今週は忙しくて、ついうっかり体重を測定し忘れてしまったので、ダイエット記録は無しです。さっそく、今週のエッセイに入ります。
「…カセットテープの、再生環境って、まだあったかな?」
先日、部屋の片づけをしていた時に、あふれるカセットテープを見て、そんな事を考えました。で、探したところ、現在、稼働するかどうかは不明だけれど、古いソニーのダブルデッキを見つけたので、ちょっぴり安心しました。これで一応、テープを再生できる…かもしれない、って思いました。
まあ、本当に再生できるかどうかは、テープをデッキに入れて試してみれば良いのだろうけれど、そこまで積極的になれなかったんで、放置です(笑)。
私のおニューなパソコンにはFDDは付いてません。今となっては「それでいいや」って思ってます。
実は私、昔のメールやパソコン通信(古い!)のログを3.5インチのFDで保存しておいたのですが、それって、たとえFDDがあっても、もう使えないんだよね…なぜなら、FDの磁気自体が飛んでしまって、情報が雲散霧消してしまったから(涙)。
一応、昔、試した事があるんですよ。
なのに、まだ未練がましくFDそのものは、持っています。人間って不思議ですね。情報が蒸発してしまったFDなんて、ただのプラスチックの板でしかなく、そこに記録されていたはずの情報は、もうそこに無いにも関わらず、かつてそこに入っていた情報に対する愛着だけが残っていて、その情報の脱け殻であるFDを捨てきれずにいるんです。
カセットテープもきっと磁気が飛んでしまって、同じような状態なんじゃないかな…って思うと、実際に音が出るのかどうか、試すのが怖いです。とにかく、昔からの色々な音声記録が録音されている大切なカセットテープもあるわけですから…。
だって、たとえカセットテープの磁気が飛んでしまって、そこにあった音声記録そのものがなくなったとしても、そのテープに張られたラベルと共に、かつてそこに入っていた情報に対する愛着は無くならないのですから。
まあ、もっとも、カセットテープの磁気が飛んでいようと飛んでいなかろうと、それらをわざわざ再生して楽しむ時間的な余裕が今の私にはないのですがら、そこにこだわるだけ無駄なのかもしれません(笑)。言えることは、磁気による記録媒体って、実に不安定で、経年劣化しやすいって事を、私は、身を以て知っているって事です。
FDは磁気媒体だから、情報の経年劣化が激しいと、ついつい嘆いてしまうけれど、磁気を使っていないCDなども、音楽CDはともかく(これはまだまだ利用できます)、パソコン関係のCDはもうダメだなあって思ってます。
私の部屋にたくさん転がっている、Windows98用の古いアプリのインストールディスクなんて、もはや何の役にも立たないですよ。いや、Windows8時代になった現在、ついこの前まで使っていたWindowsXP用アプリのCDだって、すでに存在意味がなくなっています。
記録媒体も不安定だけれど、情報そのものが古くなってしまう速度も、無視できないほどに速いんです。
写真のデータなんかは、MOディスクに山ほど保存してあるけれど、あれって大丈夫かな? 光磁気ってやつだけれど、磁気はやがて飛んでしまうし、光の部分だって、どんどん変色してしまうでしょ…って、それ以前にもはやドライブがダメか(笑)。私が持っているMOのドライブって、SCSIだもんな(爆)。一応、SCSI-USB変換ケーブルも持っているけれど、こいつのドライバはWindows8に対応していないから、もはやSCSIの機器は利用できないわけだ。へへへ(涙)。
アナログの…って言うのかな? 昔のビニール製の30cmのLPレコードってまだ持ってます。同じ音源はすでにCD化されたものを所有していますから、プレイヤを利用する機会もなく、すでに納戸にしまって10年以上経ってます。まだ、使えるかな? レコードそのものも場所をふさぐし、そろそろ廃棄かな。
数枚持っているMDはそもそもプレイヤーを持ってませんから、これも持っていても意味ないのです(でも、今年もきっと、クラシックコンサートの公式音源はMDで配布なんだろうなあ…。今どき、MDをメインで使っている人なんて、いるのかしら?)。
レコード以上に場所をふさいでいるVHSのビデオテープは、どうしましょうね。実は私、昔、エアチェックしたオペラのビデオテープをたくさん持っています。なかなか販売されないレアなオペラも録画してあるんです。昔は、NHK-BS2(今はもう無い放送局ですね)で放送されたオペラをエアチェックして、毎週のように見ていたんです。その頃に取りだめたビデオなんですが、実際に私が目を通したのは、その中の半分にも足りません。オペラって、見るのに時間がかかるんですよね。だから、放送されたビデオを録画する速度に比べ、視聴が追いつかなかったわけだけれど、いつかやがて見れるだろうと信じて、当時はせっせとビデオテープを買ってきては、録画し、ラベル貼りをしていたわけですが、今となっては、ビデオデッキそのものを、納戸にしまっちゃいました。今は、オペラ鑑賞はDVDを見るか、生のステージを見るか、映画館でのライブビューイングで見てますので、昔のビデオに録画されたオペラを見る余裕がありません。
それにだいだい、これらのビデオテープ、ビデオデッキで再生したところで、今のテレビと接続できるのかな? いや、仮に接続できて再生できたとしても、今の地デジやDVDを見慣れた目で見て、鑑賞にたえる事ができるかな? DVDであっても、1980年代に製作されたものは、見るのに辛抱が必要な画質だったりするじゃない。それを考えると、いくら貴重な公演記録とは言え、ビデオテープは、廃棄しちゃった方がいいのかしら?
そうそう、フィルムはダメだね。昔の写真のフィルムとか、8mmフィルム(動画だよ)ってやつは、十数年ぶりに缶から取り出したら、溶けてたり、ベチョベチョになっていたり、カビが生えてたりして、大半が使い物になりませんでした。もちろん、紙焼きした写真も、カラー写真なんかは、とっくの昔に色褪せてしまって、ほぼセピアな白黒写真になっちゃってます。
んな事をつらつらと考えると、紙の本って最強だね。
30年前に買った本だって、当時のまま、今でも読める。親が若い時に買った本(60年以上前だ!)も、全然読める。古書店で購入した古い古い本だって読めるよね。まあ、物理的に本が壊れてしまえば、話は別だけれど、本棚に入れておけば、そうヘマな事はないわけで、そういう意味では紙の本って、情報の保存性が高いね。
なにしろ、私が昔書いた論文などの類も、紙媒体で保存してあるものは、今でも参照できるけれど、デジタル化した情報は、その記録媒体が5インチディスクと言うこともあるけれど、とっくの昔の参照できなくなっています。
紙、つえー。デジタル、よえー。
とりあえず、紙、最強って事でいいよね。
蛇足。今のところ、安定しているように見える、CDやDVDなどの光記録媒体って、どれくらい持つんでしょうね。工場などでプレスされた商業用のCDやDVDはそれなりに持ちそうだけれど、いわゆるCD-Rなどの記録可能媒体に保存された情報って、どれくらい持つんだろうか? FDほどの脆弱性は無いとしても、情報を安易に書き込めるって事は、安易に消去されちゃうって事だからね。安心なんてできません。
てなわけで、文字情報は本として記録する事が出来るけれど、音声データとか画像データとかって、有効な保存方法が無いって考えてもよさそうだね。つまり、大切な思い出は、人の心の中にしか保存できない…って事かな?
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コメント
古い、古い、今後見るはずも、今後見る時間もないような、
古いカセットテープやディスク、ビデオテープなんて、
ゴミなんだから、さっさと捨てるべし。
思い出だ、愛着だ、なんて、あなたの言い分であって、
そんなもの、他人から見たら、ゴミ。
さっさと捨てるべし。
あなたが死んだら、それはゴミ。
生きているうちにさっさと捨てるべし。
なんなら、私が、代わりに捨てといてあげましょうか?
みたいな発想の、捨てること推奨、捨てる指南本に対して、
某氏が猛烈に批判していました。
生きている人にはそれぞれ、心の中に、聖域があって、
その聖域を侵すべからず。全くその通り。
見るはずも、見る時間もないVHS、
私も大量に持っていて、捨てる気ゼロ。
大事に大事に、持ち続けます、見ないけど。
ま、本日のエッセイで、すとん様は、捨てられないご自分を
嘆いておられるわけではなく、私の、このコメントも
的外れかもしれませんが、ちと、上記のことを思ったもので。
本、最高ですね。最高最強の記録媒体。
最近、大昔の経済学者サムエルソンの原書、和訳、など、
1960年代、70年代の古書を大量購入。
読むのに、何の支障もなし。
あるいは、大学生の頃の、教科書。
もう古い学説で、今となっては読む価値もないけど、
本棚に置いてあるだけで、あの日に帰れちゃうから、
捨てられません。
まーた、長くなりまして、申し訳ございません。
おしまい
VHS持ってますが、劣化がひどくて見えにくいです。
DVDとかに入れる時間も今はないですし、結局しまったままです。
たまにYouTubeで、昔見た番組とか、VHSで持っているけど今見られなくなったミュージカルとか見ます。
ああいうのをアップしてくれる人って「神」って言うんですかね?
すぐに消されてしまうこともありますが。
高校の演奏会のビデオをアップしてくれていう人もいます。
私より少し上の代の人らしく、残念ながら自分がうつっているのはまだ未発見です。
誰かアップしてくれないかなあと思います。
うちにあるビデオは劣化がひどくてアップできません。
今CDで探してもみつからない音源も、YouTubeやiTunesで探すと出てくることがあります。(音質はよくないかもしれませんが)
operazanokaijinnokaijinさん
どうにも捨てられないですね、私。まあ、ポリシーを持って保存しているわけじゃないのですが、何となく捨てられないって感じかな? でも確かに、生きているうちに捨てないと、遺品整理で遺族に迷惑をかけてしまうと言うのは本当ですし、根っこに「もったいない」の精神をもった日本人ですから、無自覚だとゴミの山を作ってしまうのだと思います。
それを戒めるために、昔の人は、付喪神の存在を信じた…んだと思います。しかし、古いカセットテープが付喪神になったとして、どんな付喪神になるんでしょうね? 想像すること出来ません(笑)。
>大学生の頃の、教科書。
私も捨てられません。中身的には古くて無価値なんですが、良い本棚の肥やしになっております(爆)。
アリサさん
YouTubeって、万能ではないけれど、なかなか便利ですよね。これがあれば、自分の手元に古いVHSビデオとかDVDディスクとか持っている必要なんてないんじゃないの? なんて思ったりします。
しかし、その一方で、YouTube(に限らず、クラウド系サービス)は、いつ相手方の都合で廃止されるかもしれないと思うと、YouTubeばかりに頼れず、本当に大切なものは、やはり手元で保存しておくべきじゃないかとも思います。
20代の頃の声楽発表会のカセットがあるんですが、色々な意味で恐ろしくて聞けずにいます。私の歌はともかくとして、あの頃同門だった、姉様たちの歌をもう一度聞きたいなあって思います。かなりの人がすでに鬼籍に入られたと思いますが、それゆえにこそ、思い出の中で会いたいと思うわけです。
そうですね・・・なかなか捨てるということは勇気がいりますね。
私の場合は、ある時点からけっこうモノとかオモイデに対してサッパリするようになりました。人が変わったくらいです。今のダンシャリとか言われている十数年前に、なぜか突然、モノを切り離すような行動に出ました。当時50代゛でしたよ。読み終わって持っていただけの本類はすべて処分したら、書棚が二つなくなりました。本棚の消えた壁がきれで、うちってこんなに広かったっけ、と思いましたよ。
情報も、パソコンとインターネットを手にして以来、必要なときに必要な情報を求めれば、必要なだけ入ってくる、ということがわかったので、最低必要以上にためこむことはやめました。
長い人生に積み上げてきたそれまでのいろいろなつながりを自らの手で切り離すのがためらわれることもあったけど、人とのつながりならこれほど思い切った切り方はできなかったと思いますが、相手がモノの場合はあっちから離れてくれないならこっちから切り離すしかないやんかっ、と。
まあ当時は、何かを自ら決断して実行した、というすっきり感のほうが分離喪失不安でつながっていたい気持ちに打ち勝った、というか、気持ちがよい行いだったのでしょうね。
今思うとあのころが、老後に向けて人生の舵を切る時点だったのかな、と思います。でも、カセットテープが聞けるCDラジカセは一台、今もちゃんと確保していますよ。もちろん現役で私の枕元にあります。
だりあさん
ダンシャリアンを含めて、モノを捨てられる人って尊敬します。私はまだまだですね。
実はモノを捨てる行為って、なんか気が萎えるんですよね。と言うのも「さあ、捨てよう!」と思って、ゴミをまとめても、ゴミだしの日って、月に1回程度しかないので、それまで家の中に置かれて帰って邪魔だし、モノによっては、引き取ってくれないゴミも多くて、自分で処分業者をお願いしないといけないとか、本当に面倒です。そういうのを考えると「まあ、いいか」って気になって、モノにあふれた生活になるんですよ。
モノを捨てるのもモッタイナイですが、実はそれらで占有されているデッドスペースもモッタイナイ話です。どちらがモッタイナイかと考えると、占有されている方が金銭的にはモッタイナイって話も聞きます。
ああ、どうしましょ?