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某大学の掲示板を見て思ったこと

 ええと、体重を計り忘れた。なにしろ、世間は夏休み。私もうかれて、ついつい不摂生な生活をしてますが、不摂生な生活をしていると、体重計に乗らないものです。ああ、いかん。しかし、体重計に乗るのも怖い、今日このごろです。

 さて、今週のエッセイです。

 先日、仕事の関係で、某大学に行きました。ちょうど、試験が終わったばかりなのでしょうか、どの学部の掲示板にも「カンニングするなよ」といった趣旨の連絡が貼っていました。

 大学生にもなってカンニングをするのかよ…と心の中で思った私です。

 だって、大学生ともなれば、もはや大人じゃないですか? まだ心身ともに未成熟な子どもなら、悪いこととは知りながら誘惑に負けてカンニングをしてしまうというのもあるでしょうが、立派な大人である大学生がカンニング? そりゃあ、ありえないでしょ…と思ったわけですが、今どきの大学生は、まだまだ精神的に子どもなのかね? 善悪の区別もつかないでしょうかね? ああ、情けない。

 そう思いました。

 それと同時に、大学の先生方もだらしないって思いました。だって、カンニングされるような問題を出すから、学生がカンニングしちゃうわけでしょ? カンニングが可能…ってのは、テスト問題で“知識”を問うからカンニングされちゃうわけです。大学生相手に“知識”を問うてどうするの? 問うべきなのは“知識”ではなく、その向こう側にある“手に入れた知識を用いて、どのように考えるべきか”なんじゃないかな? そういう問題ならば、学生が100名いても、100名全員、答えが違うわけだから、学生もカンニングなんて出来るわけないでしょ。もっとも、その分、テストの採点は大変になるでしょうが…そこは仕事なんだから、大変さも割り切ってやらないと…ねえ。大学の試験なんて、年に2回しかないんだから、先生方も頑張って欲しいなあって思いました。

 そう思って、なにげに各学部の掲示板に貼ってあった連絡を読んでいったところ、ちょっとばかり引っかかったのです。何に引っかかったのかと言うと、掲示板に貼ってある連絡には、2パターンある事に気づいたのです。

 ほとんどの学部の掲示板に貼られていたのは、次のような趣旨の掲示物でした。『カンニングは禁止です。カンニングをした場合、その学年の単位を抹消した上で、カンニングをした日をもって退学です』って趣旨でした。

 いやあ~厳しいなあ。カンニングをしたら、退学だって。それもその学年の単位を抹消した上で退学だって。例えば3年生の最後のテストでカンニングしたら、2年生までの単位しか認めない上に退学ってわけだね。3年生で支払った学費が丸々損です。いや、退学しちゃうんだから、大学にかかった費用が丸々損か。

 いやあ、今どき、厳しいですね。でも、カンニングに対する、大学側の毅然とした態度は評価できるなあ。

 これくらい厳しい態度でカンニングに臨むことも必要なんだな…と変な感心をした私ですが、実はこの大学、おそらく看板となっていると思われる二つの学部では、カンニングの扱いが、これとは違ったんですね。

 他の二つの学部では…「カンニングは禁止です。カンニングをした場合、その学期の単位は抹消した上で、その学年が終了するまで停学です」という趣旨の事が書かれていました。

 つまり3年生の最後のテストでカンニングしたら(二期制なら)3年生の前期までの単位は認めた上で、後期の単位は抹消され、残り数日を停学扱いとなります。実質的には、3年生を留年をして、もう一度3年生を4月からやり直すというわけです。ただし、前期分の単位は習得済みですから、普通の留年よりも優しい扱いになる…のかな?

 でもね。

 同じ大学なのに、学部によって、カンニングをしたら退学になっちゃう学部と、留年で済ませてもらえる学部があるわけです。これって、学内で問題にならないかな?

 …って、最初からカンニングをしなければいいんだから、問題にならないかも。いやいや、やはり同じ大学なのに学部によって扱いが違うなら、カンニングして退学になった生徒が「処分が不当だ」と言って、退学撤回&身分の回復を争う事は可能だし、もしも争ったら、勝てるんじゃないの? どうだろ?

 それにしても、今どきの大学生ってカンニングするんだ~と、妙な感心を改めてした私でした。

 ちなみに、その大学、学校から最寄り駅までの道(通学路でしょうね)のあっちこっちに「広がって歩くな」とか「静かに歩け」とかの注意書きがアチコチにありました。やっぱり、今どきの大学生は、まだまだ子どもなんだなって思いました。

 やれやれ。

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コメント

  1. 椎茸 より:

    他学部で単位をとれる、っていう単位互換をやっている場合、どうなるんだろ?
    とちょっと思いました。

  2. おぷー より:

    友人の友人が某大学で教授をしているのですが、
    仲良しさん2人がいつもぺちゃくちゃ喋ってウルサイので、
    真ん前と真後ろに引き離したら、2人が涙目で恨めしい顔をして
    その教授を睨んでいたと言う話です。
    昔、私達が大学で習った事を今は大学院で教えていると言う話も聞きますし、大学生のレベルの低下はひどいです。
    これは先進諸国全体に言える事が何も日本に限った事ではありませんが。

    私のいた学校、仏教系の学校でして、仏教学を履修せねばなりませんでした。
    1年の時の設問一題だけです。
    「正義」とはなんぞや?
    カンニング、ムリですね。(笑)

  3. すとん より:

    椎茸さん

     まあ、成績を始めとするデータは、学内一括で管理しているでしょうから、その学生が所属している学部のルールに従って処理されるんでしょうね。

     実は、別件で妻がその某大学に行って、私と同じように掲示板を見てきたそうです(夫婦でやる事が一緒なのには笑いました)が、なんでもその某大学、追試の日程が掲示されていたそうです。

     大学なのに追試があるの? 不合格点しか取れなくても、即座に『来年もう一度』じゃなくて、ワン・モア・チャンスがあるんだ…、へえ~~~って思いました。つまり、追試験までのわずかな日数にチャチャと勉強して取り返せるような、底の浅いテストをするんだと思いました。

     今の大学って、そうなんだなあ。

  4. すとん より:

    おぷーさん

    >大学生のレベルの低下はひどいです。

     これは確かに目を覆うばかりかもしれませんが、この責任は、今の大学生たちには無いと思います。なので、学生たちを責めるのは酷というものです。

     では、誰に責任があるのかと言うと、現在、コリア国際学園の理事をやっている寺脇研氏を始めとする、当時、ゆとり教育を推進していた文部省の一部のお役人さんたちと、それを支持し強力に推進していた日教組の幹部の方々です。まあ、広義で言えば“国の責任”って事になるけれど、私は色々と知っているので、十把一絡げに“国の責任”とは言いたくありません。

     とにかく“ゆとり教育”のおかげで、小学生のうちに習わなければいけない事を中学校に回し、中学で教えきれなかった部分は教えなくてもいい事にし、高校では教科や科目をあれこれとイジって、かなりの部分を学ばなくても良い事にし、当然高校卒業までに知らなければいけない多くの知識を学ばないまま、大学になってしまったわけですから、今の大学生たちの、知的な中身が、昔の中高生並であっても、仕方のない事です。

     “ゆとり教育”のおかげで、日本はかなり国力を削がれたと思ってますし、それを取り戻すには、これから数世代の時が必要だろうと思います。

     確かに大学生の学力低下は、先進国全般に見られることかもしれませんが、日本と他の国では、それが国策としてなされたかどうかという大きな違いがあります。

     国策として、自国民の教育水準を下げる事に躍起になっていたなんて、それに携わっていた人たちって、公務員なのか工作員なのか、分からないよなあ…。少なくとも、この国の未来や子どもたちの将来って奴について、何も考えていなかったのか、あるいは悪意を持って為していたのか、どっちかだよな。

  5. tetsu より:

    こんばんは。

    横レスで失礼します。

    > “ゆとり教育”

    円周率を3と教える、ときいた時点でブットビました。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E5%91%A8%E7%8E%87%E3%81%AF3

    正六角形と円は同じと教えていたのか全く理解できないし、現場の教師はどう反応していたのかしら。

    個人名で上がっている”寺脇研氏”ですが個人的には優秀な官僚にすぎなかったアイヒマンのようにツメコミとか競争試験がよくない、という意見に「従っただけ」でしょう。それ以上でもそれ以下でもないような。

    失礼しました。

  6. すとん より:

    tetsuさん

     寺脇氏の名前を出したのは、彼は官僚の分に収まらずに、マスコミなどにさんざん登場して自説を述べていた、公人だからです。普通に官僚として働いていただけなら、私も名前をあげません。

     アイヒマンは戦後、自分が行ってしまった事を深く感じ、謝罪の言葉を残しているそうです。また彼は官僚ではなく軍人であり、それ故に、上官の命令をただ遂行していたとも言えます。少なくとも、ユダヤ人虐殺は、ヒトラーの命令だったわけで、彼自身が計画立案したものではありません。

     一方、寺脇氏は官僚であり“ゆとり教育”に関しては、主体となって計画立案実行をしていたわけで、上官命令に従ったわけではありません。また、官僚をやめた今でも、反省も謝罪の言葉もなく、ゆとり教育は正しかったと強く主張しています。

     なので、アイヒマンと寺脇氏は、同じには扱えないと思います。

  7. operazanokaijinnokaijin より:

    日本の大学生の大部分が大人とは言えず、子供っぽい、
    というのは事実と思います。
    そんなことでいいのか?とは思いますが、
    それが現実であるとは思います。

    しかし、例えばアメリカの大学生は皆大人か?というと、
    そんなこともなく、子供っぽい大学生が非常に多いと思います。
    豊かな国で、のほほんと育えられれば、それは子供っぽくなりましょう。
    内戦・紛争に、子供の頃から翻弄されている地域の人々が、
    生きるか死ぬかの毎日を長年送っていれば、
    それは大人っぽい大学生になりましょうが、
    それはそれで、不幸なことでありましょう。

    今日、甲子園大会が終わりましたが、高校生諸君のインタビューで、
    高校生とは思えない回答をしている高校生もいて、
    (想定問答集で予習していることもありましょうが)
    あるいは、オリンピック選手などの日本人大学生が
    しっかりと受け答えしていることを見ることもあり、
    当然とは言え、大人の大学生と子供の大学生とは、
    個人の資質の違いと思います。

    今、高校野球やオリンピックといった、スポーツの例を挙げましたが、
    勉強という意味では、一流大学の(ほんの一部の)学生は、
    しっかりした大人ですので、
    そういった例から推察するに、
    スポーツなり勉強なりで、高い高くレベルで、真面目に切磋琢磨していると、
    人は(大学生は)大人になるのでありましょうか?

    しかし、スポーツや勉強を本気で一生懸命やる高校生大学生は、
    ほんの少数であり、大部分の高校生大学生が、スポーツや勉強をやるといっても、
    のほほんとやっていたり、
    あるいは、ゲームやアニメに対して、中途半端に夢中になって、
    時間を浪費している、というのが日本の平均的高校生大学生であれば、
    いつまでたっても、子供のまま、という気がします。

    ああ、また、つらつら、だらだら、書いてしまって、
    要点がさっぱりわからない文章を書いている私も、
    子供なのかしら?

    おしまい

  8. すとん より:

    operazanokaijinnokaijinさん

     おっしゃる通り、日頃から真面目に切磋琢磨していると人は大人になっていくのでしょうね。昔の人や、発展途上国、紛争地域の人たちの方が大人なのは、生きる環境が厳しくて、日頃から真面目に切磋琢磨していないと生きていけなかったからなのかもしれません。ですから、日本に限らず、先進国の大学生たちが子どもなのは、子どものままでも生きていける、つまり、生きるのに楽な社会に生きているから…なのだと思います。

     そう考えれば、大学生が子どもっぽいのは、幸せな社会のバロメーターなのかもしれませんが、一方、それで本当に良いのか!とも思ってしまいます。

  9. tetsu より:

    こんばんは。

    > 彼は官僚の分に収まらずに、マスコミなどにさんざん登場して自説を述べていた、公人だからです。普通に官僚として働いていただけなら、私も名前をあげません。

    こちらは教職関連の単位は全く取らず、大学では落ちこぼれてしまい、その後リーマンを続けた程度です。
    彼は詰め込み教育に対する批判を世論とか当時の上部から言われて、そのまま受け入れた、というi印象があります。一次資料は今すぐ出てきませんが。
    ゆとり教育が教育上、一番いいとおもって主張しているわけではなくて、周囲が騒いでいるからやった、みたいな他人事感がありました。
    彼自身では何も考えていないようにみえる点でアイヒマンと比べた次第です。
    こちらは教育現場を知らない立場で感想を書いてしまいました。

    失礼しました。

  10. すとん より:

    tetsuさん

     いやいや、本当のところは、本人にはしか分からないわけで、他人の我々に分かりません。ただ、彼は官僚の分を越えていたと、私は思います。と言うのも、官僚というのは、あくまでも裏方の人ですから。裏方が表に出てきちゃダメでしょ。そうなったら、それはもはや官僚の仕事からはみ出ちゃっているでしょう…って事です。

     彼の所業については、色々と言いたい私ですが、それよりもまずは、その所業のリカバリーをどうしていくか、これが最優先課題だと思います。

     “ゆとり教育”で日本の教育はガタガタになってしまいました。これの立て直しは…本当に大変だと思います。と言うのは、実は教育現場では、案外、この“ゆとり教育”って、今でも人気あるんです。基本、先生方は“ゆとり教育”が大好きですから、そこからの脱却となると、教育現場からの強烈な反対があるわけで…困ったものだなあと思ってます。

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