強くてマッチョな男は偉いし、たくさん稼いでくる男はもっと偉いのです。だから、真面目に働くお父さんやお爺さんは尊敬されるのです。
女は価値ある存在で、弱いため保護される立場で、自分よりも弱い存在を保護する役割を与えられています。強い男を支える代わりに、男に生活全般の面倒を見てもらいます。男のために子を生み、その子をしっかり育てるし、年老いた親たちの面倒もみますし、留守がちな男に変わって家を守っていくのが女です。
だから男は精神的に強くなければいけない、泣いてはいけないし、どんなに状況がしんどくても頑張っていかないといけないのです。女は優しくなければいけないし、男が居心地良く暮らせるように世話をし、男に守られながら、家族が安心して暮らせるようにしていかないといけないのです。
「女は外で働かなくても良い、結婚したら専業主婦が当たり前…」なんていう考えは、もろに昭和的な価値観による思考だと言えるでしょう。
2)は、武士の価値観って言えるかもしれません。昭和の時代は、毎日のように時代劇がテレビで放送されていて、そこに出てくる武士的なモノや価値観が素晴らしいという無意識の刷り込みがあったせいか、質素倹約とか、やせ我慢の見栄っ張りとか、滅私奉公とか、お家とか主従関係を大切にしていましたし、昭和の終身雇用なんてのも、ある意味、武士の価値観からすれば当然の話だったと思います。
誰もが、テレビで見た武士のように謙虚で高潔な人生を送りたいと考えていたのが昭和の時代でした。
そもそも、テレビの影響もあったけれど、私が子どもの時代の大人たちって、戦前戦中の人たちが大勢いて、戦争にも行っていて、みんな軍人上がりだったりするわけで、そういう硬派な人たちの生活態度が自然と生活のあらゆる面で規範を示していたわけです。
そこへ持ってきて、武士の価値観って、実は暴力的だし、暴力が支配する価値観です。だから軍人さんの価値観と親和性が高いんです。昭和のヒーローである“あんぱんまん”なんて、実は昭和の価値観の塊で、朝ドラではかっこ良い令和的なヒーローのように描かれていましたが、その実、あんぱんまんの世界って、結局すべては“暴力である、あんパンチ”で解決する世界だったりしますが、まさにあんな勧善懲悪な世界が昭和なわけです。
だから昭和の価値観って、なんか堅苦しくし融通がきかなくて真面目な割に、理不尽で暴力的で、そのくせ、どこか抜けていて、他人に厳しいのに身内に甘いんですよ。
良くも悪くも、村社会な価値観なんですね。
3)は「世の中にはチートはない。努力だけが成功につながっていく」って考え方で、それは2)の武士的な価値観でもあり、昭和に流行ったスポ根的な発想でもあるわけです。とにかく地道に努力しなければ報われないって価値観です。
この価値観は昭和の価値観の中でも、割と早く崩壊した価値観かもしれません。それはロボットアニメが流行りだした頃の子どもたちから崩れてきたと思います。なにしろ、巨大ロポットって、チートの塊みたいなものじゃないですか? それが突然主人公に与えられるのがロボットアニメの基本フォーマットで、それってある意味「チートは努力に勝る」って価値観なわけです。
そういう意味では、昭和の人であっても、スポ根アニメで育った人と、ロボットアニメで育った人の価値観には、大きな違いがあるわけです。私ですか? 私はもちろんスポ根育ちです(笑)。必殺技を身につけるためには、山にこもって修行や特訓をしなければダメと刷り込まれた世代です。「巨人の星」しかり「タイガーマスク」しかり、梶原一騎こそが我々の精神的な教祖なんです。
個性なんて、軽く無視ですね。社会にとって、都合の良い歯車になれる無個性で優秀な人間こそが素晴らしい存在だと考えるのが、昭和の価値観だったのです。つまり、自分らしく生きるのではなく、社会を動かす歯車として、しっかりと求められる役割を果たせる生き方が素晴らしいと認められる社会であり、それを良しと考えるのが、昭和の価値観なわけです。
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