スポンサーリンク

行き過ぎたルッキズムは見苦しいし厄災ですらありうる

 そりゃあ誰だって、醜いものよりも美しいものが好きです。これに合理的な説明を加えることは無意味で、ある意味、美醜の好みってのは、本能に刻まれた性質なんだろうと思います。それ故に、この感覚を無いものとして扱うのは無理でしょう。

 だから、排斥が出来ない以上、美醜の好みの有無については、受け入れるしかありません。

 しかし同時に美醜の問題は、多くの場合、形態に関する好き嫌いの話であって、善悪の問題とか能力の問題ではありません。もちろん、ごく少数の醜悪な者は、健康上や疫学上の問題を抱えているために醜悪である場合がありますが、それは個別案件として処理すべき少数事例であって、大概の醜悪な者は、感覚的に嫌悪されるだけであって、合理的理性的に排除すべき対象ではありません。

 つまり、醜い者に対して「生理的に無理~!」と言って拒絶することが可能なのは、感情レベルの話であって、合理的理性的社会的な理由で醜悪な者を拒否することは、理性を持った人間のするべき事ではありません。

 とは言え、美醜の好みが本能に刻まれている以上、個人的に拒絶せざるをえない事は事実として受け入れるとしても、少なくとも、社会生活のような公的な立場で、文化的な人間の公の判断として、人間を美醜で判断するべきではありません。

 無論、生理的に無理と感じる人間と、個人的な人間関係である“家族”になるのは無理でしょう。しかし社会的な人間関係である“組織”の同僚としては受け入れ、うまく人間関係を構築して円滑に社会を回していくのが、社会を構成して生きる近代人としては当然の行動なのです。

 つまり、生理的に無理な相手であっても、職場の同僚とか取引相手とか顧客とかなら、外見に関わらずに、公平な扱いをして、社会生活に波風を立てるべきじゃない…って事です。それを「あたしがイヤだからイヤ」として排斥するなら、それは単なるイジメであり、暴力でしかありません。

 …って小難しい事を書きましたが、実は私、佐藤二朗さんってタレントさんが好きなんですよ。で、ここ最近の連日、佐藤さんと、フジテレビ&橋本愛さんとのトラブルでネット界隈は騒がしいわけだし、私ら第三者は(フェイクやなりすましを含めた)各種報道でしか情報を知り得ないわけだけれど、これらの事件の本質って、それらを見た私感で言えば「要は、理屈じゃなくて、感情で、橋本さんが佐藤さんを拒否した事が原因で、それを知った周囲の人間が、橋本さん側に同情をして大騒ぎにした」事件なんじゃないかな…? つまりこの事件は、橋本さんが佐藤さんのことを「生理的に無理~」と騒いだのを、周りの人達が取り上げて、寄って集って佐藤さんを攻撃して、問題を大げさにしてしまった…というわけで、その結果、漁夫の利で文春大儲けってわけじゃないかな?って思うわけです。

 だってこのトラブルって、橋本さんもフジテレビも、もちろん佐藤さんも誰も得していないんだからね。得をしたのは、文春と(あとは佐藤さんの反論を掲載した新潮)くらいでしょ。

 ああ、バカバカしい…というのが、爺さんである私の感想です。

 で、事実が私感の通りなら、本当に、佐藤さんは可哀想な立ち位置に立たされたなあって思うわけです。

 確かに佐藤二朗という人は、美醜で分ければ“醜”の人だし、その言動を見ていると、善人だろうけれど、個性は強め(ま、芸能人なんだから当然だね)だし、若い女性(橋本愛さんはもちろん、フジ弁護士と言われる江黒早耶香弁護士)から「生理的に無理~」と言われるのも理解はできます。だって、若い女性から見れば、佐藤二朗さんは「気味の悪いオジサン」と思われるだろうし、女性たちが「生理的に無理」と思ってしまうのは仕方ないにせよ、だからと言って、その対象である佐藤さんを社会的&業界的に抹殺していいはずはありません。

 私はそこに、若い女性たちが持っている、傲慢に基づく“行き過ぎたルッキズム”を感じるんですよ。醜いオジサンが相手なら、差別したり蔑んだり人間扱いしなくていい…なんて風潮に憤りを感じるのですよ。

 こんな極端なルッキズムがまかり通るなら、イケメンや美女にしか人権が存在しなくなります。そんな世の中は間違っていると思うし、そんな社会を容認すべきではないと思います。

 私的な感情を職場に持ち込むのは、甚だ幼稚な所業だと思うわけです。大人であれば、そこは分けて行動すべきだと思うわけですよ。

 ルッキズム反対。醜男やブスにも正当な人権を与えよ! まともな人間として取り扱え! と声を大にして言いたいわけです。

 ま、知らんけど(笑)。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 その他日記ブログ つれづれへ
にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました